ハリー・ポッターの名声が再び魔法界に轟いている。
今日の夕方には速報である夕刊予言者新聞が発刊されることだろう。ハリー・ポッター、魔法界に帰還す。この一報を待ち望んでいた魔法族がどれだけいたことか。
それはダフネも例外ではない。
ハリーの到着があと一歩早ければ、この朝刊にも彼の名が載っていただろうに。
グリーングラスの本邸でアステリアが淹れてくれたお茶を楽しみながら、ダフネは新聞の占い欄を眺めていた。
「悪に対する力を持たずに善に対する力を持つことはできない。殺人者も英雄と同様に母親の乳が育てるのだから」
「誰の言葉ですか、お姉様?」
「バーナード=ショウの言葉よ、アステリア。ある意味では、最も邪悪な人間は最も善良な行いをする可能性を秘めていたのかもしれないわね。そして、それは逆もまた然りなのかもしれない」
組分け帽子が示したように、ハリーは偉大な人物にもなれる。
しかし、その偉大性がどのようなものかを組分け帽子は示唆していない。ハリーが英雄にならないのなら、ヴォルデモートは誰が倒すのだろうか。
「いかがでしたか、ハリー・ポッターは。お友達になれそうでしたか?」
「純朴で、少し卑屈。夢見がちな一方、悪態をつくよりは嫌味を言うほうが得意な気質みたいね」
「それは……いいことなんでしょうか」
アステリアの問いかけに応じるように、ドラコがイライラした様子でテーブルを軽く叩いた。
「いいわけがないだろう。彼はマグルに虐待を受けていたんだぞ! そのせいで歪んでしまったんだ! 信じられない……今からでも父上に言って、ポッター家再興を後援すべきだ」
「いい手とは思えませんわね」
「そのための結社だろう!」
ダフネがハリーの現状を語ってからというもの、ドラコは激怒していた。
端的に説明すれば、ハリーは現在家庭内暴力とネグレクト、労働的搾取を受けて育った被虐待児童ということになる。恐ろしいことに、この表現には一切の誇張がない。
ドラコの怒りの半分はハリーを通して魔法界が受けた侮辱へのもので、もう半分は下等なマグルの蛮行へのものだろう。しかし、ダーズリー一家を罵倒する声にはハリーへの同情の色もまた多分に含まれていた。
確かにドラコの言うとおり、ハリーを守ることは結社の意に沿うものだ。
しかし、現時点で
「
「……だとしても、他の手段を取るべきだ。彼が愚鈍なマグル風情に痛めつけられるのを黙って見ていろって言うのか!」
「お怒りはごもっとも。時が来次第、動きましょう」
「時っていつだい、彼が卒業してからなんて言うんじゃないだろうね」
「それは私達の頑張り次第ですわね」
愛の護りは年に一度の帰省で更新される。
裏を返せば、年に一度の帰省さえすればあとはどこで過ごしても構わない。隠れ穴だろうが、グリモールド・プレイス12番地だろうが、ハリーはダンブルドアの監視下で自由に過ごすことができていた。
「とりあえず、最初の手を打ちます」
ダフネはテーブルから何枚かの羊皮紙を取り上げた。
これはハリーを陥落させるための銀の弾丸だ。まだ蒼の貴血が構想段階だった時点で同じものを取り寄せていたが、まだダンブルドアはこの件を放置するつもりらしかった。きっと知らせるつもりすらないのだろう。
まずは、利用価値のない手札に利用価値を与える。
「ポッター家本邸の相続登記。まずは彼に帰るべき場所を与えましょう」
そう、ポッター家には先祖代々の屋敷がある。
初代ポッターである『
居場所を見つけられずにいたハリーにとって、先祖代々の屋敷という宝は何よりも甘美だろう。
「それから、彼が安心して頼れる親族も用意しなくてはなりませんわね」
「……本当にうまくいくと思うか。そもそも、彼に会うまで生きてるのか?」
「あら、お見舞いに伺った際にはお元気そうでしたよ」
ハリーをアークタルスに引き合わせる。
ポッター家とブラック家は姻戚関係によって結ばれている。アークタルスもまたハリーの親族と言っていい。古風だが物静かで聡明な老人はハリーに居心地の良い時間を与えてくれるだろう。
すでにアークタルスの了承は取り付けてある。あとはハリーを招くタイミング次第だ。
「入院したって聞いた時は肝を冷やしたよ。蒼の貴血がホグワーツで旗揚げする前から死なれたらたまったもんじゃない」
原作では今年没しているアークタルスは、現在聖マンゴ魔法疾患傷害病院で治療を受けている。
かといって今すぐにでも死にそうかというとそんなことはない。
クリーチャーから「最近旦那様がお食事をなさらない」という告げ口を受けて巡回癒者を呼んだところ、胃が弱っていることが判明したのだ。若い頃のパーティー三昧が祟ったのだろう。
ただの胃弱で死ぬほど魔法族は軟弱ではない。原作ではこのまま食事を取らず、衰弱死したのかもしれないが。
「秋には退院されるそうですわ。薔薇を任されてしまいました。私もホグワーツに行かねばならない身ですから、閣下には早く退院していただかないと困りますわね」
早くも原作が変化しつつある。
1994年までアークタルスが生存すれば、アークタルスは脱獄したシリウスと顔を合わせることになる。この変化が何を意味するのか、今はダフネにすら予測できていない。
「ふん、それならまあいい。……ハリー・ポッターを救う。この目標に異存はないな?」
「ええ。ヘスティアとフローラもきっと賛成するでしょう」
ハリーを救う。
一見難しそうに見えて、これは簡単な計画だ。放っておいても彼自身が自らを救うのだから。
ある意味では、それが彼の英雄たる所以かもしれない。縁をつなぎ、人とのつながりを慈しみ、ひとりで戦わないことを選ぶ勇敢さ。それこそがハリーの持つ美徳だ。
とはいえ、今は虐待を受けて弱った幼い少年でしかない。
「布石は十分。あとは結果を待つのみですわ」
ドラコが相手をハリーと知らずに接触した際のやり取りを聞く限りでは、ハリーはスリザリンに反感を抱くには至っていないだろう。
グリフィンドールに組分けされるよう布石は打ったが、うまくいくかは五分五分と言ったところか。もしかすると、スリザリンに入ってくる可能性すらある。
もしもスリザリン寮に入ってくれば、ダフネたちが彼を徹底的に歓迎する。
原作通りグリフィンドール寮に入れば、ハリーはホグワーツ史上稀なグリフィンドールとスリザリンの両方で愛される存在になるだろう。ダフネがそう仕立て上げる。
「彼が半純血だとは思わなかった。ポッター家だぞ?」
「母親がマグル生まれなんですの。スラグ・クラブにも選ばれた優秀な魔女だったと噂を耳にしておりますわ」
「へえ……まあ、いくらでもやりようはある。マグル生まれの母親なんて重要じゃないだろ」
半純血を純血にする程度のことは、何ら難しくはない。
1997年にドローレス・アンブリッジ下でマグル生まれ登録委員会が猛威を
イギリスという国家自体、他の欧州諸国と同様に家系というものを公的な記録として重視していない傾向にある。個人単位での管理が基本であり、相続の際は出生届などから正当性を証明するのが一般的だ。
ドラコはそこをついて、ハリーを純血に仕立て上げようとしている。
「とはいえ、彼はそれを望まないでしょう。母親の出自を偽るくらいなら不名誉を被る。そういうタイプの子ですわ」
「それは……あまり賢いとは言えないと思うけどね」
「物心つかないうちに両親を喪い、ずっと両親のことを想いながら育った孤独な少年が魔法界で初めて両親のことを知るのです。その像をあえて偽ることに賛同するとは思えませんわ。そうでしょう?」
大人しくマドレーヌをかじっていたアステリアが、大きく頷いた。
「どんな事情があっても、お母様はお母様で、お父様はお父様ですものね!」
「ああ、なんて聡明な子なのかしら……ドラコ、どうにかしてあなたのお父上の権限でアステリアを飛び級入学させるわけにはいかなくて? 私、寂しくて気が狂いそうですの」
「馬鹿を言うな」
ホグワーツに行くということは、つまりアステリアと離れ離れになるということだ。
これがダフネにとってなによりも耐え難かった。毎日でもふくろう便を飛ばしてしまいそうだ。しかし、アステリアの小さな手にペンだこができては可哀想だから、週に一度に留めようと決心している。
「まあでも、あなたの言うとおりですわ、ドラコ。やりようはあるんですの」
「何がだ?」
「ダーズリー家にとりあえずの危機感を持たせるのが大切ということです」
ダーズリー家に関するダンブルドアの計画の本質は、ハリーを魔法界に依存させ、「魔法界のためになら死んでもいい」と思わせるところにある。
それはつまり、ドラコが言うところの「ハリー・ポッター救済計画」とダンブルドアの計画は現状並走できるということを意味する。これは僥倖と言っていいだろう。
そして、ダンブルドアはダーズリー家と魔法族の接触自体には特段警戒していない。
「近々、ダーズリー家にお邪魔しようかと」
「……本気か?」
「あなたは連れて行きませんわよ? その威勢では間違いなく買う必要のない喧嘩を最高値で買うことでしょうから」
ドラコがぶすくれながらクッキーを半分に割り、片方をアステリアに差し出した。
クッキーを受け取ったアステリアが喜ぶのを慈しみながら、ダフネはこれからの計画について思案した。
まずはホグワーツで純血子弟を取り込んでいくことだ。まずはスリザリン、次に他寮。少しずつ、しかし着実に手を伸ばしていかねばならない。
何よりも、結社の理念に共感させなくてはならない。
「よろしいかしら、ドラコ。私達はマグルやマグル生まれを迫害するための結社ではないのです。むしろ、優秀なマグル生まれを取り立て親しくすることで利益を得る結社なのですよ」
「わかってるよ」
純血至上主義者であるルシウスの薫陶を受けて育ったドラコにはどうしてもマグルやマグル生まれへの嫌悪感と偏見がある。
それは他の純血子弟も多かれ少なかれ同じだ。中にはマグル生まれのせいで家業が衰退した家や、マグル生まれとの関係を良好に保てなかったせいで大変な苦労をした家もある。
それでも、新時代の純血はマグル生まれから利益を得る賢さを獲得しなくてはならない。
「言い方は任せます。マグル生まれを囲い込んで搾取するとでも言い換えれば結構。ただし、表立って攻撃をしないという姿勢だけは忘れないでくださいまし」
「しつこいぞ。僕を信用しろ。お前に散々貴族とは何たるかを詰め込まれて、耳にタコができそうだよ」
「マダム・マルキンで初対面の男の子に『マグル生まれか』と詰めたのはどなただったかしら」
ドラコがそっぽを向いてクッキーを頬張った。
危ないところだったのだ。
ハリーは偏見を持ちやすい。その事実は反魔法省的な姿勢や、早期からスネイプを疑い続けた態度にも見て取れる。彼は一度持った偏見を中々捨てない意固地なところがある。
つまり、初対面から好印象を与えれば与えるほど、ハリーは素直にこちらを受け入れてくれる。
もしもドラコがいつもの調子でマグルやマグル生まれについて暴言をかませば、ハリーはきっとドラコとスリザリンに隔意を抱いただろう。
「でもよかったですね、お姉様。ハリー・ポッターとお友達になれたら、きっと楽しいですよ!」
「ええ、そうね。楽しいことがたくさん待っているわ」
ハリーは嵐の中心だ。
そして、ダフネはこれからその嵐に漕ぎ出す。