トロフィー棚のきらめきが、この城に積もった栄光の数を示していた。
「こちらです、ハリー」
ダフネが杖明かりを掲げると、ハリーはホッとした様子で駆け寄ってきた。パジャマの上にローブを羽織った姿はなんともミスマッチで、きっと暗い中で整えたのであろう髪は癖毛があちこち跳ねていた。
カップ、盾、賞杯、像で埋め尽くされた眩しい空間に、6人の生徒がひしめきあっていた。
そう、6人だ。
「……なんでお前がいるんだよ」
「それはこちらの台詞だ。僕はミスター・ポッターに会いに来たんだ、お前に用はない」
「ふん、どうだか。ハリー、絶対に杖から手を離すなよ」
「僕が呪いをかけるとでも言いたげだな。心外だ、取り消して謝罪してもらおうか」
「誰がするか!」
やはりドラコは置いてくるべきだっただろうか。
ダフネは小さく息を吐いてから、今にも取っ組み合いを始めそうな小さな野蛮人ふたりの仲裁に入った。
「はいはい、喧嘩はなしにしてくださいませ。ドラコ、今日のところは私の顔を立ててくださらない? ハリーにとって大事な夜になるはずなのですから」
「そうだよロン。お願いだから今日だけは喧嘩はやめて」
ハリーとダフネの仲裁を受けて、ロンとドラコは渋々ではあるが腕を引っ込めた。ただし、尻尾を踏まれた野良犬のような視線は互いに向けられたままだった。
やっと一段落したかと思えば、今度はハーマイオニーがずいと身を乗り出してきた。
「グリーングラスさん、あなたどういうつもりなの? あなたがこの人たちを呼び出したせいで、私、寮から締め出しを食らったのよ!」
「それはご愁傷さまですわね。寮の出入り口でお待ちになればよかったのでは?」
「なっ……私はただ、この人たちが重大な校則違反をしないか見張りに来ただけよ! まったく、あなたといいこの人たちといい、なんて自分勝手なの!」
後に屋敷しもべ妖精を相手に究極のエゴイズムを発揮する人物の発言としては、実に興味深い。さらに言えば、彼女はいずれ魔法大臣としてリーダーシップを発揮する身でもある。
原作知識を持つからこその楽しみに浸りながら、ダフネはハーマイオニーを落ち着かせにかかった。
校則違反をする以上、ハーマイオニーの反感を買うのは仕方がないことだ。しかし、今後を考えれば、ハーマイオニーとはある程度親しくなっておく必要がある。たとえ最終的に敵対するとしてもだ。
「理性は羅針であり、欲望は嵐である。ハリーも私も欲望という嵐を理性で乗りこなそうとしているだけのことですわ」
「ポープの言葉ね。でも、理性はしばしば罪の奴隷となって、これを弁解するとも言うわ」
「ふふ、トルストイですわね」
「ね、ねえ、君たちだけがわかる会話するのやめてよ」
パジャマ姿で怯える少年――ネビルがハーマイオニーの袖を引いた。
ネビル・ロングボトム。
彼もまた興味深い人物だ。純血旧家であるロングボトム家の嫡男でありながら、学年随一の落第生でもある。臆病で、どんくさく、何をさせてもぱっとしない。
しかし、廃人となった両親への愛と、両親を廃人にした死喰い人への憎悪、そしてたとえ友が相手であろうと悪事を糾弾する善性が彼を正義の英雄に仕立て上げた。
運命が指名したもう一人の英雄。
「こんばんは。お怪我がないようでよかったですわ。ダフネ、ダフネ・グリーングラスです」
「え、あ、ありがとう……僕、ネビル・ロングボトム」
「まあ、ロングボトム家の! 不思議な夜があるものですわね」
ハリーが首を傾げた。
「ネビルのこと、知ってるの?」
その質問にはダフネのかわりにドラコが答えた。
しかし、彼の顔には薄っすらと笑いが貼り付いていた。それは嘲笑であり、憐憫でもあった。ルシウスという元死喰い人を親に持ち、ベラトリックス・レストレンジの親族でもあるドラコは、きっとロングボトム夫妻の現在を聞かされて育ったのだろう。
「ロングボトム家は純血の正統な旧家である聖二八族のひとつだ。……そこのウィーズリーもそうだ、当人は認めたがらないかもしれないがな」
「リストを作ったやつが勝手に純血扱いしてきたんだろ。ウィーズリー家の先祖には立派なマグルやマグル生まれがいるって、パパが言ってたぞ。聖二八族だかなんだか知らないけど、間違ってるのはリストのほうだよ」
「喧嘩はなしと言ったでしょう。ちなみに言っておくと、ポッター家も同じくらい古い純血の家なんですのよ」
「そうなんだ。でも、その聖……なんとかには載ってないんだよね?」
「ポッターという姓がマグル界にも多いから、リストの作成者が迷ったのではないかと言われていますの。ほら、純血の家はどれも変わった家名をしているでしょう?」
ウィーズリー、マルフォイ、ロングボトム、グリーングラス。
なるほど、とハリーが頷いた。
家名は多くの場合家業や定住地、開祖の特徴から取られる。魔法界にしかない家業を営む一族は当然魔法界にしかない家名を名乗るというわけだ。純血の家名が特徴的な理由はここにあるのではないかと一般的に言われている。
「さて、そろそろよろしいかしら? 今日はハリーにポッター家の話をしに来ましたの。ハリー、準備はよろしいですわね?」
「うん。でも、どうしてトロフィールームだったの?」
「時系列順に辿っていくのが一番いいと思いまして」
ダフネは杖を傾け、ひとつの盾を照らした。
「血筋ですわね。ジェームズ・ポッターは名チェイサーだったそうですわ」
それはクィディッチトーナメントの優勝トロフィーだった。
グリフィンドールの赤と金のリボンに彩られたトロフィーには模造品のスニッチが輝き、その下に優勝チームのメンバーと監督である寮監、ミネルバ・マクゴナガルの名前が刻まれている。
そして、その頂点に輝くのがキャプテン、ジェームズ・ポッターだ。
「これ……パパってこと?」
「ええ。このころのグリフィンドールはミスター・ジェームズ・ポッターの時代だったようですわね。隣をご覧になって?」
さらに隣へと杖明かりを向けると、そこには首席たちの名前が刻まれた像が飾られていた。
ゴドリック・グリフィンドールの胸像の下に年号と名前が刻まれている。1977年、ジェームズ・ポッター。そして、リリー・エバンズ。
「リリー……これ、ママだ!」
「そのとおり。首席でカップルとは、なんともホグワーツを満喫したおふたりだったようですわね。羨ましい限りですわ」
「すごいや……じゃあ、パパは首席で、クィディッチのキャプテンだったんだね」
ハリーが興奮を示すと、ドラコは満足げに頷いた。
「そうだ。でも、その才能が発揮されたのは素晴らしい両親の薫陶を受けたからだと僕は思うね。ほら、これを見るんだ。
ドラコが杖明かりを灯すと、少し古いトロフィー群が照らされた。
それは20世紀初頭のトロフィーだった。ダフネにとっては感慨深い時代だ。アーマンドが校長を務めていた時代であり、トム・リドルがスリザリンの優等生として活躍した時代でもある。
しかし、ダフネはその感慨をおくびにも出さず、ドラコに続きを促した。
「魔法薬学の権威である超一流魔法薬師協会が主催した魔法薬学大会で優勝したときのトロフィーだ。フリーモント・ポッター、君の祖父上だよ、ミスター・ポッター」
「僕のお祖父さん……」
「スリークイージーの直毛薬を筆頭に、美容関係の魔法薬を多く生み出した人物ですわ。私も彼が発明したヘアオイルは愛用していますわよ」
「あっ、その魔法薬は知ってるよ。相続の時に書類に書いてあったよね」
ロンがぽかんと口を開けた。
「すっげえ……」
「こういうのが、名家というんだ」
ドラコが言外に侮蔑を匂わせると、ロンはむっとしてドラコを睨んだ。
ウィーズリー家にも才人は多いが、彼らの才能はホグワーツで表彰されるタイプのそれではない。このトロフィールームにウィーズリー家の名がないのは、彼らが劣っていることを意味するわけではない。
ただ、どうしても劣等感は煽られるのか、ロンは先程からきょろきょろと自分たちの痕跡を探していた。
「余談ですが……ミス・グレンジャー?」
「な、なに?」
規則破りへの怒りを歴史への好奇心が上回ったのか、うっとりとした表情で話に聞き入っていたハーマイオニーが肩を跳ねさせた。
「実はあなたの先祖がフリーモント・ポッターと関係があるかもしれない……と言ったら、驚くかしら?」
「それは……ありえないわ。私のパパもママもマグルだもの」
確かにグレンジャー夫妻はマグルだ。
しかし、それはグレンジャー家が代々ずっと魔法族と無関係であったことを意味するわけではない。
「たとえば、あなたに弟や妹が産まれたとしましょう。その子に魔法の力が目覚めなかったら、グレンジャー家には魔法族の家系とマグルの家系ができることになりますわね?」
「そうだけど……そんな話、パパからもママからも聞いたことないわ」
「超一流魔法薬師協会の設立者、ヘクター・ダグワース-グレンジャーは魔法族のダグワース家に婿養子に入り、二重姓を名乗るようになりました。彼の生家――グレンジャー家について、魔法界では知られていませんのよ」
ハーマイオニーがはっと息を呑んだ。
もちろん、これは定かな話ではない。グレンジャーという姓はさほどありふれたものではないが、同じ姓の別の家系という可能性は十分に存在する。
真実はどうでもいい。ダフネはそれを利用するだけだ。
「孤独を感じる必要はないということをお伝えしたかったのです。あなたにとってはすべてが未知でしょう。それでも、同じ気持ちで魔法界に飛び込み偉業を成し遂げた祖先がいると知れば、少しは気が和らぎませんこと?」
「その……ええ、そうね。そうかも」
表情は暗闇でわからないが、声が少しだけ涙ぐんでいた。
この時期のハーマイオニーは取り入りやすいのだ。今、ホグワーツに彼女の理解者はいない。彼女の攻撃性が孤独と不安から来るものだと理解してやれば、それを軽減してやるだけで好印象を与えることができる。
ダフネはあえてハーマイオニーの涙ぐんだ声に触れず、杖を傾けて古いトロフィー群を照らした。
「さて、探せばそのまた先祖も見つかることでしょう。ウィゼンガモット裁判員だったヘンリー・ポッターもきっと在学中に素晴らしい成績を修めたに違いありませんわ。ハリー、あなたのひいお祖父様です」
「ひいお祖父さん……なんだか、ずっと昔の話みたいだ。ずっと昔から、僕の時代まで続いてるんだね」
ハリーの声は感極まったように震えていた。
そうなるのも当然だった。これまでずっと孤独を抱えてきた少年が、初めて先祖の栄光を知ったのだから。その輝きは彼には眩しすぎるかもしれない。
そして、彼の周りにいる人物にとってはもっと眩しいだろう。
トロフィールーム中を探してもウィーズリーの名を見つけられなかったロンが少しふてくされながらぼやいた。探せば副校長マチルダ・ウィーズリーの名前くらいは見つかるだろうが、彼女は栄光を手にした生徒というわけではない。
「ねえ、ウィーズリーのがどっかにないか知らない?」
「自分の家の歴史くらい自分で調べろ」
ドラコがぴしゃりと言い放つと、ロンは口を曲げた。
目的は達せられた。
ハリーに一族を誇る気持ちを与え、ロンに劣等感の種を植え付け、ハーマイオニーに取り入る隙を作る。そして――
「時間があれば、ロングボトム家についてお話してもよかったのですけれど」
ネビルがびくりと肩を震わせた。
今、この中で誰よりも一族――両親の話をされたくないのがネビルだ。フランクとアリスが死喰い人による拷問で廃人化し、聖マンゴの隔離病棟でまるで幼児のように扱われていることは、彼にとって最大の苦痛と言っていい。
まだ、ネビルは臆病な少年だ。死喰い人への憎悪よりも、そんな両親を知られたくないという恥が勝ってしまっている。
「ミスター・ロングボトムは望んでいらしたわけでもないのですし、そんな失礼はできませんわね。もし機会があれば、また」
「う、うん。ありがとう……」
「そろそろお開きにしましょうか。ふふ、いっぱいお喋りしてしまいましたわ。少しはしたなかったかしら」
「そんなことないよ! すごくいい夜だった。本当にありがとう、ダフネ!」
「こちらこそ。素敵な夜になりましたわ。ね、ドラコ?」
「ああ。今度はゆっくり落ち着けるところで話そう、ミスター・ポッター」
懐中時計で時刻を確認する。
フィルチには偽りの密告を入れ、血みどろ男爵に「グリフィンドール生が夜間徘徊している、驚かせてやりたい」と頼んでピーブズも配置してある。一行はグリフィンドール寮まで帰る間にミセス・ノリスに出くわすことになるだろう。
あとは原作通りだ。
「それでは、道中お気をつけて。特にフィルチには要注意、ですわよ?」