その血は呪われている   作:海野波香

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「ええ、あなたからのラブコールは受け取りましたわ、リータ」

 

 ダフネの言葉に、リータ・スキーターはとても厭らしい笑みを浮かべた。目の前に座る小娘をどう食らいつくしてやろうか、そんな意気込みを感じさせる。

 冬には似合わないフォーテスキューの豪華なチョコレート・サンデーをつつきながら、ダフネは考えた。この羽虫をどう叩き落とせば、己の利益を最大化できるだろうか。

 

「それじゃ、買ってくれるざんすね。福祉財団なんてやってるんだから、さぞ財布にもゆとりがあるんでしょう?」

 

 リータが机の上に乗せたのは、現在大臣室と魔法生物規制管理部が共同で進めている魔法法改正の草案だ。その中にはマレディクタスの危険性についての未公開レポートも含まれているという。

 確かにそれは、ダフネの立場を危うくするものだった。

 今のダフネにはまだ魔法省官僚たちへの影響力がない。魔法法執行部に協力者がいることは、必ずしも省庁全体への影響力を持つことを意味するわけではないのだ。これはダフネにとって喫緊の課題だった。

 そこに現れたのがリータだ。

 

「まあ、そう焦らないで。最近のあなたのお仕事を聞かせてくださいな。ライアル・ルーピンへのインタビューは世間を沸かせましたわね」

「記者の技術にご興味? 意外だわね。もっと清廉潔白ってタイプだとばかり」

「昔から言うでしょう? 杖に貴賤なし、魔女に貴賤あり」

 

 この程度の皮肉ではリータの厚い面の皮はびくともしない。アフォガードをスプーンで崩しながら、リータは呆れたように笑った。

 

「あたしならもう少しお行儀よくするけどね。ロリコンのバーナバス・カッフと違って百戦錬磨のリータお姉さんは厳しい目で相手を見ることができるんだから」

「そう、まさにその目に期待しているの」

「期待?」

 

 鼻で笑ったリータは、溶けかけのアフォガードを啜って眉を上げた。彼女の舌をもってしてもまずいとは言えない味だったらしい。

 

「いい味でしょう? フローリアンのアイスクリームはどれも絶品だわ」

「クリスマス休暇にアイスクリームパーラーで待ち合わせなんて頭のネジが外れたガキだと思ったけど、なるほど、こりゃ冬でも食べるもの好きがいるわけだわね。インタビューしても?」

「だーめ、今は私だけ見ててくださいな。ね、リータ、聞かせてくださらない? どうしてドローレス・アンブリッジにつくことを決めたのか」

 

 その名前をダフネが口にした瞬間、リータは寒さを思い出したように身震いした。

 アンブリッジの名前を軽率に出せば、その魔術師の人生は破滅する。借りてはならない虎の威というものが世の中にはある。

 かの邪悪にして狡猾な大臣室上級次官が悪名を馳せていないのは、ひとえに彼女がそういった意味での取り立てを厳しく行っているからだ。アンブリッジは自分の影響力をよく理解している。そして、それを利用しようとした者を利用しかえすコツも。

 その点、リータは幸運と言えた。彼女は大手を振ってアンブリッジの名前を記事に使うことができる。それはつまり――

 

「言い方を変えようかしら。あのガマガエルの御用聞きに成り下がった気分はどう?」

 

 リータはジャーナリズムを捨て、アンブリッジの軍門に降ったということだ。

 確かに、リータ・スキーターという記者はクズだ。捏造と歪曲の天才。彼女にかかれば、どんなに潔白な白でも黒になる。

 しかし、それでもリータには曲げられない一線というものがあるはずだった。リータはあくまで功名心と金稼ぎのために記事を書いている。そこに彼女個人のイデオロギーは一切絡んでこない。

 純粋な利己というのは、見方によっては「誰かのために記事を書く記者」よりも扱いづらい。

 リータは世論の潮流に乗って最も支持される記事を書く記者だ。すでに日刊予言者新聞がデメテル擁護、亜ヒト擁護の潮流を生み出した中、真っ向から逆らって対抗的な世論を生み出すのはリータのやり方ではない。

 

「記事を拝読しましたわ。ええ、とてもいい記事でした。あなたの卓越した調査能力がよく反映されている。でも……その調査に使った資料には、官僚の手垢がべったりとついている」

「なんのことかさっぱりざんす。用がそれだけなら、あたしは――」

「あなた、アンブリッジに()()の秘密を握られたのではなくて?」

 

 リータは鼻で笑った。くだらない、自分に秘密など存在しないとでも言いたげだった。しかし、手帳に添えられた真っ赤なネイルは、一瞬だけ逃げるように手帳を掴んだ。

 それが答えだった。

 リータ・スキーターには致命的な秘密がある。彼女は動物もどきだ。コガネムシに変身できる。その力を使って、彼女は多くの秘密を暴いてきた。誰も虫が聞き耳を立てているとは思わないからだ。

 問題は、リータが未登録の動物もどきであるということ。これはアズカバンに投獄されるレベルの重罪であり、厳しく取り締まられている。

 

「もし、あなたの()()が世間に広まれば、今まで記事にした人々からの訴訟は止まらないでしょうね」

「何を馬鹿なことを。ハッタリもほどほどにするざんす」

「あなたは今まで、その場にいた証拠がないことを理由に放免になってきた。そう、リータ・スキーターという魔女はスクープの瞬間には目撃されていない。しかしーー呪文の痕跡については別」

 

 スプーンを持つ手が一瞬震えた。

 動物もどきというマイナーな自己変容術は今まで魔法省の関心を惹いてこなかった。動物もどきになることについての研究は確かにあるが、動物もどきの術者を対象とした体系的な研究というものはないに等しい。

 しかし、それは動物もどきが完全に検知不能であることを意味するわけではない。

 神秘部は単なる哲学者ではない。神秘、すなわち魔法に残された未開拓領域を切り開く解析者だ。魔法省がそれを必要と判断すれば、動物もどきを覆う神秘のヴェールは一瞬で引き剥がされる。

 魔法とは神秘ではなく、技術だ。神秘による悪事は摘発不可能だが、技術による悪事はいずれ必ず暴かれる。

 

「隠し通せると思ってらっしゃるのかしら。どんな魔法も万能ではないのよ。どんなに卓越したアロホモラも施錠呪文の前では無力なように、磨かれた対策は既存の技術をやがて陳腐化させる」

「そんなはずは」

「あるのよ、リータ・スキーター。そんなはずがあるの。取り締まられていなかった間、ずいぶん甘い汁を吸ったでしょう? あなたも事業主として知ってるわよね、リータ。稼いだ分だけ、税は重くなる」

 

 リータは今、疑心暗鬼に陥っていることだろう。動物もどきであるということは誰にも話していない。情報が漏れるはずがないのだ。それなのに、ダフネは当たり前のようにその話をしている。

 ハッタリだ。そう思いたいに違いない。しかし、リータは記者として、確信している人間特有の喋り方というものを何度も目の当たりにしてきた。ダフネが嘘偽りなく、心からリータの秘密を知っていると確信していることを、リータは理解できる。

 

「どうしてアンブリッジがあなたの秘密を握れたか、教えてあげましょうか。答えは簡単。魔法省はもう、その呪文について研究を開始しているから」

「……何を根拠に」

「ふふ、面白いことを言うのね。今の魔法省が抱える自己変容術についての基礎研究を最新のものにした魔女の名前を教えてあげるわ。イオ・グリーングラス、私の母よ」

 

 リータが眼鏡越しに目を見開いた。

 動物もどきと血の呪いの違いは、変身術研究者としてのイオのコアテーマだった。

 ふたつの魔法は体内に自己変容の魔法を刻み込むという点で類似している。動物もどきの力を失わせる呪文を作ることができれば、血の呪いの発作抑制にも役立つというのがイオの見解であり、祈りだった。

 その研究を魔法省は接収している。グリーングラス家の研究は定期的に魔法省の手によって監査され、そして奪われている。

 つまり、今の魔法省は動物もどきについての研究結果を保有している。それを実務に反映しなかったのは、ひとえに魔法省が関心を抱いてこなかったからだ。

 しかし、これからは違う。

 

「あなたの記事はとてもいいプロパガンダだったわ、リータ。アンブリッジはマレディクタスを政治に携わらせたくない、だからイメージダウンを図った。でも、そのためには魔法省が血の呪いを理解する必要があった」

「そ、そうざんす、あいつが気にしてるのは血の呪いであって」

「でも、血の呪いを研究するうえで使えるサンプルがないでしょう? ああ、困ったわ、何か似ている魔法の研究から始めなくちゃいけないわね。たとえば、そう――動物もどきとか」

 

 リータの瞳が絶望に染まった。

 過去にここまで絶望したことが、果たして彼女にあっただろうか。リータにとってこの世の全ては記事の餌であり、都合のいい踏み台だった。彼女はこの世の全てを搾取してきた。

 しかし、これからは違う。

 

「逃げたいかしら? そうでしょうね。でも、飛んでいくにはここは目立ちすぎる。どうしてこの店を選んだか教えてあげましょうか。ここは漏れ鍋の2階からの視線が通る。友人がカメラを構えて、あなたが飛び立つ瞬間を待っていますわ」

「……この、小娘が」

「さて、困ったことになりましたわね。あなたはアンブリッジに秘密を握られている。彼女は私の政界入りを阻みたいのでしょう? でも、その秘密は私も知っている。あなたは板挟みというわけね」

 

 リータがスプーンを投げ出し、杖を抜いた。

 しかし、彼女が呪文を放つよりも早く、店主であるフローリアン・フォーテスキューの杖がリータの首筋にそっと添えられていた。

 

「いやあ、セットされた変身術を外側から強制的に起動する呪文なんて古臭いし、中々使う機会がないんだけど……偶然にも、おじさんは古臭いものが好きでね」

 

 魔法界には「すでにかかっている変身術を起動する呪文」が存在する。

 これはたとえば気分次第で家具の雰囲気を変えたり、カーペットの色を変えたりするための魔法だ。最近では変更機能まで組み込み済みの商品が増えて出番を失ったが、こういう古い呪文を覚えている魔術師は必ずいる。

 それが動物もどきに効くという確証はない。しかし、十分に揺らいだリータの心を折るには、これくらいの虚勢で事足りる。

 

「ッ、この……! お前のせいで! お前が血の呪いなんてものにかかってるから、あいつは本気になった!」

 

 リータが鋭い目でダフネを睨んだ。命がかかった者の、憎悪に満ちた眼光だった。

 

「お前なんか……お前なんか、あいつの前じゃ飛び回るコバエに過ぎないざんす!」

「あら、じゃあ私はアンブリッジのごちそうかしら。でも、お忘れのようね。この場の食物連鎖では、あなたが一番下なのよ」

 

 杖先が震え、かすかに火花が散る。

 それでもリータは、呪いを放てなかった。ここでやけになって犯罪に手を染められるほどリータは大胆ではない。

 

「また連絡するわ、リータ。あなたの情報網には高い価値を見いだしているの。私の役に立ってくださるわね?」

「……あんたを、いつか破滅させてやるざんす。地獄を見せて、泥水を啜らせてやる!」

「お生憎様ね、地獄ならもう十分見てきたの。きっとこれからもたくさん見ることになるけど……それはきっと、あなたの力によるものではないわね」

 

 震える手が手帳を持ち上げ、趣味の悪いスパンコールのハンドバッグに押し込んだ。席を立つ彼女を咎める者はいない。もはやリータは、ダフネが呼びつければいつでも馳せ参じなければならない立場になったのだから。

 リータが去っていってから、ダフネは改めてチョコレートサンデーのバナナに取りかかった。思い返してみれば久しぶりにちゃんとした食事を取る。一仕事終えたあとのカロリーは格別だ。

 

「いやあ、悪い子になったねえ」

「あら、何も彼女に悪事を働かせようってわけじゃなくてよ? 魔法省の内部で上がる声にもう少し耳を傾けておきたいと思っただけ。それよりも」

 

 ダフネはテーブルの上に置いたままだった『週刊魔女』を手の甲で叩いた。

 魔法族の情報リテラシーを考えれば、リータの飛ばし記事を鵜呑みにする市民は決して少なくないだろう。その中にはろくな教育を受けていない最悪の暴漢、フェンリール・グレイバックもいる。

 今回リータが記事を書いたのは、アンブリッジがダフネを牽制しようとしたからだ。その責任を無視するほど、ダフネは残酷にはなれなかった。

 

「ライアル・ルーピン氏が心配だわ。フローリアン、あなたのご友人に信頼できる魔法戦士はいないかしら? できれば満月の人狼との戦いにも臆さない、勇敢な方がいいわ」

「中々無茶な注文をするねえ。ダイアゴン横丁の警邏隊を仕切っているオグデンさんが荒事に関しては信用できる。スケジュールが空いていないか訊いておくよ」

「助かるわ、ありがとう」

「どういたしまして。それより、君は自分の安全を気にしたほうがいいんじゃないのかい?」

 

 ダフネは小さく首を傾げて、雑誌を見下ろした。

 

()()()()?」

 

 一瞬、ダフネの思考がぼやけた。

 何か違和感がある。まるで何かを見落としているような、隠されているような感覚。つい最近まで、自分は何かを()()()()()()()()()()()()()()――

 

「どうしてって……まあ、何か計画があるのならいいさ。それよりも、アイスのおかわりはどうだい? それともチョコスプレーをかけてダブルチョコにしちゃうというのは?」

「素敵ね、ダブルチョコ。アステリアにもお土産を買っていかなくちゃ」

 

 溶けかけたチョコレートアイスをスプーンで崩しながら、ダフネは微笑んだ。もう少し長く時間がかかると思ったが、10分はここでゆっくりする時間を取れそうだ。

 ()()()()()調()()()()()()()()()




前話にも追記しましたが、一応再掲です。
リータがライアルにどのようなインタビューを行ったか、全文を活動報告に載せておきました。くどいと思って没にしたのですが、ご参考までにご笑納ください。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=342246&uid=244813
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