春めくダイアゴン横丁には祭りの気配が近づいていた。
イースターである。キリスト教の重要な祭日であるこの日は、もはやその内実に関しては形骸化しているものの、魔法界でも祭日としては認識されている。
それは純血の家々にとっても同じだ。マグルがクリスマスを祝うからといって純血の家がクリスマスを祝わないということにはならないように、純血であってもイースターは祝う。
花飾りと卵飾りが姿を見せつつあるダイアゴン横丁で、ダフネはフォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーの新メニューであるアフォガー卜を味わっていた。
「人間が人間性を無視するのは、人間の理性の誤りである」
「金言ですね、お姉様」
「ヴォーヴナルグの言葉よ、アステリア。一部の、自分を理性的だと思い込んでいる魔法使いや魔女は人間性を除外したがる。でも、人間性は人間の一部なのだから、それを無視するのは理性の誤りなのだわ」
人間性。
ダフネはそれを学んだ。人間性を無視して計画を進めることはできない。
そして、今日はダフネがそれを学んだことを示す機会でもある。
「それで、話ってなんなのよ」
「姉上、そのような言い方は」
「弱気になっちゃ駄目よフローラ。こいつのことだから、どうせとんでもない企みを抱えてるに決まってるのよ。油断してると……」
「油断してるとこう、ですわよ」
「ああっ!」
ヘスティアのサンデーに乗ったチェリーを強奪して頬張りながら、ダフネはちらりと時計を確認した。
そろそろ待ち人が到着するころだ。
「だ、大事に取っておいたのに……」
「そう悲しい顔をされないでください姉上、私のをあげますから」
「ふん、お姉様のことを悪く言うからいけないんです!」
「あら、アステリアもそうやって油断してると食べちゃうわよ?」
「あ、アステリアのは駄目です! アステリアはいい子にしてますもの!」
そんな戯れを繰り広げていると、足音が近づいてきた。
父親そっくりの顔立ちに、ホワイトブロンドの髪をオールバックに撫でつけて、皮肉げな笑みを浮かべている。ステッキを持たせてもう少し髪を伸ばせばミニチュア版のルシウス・マルフォイだ。
ドラコがテーブルに肘を置いて小さく笑った。
「当ててやろうか。ダフネにサンデーのチェリーを奪われただろう。こいつにはそういう意地汚いところがあるんだ」
「ドラコから学びましたのよ」
「ぼ、僕はもうそういう幼稚なことはやらないんだ! それに、お前は僕がチェリーを取っただけなのに残りのクッキーとウェハースを全部取っていっただろ!」
ドラコは顔を赤くして怒ったが、ダフネが席を指し示すと大人しく座った。
「それで、なんの用なんだ? わざわざ呼びつけて」
「大事な話がありますの。この5人でしかできない、大事な話が」
「お姉様?」
振り返ってカウンターにいるフローリアンに合図を送ると、フローリアンは笑顔のまま頷いて小さく杖を振った。
これで声は外に漏れない。
ダフネは集まった面々を順番に見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「ここに集まっているのは、誇り高き純血の名家やその跡取りですわ」
「なんだ、今更」
「いいから聞いて下さいな、ドラコ。……ヴォルデモートの一件で、純血の地位は失墜しましたわ」
ヴォルデモートという名を口にした瞬間、いくつもの悲鳴が上がった。
ドラコは蒼白な顔をますます蒼白にし、ヘスティアはスプーンを取り落とし、フローラは不安げに姉の横顔を見つめていた。
ただひとり、アステリアだけが緊張に握りしめた拳を白く染めながらも、無言でダフネの言葉に耳を傾けていた。
「私はある証拠を掴みましたの。ヴォルデモートはいずれ復活しますわ。それほど遠い時ではありません」
「な、な、何を言って」
「重要なのはそこではありませんわ。ダンブルドアがすでに密かながら着実に対策を練っています。私達にとって重要なのはそこではない」
溶けたアフォガー卜を一口啜る。
「ヴォルデモートが純血至上主義を訴え、そして敗北したことで私達の社会はどうなりましたかしら?」
「ど、どうって……」
「そんなの……そんなの、苦しくなったに決まってるわ。どこに行っても偏見の目で見られる。闇の陣営に与したんじゃないか、今も闇に染まってるんじゃないかって」
ヘスティアがせきを切ったように語りはじめた。
カロー家の苦難は想像を絶する。直系の家長が呪い殺され、傍系は闇の陣営に下り、戦後も歪な力関係に怯えながら生きてきたのだ。彼女たちは闇の檻に囚われて生きてきた。
ドラコは理解できないという表情だったが、何も言わなかった。彼の両親はカロー兄妹よりもうまく立ち回った。
「純血とは、かつて魔法界を支える旧家、謂わば旧臣を意味しました。ブラック家がウィゼンガモット賢人会議を導いたように、魔法族の柱として生きてきたのが純血なのです」
「……お祖父様もそう言っていた。純血の価値を間違えてはいけないと」
ドラコが思い出しているのは、アブラクサス・マルフォイの言葉だ。
アブラクサスもまた、ヴォルデモートの栄枯盛衰を見届けた人物だと言える。それはつまり、ヴォルデモートが歪めた純血という言葉の意味を最前線で理解していた人物ということでもある。
「私にはふたつの願いがあります。……私欲からお話させていただきますわね。私、血の呪いを克服したいと思っていますの」
「血の呪いを?」
「血の呪いの治療法は見つかっていません。それでも、純血というつながりが私達姉妹を生かしている。このつながりから、奇跡を手繰り寄せたいのです」
「お姉様……」
アステリアの声はうっすらと涙ぐんでいた。
これは完全な私欲だ。血の呪いを治すなど、他の魔法使いや魔女にとってはなんの得もない。
しかし、ダフネとアステリアが幸せな未来を掴むためには、この願いを叶えなくてはならない。当初は努力目標程度でしかなかったが、今やこれは絶対の条件になった。
それだけの目標を達成したからといってダフネの計画は完遂したとは言えない。
存外、自分は強欲なのだなとダフネは小さく笑った。
「そして、もうひとつ。純血をあるべき姿に取り戻すこと。魔法界を支える偉大な賢人たちとして、純血をひとつの旗のもとに連帯させること。それこそが私の願いです」
「……お前が前に言っていた、派閥が関係ないつながりのことか?」
「ええ。もっと広く、深く。私達純血は本来ならたかが政治では断絶できないつながりを持っていたはずなのです。それを取り戻したい」
しばらく、テーブルを沈黙が包んだ。
疑念。呆れ。不審感。正気を疑うような目線がダフネに突き刺さった。その全てに、ダフネは笑顔で応じた。
「……あんたのことだから、もう準備は整ってるんでしょう? どういう計画なの?」
「姉上! 乗る気ですか!」
「しょうがないじゃない、あたしたちカロー家はこいつに頭が上がらないの。……それにまあ、一度は滅んだような身だからね。そういう面白い話に乗ってみるのもありなんじゃない?」
ダフネは頷いて、それからドラコを見やった。
ドラコは大きく息を吐いて、それから頭を抱えた。
「これは……父上に知られたら、なんて言われるか……」
「ええ。派閥間の内通に加え、子供だけでの企て。ルシウスおじさまはきっとお怒りになるでしょうね。ですから、ここの5人だけの秘密ですわ」
「秘密……わかった。最初に僕に話すって約束を守ったお前に免じて、このことは秘密にする」
ドラコはもう一度息を吐いて、それから頷いた。
最後に、アステリアを見やる。
「アステリアは……お姉様のお役に立てますか?」
「あなたはいつだって、私の役に立ってくれているわ」
それだけで会話は十分だった。
「純血の、純血による、純血のための結社。私はホグワーツで秘密結社を立ち上げます」
「秘密結社?」
「簡単に言えば、組織内の活動を表に出さない秘密のクラブのことです。純血だけが参加でき、純血だけがクラブ活動の情報を知りえる。素敵だと思いませんこと?」
「なんだ、クラブ活動か……大仰なことばっか言って」
「スポンサーにはグリンゴッツ魔法銀行がつきます」
驚きのあまり、ドラコが立ち上がった。
これは確かにただのクラブ活動だ。子ども同士の他愛ない遊びにすぎない。
しかし、ダフネは本気でここから魔法界を変えるつもりでいた。
「じょ、冗談だろ」
「冗談ですわ。本当のスポンサーはグリンゴッツ魔法銀行の頭取であり創設者の直系、グリンゴット8世」
「……おい、本当なのか」
返事のかわりに、ダフネは左手を掲げてみせた。
繊細な細工の施された、ゴブリン銀のブレスレット。それはグリンゴット8世が「契約の証に」と自ら貸与を申し出てくれた品だ。
「このブレスレットが証です」
「……じゃあただのクラブ活動じゃないじゃないか!」
「最初からそう申し上げましたわ。いいですこと、この秘密結社はホグワーツを巣に広がり、いつかは必ず大人の社会すら取り込むのです」
ドラコは崩れるように座って、それから呻いた。
「話が大きすぎる……もっと小さな企みだと思ってたんだ……」
「では、降りますか?」
「降りるわけないだろ、僕を馬鹿にするな。でも……信用できる大人がいないとまずいんじゃないか?」
「それについては、もう結果が出ている頃ではないかしら?」
「……おい、
再びドラコが立ち上がった。
アークタルスの檄文は純血の家々に無事届き、そして一躍話題となった。純血として襟を正せという言葉に一部は感激し、また一部は立ち入り調査を示唆していると深読みして闇の家財をいくらか処分するに至った。
それはもちろん、ダフネがアークタルスに依頼したことだ。
これによって、どの家を誘うべきかが明確になった。戦後も闇に手を出している家と、そうでない家。純血の旧家として誇りを持ち行動を伴わせている家と、そうでない家。それがはっきりしたのだ。
「……疑問があります」
「何かしら、フローラ?」
「あなたは……あなたはマグル生まれを排斥するおつもりですか」
フローラの静かな問いかけに、ヘスティアはぎょっとした表情でダフネとフローラを交互に見た。
純血について考えるうえで難しいのが、マグル生まれや混血に対する態度だ。
ここを明確にしないことには、この結社はいつか彷徨いはじめる。そしていずれ、グリンデルバルドやヴォルデモートのようなカリスマに利用され、崩壊していくことだろう。
だから、ダフネは断言した。
「いいえ、その逆です」
「……おい、それじゃあ血を裏切る者と変わらないじゃないか! 何を言ってるんだ、お前は!」
「言葉が足りませんでしたわね。私は魔法界に貴族制を復活させようと思っているのです。純血という貴族が、マグル生まれや混血という平民と互恵関係を結ぶ時代。いかがかしら? 血を裏切る者とお思い?」
純血は貴種であって、貴族ではない。
しかし、純血を貴族にすることができれば、魔法界には新しい秩序が生まれる。そしてこの結社は、その新しい秩序の礎となる結社だ。
「私はアークタルス・ブラックの、最後の純血王家の後継として、魔法界に貴族制という秩序を取り戻します。あなたたちには、最初の貴族になってもらいたいのです」
「……貴族って言ったって、文無しじゃ生きていけないわよ?」
「策はあります。あなたたちは豊かになり、人脈に恵まれ、幸せに生きることができる。……なりたくはありませんか、貴族に」
貴族。
その言葉に、純血なら一度は心を奪われる。
夢見るのだ。かつてのブラック家のように、魔法界に君臨することを。多くのつながりを持ち、豊かで、華やかであることを。
「あなたたちが協力してくれれば、計画は必ずうまくいく」
ダフネは立ち上がり、頭を下げた。
「お願いです。私と、魔法界を変えてくださいませんか」
しばらくの間、テーブルを沈黙が包んでいた。
一瞬とも、永遠とも感じられる時間だった。
もしここで断られ、吹聴されれば、ダフネの計画は頓挫する。もっと手を尽くして、断れない形を作ってもよかった。ドラコには声をかけず、カロー姉妹と始めてもよかった。
元より貴族の子弟であるドラコにとって、この計画に参加する利は薄い。
それでもドラコを巻き込むと決めたのは、ダフネの人間性がそうしたいと強く願ったからだ。
あの日、呪われた血の妹の抱擁を当たり前のような顔をして受け入れてくれた、ドラコだから。彼にこそ、この計画に加わってほしかった。真の貴族とは何かを、彼に知って、理解して、実践してほしかったのだ。
誰かが椅子を引いた音がした。
「……あたしは乗るわ。どのみち、カロー家が生き残るには大胆な手を打つしかない」
「私も乗ります。姉上が行く道を、私も進みます」
「僕は……ああ、くそ。わかった、僕も乗ろう。でも、やるからには絶対成功させるからな。途中で投げ出したら呪ってやるぞ!」
ダフネが顔を上げると、アステリアが満面の笑みを浮かべていた。
「やっぱり、お姉様はお友達を作る天才ですね!」
「……もう、アステリアったら」
結局、杞憂だったのかもしれない。
ダフネが席につくと、もったいぶった態度でドラコが口を開いた。
「それで……もう決まっているのか? その……結社の名前は」
「そうですわね……本質は貴い血の会ということになります。つまり、こういう名前になるのではないでしょうか」
この日が、英国魔法界の歴史を変える。
「
ようやく一区切りつくところまで書けました。
もう少ししたら原作に入ります。長らくお待たせしました。原作のタイムラインを追う都合上、しばらくは執筆に時間がかかります。更新ペースが落ちるということです。
じっくり楽しんでお待ちいただければ幸いです。