英国魔法界において、ニューイヤー・パーティーとは何か。
単なる宴会ではない。美食を頬張り美酒を酌み交わすために集まるにしては、そこで交わされる視線は剣呑が過ぎる。
単なる式典ではない。心から新年を寿ぐような素朴な魔術師がいないとまでは言わないが、彼らは伝統に従って自宅で家族と静かに過ごすだろう。
では、結局のところニューイヤー・パーティーとは何なのか。
「魔法界の未来に!」
ダフネがグラスを掲げると、ナルシッサとヤックスリーがそれに応じた。そして、会場に立つすべての魔法族が続いた。
英国魔法界で最も力ある派閥の長たちが乾杯の音頭を取る。それは通例であり、示威行為でもある。誰のおかげで喉を潤し、腹を満たしているかを示しているのだ。
つまるところ、ニューイヤー・パーティーとは勢力圏の棚卸しだった。
「しかし、ルシウスは間に合わなんだか。あいつも運がないねえ、親父さんのことは気の毒だがよ。お悔やみ申し上げるぜ、ナルシッサ」
「お言葉に感謝申し上げます、コーバン」
ナルシッサは感謝を示すように柔らかく微笑み、テーブルに置かれた銀の皿の縁を軽く撫でた。現れたカナッペはどれも見事な出来栄えだ。レバーパテにキャビア、上等なクリームチーズ。しかし、ヤックスリーは一瞥しただけでそれをつまもうとしなかった。
それは、このカナッペを用意させたのがダフネだからだ。
ヤックスリーはダフネが嫌いだからダフネのカナッペを食べないのではない。彼の老いを感じさせない快活な笑顔はダフネにも惜しみなく向けられている。
では、なぜ食べないのか。
「あむ……りんごのコンポートとクリームチーズの組み合わせは正解でしたわ」
「あら、本当。隠し味はアールグレイ?」
「ナルシッサおばさまにはお見通しですわね。パーキンソン事務次官から本場の茶葉を融通してもらいましたの」
一瞬だけ、ヤックスリーの眉が動いた。
彼は鈍い男ではない。政財界で生き残ってきた年月で言えばダフネを凌駕している。だから、彼はとっくに把握していて、今日は確認しに来たのだ。
すでにマルフォイ閥とグリーングラス閥の境界は取り払われた。
パーキンソン事務次官はマルフォイ閥の筆頭と言っていい人物だ。ダフネがその彼から茶葉を受け取ったことを、ナルシッサが把握していない。それを知って不快感を示しもしない。
派閥の長ルシウスやその妻ナルシッサの承諾を得ずとも、ダフネはマルフォイ閥の人材から利益を得ることができる。それは単なる協力、その一歩先。
まばゆいほど輝くシャンデリアの下で、ヤックスリーが小さく笑った。その笑いは穏やかで、落ち着いていて、どこか呆れが混じっていた。
「親子みてえに仲良しじゃねえか、え?
「冗談でもそんなことをおっしゃるものではありませんよ、
全員が笑顔で、穏やかで、しかし空気は冷え切っていた。
かつて、ヤックスリー閥はマルフォイ閥のよき友だった。かつては同じ陣営の下で杖を振るった仲だ。互いを庇いあい、融通しあってきた。兄弟、そう呼ぶヤックスリーの声に本当の親しみがにじむのはルシウスに対してだけだっただろう。
しかし、ふたつの派閥は分かたれた。
マルフォイ閥の離脱を指摘するヤックスリー。それに対し、社交界に現れない幻のヤックスリー夫人の秘密を示唆するナルシッサ。その応答は、マルフォイ閥がもはやヤックスリー閥に歩み寄る意思を持たないことを示している。
「冷たいねえ。嬢ちゃんもそう思うだろう? じじいってのはどこに行っても厄介者扱いだ。だがよ、誰もがいつかはじじい、ばばあになるってもんだぜ。いずれ己が往く道を細めちゃいかんだろう」
会場にざわめきが伝播していく。そのざわめきの中には、ダフネ・グリーングラスという名前が確かに混じっていた。
嬢ちゃん。
ヤックスリーはダフネをそう呼んだ。それは同じホストとしてはとても無礼な態度だった。対等の相手として認めていない、そういう意味を匂わせる呼び方だからだ。
せいぜいが酌をして回るコンパニオンガール程度の扱いを受けながら、ダフネは笑顔を見せた。
その笑顔が、ヤックスリーの笑みを浮かべる口角をかすかに強張らせる。無礼を無礼と教えてやらない不親切もまた、相手を見下す態度だ。
ヤックスリーの売った喧嘩に、ダフネは最高値を入札した。
「そうですわね、誰もが老いる。いつかは私も口さがなく嘲笑われるのでしょう。しかし、幸いにしてそれは今ではありませんわ。まだしばらくは、胸を張って己の道を往けそうですわね」
お前は嘲笑われる老いぼれだ。そして、お前と相対するダフネ・グリーングラスはまだそうではない。老いぼれは大人しく道を開けろ。
ダフネは暗に、そう答えてみせた。
もちろん、社交界においてこの程度のやりあいはダンスのステップと同じくらいに軽やかであって当たり前のものだ。誰も割って入らないのがその証拠と言えるだろう。空気は冷え切っているが、誰も怒鳴ったり、顔をしかめたりしていない。
しかし、その当事者が14歳の少女となれば、周囲に与える衝撃は鮮烈だった。
「いやあ……参ったね」
ヤックスリーのこぼしたその一言が、会場に蔓延するダフネへの疑念に回答していた。
ニューイヤー・パーティーのホストを不正に掠め取ったのではないか。その疑いの視線が突き刺さる中、ダフネははるかに上手であるはずのヤックスリーをやり込めてみせた。
単なる話術であれば、自分にもできると思い込む才気溢れる若者はいるだろう。
しかし、先んじてマルフォイ閥と結託し、ヤックスリー閥を孤立に追い込んだうえで、構築したその環境を盾にヤックスリーを封殺することができる魔術師が果たしてどれほどいるだろうか。
「はーあ、参った参った。おっかねえ嬢ちゃんだ。ガキの頃の俺なんざ、モグラの巣穴に親父の杖を突っ込んでたぜ」
「まあ、やんちゃ。モグラはどうなりました?」
「まず色が変わった。青白ーくな。そんでもって、お月さんくらい膨らんで、宙に浮いて、パーン! ……というところまであと一歩だったんだが、お袋が杖の一振りで元に戻しちまった。あのいたずらで俺ぁ手痛いお仕置きを食らってなあ。小遣いもだいぶ減らされたもんよ」
「動物愛護の精神に反した報いは重かったですわね」
「ああ、だがありゃ楽しかったね。俺が分別をなくすことがあったら……今度ぁ、自分の杖でやるかもしれねえな」
もちろん、これもただの昔話ではない。
かつて、ヤックスリーは
これは警告だ。ダフネがグリンゴットと組んでいることをヤックスリーは嗅ぎ当てた。ヤックスリーは必要とあればグリンゴッツを相手取ることもすると、今度は自分の力でグリンゴッツを破綻させると、そう言っているのだ。
そして、ヤックスリーは言葉だけの警告で済ませる男ではない。
「コーバン、若いころのやんちゃ話は結構ですけれど、そろそろ私たちがテーブルを回ってもいい時間だと思いますわ」
眉間にうっすら皺を寄せたナルシッサの言葉に、ヤックスリーは懐中時計を確認して鷹揚に頷いた。
ニューイヤー・パーティーでは、各ホストがテーブルを回って各テーブルの会話に参加する。必ずしも己の派閥にいる魔術師とだけ話すわけではない。不文律として強制的な引き抜きは禁止されているが、同時に参加者にとっては派閥を移るチャンスでもある。
つまり、これからダフネはヤックスリー閥の魔術師に単身囲まれながら会話をして、しかも楽しませなければならない。
そこには間違いなく、ヤックスリーの罠が仕掛けられている。
「おっと、そうか。こりゃいけねえ。嬢ちゃん、
「ええ、楽しみにしておりますわ」
ヤックスリーはテーブルからグラスを取り上げ、早々に立ち並ぶテーブル群へと消えていった。最後に見せたダフネへの一瞥は、「やってみろ」というあからさまな挑発。
しかし、ダフネは気にしなかった。
「それではナルシッサおばさま、後ほど」
「……少し待ちなさい、ダフネ」
テーブルに向かおうとしたナルシッサはダフネを呼び止め、ドレスの腰に手を添えた。そして、まるでそこにポケットがあったかのような手つきで化粧ブラシを取り出した。
ナルシッサはダフネの顎に手を添え、一度だけダフネの目元にブラシを走らせた。
静かな瞳に、わずかな疲れが滲んでいる。ルシウスが不在の今、ナルシッサの心労は察するに余りあるほどだ。それでも、ナルシッサは夫の協力者を大切に扱ってくれる。
「……これでいいわ。皆様に元気な姿を見せておいでなさい。夫の代理として、私も最善を尽くします」
「ありがとうございます、おばさま」
小さく頷いて、ナルシッサも魔術師でひしめきあうテーブルへと消えていった。
ノンアルコールの白ワインで唇を濡らしながら、ダフネはしばらく会場全体を見つめていた。何人もの魔術師がダフネに視線を向けていたが、目が合うと慌てたように顔をそらした。
歓迎されていない。
当然だろう。現在グリーングラス閥を構築する魔術師の大半は、かつてザビニ閥にいた向上心の強い中流だ。デメテルの福祉事業に献金を行うことで政財界にポジションを得ることを狙っていた彼らにとって、ダフネにすり寄る旨味は少ない。
今日、ダフネの招待に応じてニューイヤー・パーティーに出席した魔術師の多くが引き抜かれることを願っている。伝統と格式あるマルフォイ閥か、富と実権の伴うヤックスリー閥か。
なんにせよ、かつてデメテルの下に集まった魔術師たちが集う旗としては、ダフネの実績は不十分だった。所詮学生。所詮子ども。
状況は悪い。
だからこそ、ダフネは深い笑みを浮かべ、あるテーブルに近づいた。
「――ごきげんよう、大臣」
「ん? おお、ダフネ。久しぶりだ、少し痩せたのではないかね?」
「大臣、彼女は……」
「いいではないか、フォウリー。君は優秀だが、人を疑いすぎるのが欠点だ。この可愛らしい小さな女の子が私をどう害するというのかね? さあ、ダフネ、なんでも好きなように摘みたまえ。特にこのカナッペは絶品だ」
表情を険しくする官僚の声を制してまで柔和な笑顔でダフネを迎え入れたのは、コーネリウス・ファッジ魔法大臣だ。
ファッジがダフネに友好的であることは以前から確認できていた。それは公人としてダフネとの交流に価値を見出しているというよりは、むしろ私人としてハリーと結びつけて親しみを抱いている様子だった。
しかし、周囲にはファッジの笑顔が私人としてのものなのか、公人のとしてのものなのかなど区別のつけようがない。必然的に、ダフネは魔法大臣と交友のある人物ということになる。
それは政治的にとても大きな価値を持つ。
今日はそうしない。獲物は、他にいる。
「大臣閣下、そちらの素敵なご令嬢をご紹介いただけますかな?」
「もちろんですとも。ダフネ、ギリシャ大使のアガメムノン殿だ。お忙しい中、それでもここで新年を祝いたいと駆けつけてくださった。アガメムノン殿、こちらダフネ・グリーングラス。見た目の幼さに騙されるなかれ、今一際話題の才女ですぞ」
褐色の肌に艶のある銀髪をひとつに束ね、紫に金糸の踊る上等なローブを身に纏った気品のある魔法使い、アガメムノンがダフネに手を差し出した。
ダフネが握手に応えると、アガメムノンは静かに微笑んで頷いた。
「いらしてくださって光栄です、大使殿」
「こちらこそ、来た甲斐があったというものです。あなたのことは以前から存じ上げております。大変優秀で、大変勇敢な乙女であらせられる」
「まあ、恐れ多いですわ。お飲み物のおかわりはいかがかしら。大臣も、今日くらいは羽目を外していただかなくては」
ダフネはしもべ妖精を呼びつけてグリーングラス家のシードルを持ってこさせ、それをアガメムノンのグラスに注いだ。
「ありがたい。礼節まで心得てらっしゃるとは、英国魔法界の未来は輝いて見えるほどです」
「いやあ、本当に仰る通りでして、ダフネのような若者がどんどん育って魔法界を支えていってほしいと思っていますよ。私としてはいい加減ダンブルドアに席を譲って悠々と引退生活をしたいのですが、どうも彼が許してくれんのです」
「はは、それは大臣閣下の能力とお人柄を彼が認めているからでしょう。生徒としてはどうでしょう、ミス・グリーングラス?」
「この英国魔法界がこうして分け隔てなく連帯できているのは、間違いなく大臣のお力によるものですわ。だからダンブルドア校長は安心して教育に専念でき、そして私のような学生がその恩恵に預かるわけですわね」
ファッジはこそばゆそうに首を傾げ、ぐいと白ワインの残りを呷った。
「羨ましいものです。多くの統治者がギリシャに君臨しましたが、ひとりとして長続きした者はいなかった。あるいは、古代の我々がそうであったように統治者によって治められることが向かない気質の民族なのかもしれません」
「魔法大臣は統治者なんて大した席ではありませんよ、大使殿。私の仕事は皆様のご機嫌伺い、あとは判子を捺して、ブン屋と話す。ブン屋はわかりますかな、新聞屋のことですが」
「そう謙遜めされるな。大臣閣下、あなたは偉大な方だ。どうあっても傾かない、よい魂をお持ちでいらっしゃる。さ、グラスが空のようですね」
アガメムノンはダフネがテーブルに置いたシードルのボトルを取り上げ、ファッジのグラスに寄せた。その手つきはとても自然で、だからファッジも受け入れようとグラスを傾けた。
しかし、ボトルからは一滴たりともこぼれることはない。
困惑するファッジを前に、ダフネは笑顔でアガメムノンを見上げた。よく整えられた白銀色の眉が困ったように曲がり、ボトルを持つ腕にはめられた金の輪がしゃらりと鳴いた。
「そのボトル、魔法法執行部にお願いして魔法をかけてありますの。どんなものであれ、魔法がかけられた時点で中身が出なくなるように」
「魔法? どういうことだね、ダフネ」
「アガメムノンなんて大使はいないということですわ、大臣」
三本の杖がアガメムノンを名乗るギリシャ大使に突きつけられていた。
スクリムジョール、キングズリー、ガウェイン。ダフネの要請に応えてこのニューイヤー・パーティーで警戒の任についていた闇祓いたちだ。
「困りました。客人として歓迎されていると思っていたのですが」
男はゆっくりとボトルをテーブルに戻し、小さく首を傾げた。その口ぶりに関して、彼の口元にはどこか歪な笑みが浮かべられていた。
「腐ったハーポ。お前には国際指名手配がかけられている。抵抗せず、直ちに降伏しろ」
「ルーファス・スクリムジョール局長ですね。何を根拠に私が腐ったハーポだと?」
「とぼけるな」
スクリムジョールは、ローブの懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
その羊皮紙に書かれた似顔絵はかつての線画のままではなく、彩色されていた。銀の髪はひとつに束ねられ、褐色の肌は紫の絹と金の装飾品で飾り立てられている。頬の輪郭は柔らかく、しかし浮かべる笑みはどこか歪。
目の前の男は、まるでその似顔絵をそのまま成長させたかのようだった。
「本物のギリシャ大使はすでに保護し、治療を開始している。招待状の名前が違うことも確認した。もうすぐギリシャ魔法省の闇祓いも到着する」
「そんなはずはありません。そちらの手違いではありませんか?」
男は困ったように肩をすくめたが、スクリムジョールは杖を下ろさなかった。
「経口感染。細菌に汚染された飲み物を口にすれば、まず間違いなく感染すると言っていいでしょうね。サンプルのご提供、感謝いたしますわ」
ダフネが手を叩くと、ボトルは消えた。
ハーポの細菌によって汚染されたシードル。これを入手したことで、英国魔法界は細菌魔法の分析を始めることができる。魔法細菌が観測されれば、誰がなんと言おうと細菌魔法の存在が明るみに出る。当然、抗菌剤の認可も早まるだろう。
「ここに来たのは迂闊でしたわね、ハーポ」
男は答えず、両腕を広げた。
艶やかな褐色の肌がぐずぐずと溶けていく。それは細菌による腐敗の映像を早回しで見ているかのようだった。金の腕環――手枷はみるみるうちに緩くなり、しかし、その細くしなやかな腕を捕らえ続けた。
背が縮み、絹のローブがそれに合わせて短くなっていく。
そして、そこに現れたのは。
「――正解だ、ダフネ・グリーングラス。吾はお前の知性を喜ばしく思うぞ」
金と紫で飾られた、妖精のような少年が、手に持ったままのグラスを揺らした。その水色はもはや澄んでおらず、グラスの縁を辿るように深い緑の胞子が張っている。
少年――ハーポがクスクスと笑った。