「ドラゴン?」
ダフネは少し大げさに首を傾げてみせた。
復活祭の休みに入り、勤勉な者は期末試験を意識しはじめる頃合いだった。図書館は少し混みあっていて、密談をするためにハリーとダフネは椅子を寄せあってくっついて座る必要があった。
「うん、そうなんだ。ハグリッドがね……」
「ああー……なるほど、ルビウスらしいといえばらしいのでしょうが……ハリーもご存知かと思いますが、1709年のワーロック法で国際魔法使い機密保持の観点からドラゴンの飼育は禁じられていますのよ」
「これ、バレたらまずいんだよね?」
少しだけ、ダフネは悩んでいた。
この一件でドラゴンのノーバートを密輸出するためにハリーたちは夜間に寮を抜け出し、フィルチに見つかってマクゴナガルから減点と罰則を言い渡されることになる。
この罰則が重要なのだ。禁じられた森に入ることで、ハリーはユニコーンの血を啜る影を目撃する。そしてその影に襲われ、ケンタウロスのフィレンツェに守られる。そこで初めてハリーは賢者の石を狙っている本当の存在を知ることになるのだ。
禁じられた森の罰則を受けなければ、ハリーには賢者の石を守ることの緊急性の高い理由が生まれないのではないか。ダフネはそれを懸念していた。
「人間はすべて過ったものなり、ただ過ちを固守するは愚者なり」
「誰の言葉?」
「キケロですわ。ルビウスの厄介な点はドラゴンの飼育を罪だと理解しながら喜んで着手しているところ。つまり、情状酌量の余地がないということです。厳罰に処されるでしょうね」
「げ、厳罰……」
「ルビウスはすでに過去のことで杖を折られていますから、これ以上の罰則となると禁固刑でしょうか。アズカバンという魔法界の監獄がありますの」
「アズカバン……」
ハリーは生唾を飲んで、それからダフネに計画を説明しはじめた。
「ロンのお兄さんのチャーリーに相談して、その友達が引き取りに来てくれることになってるんだ。でも、秘密の作戦だから、夜中に箒で運び出すことになってる。天文台の塔から運び出す予定、一番高い塔だからね」
「ふむ、なるほど」
ハリーが罰則を受けるためには、誰かが告げ口をする必要がある。原作ではドラコの密告を受けて巡回していたフィルチが、透明マントを忘れたハリーとハーマイオニーを発見していた。
密告者はダフネであってはならない。
万が一にもハリーたちからの信頼が傷ついてはならないのだ。そのようなリスクは冒すべきではない。もっと他に手段がある。
たとえば、先程からずっと本棚の陰でこちらを窺っているブレーズ・ザビニとか。
「ハリー、万が一にも見つかってはいけませんわよ」
「うん、もちろんだよ」
「何か私にもお手伝いできればいいのですが……ドラゴンを密輸するだなんて、大胆な悪事でなんだかすごくワクワクしますわね」
少し興奮したように、わずかに声を大きくしてみる。
十中八九、ブレーズは母親の命令でダフネを監視している。ダフネを失脚させる機会を狙っているのだとしたら、これ以上はないと言っていいだろう。
かといって、この件を校外に漏らすメリットはない。強いて言えばダンブルドアへの攻撃にはなるだろう。しかし、それだけだ。ダンブルドアの名声はたかがドラゴンの一頭や二頭で傷つくほど脆弱ではないし、ダンブルドアが傷ついたところでダフネに損はない。
だから、ブレーズがダフネを傷つけたいのだとしたら校内で動いてくる。
「フィルチに見つからずに運ぶ手段はできていますの?」
「あの、うん。クリスマスプレゼントにね、特別なマントを贈ってくれた人がいるんだ。透明マントって知ってる?」
「まあ! それなら百人力ですわね。決行はいつ?」
「土曜の真夜中。うまくいくことを祈ってて」
本棚の陰からブレーズが立ち去った気配がする。
彼は何の躊躇もなく密告するだろう。この情報は自分の力で手に入れたと信じているのだから、疑いもしないはずだ。
ブレーズのおかげで、ダフネは手を汚さずにハリーが罰則を食らうよう仕向けることができる。
「どうしたの、ダフネ?」
「なんでもありませんわ。それより、ドラゴンで思い出したのですけれど、ドラゴンの血にある12種類の利用法について面白い記述が――」
本を開きながらハリーに身を寄せると、ハリーがほのかに顔を赤くして身体をのけぞらせた。
ハリーと一緒に魔法薬学の復習をしながら、ダフネは頭の中ではブレーズのことを、より正確にはザビニ家のことを考えていた。
ザビニ。
アフリカ系であること、おそらく純血であること、プレイボーイであること、ドラコと対等であること、そして母親が魔の美貌を持つ結婚詐欺師であること。原作で知られているのはその程度だろうか。
前々から気になってはいた。奇妙な齟齬がある、と。
ブレーズ・ザビニは確かに同学年も上級生も問わず、女性受けがいい。彼が時折見せる陰のある表情は神秘的でたまらないとパンジーが言っていた。少し気弱で幼気なところもいい、と。ダフネには理解できないが、そういうものなのだろう。
しかし、原作で示唆されていた自信家なプレイボーイの人物像とは乖離している。
「ねえ、ハリー」
「な、なに、ダフネ」
「……ふふ、何を質問しようとしたのだか忘れてしまいました。あなたがそんなにドキドキした顔をするんだもの」
危うく酷なことを聞きそうになった。
親がいないのと親に愛されないのでは、どちらがマシかなどと。
そんな戯れからしばらくが経った。
ハリーたちは予定通り発見され、減点を食らった。原作と違うのは、減点を食らったスリザリン生がドラコではなくブレーズだったことだろうか。ブレーズも原作のドラコ同様、現場を押さえるために自ら夜間に出歩いたようだ。
針の筵の上で過ごすハリーたちを慰めながら、ダフネはドラコとともにハリーの勉強に付き合っていた。場所はいつもの図書館ではなく、ドラコが最近見つけた空き教室だ。
「大釜にレテ川の水を2滴加えて、20秒間軽く加熱……この軽くって弱火ってことでいいんだよね?」
「ええ。成分が揮発してしまわない程度に温めるのが大切ですわ」
「ありがとう。……ああ、もう、忘れ薬の作り方をマスターしたら大釜いっぱいに作ってやりたいよ。それで全部飲み干すんだ。そしたら少しは気が楽になる」
ハリーはうんざりしたような表情でそうぼやいた。
グリフィンドール寮生からだけではなく、スリザリンの失墜を期待していたハッフルパフやレイブンクローの寮生からも攻撃を受けているハリーは、すでに半ばノイローゼのようになっている。
ダフネが背中を擦ってやると、ハリーは大きく息を吐いた。
「ダフネのおかげでまだなんとか正気でいられるよ、ありがとう。もちろん、ドラコもね」
「ああ、まあ、こういうのは過ぎ去るのを待つしかないさ」
ハリーにとって唯一の収穫があったとすれば、ハリーとドラコの距離が近づいたことだろうか。
正面から擁護するわけではないが、ダフネやドラコはハリーの味方でい続けた。
そもそも、寮対抗杯でリードしているスリザリン生からしたらハリーが減点を食らったこと自体は重要ではない。そこにダフネが「のっぴきならない事情があって夜間に外出せざるをえなかった」という噂を流してやれば、スリザリン生の世論は同情に傾く。
もちろん、ダフネやドラコとは派閥の違う上級生の中にはハリーを揶揄する者も少なくないが、それでもハリーは他の寮生と過ごすよりはスリザリン生と過ごすほうが気が落ち着くようだった。
「今夜、処罰があるんだ……すっかり忘れてたよ、減点で終わりじゃないんだ」
「恐ろしいですわね。でも、これで乗り越えられれば清算は済んだことになりますわよ」
「あとちょっとだ。君はよく耐えていると思う」
「うん。……あのね、ダフネ。よくしてくれる君たちだから、話すんだけど」
ハリーはあたりを窺ってから、声を潜めて囁いた。
「クィレルが脅しに屈したんだ」
「クィレル先生が?」
「うん。ハグリッドが言ってた、賢者の石を守る罠は先生方がそれぞれ担当してるんだって。クィレルは『闇の魔術に対する防衛術』の罠だよ。それの攻略法を、スネイプはもう知ってる」
ハリーは深刻そうに眉間に皺を寄せていた。
冷静になって考えれば、まだハリーにとって重要な事態でないことはわかるはずだ。仮にスネイプが賢者の石を盗んだところで、現時点ではそれはハリーにとって何の不利益にもならない。
つまり、ハリーは持ち前の正義心だけで「スネイプが賢者の石を盗もうとしている」と睨みを利かせているのだ。これはなんとも立派なことだった。きっと運命に定められていなくとも、ハリーはヴォルデモートと戦ったのだろう。
「賢者の石? 何の話だ?」
「ああ、そうだ、ドラコにはまだ話していませんでしたわね。ホグワーツに賢者の石が隠されていて、ハリーたちの推理ではそれをスネイプ教授が狙っているという話ですわ。教授陣が罠を仕掛けてありますが、クィレル教授がその攻略法を明かしてしまったというわけです」
「……そんなことがあり得るのか? だって、賢者の石だぞ? 誰だってほしがるというのはそりゃあそうだが……僕ならダンブルドアのお膝元でそんな大それた真似はしないね」
ハリーの手前、強い言葉で否定はしなかったが、ドラコはありえないと言いたげだった。
しかし、ハリーにはもう反論する気力もないのか、曖昧に首を振った。
「ロンは確かめるべきだって言ってるけど……これ以上は首を突っ込みすぎだって思うんだ」
「そうかもしれませんわね。先生方に任せて、今は試験勉強に専念されては?」
「……うん、そうすべきだと思う」
ハリーは大きく息を吐いて、羽根ペンを置いた。
「そろそろ行くよ。クィディッチの練習をしっかりして、少しでも点を取り戻さないと」
「あまり根を詰めすぎるなよ、ハリー」
「うん、ありがとうドラコ。ダフネも勉強を見てくれてありがとう、また付き合ってくれる?」
「もちろんですわ。頑張ってきてくださいな」
心なしか丸まった背中を見送ってから、ドラコは困ったようにダフネを見つめた。
「釈明を聞こうか」
「人聞きの悪いことを言わないでくださる?」
「賢者の石、どこまで本当なんだ? ハリーを操っているつもりなら今すぐやめろ。それは彼に失礼だし、僕にとっても許しがたいことだ」
「……私の陰謀だと仰りたいの?」
どうやら、ドラコは本気でダフネがハリーに賢者の石についての嘘を吹き込んだと思っているようだった。もしそうならダフネは大変な悪女ということになる。
残念ながら賢者の石は実在するし、それを狙っている先生もいる。
どうやってドラコを納得させたものか、ダフネは思案しながら羽根ペンを走らせた。
「そうですわね……4階の立入禁止の廊下の奥に何がいるかご存知?」
「知るわけないだろう、わざわざ立ち入り禁止のところに遊びに行くほど馬鹿じゃないぞ僕は」
「三頭犬がいますのよ、あそこ」
ドラコは驚いてインク壺をひっくり返しそうになった。
「その足元に扉があるそうですわ。そこから先は先生方が用意された罠が広がっていて、最後に賢者の石が隠されているとか、なんとか」
「……どうしてそこまで知ってるんだ」
「
驚いたのを誤魔化すかのようにドラコは強引にインク壺に栓をして、鼻を鳴らした。
本当のことを言えば、ダンブルドアが用意した賢者の石障害物走に何が障害として準備されているかすら全て知っている。原作通りの配置なら、ダフネはひとりででもあのダンジョンを突破することができるだろう。
しかし、ドラコにそれを明かすわけにはいかない。
「ダンブルドアはどうかしている。そんな大役にあの野蛮な大男を?」
「あら、私にとっては中々いいお友達でしてよ?」
「どうだか。……まあ、お前が友達と呼んだ相手を使い捨てるやつじゃないということは信じてやってもいい。だから、ハリーのことも丁重に扱えよ」
ドラコはそれだけ言い残して、手早く荷物をまとめはじめた。
「……ああ、そうだわ、ドラコ」
「なんだ? 僕はこのあとクラッブとゴイルに変身術の勉強を叩き込むという難題が控えてるんだ、面倒な話は御免だぞ」
「それは私も手伝いますわ。そうではなくて……ブレーズ・ザビニについて何かご存知?」
鞄に羊皮紙を突っ込んでいたドラコは、少し嫌そうに顔を上げた。
彼からすれば、父親と並び立つライバル派閥のトップの息子だ。特にザビニ閥は成り上がりということもあってルシウスには煙たがられている。あまり好意的ではないのかもしれない。
ところが、意外な言葉が飛び出した。
「何年か前までは、もっとシャキッとしたやつだったよ。自信があって……そうだな、かっこいい男だった。それが、最近は妙に弱気というか……何かに怯えてる。その癖、ハリーたちの夜間外出を密告するためだけにうろついたりしてる。どうかしてるんだよ、あいつ」
「何かに怯えている……具体的にいつごろ変わったか、わかりますかしら」
「無茶を言うな、お前と違って何百人って数と顔を合わせてるんだぞ。そうだな……」
ドラコは鞄を持ったまま顎に手を当て、しばし考えた。
「確か……そう、
少しずつ、ダフネの中でピースが揃いはじめた。
しかし、完璧な絵図が見えるにはまだしばらくかかりそうだ。モヤが晴れないような気分の中、ダフネは頭を切り替えて、どうやったらクラッブとゴイルが進級できるかを考えることにした。