その血は呪われている   作:海野波香

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 魔法界のニューイヤーパーティーが今年も絢爛に開催された。

 シャンパンが開栓される音と同時に喝采が鳴り響く。各派閥から招かれた上流階級の魔法族たちが、さも己は貴族ですと言わんばかりに優雅なドレスローブを身に纏って、鷹揚に拍手を送っている。

 その白々しさが、ダフネは嫌いだった。

 

「人間は誰しも、生命そのものを諦めるまでは、諦めることを学ばねばならない」

「お姉様?」

「プラーテンの言葉よ。もっとも、私は賛同しかねるけれど」

 

 魔法族は諦めている。

 純血はかつてウィゼンガモット賢人会議を導く叡智そのものだった。それが今や、富も名声も力も失い、一部の純血至上主義者が弄ぶステータスに成り下がりつつある。

 ヴォルデモートというカリスマに縋ったのも、ある意味では必然だったのかもしれない。カリスマ的指導者がいなければ、魔法族は純血を忘却するところまで至っていたかもしれなかった。

 

「努力を諦めた生き物は滑稽だわ」

 

 このニューイヤーパーティーに出席する者の大半は惰性でパーティー料理をつまみに来ているだけだ。大抵の魔法族は自分たちの魔法界の舵取りに興味すら示さない。

 それでいいのかもしれない。

 衆愚は操縦しやすい。マルフォイ家が死喰い人だった過去を背負ってなお権勢を誇るのも、他人や社会や明日に興味を持たない多数派の存在があってこそだ。ダフネはただ、ルシウスと大衆をかけた綱引きをすればいいだけなのかもしれない。

 大衆に自ら考えてほしい、自ら望んでほしい。

 心のどこかでわずかにそう思ってしまうのは、ダフネが若く未熟だからだろうか。

 

「――余計なことを考えておるな」

 

 重々しく、しかしからかうように、頭上から声がかかった。

 

「あら、それは閣下も同じではなくて?」

「ふ、言いよる」

 

 退院したアークタルスが、少し痩せた頬に皮肉げな笑みを浮かべている。

 枯れた肉体にタキシードを纏った姿は独特の美を醸し出している。端的に言って色気があった。これもブラック家ゆえだろうか。

 かのブラック家がニューイヤーパーティーに参加するのは何年ぶりだろう。オリオン・ブラックの時代にまで遡るのは間違いない。

 誰もがダフネたちのテーブルを気にしながら、それでも話しかけられずにいた。

 当然だ。ブラック家と言えばシリウス・ブラックとレギュラス・ブラック、ふたりの凶悪な死喰い人を世に送り出した闇の家系。パーティーなど似合わない、恐ろしく残酷な家なのだから。普通なら関わり合いになりたいとも思わないだろう。

 原作の事実を知っているとなんとも滑稽な恐れだった。

 

「ヘスティアもフローラも、そう緊張なさらないで?」

「き、き、緊張しないわけないでしょうが……!」

 

 ヘスティアの肩が震えている。

 いつも冷静なフローラも、心なしかグラスを持つ手に血の気がない。力が入りすぎているのだろう。グラスの中で白ぶどうのジュースが噴火直前のように揺れている。

 

「このあと、ディペット先生もいらっしゃるわ。大変、テーブルの平均年齢がとんでもないことになってしまうわね?」

「小娘4人でバランスは取れておろう」

「お姉様はもう小娘ではありません、だってホグワーツに行かれているのですから!」

「ふむ。その方は勇敢な妹を持ったな」

 

 アークタルスに反論したアステリアをヘスティアがありえないものを見る目で見つめた。

 その時、背後から声がかけられた。

 

「あら、元気な声が聞こえると思えば……こんばんは、ダフネ・グリーングラスね?」

 

 アフリカ系の黒い肌に爛々と輝く瞳。銀のドレスがよく映えている。

 パーティーのホストのひとり、デメテル・ザビニが微笑んでいた。

 

「ミスター、少しこちらのお嬢さんをお借りしても?」

 

 なんとも勇敢な発言だった。テーブルからの引き抜き。それは見方によってはアークタルスを、ブラック家を軽んじていることを意味する。同じテーブルを囲んでいる間はそのテーブルを囲む人々はブラック家のゲストだからだ。

 一瞬、ダフネはアークタルスと視線を合わせた。

 

「よかろう」

「感謝いたしますわ。さ、お嬢さん、あちらでお姉さんとお話しましょう?」

「もちろんですわ、ミセス・ザビニ」

 

 ダフネはデメテルに伴われて、軽食の置かれたテーブルへと移動した。背中にアークタルスの下に置いていかれたカロー姉妹の視線が突き刺さっていた。

 グラスをくるくると回しながら、デメテルは鼻歌を奏でていた。

 並の男ならデメテルが酔っていると勘違いして鼻の下を伸ばしたことだろう。英国魔法界が誇る魔性の美貌を持つデメテルにはそれだけの魅力がある。

 

「息子のブレーズからあなたの噂はよく耳にしているわ。1年生の身でホグワーツに侵入したトロールと戦ったり、勉強会を主催したり……将来有望ね」

「お褒めに(あずか)り恐縮ですわ」

「そうかしこまらないで。ブレーズと同い年なんだもの、私にとっては娘のようなものだわ。そうでしょう? ブレーズもあなたに興味があるみたいなの」

 

 囲い込みに来た。

 ここで肯定の返事をすれば、家族ぐるみの付き合いをする意思があるということになる。それはつまり、ブレーズ・ザビニとの縁談を拒みにくくなるということだ。

 ダフネは内心わずかに驚いていた。

 こういった話は普通、派閥の長から紹介があって結ばれるものだ。それがデメテルはルシウスの意向を無視して話をまとめにきている。いくら一派閥の長とは言えども、他派閥の長に筋を通さないというのはあまりにも大胆すぎた。

 

「ミスター・ブレーズ・ザビニからはよく私のことを? おそれながら、あまりお話する機会がなかったものですから」

「そういうものなのよ、男の子って。気になる子ほど話しづらいの、わかる?」

「正直に言って、意外ですわね。ミスター・ブレーズ・ザビニの隣にはいつも誰かしらの女の子がいるという印象がありますもの」

「あら、そうなの? あの子ったら、誰に似たんだか。でも、色々聞くわよ。なんでもマグル生まれの可哀想な女の子ともお友達なんだとか……立派なことだわ!」

「……ああ、ミス・グレンジャーのことですわね? 失礼、あの方を可哀想に思ったことがなかったんですの。彼女は驚くほど優秀な方ですわ」

 

 デメテルは興味深げにダフネを見つめながら、テーブルからオリーブのピクルスをつまんだ。

 

「あなたはマグル生まれを哀れとは思わないのね?」

「見方によるかと。純血とはすなわち、代々魔法界に貢献してきたことを意味しますわ。そういった背景を持たない新参者は苦労するかもしれませんが――」

「ああ、違うのよ、私そんな難しい話をしたいわけじゃないの! ()()()()()()()()()()()()()()()()だとは思わない?」

 

 面白い言い回しだ。

 つまり、デメテルはマグルから生まれてきたというそれだけで劣った存在で、保護すべき者であると考えているのだ。それがポーズであろうと、本心であろうと、実に興味深い考え方と言えるだろう。

 滑稽なのは、この考えがマグル界の自文化中心主義によく似ていることだろうか。

 

「お言葉ですが、マダム。人はそれぞれにそれぞれの哀れさを抱えているものですわ」

「それって少し冷たい考え方じゃない? マグル生まれの方たちを救ってあげようとは思わないかしら?」

 

 善意による差別。

 恐ろしい女だ。一度その手を取れば、一生弱者として生きていかねばならない。強者(デメテル)の家畜として幸せを強制されなければならないのだ。

 そして面白いことに、ダフネとデメテルの姿勢は「純血がマグル生まれに手を差し伸べる」という一点において共通している。

 

「それを行うには、まだ純血の地位が不安定ではありませんかしら。先の戦争でも色々ありましたし……」

 

 意味ありげにダフネがアークタルスへ目をやると、デメテルはわざとらしく困ったように息を吐いた。

 

「それを心配しているのよ。よくない相手とつるんでいるのではなくて?」

「よくない相手、ですか」

「そのうちわかるようになるわ。間違ったのとは付き合わないこと。お姉さんが教えてあげるわよ」

 

 ダフネは思わず笑ってしまいそうになった。

 なるほど、原作でドラコの差し伸べた手を拒んだハリーの気持ちがよくわかる。これが、これこそが真に純血らしい言い回しだ。善意を押し付けつつ、自分以外を貶める。ごく普通で、ありきたりな、不愉快な言い回し。

 納得がいくほど哀れだった。クリスマス休暇が終わったらドラコとハリーの間をもう少し取り持ってやろうとすら思う。

 

「ご親切に感謝いたしますわ。でも……」

 

 一瞬だけ、ダフネは天秤にかけた。

 デメテルに協調を示すべきか、それとも明確に拒絶を示すべきか。

 もちろん、敵は少ないに越したことはない。デメテルと協調路線を取ることだって不可能ではないのだ。彼女の少し強引なやり方はダフネから注目を逸らす隠れ蓑に適している。彼女の庇護下に入るというのは悪い選択肢ではない。

 しかし。

 

「間違ったのかどうかを見分けるのは自分でもできると思いますの」

 

 すでに勝ち得た手札(友人)たちを喜んで捨てるほど、デメテル・ザビニに価値を見いだせない。

 デメテルは一瞬苛立ったように眉を上げた。

 

「ミス・グリーングラス、私ならもう少し礼儀に気をつけるわね。そうでないと……」

「どうなりますかしら。()()()()()()()()辿()()とでも?」

「……あまり調子に乗らないことね。()()()()()()()

 

 ダフネがデメテルの差し伸べた手を拒絶すると、デメテルは吐き捨てるようにそう口にして自らテーブルを離れていった。

 ダフネがテーブルに戻ると、すでにアーマンドが到着していた。

 

「こんばんは、先生。顔色がよろしいようでよかったですわ」

「おお、ダフネ。今年も招待をありがとう。久しぶりにアークタルスと話せたのでな、今日は本当にいい日だ」

「あら、以前からご交友が?」

「儂の先代、ほれ、フィニアスの息子じゃからな。儂の教員時代は手を焼かされたものよ」

「ディペットは余の恩師と言える」

「恩師! 大仰な言葉じゃのう。フィニアスに聞かれたらどれだけチクチクと言われることか!」

 

 思ってもいなかったところで老人どうしが旧交を温めるのを尻目に、ダフネは考えを巡らせた。

 下等生物。

 この呼び名をダフネに使うのはなんとも大胆だ。確かに魔法界で血の呪いを受けた者は下等生物扱いを受ける。蛇のマレディクタスであるナギニがサーカスの見世物だったように。

 しかし、同時にダフネは純血の旧家の当主でもあるのだ。

 裏がある気がしてならなかった。

 

「あれは毒蛇のごとき女ぞ」

 

 アークタルスが呟いた。

 すると、アーマンドもシャンパングラスを傾けながら同調した。

 

「あれは好かんのう。利益でしか人を見ておらん。ダフネ、アステリアも、そのような大人になってはいかんぞ。……おお、そうだった、こちらのお嬢さん方を紹介してはくれんかね」

 

 ヘスティアとフローラの紹介をしながら、頭の片隅ではデメテルの態度が引っかかり続けていた。

 声をかけてきたということは、ダフネに価値を見出したということだ。それも、自ら動くだけの利用価値があると踏んでいた。

 ところが、ダフネが彼女の軍門に下ることがないと悟った途端、態度が豹変した。

 

「お姉様、また難しい顔をされています。デメテル様から何か……?」

「ええ、ちょっと手厳しいお言葉を頂戴したのよ」

「そう悩むことはない、ダフネ。ああいう手合いはのう、自分より下の者にしか優しくできんのじゃ」

 

 自分より下。

 確かに、血の呪いを受けた者は被差別階級で、弱者だ。デメテルが()()()()()()と見なして声をかけてきたのなら納得はいく。

 しかし、本当にそれだけだろうか?

 

「得心がいかぬか」

「はい」

「ならば、知恵を集めよ」

 

 アークタルスの言うとおりかもしれない。

 このまま考えたところで答えは出ない。もしデメテルが何か企んでいるのだとしたら、まずはその企みを明らかにするところからだ。

 

「閣下、飲み過ぎでは」

「……つまらんな。若い頃はこの程度水とも変わらなんだ」

「お年をお考えくださいませ。そこのしもべ、水さしとグラスを」

「はい、ただちに!」

 

 ほんのりと酒気で頬を染めたアークタルスが、ダフネの頭をぐりぐりと遠慮のない手つきで撫でた。

 

「その方には孫たちにはなかった面白さがある。励め。余の力を存分に使うのだぞ」

「はい、閣下」

「ディペット、この者らをよろしく頼む」

「君から誰かを頼むという言葉を聞けただけでも、十分じゃよ」

「では、帰る」

 

 どうやらアークタルスは酔うと少しわがままになるようだった。

 あるいは、王として君臨するアークタルス3世ではない、アークタルスというひとりの老人の素は本来こうなのかもしれない。

 撫でられた頭がほんのりと温かい。思い返してみれば、誰かに撫でられるなどいつぶりだろうか。晩年の母はダフネを我が子としてすら見ていなかったように思う。

 暖炉へ向かうアークタルスの背を見送りながら、アーマンドが嬉しそうに微笑んでいた。

 

「アークタルスはな、学生のころはそれはもうきかん坊だったんじゃよ。それでいて祖父が先代校長じゃからな、成績は良かった。誰も文句は言えなんだ」

「あら、先生もそうでしたの?」

「はて、どうだったかな。あまり細かいことを言うと彼に怒られそうじゃからのう。儂も怖いものは怖いのじゃよ」

 

 アーマンドがからからと笑う。その表情には少しも陰りが見えない。きっと心は当時に戻っているのだろう。

 1992年は穏やかに始まった。

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