その血は呪われている   作:海野波香

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 グリンゴッツの最奥、頭取の執務室でダフネは砂糖たっぷりのエスプレッソを味わっていた。

 

「イタリアはいかがでしたか?」

「素晴らしい日々でした。あの国はまだまだ神秘に満ちあふれている。私の滞在中にもバチカン記録保管所から()()()()()()()()の引き渡しがありましてな、好奇心を唆られましたよ」

 

 グリンゴットは興奮したように語った。

 この魔法銀行を指揮する創設者の直系であるグリンゴットは、単なる世襲のボンクラというわけではない。むしろ辣腕を発揮して全国の支店をまとめる偉大なゴブリンだ。

 だからこそ、隣に座るガウェインは緊張しているのだが。

 

「紹介しておきますわ、ガウェイン・ロバーズです。私がホグワーツにいる間の名代と思っていただいて結構ですわ」

「ほう……驚きましたな。魔法法執行部に伝手が?」

「彼とは長い仲ですの。ねえ、ガウェイン?」

「……誤解を招くような言い方はよせ、ダフネ。ミスター・グリンゴット、私は闇祓いとして彼女を()()()()()から守る任についている。保護者だと理解してもらって構わない」

「それは、それは……」

 

 グリンゴットのにこやかな瞳に、一瞬値踏みするような色が浮かんだ。

 情報通なら把握しているはずだ。ガウェインが今魔法法執行部期待の若手であることを。銀行としても法執行機関との伝手は持っておきたいだろう。

 

「承知しました、ミスター・ロバーズ。何かあればご連絡させていただきましょう」

「ああ、よろしく」

「それで、ミス・グリーングラス。例の件ですが」

 

 例の件。

 それはつまり、迫る来学期に現れるはずのゴドリック・グリフィンドールの剣のことだ。

 原作で魔法大臣になったルーファス・スクリムジョールが言及したとおり、ゴドリック・グリフィンドールの剣は重要な歴史的遺産であり、個人に帰属するものではない。この点をつつけば、剣がグリンゴッツで保管されること自体は実現可能だった。

 そして、それを実現するためにグリンゴットはこの数年間尽力してきた。

 

「我々に協力的な役人をいくらか動かして、歴史遺産保護のためにグリンゴッツを利用するべきであるという風潮を作りました。加えて、理事のうち数名は私の言うことを聞くほうが()()()()()と思っているようです」

「ふふ、いい具合に弱みを握りましたわね」

「人聞きの悪いことを。まあ、そうです。理事の中ではミスター・ブリシュウィックが声を上げてくれることになっています。彼がイタリア旅行で残した()()()()()()()()は彼の保有資産ではかき消せないものでしたから」

 

 横でガウェインが顔を青くしていることも構わず、ダフネはゆったりと微笑んだ。

 魔法族の長い歴史の中で、ホグワーツが城という防衛施設の形を取らなければならなかったのはなぜか。それは戦争が絶えなかったからだ。魔法族の歴史とはすなわち、戦争の歴史である。

 そして、中でも最大の敵対勢力だったのがレッドキャップとゴブリンだった。

 今でこそゴブリンは協力的な種族だが、それでも彼らを本気で動かすというのは()()()()()()なのだ。ルード・バグマンがゴブリンに対して借金を抱えたことがどれだけ愚かなことか、これではっきりとするだろう。

 

「それで、どのような計画なのです?」

「申し訳ありませんが、今はまだ。ただ、信じていただいて構いませんわ。事態は動きはじめています」

 

 ハリーがウィーズリー家にいた。

 それはつまり、ドビーがハリーを守りにやってきたということを意味する。そして、同時にそれは日記帳が解き放たれたことをも意味している。

 トム・リドルの日記帳。

 分霊箱の中で唯一、そして明確に攻撃を目的として作られたそれは、トム・リドルの分身が封じ込められている。この分霊箱は自律思考し、おそらくは自らこそを真のヴォルデモートとして復活しようと試みていた。

 そのためには、日記帳は魂を吸収できる何者かを支配下に置かなくてはならない。顔の見えない日記に頼るほど哀れな者。ルシウスはジニー・ウィーズリーに目をつけた。

 日記帳の命令に従って、ルシウスは日記帳を手放した。

 ダフネの考えが正しければ、ルシウスは今日記帳に成り下がった主君を利用するつもりで動いている。日記帳の計画に従ってダンブルドアを追い落とし、後任として理事会に従順な魔法使いや魔女を座らせるのだ。

 しかし、この計画は必ず失敗する。ダフネがそうさせる。

 

「ふむ……いいでしょう。あなたは約束を守った。今は信じて待つこととしましょう」

「感謝いたしますわ」

「それから……お耳に入れておきたいことが」

 

 グリンゴットが長い指先で空のデミタスカップを置いた。

 その表情は険しかった。

 

「おそらく、関係ないとは思うのですが……私の勘が妙に騒ぐのです」

「お聞きしましょう」

「昨年、不覚にも当行は侵入者を許しました。それを機に警備の一斉点検と出納帳の確認を行ったのですが……」

 

 大きく溜息を吐いてから、グリンゴットは白状するように語りはじめた。

 

「ある品物が、金庫から持ち去られました」

「盗まれた、ということですかしら」

「まさか。もし盗まれたのであれば我々は血を流してでも取り返します。……アークタルス・ブラックの檄文からしばらくしたある日のことです。金の動きが活気づいたためか、急に捜査が入りました」

「待ってくれ、そんな話は聞いたことがない」

 

 ガウェインが制止した。

 しかし、グリンゴットは大きく頭を振った。

 

「捜査は魔法法執行部の主導ではなかった」

「そんな馬鹿な! 法執行権のある部局は他に存在しない!」

「ええ。本来であればそうなのですが……」

「魔法大臣令を有する大臣室を除いては、ですわね」

 

 大臣室。

 ダフネは話の流れを理解した。

 

「幸い、持ち主のいる金庫については彼らの有する権利では捜査することができませんでした。もちろん、お客様の金庫も無事です」

「それはどうも。……狙われたのは持ち主が不在の、つまり囚人の金庫ですわね?」

 

 グリンゴットが大きく頷いた。

 通常、魔法界においては銀行への立ち入り調査は行われない。それはグリンゴッツ魔法銀行がゴブリンによって営まれており、サービスの安全性をゴブリンが保証している以上そこに干渉できないからだ。

 だから、終戦後に魔法法執行部は逮捕者の屋敷や関係者の捜査を行うことはできても、銀行に捜査の手を伸ばすことはできなかった。

 野放しにされた銀行。立ち入り調査が行われないことに、少なくない市民が不満を抱いた。

 

「……ふふ、世論を使うのが上手な方ね」

 

 これは機会を狙う者にとっては口実になる。特に、ゴブリンを見下す純ヒト主義者とでも呼ぶべき者たちにとっては、ゴブリンとの軋轢など些細なものに思えるだろう。

 つまり、魔法法執行部ではなく、大臣室が独断で捜査に入ったのだ。

 越権行為と言っていい。しかもガウェインの耳に入っていないということは、徹底して箝口令を敷いたということになる。ゴブリンの不満を膨れさせないように。

 しかし、それをするだけの人物が今の大臣室にはいる。

 

「古くからのお客様の金庫がいくつも荒らされました。ロウル、ロジエール、トラバース、そして――()()()()()()

「……なるほど」

「いくつかの品が押収されました。中でも、レストレンジの金庫に捜査が入った際のことです。ある品物が捜査に入った官僚の目に留まりました。立ち会った行員の証言によれば、その品物は()()()()()の可能性があり、盗まれたものであるとして……」

「調査のため、押収された?」

 

 ダフネは鼓動が高まるのを隠せなかった。

 ()()を入手する手段をずっと考えていた。もしそれが世間に出回っているのだとしたら、話は大きく変わってくる。

 

「ヘルガ・ハッフルパフのカップ。それが今、行方不明になっています」

「……そう。そうでしたか」

「ミス・グリーングラス?」

 

 ダフネは思わず笑いそうになった。

 一番当たってほしくない予想が的中した。ヘルガ・ハッフルパフのカップ、最も入手が困難と思われた分霊箱が世に出回っている。

 そのような大胆な真似をする権威主義者を、ダフネはよく知っていた。

 

「その官僚は女性ですね」

「ええ」

「ピンクの服を着ているのが特徴的な」

「そうだったかと」

「行員の誰かが、ガマガエルに似ていると悪口を言いませんでしたか」

「当行にそのような無礼者はいないはずですが……耳にしたような記憶がないでもありません」

 

 ドローレス・アンブリッジ。

 すっかり油断していた。

 彼女は原作唯一の政治屋だ。思想によってではなく、利益によって政治をする政治屋。自らが利益を得るためなら、味方だった者を蹴落とすことすら躊躇しない。

 当然動いてくるだろう。富と権力。アンブリッジの大好物が動きはじめているのだ。

 

「今回の歴史遺産保護の流れでグリンゴッツに戻せないかと考えているのですが……」

「いいえ、すでに彼女はそれを手放しているでしょう」

 

 アンブリッジはコレクターではない。

 原作でスリザリンのロケットを身に着けていたのですら、目的は自らを純血と偽るためだった。

 今の彼女が財宝に興味を持つとすれば、それは利益を生むコネクションを形成する()()()()()()だ。ましてや、闇に属するレストレンジの金庫から手に入れたものを長く所有するほどアンブリッジは浅はかではない。

 今ごろ、ハッフルパフのカップは彼女がコネクションを形成した誰かの手に渡っている。

 それはアンブリッジにとって利益を生む人物で、熱心なコレクターか、さもなくばハッフルパフのカップを求めるような()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「厄介なことになりましたわね」

「ミス・グリーングラス。当行も手を尽くしていますが、もし何か情報があるのであればお教え願いたい」

「……噂を耳にした程度ですが。ハッフルパフのカップには、ある闇の魔法がかけられています。もし、()()()()使()()()()()()()……」

 

 もし、分霊箱を使()()()()()()()

 その悪影響は想像すら及ばない。ただ保有しているだけでも魂を吸い取られるのだ。

 最低でも、思考は汚染される。

 最悪の場合、死に至るだろう。

 

「それはまずいな。至急、スクリムジョール局長に話を」

「やめておいたほうがいいわ、ガウェイン」

「なぜだ! 闇の魔法がかけられているんだろう? 俺達の仕事じゃないか!」

「大臣室は顔に泥を塗られることを恐れるでしょう」

 

 そう、大臣室が押収したことは記録に残っているのだ。

 それはつまり、魔法法執行部が追跡調査で汚点を発見すれば大臣室の醜聞ということになる。そのようなことを大臣室は許さないだろう。

 あのアンブリッジがそこに保険をかけていないはずがない。アンブリッジが手放したのなら、少なくとも書類上は「処理」されたことになっている。そこを魔法法執行部が追及するのは大臣室に対する越権行為になってしまうというわけだ。

 

「じゃあどうしろと? このまま指を咥えて見てろって?」

「……大臣令で丸め込まれる前に、素早く勝負を決める手段が必要ですわ」

「ふむ、闇の魔法に関するものであることを証明できればよいと」

 

 グリンゴットが小さく唸った。

 闇の魔法がかけられていることの証明。それは簡単ではない。どんなものにせよ、魔法がかけられた物品というものは一見見分けがつかない。その効果によって初めて呪いの全貌が明らかになるのだ。

 ガウェインがソファの肘置きをぐっと掴んだ。

 

「犠牲者が出ることを認めろって言うのか」

「……手段がないこともありませんが、大変ですわよ」

「聞かせてくれ」

「その前に……サー・グリンゴット。グリンゴッツ魔法銀行は最古にして最大、唯一の魔法銀行。だからこそ、魔法界の遺産の多くがグリンゴッツに集まっている。そうですわね?」

 

 グリンゴットはゆったりと頷いた。その表情は自信に満ちていた。

 

「何かお探しの品が? カップの件は当行の問題でもあります、取り返せるのなら取り返したい。一時的に貸与する程度であれば、私の権限でお手伝いしましょう」

「では……探してほしいものがあります」

 

 これは賭けだった。

 ダフネもまだ、()()については見当がついていない。手を尽くして調べたが、情報は一切見つからなかったのだ。まるで抹消されているかのように。

 だからこそ、あるとすればグリンゴッツ魔法銀行なのかもしれない。

 もしないとしても、宝物に関するゴブリンの嗅覚は本物だ。彼らであれば、ダフネよりも効率よく()()を見つけ出せるかもしれない。

 

()()()()()()()()()()……と言って、伝わりますかしら」

 

 ふたりが立ち上がった。

 それぞれが戦慄の表情を浮かべていた。しかし、きっとそれぞれが抱いた感情の理由は異なっていた。

 

「く、腐ったハーポって……最古の闇の魔法使いじゃないか! 正気かダフネ!」

「お客様、困ります……分霊箱などというものは当行では扱えない! 扱ったこともない!」

「おふたりとも、落ち着いてくださいな」

 

 しばらくの沈黙の末、ふたりは表情に疑念を浮かべながら席についた。

 

「蛇の道は蛇。よく言ったものですわね。蛇のことは蛇に尋ねるのが一番でしょう」

「尋ねるって……まるでハーポが生きてるみたいな言い方じゃないか」

「生きています。そうでしょう、サー・グリンゴット」

 

 グリンゴットは苦悶の表情を浮かべた。

 明らかに、彼は分霊箱のことを知っていた。

 

「なぜご存知なのです、ミス・グリーングラス」

「あら、私の方こそ訊きたいと思っていたのですよ、サー・グリンゴット。やっぱり、魔法銀行なんて長くやっていると魔法界の宝物については詳しくなるのですね」

「……誓って言うが、当行は闇に手を染めたわけではない。杖持ちの皆様の一部がそういった闇に手を染めたからこそ、当行にそういった記録が残ったと言うだけです」

 

 しばらく、ダフネとグリンゴットは沈黙したまま見つめあった。

 互いが互いへ疑念を向けていた。本当にただ知っているだけなのか。

 その沈黙を破ったのはガウェインだった。

 

「教えてくれ、分霊箱って何なんだ?」

「私も詳しくは知りませんわ。腐ったハーポが生み出した闇の秘術で、不死を現実のものにするとか」

「……文字通り、魂を分ける箱ですよ。語るもおぞましい闇の業です」

「じゃあ、じゃあ……腐ったハーポは、生きている?」

 

 ダフネが頷くと、ガウェインは頭を抱えた。

 腐ったハーポ。

 古代ギリシャの闇の魔法使いだ。現存する多くの呪いを生み出したとされる。その()()()()()としてしばしばバジリスクの「創造」が挙げられる。

 ダフネはずっと彼を探し続けてきた。分霊箱を知る最古の魔術師として、彼にはまだ使い道がある。

 

「冗談じゃない、あの腐ったハーポだぞ」

「だからこそ、調べる価値があるのですわ。……腐ったハーポの分霊箱に、心当たりがありますわね?」

「……少し、考えさせてください」

 

 グリンゴットは苦い表情でそう言った。

 自動的におかわりが注がれていたデミタスカップのエスプレッソを飲み干して、ダフネは小さく息を吐いた。心地いい苦みだが、胸中は穏やかではなかった。

 歴史が変わりつつある。ダフネの起こした変化が、大きな渦を生んでいる。

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