その血は呪われている   作:海野波香

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 その手紙を受け取った時、ロンはたまげて声を上げた。

 

「ママ! 大変だよ! ママ!」

 

 封筒には英国魔法省魔法法執行部のサインと、魔法法執行部からの郵便物であることを示す放射状に突き出した剣の封蝋が貼られていた。

 ロンはてっきり、先週のことがバレたのではないかと考えた。

 つまり、空飛ぶフォード・アングリアで空を駆けた、あの最高の脱出劇のことだ。なんとかハリーを憎きマグルの手から救い出し、ロンは隠れ穴でハリーと素敵な時間を過ごせていた。

 ところが、これだ。

 もしあの夜のことがバレているのだとしたら、ロンは退学では済まない。それどころか、父親のアーサーにまで累が及ぶかもしれない。何を隠そう、空飛ぶフォード・アングリアを作ったのはアーサーその人なのだから。

 

「どうしたのロン、そんなに大騒ぎして」

「大変なんだよ! 魔法法執行部からの手紙だ!」

「なんですって!」

 

 モリーはロンの手から郵便を取り上げ、何度か深呼吸をしてから封筒を開封した。

 しばらく、隠れ穴のリビングルームに緊迫した空気が漂った。トーストをかじっていたハリーも状況がわからないなりに目を丸くしていた。

 しかし、モリーは手紙から顔を上げると、安心したように笑った。

 

「ボーンズ部長が話の分かる方でよかったわ。当面の間、ハリーをここで預かることを認めてくれるそうよ」

「なんだ、そういうことか……僕はてっきり」

「てっきり、あの夜の大脱走がバレたとでも? もしバレていたらハリーだってただじゃ済まないんですよ!」

「わかった、わかったよママ……手紙の内容はそれだけ?」

「まったく……念のため、ハリーから話を聞きたいそうよ。闇祓いがひとり送られてくるらしいけど……あら、噂をすれば!」

 

 窓から見える景色の向こうに、誰かが姿現しした。

 黒を基調としたローブをスマートに着こなした、若手の闇祓いだった。彼は手元に持った羊皮紙と隠れ穴を何度か見比べてから、手を振ってこちらに近づいてきた。

 

「おはよう! 魔法法執行部から来たガウェイン・ロバーズだ!」

「えっ、ロバーズさん!」

 

 ハリーがトーストを置いて立ち上がり、窓へと駆け寄った。

 

「やあ、ポッターくん。1年ぶりかな。ちょっと痩せたね?」

「こんにちは、ロバーズさん。来てくれたのがロバーズさんでよかった……ロン、ロバーズさんはダフネが相続の手続きに来てくれたときに同席してくれた人なんだ。ロバーズさんがダーズリーに圧をかけてくれたおかげでなんとかご飯だけは食べられたんだよ」

 

 ロンは唸った。

 ダフネ・グリーングラスはどうやら闇祓いとの伝手まであるらしい。しかもガウェイン・ロバーズと言えば、アーサーが食卓で語る魔法省事情によれば魔法法執行部の出世株だとか、なんとか。

 向かうところ敵なしと言ったところか。

 モリーはガウェインの朗らかな笑顔に安心したのか、表に出て彼を歓迎した。

 

「さあさあ、上がってくださいなガウェイン。朝食はお済み? それともお茶のほうがいいかしら」

「お構いなくモリー、手早く片付けて帰るようボスに言われているのでね。ああ、君がロンだね」

 

 声をかけられて、ロンはどきりとした。

 もちろん、魔法省役人の花形である闇祓い、しかもその若手のエースに知られていたというのもある。しかし、それ以上にやましい隠し事がロンの緊張を高めさせた。

 

「勇敢だね。友達を守るのは大事なことだ」

「あー、えっと」

「君とお兄さんたちの、あー、少し大胆な旅については()()()()()()()()()()()から、安心してほしい。ただ、マグルに目撃されたら庇えないから、次はそのつもりで」

 

 ガウェインがウィンクしてみせたことで、ロンの緊張は一気に抜けた。

 

「なんだ、僕てっきり……」

「捕まると思ったかい? 君たちは運が良い。致命的な国際魔法使い機密保持法違反は起きなかった。法が破られていないのなら、仕事をする必要もない。もっとも、俺がもう少し真面目なら、アーサーに例の車を作った意図を色々と訊くところだけど」

「じゃあ、あなたが真面目じゃなくてよかったです」

 

 ロンが息を吐くと、ガウェインは盛大に笑ってみせた。

 それから、ガウェインはハリーにダーズリー家での生活状況についていくつか質問をした。暴力を振るわれていないか、食事は満足に食べさせられているか、無償でこき使われていないか……。

 それらの話を聞いているうちに、モリーはダーズリー家への怒りとハリーへの哀れみで顔を真っ赤にした。もちろん、ロンもハリーが受けているひどい仕打ちを再確認したことで怒りが込み上げてきた。

 

「ガウェイン、ハリーをうちで引き取るとか、そうでないにしてももっといい場所で暮らせるようにするわけにはいかないかしら。ダーズリーの連中ときたら、まったく最悪だわ!」

「連中のひどさについては俺も同意するが、残念ながらダーズリー家はハリーの一番近い親族なんだ。親族が存命なのにそこから離れて養子縁組をするなんてことを、あのマグルたちはきっと認めないよ」

 

 残念なことにガウェインの言葉はもっともで、ハリーも悲しそうに首を振った。

 

「じゃ、じゃあ、うちの近くでひとり暮らしをするとか……!」

「ロン、それは素敵な想像だが……ハリーはまだ子どもだ。未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令B項で、未成年の魔法使いや魔女は責任能力のある大人の保護下にいないといけないということになっている。わかるね?」

 

 ロンの夢想はあっさり打ち砕かれた。

 しかし、ガウェインはにやりと笑って、懐から封筒を取り出した。

 

「ところが、この法には抜け穴がある。年に一度『帰宅』しているという事実さえあれば、あとはどこで過ごしても構わないんだ。ハリー、これだけ言えばあとはわかるとうちの破天荒なお嬢様が言っていたんだが、どうだい?」

「……それって、僕の屋敷に行ってもいいってこと?」

 

 ハリーはやおら立ち上がって、封筒を受け取った。

 ロンが覗き込むと、その封筒は月桂冠の封蝋で閉じられていた。ハリーは嬉しそうに笑って、その封蝋をとても大切そうに指先で剥がした。

 

「ダフネはなんでもお見通しだ……夏休みの間手紙を送れなかったことを怒っていないといいけど」

 

 その封筒の中には折り畳まれた一枚の便箋と、古めかしい鍵が入っていた。

 ハリーは素早くその便箋をポケットに入れて、鍵のほうを取り出した。

 

「約束したんだ。屋敷のある川辺で、友達をたくさん呼んで、ガーデンパーティーをするんだって……ロン、来てくれるよね?」

「すっげえ……もちろん行くさ! この際だ、みんな呼ぼう! ディーンも、シェーマスも、ネビルも、それにクィディッチのチームメンバーとかさ! ウッドを呼んだらたぶん練習もすることになるけど、それにしたってお釣りが来るよ!」

「それに、ロンのお兄さんたちやジニーもね。あの……ご迷惑でなければ、モリーおばさんとアーサーおじさんにも遊びに来てほしくて」

「まあ、なんて優しい子!」

 

 ガウェインの前でハグされたので、ハリーは恥ずかしそうにもがいた。

 それから、モリーの引率で屋敷の下見をしようということになって、部屋で何か怪しげな実験をしていたフレッドとジョージが引っ張り出され、部屋で何か頭を抱えながら手紙を書いていたパーシーが引っ張り出され、部屋で何をするでもなくもじもじしていたジニーが引っ張り出された。

 

「俺が姿くらましで先導しよう。モリー、追えるかい?」

「もちろん。さて、みんなしっかり掴まってちょうだい。振り落とされないように!」

 

 ガウェインが杖を振って消えるのに合わせて、全員に掴まられたモリーが杖を振った。途端に視界がうねり、ひねり潰されるような――ハリーに言わせれば、ゴムチューブの中を無理やり通るような――不快感のあと、そこに辿り着いた。

 まず感じたのは、空気の違いだった。

 空気がひんやりとしている。8月とは思えない。それはきっと、すぐそばを流れる清流の影響だった。川面に魚影がちらついている。

 

「おいロン、川なんか見てる場合か?」

「もっと見るべきものがあるぜ、ぶったまげだ」

「ああ、ぶったまげのおったまげだ」

 

 フレッドとジョージに促されて、ロンは顔を上げた。

 隠れ穴と比べれば、そこは城だった。

 重厚感のある建築。高い尖塔はまるで雲をかき混ぜているようだ。その重々しさとは裏腹に窓のひとつひとつが大きく、外から見ても開放感のある作りだった。

 力強くそびえる柱や壁に伝う蔦はどうやら魔法で品種改良されたクランベリーのようで、早生りの大きな赤い実をつけていた。屋根の赤と実の赤に蔦の緑が華やかだ。

 そして、長く伸びた煙突からはすでに煙が出ている。

 

「――お着きですわね、皆様!」

 

 似合わない掃除用のボロを着て、頬を煤で汚した少女が窓から手を振っていた。

 

「ダフネ!」

 

 ハリーが駆け出した。

 ロンは唸った。なんていいやつなのだろう。わざわざ掃除をして待っていてくれたのだ。

 スリザリン生や寮監であるスネイプにはひとつもふたつも思うところがあるロンだったが、1年を通してダフネと接することで「スリザリンにもいいやつはいる」ということを認めざるを得なくなった。

 

「……ねえ、ロン。あれ誰?」

 

 ジニーが声を潜めて、こっそりと囁いた。

 

「ダフネ・グリーングラスだよ。僕らの仲間で、えーと、スリザリンなんだけどすっげえいいやつなんだ。ハリーの相続を手伝ってくれたり、一緒にトロールと戦ったり……ジニーも話せばわかるさ!」

「ふーん……」

 

 ジニーが少しつまらなそうに下を向いた。

 そして、一行は屋敷の中に入った。

 

「あっ、皆様! お待ちしておりました!」

 

 ちょこちょこと駆け寄ってきたダフネの小さい版に一行は戸惑ったが、すぐにハリーがその正体を見抜いた。

 

「えっと、アステリアだよね。前にダーズリーの家に来てくれた」

「はい、お久しぶりです。他の皆様ははじめまして、アステリア・グリーングラスと申します。いつもお姉様がお世話になっております!」

 

 アステリアはあっという間に皆に打ち解けた。

 何やら朝から緊張している様子のジニーとすら朗らかに言葉をかわし、てきぱきと全員が座る場所を用意してくれた。

 

「じゃあ、朝からここの片付けを? 言ってくれればすぐに来たのに」

「お姉様がサプライズにしたいと仰ったので。ちょっと、お掃除が間に合ってませんけど……どうですか、ハリーさん。お屋敷の感想は!」

「最高だよ、うん。ちょっと掃除を頑張らなきゃって感じだけど」

 

 長いこと人の手が入っていなかったせいで荒れ放題だったが、それでもところどころ魔法がかけられていたのか、人が暮らしていた気配はあった。全員が使ってもまだ余るほど上等な食器が揃っていたし、大釜には錆ひとつ浮いていなかった。

 この屋敷は半分が埃で埋もれていて、もう半分が保護魔法の上にクモの巣が張っていた。

 

「これは気合いがいるわね……!」

 

 モリーが腕まくりするのを見て、ロンはこのあと自分が掃除に酷使されることを察した。

 それからはもう大変だった。

 フレッドとジョージは発掘した魔法薬のレシピを読んで興奮しているし、パーシーは双子を追いかけ回して階段から落ちかけるし、ロンは何度か巨大な蜘蛛を相手に涙目で奮闘することになった。ジニーが一番落ち着いて掃除していたくらいだ。

 モリーとダフネはすぐに意気投合した。

 

「ミセス・ウィーズリーが来てくれて本当に助かりましたわ。私、どこから手を付けていいかわからなくて」

「そんな大仰な呼び方しなくていいのよ、モリーおばさんって呼んでちょうだいな。しかし、随分頑張ったわね! このテーブルなんて、魔法を使わなかったとは思えないくらいピカピカ!」

「魔法の箒とモップを発掘できたおかげでだいぶ楽ができましたの。でも、結局は手か杖を動かさないと綺麗になりませんものね、こういうのは」

 

 ふたりはいきいきと屋敷を綺麗にしていった。

 その間、ハリーは()()()()()()の整頓を任されていた。それはつまり、ポッター家代々の写真であったり、先祖の日記であったり、紋章の入ったあれこれであったりだ。ハリーは喜んでその作業に従事していた。

 

「こりゃあ、明日からハリーのことは城主閣下と呼ばないとな」

「領主閣下でもいい。なあ閣下、庭からちょいと葉っぱを何枚かいただいたんだが、掃除のお駄賃だと思ってお目溢しいただけますかな?」

「それから実を少々と、種をいくつかと、根っこもわずかにでござりまする」

「いいよ、好きに持っていって」

 

 ハリーの許可を得て、フレッドとジョージは飛び上がって喜んだ。

 掃除が一段落したところで、夕食を取ることになった。そのころには仕事を終えたアーサーも合流した。

 モリーが腕を揮ってくれたおかげで、最高のディナーになった。新鮮なレタスやきゅうり、塩気の効いたベーコンを挟んだサンドイッチも、庭で採ったばかりのプチプチと弾けるそら豆と釣りたてのカワカマスのパイも最高だった。

 デザートの代わりにダフネが振る舞ってくれた林檎シロップの炭酸割りを飲み干した頃には、もうみんなすっかりくつろいでいた。

 

「最高の夏になりそうだ……」

「あら、言ったでしょうハリー。ここがあなたの故郷で、これは本来あなたが享受するべき幸福ですわ」

「うん、でも……ありがとう、ダフネ」

 

 いい雰囲気になっているふたりを囃し立てるようにフレッドが口笛を吹くと、パーシーが厳しい顔をした。

 

「やめないか、男女の交際というものは神聖で……」

「そうですよ! お姉様の隣に立つということはとても名誉なことなんですから!」

「パーシー、アステリアも、待って、ちょっと、そういうのじゃないから!」

 

 途端に騒がしさを取り戻した一帯の中で、ロンは心の底から満足していた。

 最高の日だ。ハリーは念願の屋敷に帰ることができて、ダフネも隣にいて、みんなでおいしいものを食べて。これほど幸せなことがあるだろうか。

 少しだけ、胸の奥にもやがかかった。

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