クリスマスがやってきた。
ハリーは初めて見るようなプレゼントの山に仰天した。そもそもクリスマスにプレゼントをもらうこと自体初めてだったというのに、この山は一体何だ?
「メリークリスマス、ハリー」
「メリークリスマス。ねえ、これ見てくれる? プレゼントがある」
「他に何があるっていうのさ。大根なんて置いてあったってしょうがないだろ?」
ロンはパジャマのまま、プレゼントの山を開けはじめた。
夢のようだった。ハリーはまだ寝ぼけているような気がしながら、自分もプレゼントの山に手を付けた。
ハグリッドからは荒削りな木の横笛が届いていた。ハグリッドが自分で削ったのがよくわかった。吹いてみると、小さな包みでメモが入っていた。
次の包みはとても小さく、メモが入っていた。
「うわ……」
「なんだい、それ」
「ダーズリーからだ。律儀にどうも」
メモに貼り付けられていた50ペンス硬貨をロンが面白がるので、ハリーはその50ペンス硬貨をロンにあげることにした。
それから、もこもこの大きな包みを開けた。
ロンがうっすらと恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「それ、ママからだよ。君がプレゼントをもらうあてがないかもしれないって知らせたんだ。でも――あーあ、まさか『ウィーズリー家特製セーター』をキミに贈るなんて」
ハリーが急いで開封すると、中には厚い手編みのエメラルドグリーンのセーターと大きな箱に入ったホームメイドのファッジが入っていた。
「ママは毎年僕達のセーターを編むんだ。僕のはいつだって栗色なんだ」
「君のママって本当に優しいね」
ファッジは甘く優しい味わいで、家庭の味というものを感じさせてくれた。
まだ包みはいくつか残っている。
大きな箱も届いていた。ハーマイオニーから、蛙チョコレートの大箱だ。
蛇とドラゴン、大仰なMの字が刻まれた封蝋で留められた包みを取り上げると、ロンが呻いた。
「それ、マルフォイ家の紋章だよ」
「じゃあ、ミスター・マルフォイからだ」
開けてみると、中には上等な飾り羽根ペンと高級感のあるレターセットが入っていた。シーリングスタンプまでついている。
ドラコとハリーは機会さえあれば言葉こそ交わすものの、まだ友達というほど親密になれていない。まだミスター・ポッター、ミスター・マルフォイと呼びあうぎこちなさがある。
これを機にコミュニケーションを取ろうという意図が感じられるチョイスだった。
「僕からもなにか贈ったほうがよかったかな」
「やめとけよ。向こうはクリスマスプレゼントなんかうんざりするほど貰ってるに決まってる」
「うーん……」
あとでお礼の手紙を書くことに決めて、ハリーは羽根ペンとレターセットをベッドサイドのチェストに置いた。
次に、ハリーは若葉色の包みに月桂冠の蝋印が捺されている包みを持ち上げてそっと開いた。これは誰のものか、なんとなく察しがついていた。
「うっわあ……」
アンティーク調の安定感のあるガラスの瓶。その中に、林檎の砂糖漬けが詰まっていた。たっぷりのシロップに浸かった林檎は見ているだけでお腹が空くようだった。
蓋のところに小さなメモが結わえてある。
メモを解くと、そこには華奢な筆致でメッセージが書かれていた。
「今度はもぎたてを食べに来てくださいね、かあ……」
「やるじゃん、ハリー」
ロンがニヤニヤしながら肘でつついてきた。少し鬱陶しかった。
言うまでもなく、これはダフネからのプレゼントだ。彼女の家に林檎畑があることは初めて出会った日に聞かされている。
ハリーは蓋を開けて、上の方から一切れつまんでかじった。強い甘さの奥に頬がきゅっとするような酸味が隠れていて、目が覚めるようだった。ハリーはしっかり蓋を締めなおしたあと、これもチェストの上に置いた。
「グリーングラス、いいやつだよな」
「うん……」
図書館での出来事のことを、ロンやハーマイオニーには秘密にしている。
話したのはダフネがニコラス・フラメルを知っていたこと、錬金術の学者だったこと、ホグワーツに隠されているのは賢者の石であるということだけだ。
ダフネに抱きしめられたあの瞬間、ハリーは――
「ハリー? どうしたんだよ、ボーッとして」
「……ううん、なんでもない。この包みはなんだろう」
曖昧に誤魔化して、ハリーは最後に残った包みを手に取った。
手に持ってみると。とても軽い。開けると銀鼠色の液体のようなものが音もなく床に滑り落ちて、そのまま床できらめきを発した。
これは一体なんだろうか。
ロンがはっと息を呑んだ。
「僕……これがなんなのか聞いたことがある。もし僕の考えているものだったら――とても珍しくて、とっても貴重なものだよ、それ」
「そうなの?」
ハリーは輝く銀色の布を床から拾い上げた。水を織物にしたような不思議な手触りだ。
「これ、透明マントだ。きっとそうだ……ちょっと着てみて」
ハリーはマントを肩からかけた。その途端、ロンが叫び声をあげた。
「そうだよ! 下を見てみろよ、ハリー!」
下を見ると、足がなくなっていた。
ハリーは慌てて鏡の前に走っていった。鏡に映ったハリーがこちらを見ている――ただし、首だけの姿で。首だけが宙に浮いて、身体はまったく見えなかった。
マントを頭まで引き上げると、ハリーの姿は鏡から消えていた。
「マントから手紙が落ちたよ!」
ハリーはマントを脱いで手紙を掴んだ。
見覚えのない、風変わりな細長い文字だった。手紙にはこう記されていた。
君のお父さんが亡くなる前にこれを私に預けた。
君に返す時が来たようだ。
上手に使いなさい。
メリークリスマス
ハリーは手紙を裏返したが、名前は書いていなかった。ハリーは手紙をじっと見つめた。
「こういうマントを手に入れるためだったら、僕、なんだってあげちゃう。本当に、なんでもだよ……どうしたんだい、ハリー?」
「ううん、なんでもない」
奇妙な感覚だった。
誰がこのマントを贈ってくれたのだろうか。贈ってくれたその人は、父親のことをどれくらい知っていたのだろうか。ダフネが教えてくれた名チェイサーで首席だったころのことを教えてくれたりはしないだろうか。
それから、ハリーはクリスマスのご馳走を食べた。
こんなご馳走はダーズリー家でも見たことがなかった。
丸々太った七面鳥のロースト百羽、山盛りのじゃがいも、大皿に盛った太いチポラータ・ソーセージ、深皿いっぱいの豆のバター煮、銀の器に入ったこってりとしたグレービー・ソースとクランベリーソース。
ハリーはたっぷりのカレンスキークを皿によそいながら、そこにベイクドポテトを載せた。
フレッドと一緒にクラッカーの紐を引っ張ると、大砲のような音を立てて爆発し、海軍少将の帽子と生きたハツカネズミが数匹飛び出した。ジョージは帽子をハリーに被せて、頭をグラグラ揺らした。
「オー! メリークリスマス、ハリー!」
泥酔したハグリッドはまるで色違いのサンタクロースのようだった。先生たちも楽しそうにしていた。
今までで最高のクリスマスを過ごした、その夜のことだった。
上手に使いなさい。
その一文がハリーの脳裏に蘇った。
あのマントを着れば、ハリーはホグワーツ中を自由に闊歩できる。どこでも、どんなところでも。
ロンが何か寝言を言っている。起こそうか悩んで、結局ハリーはひとりでマントを被った。
「父さんのマント、だもんね」
小さく独り言が漏れた。それは言い訳かもしれなかった。
ハリーは寮を出て、しばらく歩きながら考えた。真夜中の教室を見てみるのも楽しいだろう。温室に忍び込んでみるのもいいかもしれない。展示室やトロフィールームを覗いたっていい。
ふと、ハリーは図書館のあの日のことを思い出した。
ダフネは錬金術の勉強をしていた。あれはきっと、とても難しい勉強だ。もしかすると、閲覧禁止の棚を見れば何か彼女の役に立つ知識があるかもしれない。
ハリーの足は自然と図書館へと向かった。
「錬金術……錬金術……」
閲覧禁止の棚は静かで、それなのにどこかから囁き声が聞こえた。気のせいでなければ、その囁き声は本の間から聞こえるようだった。まるで、そこにいてはいけない人間が入り込んでいるのを知っているかのようだった。
ハリーはランプを床に置いて、本を物色しはじめた。
一番下の段から黒と銀色の大きな本を見つけ、引っ張り出す。重くて引き出すのが大変だったが、やっと取り出して膝の上に載せ、本を開いた。
その時だった。
「う、わ」
突然、悲鳴が沈黙を切り裂いた。血も凍るような、鋭い悲鳴だった。
本だ。本が悲鳴を上げているのだ。
ハリーは咄嗟に本を閉じたが、それでもその叫びは響き続けていた。ハリーは慌てて後ろによろけ、ランプをひっくり返して消してしまった。
足音がする。
「誰だ! そこにいるのはわかっているぞ!」
ハリーはマントをしっかりと被りなおし、逃げた。
どこをどう逃げたのか、定かではない。ともかくハリーはフィルチから逃げようと図書館から遠ざかった。
扉をくぐり、壁に寄りかかって深いため息をついた。足音はもう遠くだ。こちらに近寄ってくる様子もない。なんとか、危機一髪のところで逃げ切った。
危なかった。
数秒して、ハリーは自分が使われていない空き教室にいること、そして反対側の壁に教室にはそぐわないものが立てかけてあることに気がついた。
天井まで届くような、背の高い見事な鏡だ。金の装飾豊かな枠には、2本の鉤爪状の脚がついている。
枠の上の方に彫ってある字を、ハリーは呼吸を落ち着かせながら読み上げた。
「すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ……なに、これ?」
鏡に近寄る。
ハリーは叫びそうになった。映っていたのは自分だけではない。もっとたくさんの人が、ハリーの後ろに映っていたのだ。
振り返っても、そこには誰もいなかった。ゴーストの冷たい気配もなかった。
もう一度、ハリーは慎重に鏡へと振り返った。
ハリーのすぐ後ろに立っている女性は深みがかった赤い髪色をしていて、目はハリーにそっくりだった。隣に立っているくしゃくしゃの髪で眼鏡の男の人は痩せていて、黒髪で、いつも鏡で見るハリー自身にどこか似ていた。
「ママ? パパ?」
ふたりは微笑みながらハリーに手を振っていた。
そうなると、その後ろにいるのはフリーモントとユーフェミアだ。さらにヘンリー・ポッターやその妻も探せばいるのかもしれない。
ハリーは貪るように皆を見つめ、両手を鏡に押し当てた。
鏡の中に入り込み、皆に触れたかった。ただ一度でいい、抱きしめてほしかった。トロフィールームで名前を知った家族たちのことが愛おしくてたまらず、だからこそ胸が締め付けられるように痛かった。
鏡から離れベッドに戻るのは至難の業だった。それからハリーは鏡に夢中になった。ロンの引き止めも気にせず、ハリーは鏡のもとに通い続けた。
3日目の夜のことだった。
「――ハリー、また来たのかい?」
突然かけられたその声に、ハリーは体中が氷になったかのようだった。
振り返ると、壁際の扉にアルバス・ダンブルドアが腰掛けていた。鏡のそばに行きたい一心で、ダンブルドアの前を気づかずに通り過ぎてしまったのだ。
「ぼ、僕、気が付きませんでした」
「透明になると、不思議に随分近眼になるんじゃのう」
ダンブルドアは微笑んでいた。
「君だけではない。何百人も君と同じように、『みぞの鏡』の虜になったのじゃ」
「先生、僕、そういう名の鏡だとは知りませんでした」
「この鏡が何をしてくれるのかは、もう気がついたじゃろう」
鏡はハリーに家族を見せてくれた。
ロンには首席になった姿を見せてくれた。
「何か、ほしいものを見せてくれる……なんでも自分のほしいものを……」
「当たりでもあるし、外れでもある」
ダンブルドアは静かにそう言った。
「鏡が見せてくれるのは、心の一番奥底にある一番強い『のぞみ』じゃ。君は家族の姿を知らないから、家族に囲まれた自分を見る。君の友達のロンはいつも兄弟の陰で霞んでいるから、兄弟の誰よりも素晴らしい自分がひとりで堂々と立っているのが見える」
「じゃあ……この鏡に映っているのは偽物なんですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。知識や真実、現実、可能なことを映してくれるわけではない。望みなのじゃ、ハリー。叶う望みもあれば、そうでない望みもある」
「叶う望み、そうでない望み……」
一瞬、ハリーはダフネのことを思い出した。
ダフネは血の呪いを解呪しようと一生懸命頑張っている。1年生なのに難解な錬金術の勉強に励んでいるほどだ。彼女が鏡を見れば、きっと映るのは健康な自分と妹のアステリアなのだろう。
叶う望みと、そうでない望みがある。
きっとダフネの望みは叶う。しかし、ハリーの望みは叶わない。誰もがもう死んでしまって、ハリーだけが生き残っているからだ。
「ハリー、この鏡は明日よそに移す。もうこの鏡を探してはならん。たとえ再びこの鏡に出会うことがあっても、君ならもう大丈夫じゃろう」
「……先生。もし、この鏡に望みが映ったとして、その望みを叶えようとするのはいけないことですか?」
「おお、なんとも野心家な質問じゃのう。君の友だちのダフネはまさに望みのために邁進する偉大な努力家じゃ」
内心を読み当てられて、ハリーはどきりとした。
ダフネは苦しんでいる。それなら、救われて然るべきだ。鏡が映すものに彼女の努力を否定されたくはなかった。
「あの……ダンブルドア先生、もうひとつ質問してもよろしいですか?」
「いいとも。今のもすでに質問だったがのう。もうひとつだけ、質問を許そうぞ」
「先生なら、この鏡で何が見えるんですか」
他愛ない質問だった。
偉大なダンブルドアの願望、それに興味があっただけなのだ。
「わしかね? 厚手のウールの靴下を一足、手に持っておるのが見える。靴下はいくつあってもいいものじゃ。なのに今年のクリスマスに靴下は一足ももらえなかった。わしにプレゼントしてくれる人は本ばかり贈りたがるのじゃ」
ダンブルドアは本当のことを言わなかったのかもしれない。ハリーはベッドの中でそう考えた。きっとあれは少し無遠慮な質問だったのだ。
そう思うと、願いを明かしてくれたダフネのことを応援したい気持ちが込み上げてきた。
深い眠りに落ちる中で、チェストに置かれた林檎の砂糖漬けが月光を浴びてハリーを見守るようにきらめいていた。