その血は呪われている   作:海野波香

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 なぜダフネはニューイヤー・パーティーで腐ったハーポを見つけられたのか。どうして闇祓いたちはダフネに従って大使に杖を向けたのか。

 それを説明するためには、少し時間を巻き戻す必要がある。

 

「――説明しろ」

 

 眉間に皺を寄せてダフネを睨むスクリムジョールの前に、ダフネは小瓶を差し出した。

 そこに収まっているのは、記憶。ただの記憶ではない。今年の夏、ギリシャで腐ったハーポを訪ねたはずの期間についての記憶だ。透明な小瓶の中で揺らめくそれは、ところどころカビたように黒ずんでいる。

 

「局長、今年のハロウィーンの夜、私を尋問したことを思い出せますかしら?」

 

 訝しむように目を細めたスクリムジョールは、直後舌打ちして踵を返した。

 苛立ちと、その裏にある強い責任感。それは、彼もまたハーポについての記憶を失っていることを意味していた。

 

「付いてきなさい。ドーリッシュ、憂いの篩の準備を」

「は、しかし記憶を用いた尋問には魔法法執行部長の許可が」

「尋問ではない、私と情報提供者の記憶を見る。グリーングラス、道すがら説明してもらうぞ」

 

 魔法法執行部の整頓されたオフィスの中を、スクリムジョールは早足で抜けていった。ダフネは彼の歩みに追いつこうと必死で足を動かしながら、すでに整理してあった説明を彼に告げた。

 

「今年の夏、私はマルフォイ家とともにギリシャを訪ねました。目的は腐ったハーポという古代の闇の魔術師から彼の術についての情報を得ることでした。しかし、気づかないうちに私たちは彼の術中にあったのです」

「それはおかしい。ケッセルリンクの保存則に反している」

「すでにかけられた魔法を後になって他の魔術師に移すのには、かけたときと同じだけの魔法力を行使する必要がある。存じておりますわ。問題は、この呪いをかけているのがハーポ自身ではないということです」

「協力者がいると?」

「いいえ、問題はもっと複雑です。彼は目に見えない小さな杖を世界にばらまいている。これを」

 

 ダフネが手渡した細菌学のテキストを、スクリムジョールは歩きながら猛烈な速度でめくった。読んでいるというよりはページをパラパラと舞わせているような勢いだったが、どうやらスクリムジョールにはそれで十分らしかった。

 細菌学のテキストを無造作に突き返しながら、スクリムジョールは唸った。

 

「細菌感染、か。非魔法族の技術を否定するわけではないが、そのようなものが本当に存在するという証拠はあるのか。彼らは目に見えないものについて驚くほど迷信深い」

「細菌自体が実在するのは事実ですわ。目に見えないわけではないのです。彼らの科学が生み出した最新鋭の顕微鏡であれば、その姿を見ることができる」

「では、それが本当であったとして、その腐ったハーポという魔術師と細菌を紐づける根拠は?」

「それをこれから確かめたいのです」

 

 鋼の柵にかけられた鍵をドーリッシュが外し、扉が開かれた。

 そこはどうやら、魔法法執行部の記憶保管庫だった。いくつもの小瓶が並んでいる。アラスター・ムーディ、キングズリー・シャックルボルトなど闇祓いの名前が振られているものもあれば、現代史で目にした犯罪者のラベルがついたものもある。

 そして、その中央に大理石の台座があり、上には石製の水盆が置かれていた。縁にはルーン文字が刻まれている。

 

「記憶を」

 

 ダフネが小瓶を差し出すと、スクリムジョールは栓を抜いて杖を構えた。記憶が杖に従って瓶から引き出される。黒ずんで揺らめく記憶が、少しずつ水盆に入っていく。

 その時だった。

 

「ッ、これは」

 

 スクリムジョールが大きく杖を振った。

 渦巻く水盆の中央から胞子が立ち上る。パフスケインの死骸を放置した末路を思わせる不潔でおぞましいそれは、あっという間に水盆の水面を覆った。

 そこから膨らもうとした胞子を、スクリムジョールの放った防護呪文が防いだ。青白い魔法の盾の表面をじわじわとカビがなぞるように広がるが、その奥には来ない。

 

「ドーリッシュ!」

「は!」

 

 頬を引きつらせながら、ドーリッシュが杖を振るって炎を生み出した。

 水面を炙るように広がったその炎は胞子を飲み込み、駆逐していく。しかし、胞子が消えてもなお、部屋には嫌な空気が漂っていた。

 杖を構えたまま、ドーリッシュがダフネに詰め寄った。

 

「何をした!」

「私ではありません、記憶が」

「何をした、答えろ!」

「話を聞いてくださいますかしら」

「公務執行妨害、公用魔法具等毀棄、それに――」

「ドーリッシュ、よせ」

 

 スクリムジョールが静かにドーリッシュを制止し、自らのこめかみに杖を当てた。

 記憶が引き出される。清流にさらされた絹糸を思わせる透き通った白い記憶は、ところどころ虫食いになったように黒ずんでいた。

 息を呑むドーリッシュを放置して、ダフネはスクリムジョールを見上げた。

 

「私たちは危機的状況にある。その現状はご理解いただけましたかしら」

「……どうやら、そのようだ。とんでもないことをしてくれたな、ダフネ・グリーングラス。君のやったことは外患誘致に相当するという見方もできる」

「見方の問題ですわね。私は今、こうして外患に対処するために馳せ参じたわけですから」

「君が招いた、という前置きは切り捨てないでもらおう。……目的は何だ? 君はこの呪いに乗じて何を企んでいる?」

 

 老いた獅子を思わせるスクリムジョールの厳しい眉が、疑念と怒りに歪んだ。

 彼の指摘は正しい。ダフネが接触しなければ、腐ったハーポは動かなかったのかもしれない。それを確かめる術も今となってはカビの中だが、ダフネに責任があるのは疑いようのない事実だ。

 だからこそ。

 

「お力をお借りしたいのです、スクリムジョール局長。この問題の尻拭いは私ひとりの手には余りますわ」

「そうだろうな。我々が動かないわけにはいかない。しかし、君の策に乗るつもりもない。我々は独自でことを運ぶことができる。馬鹿な真似をした学生にさらなる上塗りを頼む必要はない」

「それは腐ったハーポの目的にもよりませんかしら」

 

 しばらく、空気の汚れた部屋を沈黙が満たした。

 スクリムジョールを説得する材料はダフネの手元にはない。今のままでは魔法法執行部は独自で動くだろう。それはもしかするとうまくいくのかもしれないが、ダフネの将来に影を落とす結果に終わる可能性が高い。

 だからこそ、ダフネはこの魔法法執行部オフィスでスクリムジョールに会うことを選んだ。

 

「局長。ハロウィーンの夜、私は誰かの似顔絵を描かされました。それは腐ったハーポのものだったのではありませんか?」

「……ドーリッシュ」

「は!」

 

 ドーリッシュが杖を一振りすると、部屋の外から丸められた羊皮紙の束が飛んできた。スクリムジョールはそれを掴み取り、結わえていた紐をほどこうとした。

 その時、床に何かが転がった。

 金色の塊が、板張りの床で重い音を立てた。それはどうやら羊皮紙の束の中に収まっていたらしかった。スクリムジョールは訝しむように眉を上げると、杖を振ってそれを浮かばせた。

 それは、小さな像だった。

 2羽のオオガラスが仲睦まじく互いの羽根を整えあっている。しかし、2羽のカラスは黄金の鎖で絡め取られ、空に羽ばたけない。

 

「これは……」

 

 一瞬目を細めたスクリムジョールは、像を浮かせたまま羊皮紙の紐を引いて解いた。

 そこにはダフネが取調べを受けた際の調書が収まっていた。腐ったハーポに会ったこと、分霊箱の発明者であること、ヴォルデモートが分霊箱によって生きながらえていることがそこには書かれている。

 最後まで目を通したスクリムジョールは、大きく息を吐いた。

 

「君とこの腐ったハーポとやらのせいで、我々は例のあの人という我が国最大の疾患を見落とすところだった。グリーングラス、事の重大性を理解しているのかね」

「そのつもりですわ」

「いいや、理解していない。君は――」

 

 スクリムジョールはなおもダフネを追い詰めようとしたが、その時彼の視界に金の像が入った。

 空中で転がるように動いた像の裏側に、文字が刻まれている。

 そこには、こう刻まれていた。

 

「我が最新の教え子、ダフネ・グリーングラスに……?」

 

 目を剥いたドーリッシュがダフネに杖を向けた。その視線ははっきりと、ダフネが闇の魔女であると糾弾する色を示していた。

 しかし、スクリムジョールは首を振り、ドーリッシュに杖を下げさせた。

 

「局長!」

「落ち着け、ドーリッシュ。……これは覚えている。ホグワーツで古代史を取った。古代ギリシャには都市(ポリス)丸ごとひとつが魔法学校となった地があったが、そこで学んでいた若き魔術師はたったひとりの校長によって皆殺しにされたという」

 

 スクリムジョールは目を閉じて天を仰ぎ、それから小さく息を吐いた。

 次にその目が開かれた時には、スクリムジョールの瞳から疑いの色は消えていた。そのかわりに、闇祓い局局長としての責任感に満ちた凛々しい色が浮かんでいた。

 

「君が狙われているのだな」

「おそらくは」

「……いいだろう。どれだけ疑わしかろうと、市民を守るのは闇祓いの仕事だ。君は確か、ニューイヤー・パーティーでホストを務めるな」

「左様ですわ」

「この細菌についての本が正しいのだとすれば、ニューイヤー・パーティーのような人が集まる場は感染拡大の好機だ。やつがそれを見逃すとは思えない。感染を広げる手を打ってくると思っていいだろう。……ドーリッシュ、非番の連中を叩き起こせ」

「は!」

 

 駆けていくドーリッシュを見送ることもなく、スクリムジョールは目を伏せて考え込んでいた。

 彼の理性が総動員されていた。闇祓い局局長。法執行の実行部隊、その頂点に立つ魔法使いが、今イギリスを襲おうとしている災禍に立ち向かうためにすべての力を使おうとしている。

 ややあって、スクリムジョールは歩きはじめた。

 

「やつが直接来るにせよ、協力者を送り込んでくるにせよ、ギリシャからこのイギリスまでは距離がある。姿現しで跳べる距離ではない」

「つまり、煙突飛行ネットワークの記録を?」

「君が魔法運輸部のパーキンソン事務次官と懇意にしているのは我々も把握している。ホストとして来客者名簿は管理しているな」

 

 ダフネがポーチから来客者名簿を取り出すと、スクリムジョールはそれを引ったくるように受け取って素早くめくった。

 

「国外の来賓全員のルートをチェックする必要がある。自覚的であるにせよ、そうでないにせよ保菌している者を拘束する」

「細菌魔術が知られていない以上、大義名分が必要では?」

「そんなことはわかっている。……グリーングラス家ではりんご加工品の出荷を行っているな。そしてパーティーでは飲み物が振る舞われる。それをうまく使えれば、あるいは」

「スカーピンの魔法薬防護呪文は、呪いがかかった液体を瓶の内側に封じ込める魔法でしたわね?」

 

 一瞬立ち止まったスクリムジョールは、困惑したようにダフネを見下ろした。

 

「魔法法執行部でのキャリアを望んでいるのか?」

「あら、私が招いた惨事だとお考えなのではなくて? できる限りお役に立とうとしているだけですわ」

「それは……言葉の綾だ。国際テロリストに狙われているホグワーツの3年生に責任を被せようとするほど我々は愚かではない。だからといって有能さを私にアピールする必要はない。君が無能ではないのは十分に理解した」

 

 そう言い切ってから、スクリムジョールはエレベーターに乗り込んだ。

 ダフネがそれに続くと、エレベーターが動きはじめた。魔法運輸部まではすぐだ。一瞬の気まずい沈黙を耐えていると、スクリムジョールから口を開いた。

 

「ガウェイン・ロバーズを君にくれてやるのを、惜しいと思ったことは一度や二度ではない。あれは優秀な闇祓いだ。いずれ私を超えるだろうと期待している」

「滅多なことを仰るものではありませんわ。局長のカリスマに傷がつきますわよ」

「人間も、魔法も、結局は新しいほど洗練されているものだ。……その点において、古代ギリシャの細菌魔術も決して恐れるべきものではない。魔法は所詮技術だ。古い技術が、新しい技術に勝り続ける道理はない」

 

 どうやら、スクリムジョールはダフネのことを励ましているらしかった。

 しかし、それに応えるよりも早くエレベーターが到着のベルを鳴らした。扉が開くと、スクリムジョールはダフネを待たずにエレベーターを降りていった。

 魔法運輸部のオフィスは雑然としていた。積み上がった羊皮紙、忙しなく動く絵画、あちこちで点滅するランプ。そのランプにかかった看板には、煙突飛行ネットワーク制御盤と書かれていた。

 

「ルーファス? 珍しいな、こんな時間に……おや、ダフネじゃないか。この度はホストの大任、おめでとう」

 

 立ち上がったのは熊のような大男。

 髭面に柔和な笑みを浮かべた彼――ディオメデス・パーキンソンが、インクで汚れた手をはたいてふたりを出迎えた。

 

「ディオメデス、厄介なことになった。今夜のニューイヤー・パーティーにテロリストが潜り込む可能性があるとこちらのミス・グリーングラスが知らせてくれた」

 

 ディオメデスは小さく眉を上げてダフネを見たが、何も言わずに頷いた。

 

「暖炉の封鎖を? 今からだと少し厳しいな、各国の大使に恥をかかせることになる。国際的な非難は避けられない」

「主犯が来ずに協力者だけ送り込んでくる可能性もある。できれば現場で捕らえたい。来賓のリストがある。誰がどこから跳んだか、情報をもらえないか」

「正式な捜査かい?」

「これから正式になる。この初動に魔法界がかかっている。頼めるか」

 

 少し悩んでから、ディオメデスは微笑んだ。

 

「もうこちらに来られている来賓は全員頭に入ってる。リストを貸してくれるかい。ありがとう。……なるほど」

 

 素早くリストを確認して顔を上げたディオメデスは、その柔らかな微笑みを消してスクリムジョールを見つめ、口を開いた。

 

「ギリシャ大使を名乗る魔法使いがふたり来ている。アテネの官邸公用暖炉からフォトプロス氏、アルバニアのブトリントという森にある暖炉からアガメムノン氏。フォトプロス氏とは挨拶したことがあるが、アガメムノン氏は会ったことがないな。このリストにもいないようだ」

「アガメムノン……」

 

 スクリムジョールは眉間に皺を寄せて、その名を口にした。

 アガメムノン。ミュケナイ王、トロイア戦争におけるギリシャ軍の総大将を名乗る魔法使い。どうやら、その不遜な人物こそが、英国魔法界に迫る脅威らしかった。

 

「パーティーを中止するわけにはいきませんわ。ギリシャ大使を名乗るのなら、その魔法使いはファッジ大臣のテーブルに通されるはず。ホストのテーブルから一番近い」

「……危険だ。君が狙われているのに、君が接触すると言いたいのか」

「あら、守ってくださるのでしょう? 闇祓いが接触して刺激するより、狙われている私が接触したほうが油断を誘えると思いませんかしら?」

 

 しばらく沈黙していたスクリムジョールは、呆れたように首を振った。

 

「まったくもって馬鹿げているが、どうやらそれがよさそうだ」




更新ペースについてまた変化がありますよというご報告です。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=342574&uid=244813

要約:
・最近「もっと面白いものにしたい」が理由で迷走気味でした
・ひとまずインプットを増やしてビジョンを固めます
・そのために更新ペースがまた少し落ちます
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