その血は呪われている   作:海野波香

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 医務室で楽しげに話すハリーとダフネの様子を確認して、ダンブルドアは踵を返した。その様子が和やかで、甘酸っぱく、老人が邪魔するべきではないと判断したからだ。

 興味深い少女だ。

 この1年、ダンブルドアはダフネ・グリーングラスという少女にそれとなく注目してきた。ハリーに向ける注目とはもちろん重さが違う。ただ、若い頃の自分を思い出させられるくらいには優秀で、困難と戦っている少女だった。

 

「校長」

「おお、セブルス。いいところで出くわしたのう」

「探していたのです」

 

 中庭で、スネイプがダンブルドアに鋭い視線を送っていた。

 ほんのりと青筋を立てるスネイプを落ち着かせようと、ダンブルドアはポケットからレモンキャンデーを取り出した。

 

「ひとつどうかね?」

「結構です。それより、グリーングラスについてですが」

「ふむ」

 

 スネイプはダンブルドアとはまた別の視点からダフネを疑っていた。

 連枝の家系からではあるが、グリーングラス家からは死喰い人も出ている。ダフネがヴォルデモートの信奉者なのであれば、ハリーにすり寄って『賢者の石』を手に入れようとした一連の行動に別の意味が生じてくる。

 しかし、ダンブルドアはその可能性をすでに排除していた。

 

「彼女は愛の深い娘じゃ。ヴォルデモートには傾かんじゃろう」

「なにか根拠が?」

 

 ダンブルドアは口の中でレモンキャンデーを転がしながら考えた。

 鏡に映る誰かを見るダフネの心から安らかで愛おしげな表情は、到底ヴォルデモートを信奉する者にはできないものだ。

 妹への愛、血の呪いという問題を勘案すれば、ダフネが何を求めているかは察しが付く。

 

「……妹のために『石』を手に入れようとするのなら、妹のために寝返ることもあるのでは? やつは危険です」

「なぜそこまでただの1年生を警戒するのか、わしには皆目見当もつかん」

「カロー兄妹の件をお忘れですか」

 

 数年前、アミカス・カローとアレクト・カローという死喰い人崩れがアズカバンに収監された。罪状は戦時中の強盗殺人などで、そこに戦後のマグルからの収奪も乗せられた。

 生きているうちにアズカバンから出てくることはないだろう。

 これによって得をした人物がいる。1年生のカロー姉妹だ。一時期はお家騒動に注目が集まったが、行動的な姉のヘスティアと冷静な妹のフローラが互いをよく補いあい、カロー家は再興の道を辿っている。

 その絵図を描いたのがダフネなのではないかとダンブルドアは睨んでいる。

 

「もしそうであったとして、犯罪者が逮捕されることの何が問題かね?」

「本気で仰っているのですか」

「本気じゃとも、セブルス。よいかね、ダフネは確かに正規の告発手段を踏まなかったやもしれん。それによって得をした側面もあるじゃろう。しかし、為したことが善行であるということは認めるべきだとは思わんかね?」

 

 ダフネと他の政治家の違うところは、ダフネが悪辣な手段を取らないことだ。

 確かに、ダフネは政治的な意図を持っていくつかの行動を起こしている。それはダンブルドアも承知している。当時はまだ9歳にもならなかったのにそこまで考えていたとすれば、末恐ろしい話だ。

 しかし、それだけだ。

 カロー兄妹は正規の手続きを経て裁判にかけられ、アズカバンに送られた。証拠を偽造されたわけでもないし、罪状が捏造だったわけでもない。

 ダフネの手はまだ清いままだ。

 

「彼女は彼女自身が思っている以上に偉大なことを成し遂げているのじゃよ、セブルス。我々魔法族はやろうと思えばもっと残酷で邪悪な手を使うこともできる、違うかの?」

「……だから信じよと?」

「疑うべきを疑い、信じるべきを信じるのじゃ」

 

 スネイプが不満げに鼻を鳴らした。

 もちろん、ダンブルドアも全面的にダフネを信頼しているわけではない。ダフネは危険だ。一歩間違えれば、かつての自分のようになりかねないとすら思っている。

 若干の恐怖もあった。

 トム・リドルを導けなかったように、ダフネ・グリーングラスもまた過ちの道に進ませてしまうのではないか。そう思うと、今から監視しておくべきかとも思う。

 それどころか、言葉の力によって多くを叶えようとする姿は、かつてのゲラート・グリンデルバルドをも思わせる。もし彼女が残酷な革命家になれば、マグル生まれは純血の奴隷と化すのだろう。

 しかし、ハリーと話す時のあのあどけない笑みがダンブルドアに躊躇わせた。

 愛。

 その偉大な魔法の深淵をダンブルドアが語った時、ダフネはよく熟れたブラムリー・アップルのように頬を赤くしていた。ただの照れや恥では済まない何かが、ダフネの胸に芽吹こうとしている。

 

「信じるのじゃ、セブルス」

 

 ダンブルドアがそう繰り返すと、スネイプは不承不承ながらゆっくりと頷いた。

 

「いいでしょう、校長がそう仰るのなら、校長がやつを信じているという前提で私はやつを疑うことにいたします」

「おお……セブルス……君の頼もしさは、時折空回りするのう」

 

 大げさに嘆いてみせたが、スネイプは何も言わずその場を去っていった。

 ダフネ・グリーングラス。

 彼女の挑戦は興味深い。ホグワーツに入ってくる前から、彼女の企みについてはある程度情報を得ていた。純血による結社が魔法界の屋台骨となるという発想は、今まであまり聞いたことがなかったように思う。若さゆえの斬新さがそこに宿っているのかもしれない。

 ダンブルドアはマグルやマグル生まれの偉大な人々を多く知っている。だから、純血社会にはあまりいい印象を抱いていない。

 しかし、グリンデルバルドとヴォルデモートのふたりによって伝統的な純血という考え方が歪められたというのもまた事実で、もしダフネが成功すれば魔法界は穏健派の純血によって支えられる安定した社会に至ることになるだろう。

 悪くはない。

 

「信じるのじゃ」

 

 再び呟く。

 ダンブルドアはずっと、自身の政治的手腕を憎んでいた。カリスマがあり、知恵があり、人脈がある。政治に必要な黄金の三角形が揃っているダンブルドアを政界に引きずり込もうという動きは度々生じたし、その必要性を感じた瞬間がないわけではない。

 しかし、ダンブルドアにそれはできない。

 権力が怖いのだ。かつてグリンデルバルドとともに生きた自分がそうであったように、大衆を間違った方向に導いてしまうのではないか。

 悲しいことに、ダンブルドアにはその間違いに気づく賢さが備わっている。

 だから、己の力量を信じて政治の道を突き進むことができるダフネは、ダンブルドアにとって少しだけ眩しかった。

 

「――アルバス」

 

 ようやく待ち人がやってきた。

 豊かな髭、植物のように穏やかな眼差し。

 

「おはよう、アーマンド」

 

 中庭のベンチに腰掛けて、ふたりは日差しを楽しんだ。

 ダフネたちがアーマンドに後見人としての保護を求めてから、ダンブルドアは彼と時折連絡を取り合っていた。それは内偵調査というよりはむしろ、引退したはずの先輩を心配してのことだった。

 

「どうだったかね、ダフネは」

「あなたが目をかけるだけのことはあるのう。才気に溢れ、人とのつながりを大切にし、一歩一歩前へ進んでいける立派な生徒じゃ」

「そうとも。……彼とは違うと思うかね」

 

 トム・リドルの再来にならないか。

 それこそが、アーマンドにとって最大の気がかりだった。

 気に入っていたスリザリンの首席トム・リドルがボージン・アンド・バークスなどいう胡散臭い古道具屋に就職し、その後失踪。それを放置しておけるほど、アーマンドという人物は非情にはなれなかった。調べるだけの伝手も、時間もあった。

 その結果、知ってしまったのだ。ヴォルデモート卿の正体と、自分がその野心と苦しみを見抜けなかったということを。

 アーマンドが隠棲していたのは、ひとえにその絶望を癒やすためだった。

 そこに、哀れな少女たちが転がり込んできた。妹は純真で、姉は天才だった。

 

「わしにはなんとも言えんよ、アーマンド」

「しかし、君だけがずっと彼のことを警戒していた。違うかね」

「だからこそ、じゃよ。トムに関してはわしの思い込みがよく当たった。ダフネに関しても同じとは限らん。そうじゃろう、アーマンド」

 

 トム。

 その名前を耳にした途端、アーマンドは肩を震えさせた。今でも彼はヴォルデモートの、トム・リドルの幻影に苛まれているようだった。

 

「儂には政治がわからん。校長をやっておったころからそうじゃった。だから、ダフネが何かを頑張ろうとしていることだけしかわからんのじゃ。窘めるべきか、見守るべきかすら儂にはわからん。……あのころ、儂は彼になんと言葉をかけてやればよかったのか」

「アーマンド、それは」

「わかるかね、アルバス。儂は間違えた。儂は君のように優秀ではない。……この凡俗には、ダフネという娘は眩しすぎる」

 

 アーマンドは目を細めた。

 まるで、本当にダフネが眩しいとでも思っているかのようだった。

 一方で、ダンブルドアにはアーマンドの言葉があまりにも突き刺さった。間違えたのは自分も同じだからだ。警戒しておきながらなにも助けてやれなかった。導くという教育者の本分を果たせず、ヨーロッパ魔法界の英雄というつまらないポジションに甘んじた。

 

「ホラスを覚えておるかね」

「ホラス・スラグホーンか? いい教育者じゃった。少し依怙贔屓が過ぎるところもあったがね」

「そう、そのホラスじゃ。ホグワーツで一番トムを可愛がっておったのはホラスじゃった。あるいは、ダフネを見てなにか思うところがあるやもしれん」

「引き合わせると?」

「いずれじゃよ」

 

 もし、スラグホーンのお眼鏡にかなったならば、ダフネは彼の人脈を駆使してさらなる力を得るだろう。そして、その時初めて彼女の本質というものが見えるのかもしれない。

 今のところ、ダンブルドアはダフネを疑いたくないと思っている。

 しかし、その一方で、彼女の政治的主張に引っかかりを感じ、阻んでおくべきと感じる自分もいないわけではない。

 そのとき、中庭に一羽の小鳥が舞い降りた。

 アーマンドが手を差し伸べると、小鳥はアーマンドの指先に止まった。アーマンドはその小さな小鳥を愛おしそうに眺めた。

 

「ホグワーツはいい場所じゃ。秘密と不思議にあふれておる。久しぶりに戻ったがの、この美しい城に出迎えられた時は心が踊った」

「君の中にもまだ新入生だった頃の思い出が残っているようじゃのう、アーマンド」

「儂が新入生だった頃のホグワーツを君に見せてやりたいものじゃ。まだ君の父親の父親の父親すら生まれておらなんだぞ」

 

 アーマンドは笑って、それから小鳥をそっと送り出した。

 欄干をくぐって枝に止まり、そして空に帰っていった小鳥を見送りながら、ダンブルドアはこののどかで悲しみに満ちた老人を憐れんだ。

 アーマンドは長く生きすぎた。

 多くの悲しみを抱えた彼は、トム・リドルの真実を知ってホグワーツを去った。教育者としてのけじめでもあったのだろうし、悲しみに耐えきれなくなったのだろうとも思う。

 平凡な老人だ。長生きであることを除けば何の取り柄もありはしない。だからずっと世間からも放置されてきた。ダフネが引っ張り出すまでは。

 

「ダフネのことを気に入ったかね、アーマンド」

「そうさなあ。あの子たちは儂に人と関わって生きる楽しさを思い出させてくれた。この間なぞ、アークタルスと会ったぞ。あのアークタルス・ブラックじゃ、わかるかアルバス」

「わかるとも」

「あの子たちがいなければ、儂を先生と呼ぶ者はきっとこの世に一人もいないだろうと思って生きておったやもしれん。できる限りのことをしてやりたいと思っておるよ」

 

 穏やかな笑みは、彼がダフネとアステリアに向けている感情そのものだった。

 ダフネが強引に引っ張り出すまで、アーマンドはほとんどの来客を拒んできた。ダンブルドアですら、手紙のやり取りがあった程度だ。しかし、今の彼は変わった。

 もしかすると、ダフネは人によい変化を与えられる人物なのかもしれない。

 

「では、信じるよりほかないじゃろう。アーマンド、君は最後にようやく君のことを思ってくれる生徒を受け入れたのじゃよ」

「そうか。……そうか」

 

 アーマンドが頷いて、目尻を拭った。

 一年が過ぎた。多くの生徒たちは学びを得て次に進み、先生たちも経験を糧にする。

 ダンブルドアは何を得て、何を失っただろうか。

 妹のことを嬉しそうに語るダフネを見るたび、塞がったと思っていた傷が疼く。

 ハリーと語りあったあの夜、みぞの鏡の向こうで靴下を編んでいたのは死んだ妹だった。その靴下を弟とふたりで履いて、温かく笑顔で過ごしていた。そして、そこには幸せそうな両親と、穏やかなゲラート・グリンデルバルドがいた。

 ダフネが過ちを犯さないのだとすれば、どうしてこのアルバス・ダンブルドアは過ちを犯したのだろう。ふたりの間には一体、何の違いがあるというのだ。

 愛する者も間違える。

 

「アルバス。君はどうじゃね。ダフネを信じられるかね」

 

 そう問いかけられて、ダンブルドアは笑顔で答えた。

 試金石はいくつも用意した。錬金術という餌も与えた。計画の障害とならないようそれとなく除外する手段もある。

 ダンブルドアとしても、生徒のひとりであるダフネに期待はかけていたい。可能なら応援したい、その治療を手伝ってやりたいとすら思う。最後の戦い、ヴォルデモートの全てが終わった果てであれば、好きなように過ごしていてもらえばいいだろう。

 

「信じるとも」

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