ドラコは本当に怒ると無口になるということを、ダフネはよく知っていた。
廊下を歩きながら、足音だけが響いていた。
「いい加減機嫌を直してくださいな、私は傷一つありませんわよ」
ドラコが怒っているのは、ダフネがハーマイオニーを助けに行ったからだ。
ラベンダー・ブラウンからの連絡を受けて、ダフネはハーマイオニーを助けるため女子トイレに向かった。もちろん原作で何が起きるかは知っていたが、何もなく遠くのトイレへ行くのは教員たちに疑われかねない。
今年は教員の中にヴォルデモートが寄生している者がいる。不審な行動はできるだけ慎まなければならないだろう。
しかし、これは好機だった。
この戦いに参加するだけで、ダフネはハリー、ロン、ハーマイオニーの黄金の三角形に踏み入ることができるのだ。
そこにはもちろん、大きな理由がある。
「……お前は馬鹿だ。とんでもない馬鹿だ」
「ええ。でも、そのほうが親しみやすいでしょう?」
「死ぬところだったんだぞ! 穢れた血風情のために!」
「その呼び方は、あまり好きではありませんわね」
死ぬところだった。それはそうだ。
盾の呪文はしっかり練習していたし、いざとなれば他の呪文でダフネが決着をつけるつもりでいた。トロールを気絶させるだけなら、手段はないこともない。
しかし、ダフネの華奢な身体で盾を構えたところで、トロールの圧倒的な膂力は打ち消しきれない。全身にかかった負荷は初めてと言っていいレベルでダフネを消耗させた。
今でも思い出す。
あの瞬間、ダフネはわずかに死を感じた。
「あの穢れた血にそこまでする価値があると思うか? 僕は思わない」
「ハーマイオニー・グレンジャーは間違いなく伸びますわ。彼女が出世すれば出世するほど、純血主義は苦しくなる」
「なら死なせておけばよかっただろう!」
考えなかったわけではない。
ハーマイオニーが死ねば、それはそれで都合がいい。
ハリーとロンが抜け出したことをそれとなく告げ口して足止めし、ハーマイオニーをトロールに殺させる。そうなれば、マグル生まれ史上2人目の魔法大臣は誕生しないことになる。
そのままダフネが原作のハーマイオニーが務めたポジションに滑り込む。
知恵と知識、行動力でハリーを支え、時には牽引し、またある時にはハリーの原動力となる。ひとりの少女の死を前提にすることを除けば、それは甘美な誘惑だった。
悩んだ。大いに悩み、ダフネはハーマイオニーを救う方に舵を切った。
「賢者らは彼らの敵から多くのことを学ぶ」
「はあ?」
「アリストファネスですわ。彼女が敵として立つからこそ、私は目標を設定しやすくなる」
階段を登りながらダフネがそういうと、ドラコは大きく息を吐いてダフネを半開きの目で睨んだ。
「誤魔化そうとしてるだろ」
「バレました?」
「まったく……言っておくが、今日のことはアステリアにも手紙で報告するからな」
「なっ、卑怯ですわよあなた!」
アステリアの名前を出されて、ダフネは流石にたじろいだ。
命を張るほどの無理をしたとなれば、アステリアは怒るだろう。もしかすると、しばらく口を利いてくれないかもしれない。
ダフネが階段の中ほどでわなわなと震えていると、ドラコが呆れた様子で追い抜いた。
「いい薬だ。これに懲りたら、危ない真似はよすんだな」
「……いつかはこの行動の価値をあなたも理解しますわ」
「穢れた血を命がけで庇うことの価値をか? そんなのは僕じゃないね。そいつによろしく伝えてくれ」
現時点で、ダフネにはハーマイオニーが出世するという根拠を示すことができない。だから、ドラコから見ればダフネの行いは不可解そのものだろう。ましてやドラコは親の方針を受け継ぎ、マグル生まれを嫌悪しているのだから。
しかし、ここでハーマイオニーを味方につけておけば、将来取りうる選択肢が増える。
恩とは鎖だ。
ダフネが純血の旧家としての責務から親切にしていることを知れば、ハーマイオニーは純血を軽視できなくなる。魔法大臣として親マグル政策を取り、積極的に既得権益に切り込んだあのハーマイオニーが、純血派閥に配慮せざるを得なくなるのだ。
「それで、目的地はこのあたりか?」
ふたりは8階に辿り着いた。
人の気配はない。すべての授業が終わり、皆それぞれが談話室やクラブで借りている教室、クィディッチ競技場など好きな場所で思い思いに過ごしている時間だ。
「そうですわね。まずはお手本を。少し見ていてくださいませ」
ダフネが8階の廊下をうろつきはじめると、ドラコが馬鹿を見る目を向けてきた。
「どう見てもそこにあるのは壁だが」
「あなたはまだホグワーツの奥深さを理解していないようですわね、ドラコ」
念じながら歩く。
純血の秘密結社が活動の準備をするのに相応しい、同じ結社の一員にしか見つからず、安全で清潔で、必要なものが全て揃った部屋――
「はい」
「……わかった、わかったよ、僕の負けだ。だからその目をやめろ」
扉の前でダフネが胸を張ると、ドラコは大きくため息をついた。
この扉は同じ目的を持って同じように壁の前を往復しないと現れない。同じ動きを偶然する生徒や教員はめったにいないし、いたところで同じ部屋には繋がらない。後にダンブルドア軍団が利用したように、完璧な隠れ家というわけだ。
「では、入りましょうか」
「他のやつを待たなくていいのか?」
「ヘスティアとフローラには入り方を伝えてありますわ」
そして、ふたりは必要の部屋に入った。
そこは完璧な部屋だった。室内はゴシック調の調度品に統一され、その全てがジャスパーグリーンの絨毯の上で居心地の良い形に配置されている。ソファから柱時計に至るまで、あらゆる調度品がダフネたちを歓迎していた。
さらに、そこには必要なものがすべて揃っていた。品のいいペールブルーのティーセットが一揃い、アンティーク風のデザインが施されたかくれん防止器や秘密発見器、印刷だけでなく複写もできる魔法の印刷機……ここはまさに完璧な拠点だった。
中に入って周囲を見回し、ドラコが歓声を上げた。
「すごい……すごい!」
「ええ、まさかここまで揃えてくれるとは思いませんでしたわ」
「完璧じゃないか! 見ろ、このかくれん防止器! そこらの魔法製品店に置いてあるものとはわけが違う……父上が僕には触らせてくれなかった秘密発見器まである。すごいぞ……一体誰がこんなものを?」
「部屋が、あるいはホグワーツが用意してくれたのですわ」
必要の部屋は生徒が気軽にアクセスできる中ではトップクラスに高度な魔法だ。
おそらく、部屋とつけられているだけで物理的に実在するわけではなく、空間自体が魔法でできているのだろう。ここに置かれた物品はどこかから呼び寄せられているわけではなく、魔法的に新しく創り出されている。
感嘆の声を上げながら部屋を見て回っているドラコを見守っていると、扉が押し開けられた。
「言ったでしょフローラ、あいつが言うんだから本当に部屋はあるんだって……うわ、なにこれ!」
「これは……すごいな、うん」
次々に入ってきた4人は、ドラコ同様に目を輝かせていた。
ヘスティア・カロー。
フローラ・カロー。
ラベンダー・ブラウン。
アーネスト・マクミラン。
ドラコとダフネを加えたこの6人が、今日、結社の創設のために集まった。
「さあ、おかけになって。先日はありがとう、ミス・ブラウン」
「あー、グレンジャーはね、可哀想だったからね。てか、いつの間にこんなの用意してたわけ? すごいじゃーん!」
一際はしゃいでいる女の子がラベンダーだ。
グリフィンドールの1年生。後にロンの初めての恋人になる女の子で、シビル・トレローニーのシンパでもある。ダンブルドア軍団に参加するが、ホグワーツの戦いでフェンリール・グレイバックに噛み殺されるという悲惨な最後を遂げる。
軽薄で迷信深く、愛情深くて執着心が強い。いい人材だ。
「このソファも君が用意したのかい?」
「私はただ、この部屋を見つけて少し準備をしただけですわ。お話するのは2年前のパーティー以来ですわね、ミスター・マクミラン」
「アーニーでいい、友達は皆そう呼ぶ」
「ありがとう、私のこともダフネとお呼びくださいな」
少しもったいぶった言い回しで、ベルベットのソファを心地よさそうに撫でているのがアーネスト、通称アーニーだ。
ハッフルパフの1年生。聖二八族であるマクミラン家の生まれ。早くからマグル生まれのジャスティン・フィンチ=フレッチリーと仲良くするなど差別意識はない一方、偏見に呑まれやすくハリーとも何度か対立している。
血統への誇りとマグル生まれへの配慮を併せ持った魅力的な人物と言える。
「――さて」
ダフネが手を叩くと、自然と視線が集まった。
今日が始まりの日だ。
「お集まりいただき、ありがとうございます。私の名はダフネ・グリーングラス。この秘密結社『
ふたりの名前を呼びながら順に目を合わせると、ふたりはそれぞれ頷いた。
「楽しみにしてたんだよねー。私らで魔法界をぱーっと盛り上げてこうよ」
「ぱーっと……」
ドラコが眉間を押さえた。
彼の気持ちはよくわかる。ラベンダーの態度には本当の意味で理念に賛同しているメンバーのような真剣さがない。
しかし、それでいいのだ。彼女のような緩い考えのメンバーがいることは、結社の噂が広まるのに役立つ。秘密結社は会の内容に関しては秘密でなければならないが、一方で噂が出回らなければ知られることもないのだ。
「ダフネ、君には感動させられた。聞くところによれば、君が助けなければミス・グレンジャーはトロールとひとりで対峙していたかもしれないそうじゃないか!」
「これもまた純血旧家の責務ですわ」
「そう、それだよ! 高貴な者の責務……君は純血の模範だ。僕は君を支持する!」
「模範ね……」
アーニーの物言いに、後ろでヘスティアが頭を振った。
ダフネは自分を高貴とも思わないし、模範とも思わない。ハーマイオニーを自らの身で助けた理由のひとつには、こういった「高貴な者が美徳を発揮して下々に手を差し伸べる」というエピソードに弱い純朴で真面目な人間を引き寄せるためがある。
そういったダフネの狡猾さを理解しているヘスティアからすれば、心酔しているアーニーは滑稽に見えるだろう。
「同じ結社の仲間として、あなたたちにも模範を示していただけることを期待しておりますわ」
蒼の貴血は、将来的に3つの階級に分かれることになる。
まず、純血や純血を目指す魔法族が結社に貢献し、貢献に応じた利益を享受する層。今後勧誘する者の多くはここからスタートすることになる。
次に、結社を導く限られた純血によって構成される。表向き、結社の頂点はこの熟達者ということになる。アーニーやラベンダーもこの層に位置する。
最後に、結社の方針を決定する真の頂点。創設メンバーである5人のことだ。
階級が異なろうとも、言葉の上では同じ結社の仲間。ダフネは喜んで彼らに手を差し伸べる。彼らのために苦しみすらする。彼らはいずれ、結社を通じてダフネが目指すとおりに英国魔法界を変えるための力となるのだから。
「さて、改めて皆さんに方針を共有しておきますわね。蒼の貴血は計画の第一段階に入ります。純血生徒の地位改善のため、まずは学力向上に着手します」
「うんうん。それでさ……マジなの? 超いい過去問があるってフローラが言ってたけど」
「こちらに」
ダフネはローブのポケットから羊皮紙の束を取り出し、印刷機にセットした。
真鍮製の金具が音もなく動きはじめる。
しばらくして、インクにじみも汚れもない完璧な2部の複写が完成した。ダフネはそれをアーニーとラベンダーに手渡し、中身を確認するよう促した。
「過去100年の過去問から分析した期末試験の傾向と対策、それに応じた予想問題ですわ」
「すご……あはは、全然わかんない!」
「なるほど……教わった範囲で言えば、確かに問われそうなところを突いているな。うん、すごくよくできていると言わざるをえない」
よくできているのは当然だった。この予想問題はアステリアがアーマンドの書斎にある過去問の実物を書き写してダフネに送り、ダフネが原作知識をもとに整えたものなのだから。
ダフネは微笑んで、手を広げた。
「目標は私達全員が上位10位に収まることです。まずは実績作り。この1年が、今後の100年を変えると思って挑んでください」
ラベンダーもアーニーも、俄然やる気が出たという様子で頷いていた。
ふたりはいい会員だ。
誓って、ダフネはふたりを見下してなどいない。ふたりは素晴らしい仲間になるだろう。ふたりの献身には力の限り応えるつもりだ。
やる気があり、会の趣旨に沿っており、ほどよく愚かで、ほどよく賢い。ダフネはふたりをずっと重宝するつもりでいる。これから増える会員も、ふたりのようであればいいと思う。
計画の第一段階。扱いやすい駒を手に入れる。