その血は呪われている   作:海野波香

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 大前提の話をしよう。

 ダフネにはふたつの目的がある。よりよい純血社会を構築すること。そして、血の呪いを克服する手段を入手することである。

 前者については長大な目標であり、数年でどうにかなるものでもない。人脈を構築し、実績を積み上げ、一歩ずつ改革を達成していく必要がある。

 しかし、後者については、あるひとつの目処が立っていた。

 

「ニコラス・フラメル?」

 

 ハリーの問いかけに驚いてみせて、ダフネは羽根ペンを置いた。

 クリスマス休暇直前。生徒たちは誰もが浮足立っていて、わざわざ図書館に来ようという生徒は限られていた。

 

「うん。ダフネならなにか知ってるんじゃないかと思って」

「知っているもなにも……今その勉強をしていましたのよ。6年生になったら選択授業で開講してもらうよう希望したいと思っていて」

「その勉強……?」

 

 ノートを差し出すと、ハリーは受け取って首を傾げた。

 ぱっと見ただけでは何が書かれているかさっぱりわからないだろう。

 ラテン語と図形、複雑な紋様、変身術の変化式に魔法薬学の反応式を混ぜたような複雑な数式。その全てが組み合わさってひとつの目的へと進んでいくさまは、まさに魔法とでも言うべき幻惑感を有している。インクで描いた白昼夢と言ったところか。

 これは魔法族が夢描いた魔法の極致だ。

 

「錬金術ですわ。卑金属を貴金属に昇華し、定命を不死に昇華する神秘の究極地点、賢者の石を作り出すことを追い求めた学問です」

「えっと、つまり……すごい石だ」

「そう、黄金を生み出したり不死を生み出したりするすごい石ですわ」

 

 ダフネがクスクス笑うと、ハリーは恥ずかしそうに頬を掻いた。

 そう、賢者の石だ。

 

「本質的には昇華と転化。卑しきを貴きに高める石です。はるか昔はマグルのキリスト教徒が崇高に至るために錬金術師に教えを乞うたこともあるとか」

「そ、それでさ。ニコラス・フラメルは賢者の石とどう関係してるの?」

「現存する唯一の賢者の石を作り出した錬金術師、それがニコラス・フラメルですわ。ほら」

 

 埃っぽい古文書の奥付を開いてハリーに見せる。そこには流暢な筆致でニコラス・フラメルのサインがあった。

 

「え……じゃあ、ニコラス・フラメルは不死なの?」

「石がある限りは、ですが。石が生み出す『命の水』を飲み続ける限り、その人は不老不死ですわ。記憶が正しければ、昨年で665歳だったかと」

「うっわあ……」

「でも、どうして急にニコラス・フラメルにご興味が?」

「ううん、興味があるわけじゃなくて……」

 

 ハリーはあたりを窺った。

 まるで物陰からスネイプが飛び出してくるのではないかとでも思っているかのような警戒具合だった。こういう、ハリーの頑迷で思い込みが強いところはたまらなく可愛らしい。きっといつまでもダフネのことを不思議で素敵な女の子だと思ってくれるのだろう。

 ダフネが傾聴の姿勢を取ると、ハリーは囁いた。

 

「その、賢者の石がホグワーツに隠されてるんだ。それでね……スネイプがそれを狙ってるんだよ」

「スネイプ教授が?」

 

 頷くハリーに対して、ダフネは一応のポーズとして首を傾げてみせた。

 愛すべき寮監が憎まれたり疑われたりするのは今に始まったことではない。彼の依怙贔屓は寮内ですら格差を生むし、そこから生まれる風評の類をすすんでかき消そうともしないのだから。

 

「君やミスター・マルフォイとトロフィールームで話した夜、4階の廊下で三頭犬を見たんだ。足元に扉があった。その後、スネイプが三頭犬に噛まれたのを知ったんだ。裏をかいて扉を開けようとしたんだよ、きっと」

「なるほど……」

 

 曖昧に頷いておく。

 あまり早く信じた素振りを見せれば、かえって嘘くさくなる。多少焦らしたほうが都合がいい。

 案の定、ハリーは飛びついた。

 

「ねえ、信じて。クィディッチの試合で僕がひどい目に遭ったのを覚えてる? あれもスネイプが僕の箒に呪いをかけてたんだよ」

「そんなことが! ……わかりましたわ、ひとまずは信じましょう。それで?」

「それで、って……」

「どうしたいのですか? スネイプ教授が賢者の石を奪うことを許すのか、それとも石を守るのか」

 

 ハリーは困ったように首元に手をやった。

 そう、この時点ではハリーたちに賢者の石をどうこうするほどの理由はない。禁じられた森でユニコーンの生き血を啜る影を目撃し、その正体について知るまで、ハリーたちは賢者の石をせいぜい富と無限の命を生む宝程度にしか考えていないのだ。

 

「うーん……奪うのはよくないことだと思う。そうでしょ? だから……」

「では、守る?」

「……うん、そうだね。守る。それがいいと思う。ダフネも協力してくれる?」

「あら、ここまで話を聞かされて引き下がる道があって?」

 

 ダフネは笑った。

 久しぶりに心の底から笑っていた。

 なんのためにハリーたち3人組に信頼されようとしたのか。なんのために命がけでハーマイオニーを守りすらしたのか。なんのために原作のイベントが起きるようアシストし続けたのか。彼らと友達になったのには、もちろん大きな理由がある。

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「ああ……ドキドキしますわ。心臓が胸を裂いて飛び出しそうなくらい」

「……そうだよね。ダフネにとっては寮監で、一番身近な先生だもの」

「ええ……そうですわね。それに、まさか追い求めていた神秘がこんな身近にあっただなんて。まったく、思いもよりませんでしたわ」

 

 ハリーは不思議そうに首を傾げた。

 

「賢者の石がほしいの?」

「そうですわね……あなたになら話してもいいでしょう。どうぞ、こちらに」

 

 ハリーは頷いて、ダフネの隣に座った。

 彼には知る権利がある。みぞの鏡から賢者の石を取り出しうる彼になら。賢者の石を使いたいダフネには、あの鏡を突破することができない。

 

「私の一族に伝わる、ある呪いを解きたいんですの」

「ある呪い……あっ、それって確か……」

「ふふ、ご存知だった? ルビウスから聞いたのかしら、彼は少しおっちょこちょいなところがありますものね。……血の呪い(マレディクタス)。それが、私達グリーングラス家の宿痾。私も、妹も、いつかはこの呪いに蝕まれる」

 

 手を蝋燭の灯りにかざす。

 

「いつか、この手は人の手でなくなる。……ううん、手だけではありません。血の呪いに罹患した者は、感情の高ぶりに応じて身体が獣に変身するようになります。そして最後は、獣に堕ち戻ってこられなくなるのです」

「獣に……それって、ただの変身術じゃないんだよね?」

「ええ。身も心も永遠に獣へと堕とす、古い古い呪いです」

 

 ハリーは恐ろしそうな表情でダフネの手を見つめた。

 まるで、そこに今すぐにでも毛皮のようなごわついた、醜い毛が生えてきて、全身を覆うと思っているかのようだった。それくらい、ハリーは恐怖していた。

 

「……怖くないの?」

「よく聞かれますわね、そのこと。われわれが怖れなければならないただ一つのことは、恐怖そのものである」

「誰の言葉?」

「フランクリン・ルーズベルトですわ。……本当はね、私はそこまで強くも賢くもありません。呪いは恐ろしいですわ、とても」

「そうだよね。……ごめん」

「あなたが謝ることなど、何もありませんわ」

 

 ハリーに謝ることなど何もない。

 ハリーは、ダフネにとって最大のチャンスを作ってくれた。賢者の石を入手するたった一度のチャンス。それを活かさないほど、ダフネは愚かでも怠惰でもない。

 ダフネがハリーの手を掴むと、ハリーは小さく肩を跳ねさせた。

 

「賢者の石は昇華の魔法の究極地点です。それに対し、血の呪いは堕落の魔法と言っていい。私は、血の呪いが賢者の石で相殺できるのではないかと考えていますの」

「相殺……治せるってこと?」

「おそらくは」

 

 ハリーはダフネの手を握り返した。

 

「じゃ、じゃあ……賢者の石を守って、それでさ。使わせてもらおうよ! 先生たちも、きっと事情を話せばわかってくれるよ!」

「そううまくいくかしら」

「きっとうまくいくよ!」

 

 ハリーが大きな声を出したので、マダム・ピンスがじろりとハリーを睨んだ。

 ダフネは脳内で計画を修正しはじめた。まさかここまでハリーが積極的だとは思っていなかったのだ。想定していたより、ハリーの中でダフネの好感度は高くなっていたらしい。

 握りしめられた手をそっと撫でると、ハリーは慌てた様子で手を離した。

 

「ごめん、痛かった?」

「少し。でも、嬉しかったですわ。……治るのかもしれないのですね、この呪いが」

「きっと治るよ。そんなひどいことにはならない」

 

 ハリーは慰めるようにそう囁いた。

 

「優しいのですね。……私が怖くはありませんか、ハリー」

「怖い? どうして」

「血の呪いが感染するとは思いませんこと?」

「……ダフネは優しい人だから、感染するとわかってたら僕には触らないと思う」

「ふふ、優しいだけではなくて賢い方」

 

 本当に、優しくて賢い子だ。

 賢者の石が手に入れば、血の呪いは克服される可能性がある。そうなれば、ダフネの計画は大躍進を遂げる。アステリアを幸せにするために社会と向き合うだけで済むのだ。

 ただの改革者でいられる、それがどれだけ幸せなことか!

 

「でも、それで錬金術の勉強をしてたの? ホグワーツの授業に錬金術はない、よね?」

「ええ、固定の授業では。ダンブルドア校長はフラメルと共同研究をされていたの」

「ダンブルドアが?」

「だから、希望者が一定数集まれば錬金術の授業が開講されることもきっと不可能ではないと思わなくて? 選択科目で選べたら、とても素敵ですわよね」

 

 錬金術は閉じた学問だ。

 到達地点である賢者の石がすでに精製された以上、あとは如何にして効率化するかの段階にある。それは巨万の富と不老不死という人類の夢が生まれる黎明期だ。

 しかし、錬金術の効率化が完了し、大衆に広く普及すれば、その時こそついに魔法界の社会は崩壊する。

 ニコラス・フラメルが家に食べ物を置いていなかったことからもわかるように、賢者の石による不老不死は完全な停滞を約束する。飢えも渇きもしない、完成された生命になるのだ。

 そうなれば、もはや魔法族は社会を形成する理由を失う。

 だから、ダンブルドアもフラメルも賢者の石の作成法を公開せず、ただ賢者の石という成果物を自分たちの功績とした。

 

「自力で賢者の石を作ろうと思っていました。これは……ちょっとした奇跡ですわね」

「奇跡……」

 

 奇跡は自分で手繰り寄せるものだ。

 愛想を振りまいた。命を張った。優等生であり続けた。ありとあらゆるところに糸を張り巡らせ、ようやく手繰り寄せるところまでやってきた。

 

「ううん、奇跡なんかじゃないよ」

 

 ハリーがぎこちなく微笑んだ。

 

「だって、ダフネはすごくいい人だ。妹さんだって、僕のために怒ってくれた。だから、救われるのは当たり前だと思うよ、うん」

 

 ああ、なんと甘美な言葉なのだろう。

 ダフネは思わず、ハリーを抱きしめた。彼がくぐもった声を上げたのも気にせず、首筋にすり寄った。頸動脈からすら拍動を感じそうなほど、彼の心臓が唸っているのを感じる。

 世界は残酷だ。

 こんな純朴な少年に運命は戦いを強いる。世界に救われて当たり前の存在などいやしない。そんなものがいるのなら、ハリーはとっくに救われていなければならないのだ。運命はそれほどの苦行を彼に強いているのだ。

 だからこそ、ダフネはこの世界を踊りきってみせる。

 

「だ、ダフネ?」

「もう少し、このままで」

 

 この可哀想な少年のことも、騙しきってみせよう。

 きっとハリーにとって、ダフネは本当に魅力的な少女なのだ。明るく、優しく、ちょっといたずらなところもあって、苦しみをおくびにも出さない、そんなけなげな乙女としてハリーの目には映っているに違いない。

 それなら、最後まで優しく、善良で、愛に満ちた乙女として振る舞ってみせよう。

 たとえそれが偽りの姿でも、ハリーが最後までそれを信じたままなのなら彼にとってそれは真実になる。せめてそれくらいの救いはあってもいいはずだ。彼にはそれだけの功績を上げてもらう予定なのだから。

 深く呼吸をする。インクと、羊皮紙と、ほのかにクィディッチ用品のなめし革の香りがする。

 

「ハリー……あなたは本当に素敵な人ですわ」

 

 胸が高鳴る。




いつも感想、評価、ここすき、誤字報告ありがとうございます。
おかげさまでモチベーションがとても上がっています。

以前からお伝えしていましたが、私生活の方がばたついているのでそろそろ更新ペースを少し落とします。
完結までしっかり走り抜けたいと思っているので、応援よろしくお願いいたします。
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