その血は呪われている   作:海野波香

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 呼び鈴を押す。

 ドアノッカーがないとうろうろするような、典型的な魔法族がやる情けない真似はしない。ダフネは転生者だ。マグルの常識くらいは弁えている。

 

「おい、それで本当に合ってるのか?」

「あなたのマグル学の成績が悪かったのか、それとも魔法界のマグル学の進歩が遅れているのか、どちらを疑うべきかは微妙なところですわね」

 

 後ろでガウェインが渋い顔をしている。

 マグルの家庭への訪問ということもあり、今日のガウェインは仕事モードだ。

 

『……はい』

「こんにちは。13時からお約束しているグリーングラスとロバーズです」

 

 ややあって、インターホンが切られた。

 ゆっくりと扉が開かれる。長い首、大きな目、何もかもが不快と言いたげな顰め面。ペチュニア・ダーズリーだ。

 

「ごきげんよう、ミセス・ダーズリー。お手紙でお伝えした通りのお時間かと思いますが、問題ないでしょうかしら? 改めまして、ダフネ・グリーングラスと申します。こちらは妹のアステリア、付添のロバーズ」

「こんにちは!」

「こんにちは、奥さん」

「……中に入って。早く」

 

 完璧なマグルの格好をしたダフネとアステリアに面食らった様子だったが、それでもペチュニアは家の前に魔法族を立たせておくことのリスクを警戒したのか、ダフネたちに家の中に入るよう急かした。

 ダーズリー家はまったくもって立派なマグルの家だった。

 こじんまりとしていながらも居心地がいい家。これはひとえにバーノン・ダーズリー社長の努力と上昇志向の賜物だった。

 戦後イギリスは戦後復興の後に大規模な経済格差に苦しめられた。特に中産階級は生活の質を維持するだけのために多重債務者に転落する者も少なくなかったとされる。

 そんな中、一企業の社長を務め、妻に専業主婦をさせ、我が子を自身の出身校である名門校に通わせ、甥まで養っているというのは、間違いなく偉大なことだった。

 そのバーノンは、ダイニングテーブルの最奥にふんぞり返って不満げに座っていた。

 

「ああ、ようやくお会いできましたね、ミスター・バーノン・ダーズリー。ごきげんよう」

「ふん、ご機嫌がいいも悪いもあるか」

 

 さすがのバーノンも未成年の女の子ふたりを前に当たり散らす気はないらしく、顎で座るよう促してきた。

 後ろでガウェインがむっとしたのを感じたが、ダフネは笑顔でそれに応じた。

 

「ヴィクトリア・サンドイッチ・ケーキを焼いてきましたの。お口に会えばいいのですけれど。アステリア」

「はい、お姉様。どうぞ、ミセス!」

「……ええ、まあ、受け取っておくわ」

 

 ペチュニアはまるで爆発物でも受け取るような腰の引け方でケーキの入った籠を受け取った。

 アステリアとガウェインがそれぞれ椅子に腰掛けたその時、階段から転げ落ちるようにしてハリーが降りてきた。

 

「ダフネ!」

「ごきげんよう、ハリー。思ったより早い再会になって嬉しいですわ。さ、座ってくださいな。今日はあなたに会いに来たのですから」

 

 ハリーは困惑した様子だったが、バーノンが咳払いをしたのを見ておずおずと席についた。

 

「そういえば、息子さんがいらっしゃると伺っておりますが、今日はいらっしゃらないのかしら。玄関のお写真も拝見しましたわ、可愛らしい男の子で」

「ダドリーちゃんは遊びに行かせています。あの子には関係ないでしょう」

「ごもっとも。では始めましょうか……故人、ジェームズ・ポッターの相続協議を」

 

 ハリーが息を呑んだ。

 

「待って……相続って、どういうこと? パパとママは僕に何も遺さなかったって言ったじゃないか! そうだよ、グリンゴッツの金庫にはお金が入ってた!」

「そうだ、何も遺さなかった。そのせいでお前の養育費は全部うちから出すことになった。腹立たしい限りだ!」

「それについてはハリーと改めて協議していただくとして……こちらが当局が関知している限りでの財産リストになります。お確かめください」

 

 ダフネが羊皮紙を差し出すと、ハリーはそれを引ったくるように掴んだ。

 やはり環境に染まるのか、今のハリーには少し粗野なところがある。直情的で、嫌いな人間の不幸を喜ぶ、悪い意味での小市民的な性格だ。

 しかし、それも環境が変われば違ってくる。

 今日の協議次第では、その環境は大きく変わるだろう。

 

「こちらは金庫ですでに確認されているかもしれませんが、現金で8万ガリオン。これは40万ポンドに相当します」

「そ、そんなにあったの?」

「加えていくつかの魔法薬の特許権が加わります。こちらがおおよそ年間800ガリオンほど。未受領のままになっている債権もいくつかございますわね。詳細は手元の資料をご確認くださいな」

「……嘘だ。僕ってこんな……こんなに持ってるはずがないよ」

 

 ダフネはゆったりと首を振ってハリーの言葉を否定した。

 

「ポッター家代々の財産に加えて、多くの魔法族があなたに感謝の意を評して寄付を行いましたの。両親を喪ったあなたが少しでも幸せに暮らしていけるようにと」

「じゃ、じゃあ……本当なの? これ、僕の……?」

「ええ。全て、あなたが幸せに生きるためのお金ですわ。魔法族があなたの幸福を望んでいるんです、ハリー」

 

 40万ポンド。1991年現在のレートに換算して、日本円で約1億円に相当する。

 正しく資産運用すれば、ハリーは働かずとも生きていけるということになる。それだけの大金だ。そうでなくとも、魔法薬の特許権やポッター家が持つ債権によって固定収入が発生する。

 問題はここからだ。

 

「そして、こちらが不動産のリストです」

「不動産……? 不動産って、あの、家とかだよね?」

「そうですわ、ハリー。あなたは家を持っているのですよ。ポッター家代々の屋敷と、それに付随する豊かな土地を」

 

 ハリーの瞳が輝いた。

 このダーズリー家にはリリー・ポッターによる護りがかかっている。古い、古い魔法によるもので、血縁であるペチュニアを辿ってかけられたこの魔法は、ハリーがダーズリー家を帰る場所と思い続ける限り有効だ。

 つまり、ハリーはダーズリー家に帰り続けなければならないし、他に帰る場所があってはならない。ダンブルドアもきっとそのことを意図して、土地や屋敷のことを伏せていたのだろう。

 しかし、()()()()()()()()()

 

「スティンチコーム。グロスターシャー州にある自然豊かな土地です。薬草の産地で知られます。あなたの先祖は高名な薬草師で、あなたのお祖父様は魔法薬学者だったのですよ」

「僕……何も知らなかった。ずっと、僕にはなにもないと思ってたんだ」

「今日に備えて下見に行ってきましたの。アステリア、写真を」

「はい、お姉様」

 

 アステリアがテーブルに置いたのは、スティンチコームにあるポッター家の邸宅の写真だった。

 ゴシック建築の特徴がよく表れた、立派な建物だった。

 美しい曲線のモールドで飾られた扉には紋章のかわりに薬草籠の看板が吊るされている。かつてリンフレッドが現地のマグルたちに愛され、屋敷を贈られた当時のままになっている。

 半円型のアーチと修道院風の力強い柱には蔦が這っており、赤い屋根にそれがよく映えている。蔦には何かの果実が実っていて、夏の楽しみを感じさせた。

 魔法族の薬草家が住んでいた屋敷にふさわしく、立派な煙突が伸びている。いつでも煙突飛行でロンドンまで出てくることができるだろう。

 そんな立派な屋敷がセヴァーン川のほとりに建てられている。グロスターシャー州きっての清流のひとつで、魔法的に隔離された現在は水棲の魔法生物も目撃される美しい川だ。

 これこそが、スティンチコームにあるポッター家の邸宅だ。

 

「うっわあ……なんだか、映画のセットみたいだ」

「正真正銘、あなたの家です。周辺の薬草畑も含めて、すべての権利の相続人はあなただけですわ、ハリー。未成年ですから一人暮らしというわけにはいきませんが、夏休みに友人を招くにはちょうどいいのではなくて?」

「友達……このお屋敷がいっぱいになるくらい、友達できるかな」

「できますわ、あなたなら。夏にはガーデンパーティーを開いて、川のせせらぎを聴きながら新鮮な野菜を使った料理を食べて。もし招いてくださるのなら、きっと私もお邪魔しますわ」

「それ……それって、最高だよ!」

 

 ハリーが興奮のあまり前のめりになった。

 その時だった。

 バーノンが机を叩いた。彼の顔は真っ赤に染まっていた。

 

「そんなことは認めんぞ! どうせペテンやまやかしで増やした薄汚い金に決まっとる! 土地も詐欺で巻き上げたものだ! そんなものを相続させるなどと、認めるわけがない!」

「ミスター・ダーズリー、これはポッター家代々の財産なのですよ。これらは魔法省の土地台帳にも記載されておりますわ」

「うるさい! 大体、それならどうして役人が説明に来んのだ、ええ?」

 

 そこを突かれるのが一番嬉しくない。

 魔法省には内務や財務を司る部局がない。今日同行してくれたガウェインの所属する魔法法執行部が強いて言えば内務部になるが、それでも法執行、警察権が中心で登記や産業推奨、土木、地理などは各部局の閑職に回されている。

 魔法という土地財産を変化させるツールを持つ魔法族にとって、不動産登記は重要性が薄いのだ。魔法省に専門の部署を設けるほどではなく、それゆえに魔法運輸部が担当している。

 その魔法運輸部の担当者もわざわざ相続の説明に人を派遣してくれるほどの熱意はない。

 だからこそ、()()()()ダフネが付け入る隙があったのだが。

 正確な財産情報をまとめるために、ダフネはグリンゴットから優秀なゴブリンのアシスタントを紹介してもらって雇う必要があった。しかし、その金を出した価値はある。

 

「小娘ふたりに若造がひとり、詐欺に決まっとる! それに、そもそも金があったのならどうしてお前たちは小僧の養育費を寄越さなかった? 何を今更!」

「あのなあご主人」

「いいの、ガウェイン。ミスター・ダーズリー、お怒りはもっともですが、我々にも情報機密の事情があったのです。それとも、身辺に毎日毎晩魔法族がうろついたほうがよろしかったですかしら?」

 

 バーノンは怒鳴ろうとして顔を引き攣らせ、それからもう一度怒鳴ろうとして唸り、結局黙った。

 

「それに、ミスター・ダーズリー。あなたはジェームズ・ポッターが財産を有していることを知っていましたね?」

「えっ!」

 

 ハリーが驚愕に顔をバーノンの方へ向けた。

 これはただの考察だ。

 バーノンのジェームズへの異様なほどの憎悪。それは尋常のものではない。たかが妻の姉妹の夫程度の存在にそこまでの悪意を向けるだろうか?

 しかし、バーノンは否定せずに黙ってダフネを睨みつけた。

 

「なんの仕事にもたずさわっていないことは、この世に存在していないことと同じである。ヴォルテールの言葉です。ご存知ですか」

「当たり前だ」

「額に汗して働くことを私は美徳と思います。ミスター・ダーズリー、あなたがジェームズ・ポッターを嫌悪したのは魔法族だからではなく、生まれながらの上流階級だったから……違いますか?」

 

 ジェームズは定職についていない。

 それがバーノンの言う「ろくでなしの父親」の理由だ。

 しかし、ポッター家には働かずとも生きていけるだけの資産がある。生まれながらの上流階級、現代の貴族。1970年代イギリスの中産階級が憧れて、憎んで、断絶に苦しんだ上流階級なのだ。

 ややあって、バーノンは吐き捨てた。

 

「自分の力で稼がんやつは屑だ」

「だから、ハリーにはそうなってほしくないと?」

「当たり前だ! 常識を徹底的に叩き込んだ、まともな人間に育つようにと! しかし結果はどうだ、ええ? お仲間と一緒だったというわけだ! ……わしの努力は、苦労はなんだったのだ!」

 

 それは悲哀だった。

 バーノンは、ダーズリー家は正気ではない。分霊箱(ハリー)にずっと触れて育ってきたのだから、その精神はとっくにヴォルデモートの憎悪に蝕まれている。

 本当は我が子を慈しめる人たちなのだ。我が子のために怒り、涙し、笑いあえるのだ。

 それを分霊箱が歪めた。ハリーになら躾と称して体罰を加えてもいい、家事を押し付けてもいい、残酷な扱いをして苦しめてもいいと思わせた。

 それでも、バーノンはハリーを追い出さなかった。

 

「黙りなさい!」

 

 意外な声が響いた。

 それは、アステリアの声だった。頬に涙を伝わせながら、アステリアは激情に声を震わせていた。

 

「親を……親をやるって決めたなら、最後までちゃんと親をしてください! 養育費がどうの、まともに働くのがどうの……自分の思い通りにならないからってひどいことをするのが親なんですか!」

「黙れ、小娘!」

「黙りません! ハリーさんに、謝ってください! 親が親をしてくれないと、一番傷つくのは子どもなんですよ!」

 

 アステリアの怒りに、ハリーは困惑の表情を浮かべていた。

 そもそも、ハリーからしたら親の正体を知ったこと自体ごく最近なのだ。それまではダーズリー家を親と思う他なかった。

 相続できる財産があると聞かされて、屋敷と土地の話までされて、頭が混乱しているところに喧嘩が始まってしまったわけだ。

 ダフネとしても、アステリアの怒りは意外だった。

 母が自殺したのはアステリアが3歳のころだった。きっと親の記憶などおぼろげだろうと思っていたのだ。晩年の母はいい母親とは言えなかった。だからこそ、ダフネは彼女の母代わりになってやりたいと思ってここまできた。

 そのアステリアが、ここまでの怒りを見せるとは。

 

「……このへんにしときましょう、ご主人。何も俺達はポッターくんを攫おうっていうんじゃないんだ。あんただってこんな小さい女の子相手に意地の悪いことは言いたくないだろう」

「ふん、どうだか。昔からくだらんおとぎ話で魔女は人攫いをやるだろうが」

 

 バーノンは悪態をついたが、これ以上罵声を飛ばす気はないようだった。

 

「騒がしくなってごめんなさい、ハリー。そういうわけだから、いくつかサインをもらえればこれらの財産はあなたのものです。お願いできるかしら?」

「あの、はい」

「どうしたの、かしこまって。私達、もうお友達でしょう」

「えっと……うん、なんかすごいなって。魔法族の子どもってみんな君みたいなの?」

 

 ハリーの問いかけに、ガウェインが声を上げて笑った。

 あまりに笑い声が大声なものだから、ずっと黙っていたペチュニアがますます顰め面をした。

 

「言われてるぞ、ダフネ。やっぱり君はもう少し親しみやすさってものを意識したほうがいい。切れすぎる剃刀も困りものなんだよ」

「気に留めておきますわ。一応質問に答えておくと、私の場合はそういう家柄だったというだけですの。大抵はもっとのびのびと育ちますわ、このガウェインみたいに。あなたなら、そういう方々ともいいお友達になれますわよ」

 

 ハリーが安心したように胸を撫で下ろした。

 誰もがダフネのように生きていたら、きっと魔法族は明晩のうちに滅びるだろう。ダフネは魔法族の外れ値のようなものだ。

 羊皮紙に苦戦しながらハリーがサインを終えると、ぽんと音が響いて羊皮紙が消えた。

 

「消えちゃったよ!」

「魔法の契約書ですわ。相続登記が行われたので、登記簿に転記されましたの。必要になればいつでも複写を請求できますわよ」

「そうなんだ……よかった」

「後の手続きは私が済ませておきますわ。お邪魔いたしました。ああ、ケーキは普通の素材だけで作りましたから、ぜひお子様と楽しんでくださいまし」

 

 結局、お茶の一杯も出なかった。

 それでもダフネは笑顔で会釈して、椅子から立ち上がった。

 

「……小僧を解放しろとは言わんのか」

 

 バーノンが吐き捨てるようにいった。

 

「故人であるリリー・ポッターの遺志と伺っております。私が決めることではありませんわ」

 

 ペチュニアが小さく息を吸った。

 しかし、彼女は何も言わなかった。まるで諦めたかのように、静かに黙って座っていた。

 

「それでは、ごきげんよう。養育費のことはどうぞご家族でご相談なさってください。ただし、このロバーズという男を立ち会わせた意味を忘れないようにしてくださいましね」

「あの……ロバーズさんは何をやってる方なんですか?」

「ガウェインでいいよ、ポッターくん。俺は闇祓い、マグル界で言うところの警察みたいなもんだな。みんなの平和と安全を守るのが俺の仕事さ。もちろん、君の安全もだ。なあ、ご主人?」

 

 警察と聞いてバーノンの肩が小さく揺れた。

 常識的に考えて、ダーズリー家で行われている虐待は警察が介入してもおかしくないのだ。一企業の社長であるバーノンにとって、そのような醜聞は避けたいところだろう。

 

「それでは、改めてごきげんよう!」

 

 ダフネを見送りに玄関先まで出てきたハリーの目は、まるで魔法を見るように輝いていた。

 

「ねえ、ダフネ!」

「あら、なにか?」

 

 ハリーはあたりを見渡して、誰も聞いていないことを確認してから、おずおずと問いかけた。

 

「その……ありがとう。でも、どうしてここまでしてくれるの?」

 

 どうして。

 それはとてもいい質問だった。これが政治ゲームの一環であることを暴露したら、ハリーは一体どんな顔をするだろうか。

 しかし、ダフネにはもっといい回答を選ぶ理性があり、そしてもっと相応しい回答を導き出す心があった。

 

「私個人がしたわけではありません。純血の旧家たちから新たなポッター家当主への、ささやかな贈り物ですわ」

「純血の、旧家」

「魔法界にようこそ、ハリー・ポッター」

 

 きっとダフネは、今日一番の笑みを浮かべられていた。

 

「おかえりなさい、ここがあなたの故郷ですわ!」

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