改めて状況を整理しよう。
グリーングラス家に伝わる血の呪いは女系に遺伝する呪いである。呪いは肉体を蝕み、やがて獣へと堕ちるとされる。多くの者はそれよりも早く命を落とす。
これは言ってみれば遺伝する人狼のようなものだ。
グリーングラス家の血は呪われている。
しかし、同時にグリーングラス家は古い純血の家である。この希少性と利用価値があるからこそ、グリーングラス家は人狼のような扱いを受けずにいる。
つまり、転生者ダフネ・グリーングラスが妹のアステリアにより多くの幸せを遺すためには、来る戦いで純血社会を崩壊させないことが肝要になってくる。
さて。そこで、ダフネはどうするべきか――
「こんにちは、ディペット先生」
「おお……来たね、ダフネ、アステリア。こっちに来て、顔をよく見せておくれ」
ロッキングチェアに腰掛け、古樹のように皺の寄った手でダフネを招くその老人の名は、アーマンド・ディペット。
1992年の夏、ルシウスによってトム・リドルの日記帳が送り込まれる直前に
そして、もっと重要な事実がある。アーマンドはトム・リドル――後のヴォルデモート卿が学生だった頃の校長である。
「お手紙では散々やり取りさせていただきましたが、お目にかかるのは初めてですわね。不肖ながらグリーングラス家の家長を務めます、ダフネと申します。以後、お見知りおきを」
「お、同じく、アステリアです! よろしくお願いいたします!」
「ほっほ、ようこそ、ダフネ、アステリア。儂がアーマンド・ディペットじゃ」
鷹揚に頷くその首は古樹のように皺だらけで、彼の年齢を感じさせた。
ディペットは校長職を辞した後、スコットランドの小さな島にこじんまりとした瀟洒な屋敷を構え、そこに隠棲していた。平凡な校長だった彼のことを誰もが次第に忘れていき、人の行き来は数えるばかりになった。
「これからお世話になります、先生」
「そうかしこまらなくともよい。儂はもうただの老いぼれじゃが、悩める若者にできる限りのことはしてやりたいと思うてな」
「ご高配、痛み入りますわ」
そんなディペットを手紙で口説き落とし、ダフネは彼を姉妹の後見人とすることに成功した。
魔法界において、後見人という立場はかなり重い意味を持つ。
そもそも、魔法族の寿命は
しかし、ゲラート・グリンデルバルドとヴォルデモート卿というふたりの虐殺者が始めた戦争によって死亡率は増加し、必然的に寡婦と孤児が増加した。
そこで、伝統的な名付け親のシステムは身元引受を含む後見人制度に変わったというわけだ。
「毎度煙突飛行を使うのは手間じゃろうが、儂もこの齢じゃ。君たちの屋敷を訪ねていくのも些か手間でのう」
「先生のお手を煩わせることはありませんわ。お約束どおり、週に一度伺います」
「結構。何かあればすぐにふくろうを飛ばすように」
ダフネとアステリアが頷くと、ディペットは満足げに瞼を下ろした。
実際のところ、この老人はもうほとんど枯れている樹のようなものだ。一日のほとんどを眠って過ごし、時折書き物をするがそれを世に出しはしない。
別段利用価値のない、政治的にも地位を持たない人物。そんな人物が再び魔法界で話題に上がったことに一部の人間はわずかな驚きを見せたが、すぐにそれも忘れ去られた。
それと同時に、その一部の人間は満足げに頷いた。政治と距離のある人間を後見人に選ぶことで派閥の操り人形になることを避けるとは、グリーングラス家の長女はなかなかの才覚をしている……と。
しかし、ダフネはディペットが持つ重大な価値を知っていた。
「先生、もしよろしければ、お手すきの際にでも私とアステリアの予習を見ていただけませんか? 前校長に監督いただくとなれば、私としても安心してアステリアに杖を振らせることができますもの」
「お姉様、アステリアはそんな……」
「いいから。いかがでしょう、先生?」
「ふむ……」
ディペットは即答はせずに瞼を上げ、しばらくじっとダフネのことを見つめた。
その瞳からは様々な色が見て取れた。若者への期待。倦怠感。そして――見極められないことへの恐怖。
「……よいじゃろう。儂の体力が許す限り付き合うとしよう」
「ありがとうございます。そうしましたら……先生がお休みになられている時間は、いかがいたしましょうか。蔵書を拝見しても?」
「うーむ……まあ、危険なものはなかったと思うが……」
「お願いできますかしら」
「呪文を唱える前には儂に相談すること。約束できるね?」
「もちろんです。アステリアも、できるわね」
「あの……はい、先生」
鷹揚に頷いて、ディペットは再び瞼を下ろした。どうやら眠るようだった。
「あら……おやすみなさい、先生」
「えっ、寝てしまわれるのですか?」
「それだけ信用してくださっているんでしょうね。もしくは……」
信用しているのは屋敷しもべ妖精か。
ちらりと目をやると恭しく会釈する屋敷しもべ妖精たち。決して主人を裏切らず、奉仕を自らの存在意義、至上命題とする生命。彼らほど信用できるものもないだろう。
ダフネは早速動くことにした。許可は得たのだ。使うに越したことはない。
屋敷しもべ妖精に声をかけて、書斎まで案内させる。その後ろをアステリアが不安そうな足音でついてきた。その腕にはディペットに渡すはずだった手土産の紙袋を抱えたままだった。
まるで越冬に備えるリスのようだ。両手でその柔らかな頬を握ったらさぞ温かいことだろう。
「あの……お姉様? 本当に大丈夫なのですか?」
「ディペット先生は立派な方よ。先生の教え子には
「ある、偉大な……?」
「いつか教えてあげるわ。安心なさい、この魔法界でディペット先生ほど無害な方もいらっしゃらないのだから」
書斎の扉を引く。重厚に見えるが、魔法がかかっているのか子供の手でもスムーズに開いた。
積み上げられた無数の文物。インク壺には羽根ペンが刺さったままでも乾かないように魔法がかかっている。ずぼらだが、書き物を好む性格が如実に現れている書斎だ。
この中に、ダフネの「本題」がある。
「お姉様、何かお探しなのですか?」
「よく気づいたわね。そう、ディペット先生の日記が読んでみたいの」
「そ、それはよろしくないのでは……?」
「あら、偉大な人物は回顧録と称して日記を人に売るでしょう? あれの生原稿を先取りさせていただくようなものよ」
アーマンド・ディペットの日記。
それはつまり、トム・リドルの学生時代に校長を務めた者の日記ということだ。そこには必ず、リドルの過去が書かれている。
ヴォルデモート卿の青春時代を暴きたい。それこそが、ディペットを後見人に選んだ最大の目的だった。
「アステリアは好きなように本を開いてみなさい。危険な本はないはずだから。少しでも妙だと思ったら私に声をかけなさい、いいわね?」
「はい、お姉様……あの、ご一緒してくださらないのですか?」
「あら……ふふ、おねだりが上手ね。わかったわ」
ダフネは早々に日記探しを諦めた。
「えっ! よろしいのですか?」
「ええ、もちろんよ。何から始める? あなたは魔法生物飼育学の本が好きだったわね」
「はい、その、ユニコーンが好きで……でも、お姉様は何か理由があってこちらに来られたのでは?」
「もう済んだわ、あなたのほうがよっぽど大事」
そう、ダフネの目的はもう済んでいる。
ここに来た最大の理由は、「ヴォルデモート卿に関する原作知識の解禁」だ。
魔法族の大半はヴォルデモート卿がトム・マールヴォロ・リドルという半純血の孤児であることを知らない。しかし、ディペットはそれを知っている。当時、彼はトムを優秀な監督生として重用していた。
そして、ディペットが知っているということを知っている者からすれば、ディペットの書斎に出入りしていたダフネがそれを知っていることはありえないことではないのだ。
たとえ誰かに「それを知っているはずがない」と疑われても、「罪悪感に苛まれたディペットが独力で調べていたのを覗き見た」と言い訳をすることができる。
1992年の夏には、口封じも勝手に済む。
死ぬことが決まっている人間ほど使い勝手のいいものもない。
「さて……やっぱり読むならニュート・スキャマンダーだと思うの。偉大な冒険家、偉大な英雄、偉大な研究者。私、偉大な人物は好きよ」
「お姉様は昔から英雄譚がお好きですものね。マグルのものまで読まれて」
「人口割合から考えて、英雄はマグルにこそ多いのよ。正確には死者割合かしら。存命中に偉大であった人間は、死ぬと十倍も偉大になる」
「そうなのですか?」
「カーライルの言葉よ。でも、私もそう思うわ。死人は自分の名誉を傷つけないもの。それに大抵、死人のことは悪く言わないものよ」
もっとも、死後にこそ名誉を傷つけられた偉大な魔法使いアルバス・ダンブルドアのような例もないことはないが。
本棚から少し古ぼけた『幻の魔法生物とその生息地』を取り出して、ダフネはあることに気がついた。
表紙を開いてすぐ、見返しのところにサインが入っている。
「あら……アステリア、初版本よ。サイン入りの」
「わっ……そーっと開きましょう、お姉様」
「そうね。……そうね、同時代人だものね。プレゼントされていてもおかしくはない、か」
ディペット校長へ、と宛名書きつきで記されたサインは、少し不格好ながらも確かにニュート・スキャマンダーと読めた。
ニュート・スキャマンダー。魔法生物飼育学者で、グリンデルバルドと戦った英雄だ。アメリカ、フランス、ドイツ……世界中を舞台に繰り広げられたその戦いをダフネはよく知っている。
「お姉様はスキャマンダー先生のこともお好きなのですか?」
「そうね……偉大な人だと思うわ。誰よりも戦いに向いていなくて、だからこそ誰よりも勇敢な人。今はきっと静かに暮らしているのでしょうね」
「アステリアは、スキャマンダー先生にも会ってみたいです!」
「そう? なら、いつか会えるようにしましょう」
ダフネからみてニュートに利用価値はない。彼は純血主義ではないし、彼の親友はマグルだ。
それでも、アステリアが会いたいと言うのならなんとか場をセッティングしてみよう。入学してから魔法生物飼育学で頂点を取って論文を書けば興味を惹けるだろうか。
正直に言えば、ダフネもまたニュートのファンだ。残念ながら前世では「ファンタスティック・ビーストシリーズ」の完結を見るより早く死んでしまったが、ここでなら本人と会うことができる。
そんな計画を立てながら、ダフネはアステリアと一緒になって魔法生物飼育学の勉強をした。
そして、ふたりの手はあるページで止まった。
「見てくださいお姉様、バジリスクです! ハーポってきっと恐ろしい魔法使いなんでしょうね……」
「ええ、ハーポは驚くべき発見をいくつもした人物よ。でも、国内にはハーポの資料はほとんど残ってないの」
腐ったハーポがいなければ、ハリー・ポッターの戦いはもっとシンプルなものだっただろう。
古代ギリシャで蛇の王バジリスクを従えた魔法使い。その名は蛙チョコカードにも残っているが、しかし、彼の最大の功績は明かされていない。
ハーポは分霊箱の発明者だ。
「腐ったハーポ……会ってみたいわね」
「ええっ、存命なのですか?」
「さあ? でも、生きていたら面白いじゃない?」
ダフネは純血社会を維持したまま戦争を終わらせるために、使える手段はすべて使うつもりだった。それこそ、国外の闇の魔法使いですら。
腐ったハーポの分霊箱が破壊されたという記録は、ない。