その血は呪われている   作:海野波香

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 思考を休める時間が必要だった。

 ダフネは今、休息を求めていた。この1年間は忙しくなることが目に見えている。それならば、今はしばしの羽休めが必要だ。魂の癒やし、大切な妹とゆっくり過ごす時間がなくてはならない。

 そういうわけで、ダフネは夏休み最後の一日をアステリアとともに過ごしていた。

 

「ほら、ほっぺたについてるわよ」

「わっ……えへへ、ありがとうございます、お姉様」

 

 流石に最終日となるとダイアゴン横丁も空いているらしく、フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーの客もほとんどいない。店主のフローリアンも暇なのか、度々サービスに訪れてくれた。

 アステリアはフローリアンによく懐いている。彼の作るストロベリーサンデーが絶品だからというのもあるだろう。しかし、それだけではないのかもしれない。アステリアは人懐っこいようで案外懐く相手を選んでいる。

 

「おふたりさん、新メニューを試してみないかい? マグルのドリンクを参考に作ったんだが」

「気になりますわね」

「アステリアも! 気になります!」

「はは、ごきげんだな。さ、どうぞ」

 

 差し出されたカップには白いジェラートが乗っていた。

 一見伝統的なミルク味にも見えるそれをスプーンの先で掬って、口に運ぶ。途端に広がるまろやかな酸味と優しい甘さは、ダフネの郷愁を掻き立てた。

 

「乳酸菌飲料というらしい。目に見えない細かな生き物を繁殖させた液体の味だ。マグルは時折、とんでもないことを思いつくね」

「すごい……これ、おいしいです! お姉様、ね、おいしいですよね!」

「……ええ、人気商品になるでしょうね」

 

 笑う一方で、悩みもする。

 いつだってマグルの生み出したものは魔法界に革新をもたらす。電波放送、公共交通、大量消費。マグルが生み出した技術や価値観が魔法族を変えていく。

 旧植民地が宗主国の政治体制だけを真似て失敗していくように、魔法族もまたマグルの技術や価値観を思考せずに模倣している。今のところ、その失敗は表面化していない。しかし、かつての魔法族と比べて現代の魔法族は流行に左右され、貨幣経済に縛られている。

 やがて魔法界はマグル界化する。

 流行のハンドバッグを買いたがり、それを持って流行のレストランに押しかけ、そこで流行の酒を飲みながら流行の映画についてあれこれ知ったように語り、やがて流行で政治家を支持するようになる。

 魔法界は革命を経験していない。だからこそ、惰性の変化に流された先には、衆愚の時代が待ち受けているのではないか。

 

「難しい顔をしているね」

「……少し、考えていましたの。魔法族の娯楽精神と消費文化の行く先について」

「それはまた、難題だ」

 

 フローリアンは笑って椅子を引いた。

 

「君は随分と魔法界の行く先に悩んでいるんだね」

「魔法界は重要ではありませんわ。自分とアステリアの行く先を悩むついでに、居場所である魔法界の心配をしているのです」

「なるほど、確かにそれは大事だ」

「お姉様はいつだって一生懸命に考えてくださってるんですよ。お姉様は立派な方です! 思想家なのです!」

「褒めすぎよ、アステリア」

 

 ダフネが曖昧に笑うと、フローリアンは興味を惹かれたように目を細めた。

 しばらく、黙ってスプーンを動かしていた。

 乳酸菌飲料味。これまでは魔法界になかった、革新的な味だ。何にも似ていない、その味としか言えない味。ハマったものは間違いなくリピーターになる。それはつまり、消費者になるということだ。

 それ自体は問題ではない。しかし、魔法族には貨幣経済の知識がない。それどころか、税制を理解している者すらどれだけいるかわかったものではない。魔法省に財務部門がないことがその証左だ。

 今のままマグル的消費社会に突入すれば、魔法界の経済は崩壊する。

 

「資本主義が進展すると共に、手段としての財力が強くなり、人間の方が財の手段となり、人間が機械の奴隷にされるという傾向が生じてくる。和辻哲郎の言葉ですわ」

「ジャパンか、いいね。……君の悩みはわからないでもない。これでもダイアゴン横丁で顔役のひとりをやらせてもらっている身だ。そのうえで言うが、君が思っているほど魔法族は愚かじゃないよ」

「そうかしら?」

 

 ダフネが危惧しているのは、魔法族が金の使い方に慣れていないということだ。

 根本的に魔法界は消費社会ではない。大抵の物品が魔法で長持ちさせられる以上、食料品やごく一部の消費物を除けば必要性に迫られての買い物はほとんどない。賢者の石で生み出される無限の黄金など大半の魔法族の手に余る。

 ウィーズリー家の金庫にはほんの1ガリオンとシックル銀貨が一握りしかなかった。10ポンド、2000円にも満たない預金額だ。彼らは貧乏で、しかもそれを恥じているところがある。

 しかし、それでも生活が成り立つのが魔法界なのだ。

 薬草を採集し、魔法生物を世話し、そこから得られる素材で魔法薬を作ったり、もしくは隣人を直接魔法で助けてもいい。かつて、魔法族は単純で素朴な交換と贈与の経済の中で生きていた。

 そこにマグル生まれが消費という娯楽を持ち込みつつある。

 金を使うという根本的な快楽。気に入ったから買うのではなく、買いたいから買うという衝動的な興奮の消費。

 そして、その消費の行き着く先は経済の奴隷だ。

 

「確かに、昔と比べると魅力的な商品が増えたし、買い物で身を持ち崩した人の話も聞かないわけじゃない。でも、そういう人だってちゃんとやり直すことはできる。助けあって、支えあって。それが魔法界の歴史だと僕は思うよ」

「助けあい、支えあいの社会。今もまだそうであればいいのですけれど」

 

 ダフネが魔法界の経済を憂いている最大の理由は、この問題がダフネの計画に深い影響を与えるからだ。

 ダフネは純血を貴族にしたい。自らが働かないかわりに土地や利権から富を得る上流階級、単なる貴種ではなく真の貴き存在、目指すべきものにしたいのだ。そして、その先には優秀なマグル生まれや半純血を純血が囲い込む経済が待っている。

 そのためにはまず、純血であるだけで豊かになれる構造を作らなければならない。

 もちろん、結社はその手段のひとつだ。蒼の貴血(ブルーブラッド)内で情報を共有し、独占することで富の集中を図る。他にも手は考えてあるが、まずは蒼の貴血が中心になる予定だ。

 しかし、血の呪いや原作の流れとは別にダフネには経済構造の変化という見えないタイムリミットがある。

 このままでは純血が純血であるというだけで豊かさを手に入れやすくなる社会を構築するよりも早く、消費社会の到来によって金の扱いに慣れたマグル生まれが経済的にも台頭する。

 そして、マグル的資本主義社会において歴史はただそれだけでは金にならない。

 

「フローリアン、あなたはどう思いますの?」

「それは商売人として? それとも、歴史家として?」

「両方ですわ」

 

 フローリアンは少し悩むように顎を撫でた。

 

「そうだね……まず、商売人として言わせてもらえば、お金を払って笑顔になれるのはいいことだよ。そこの善は否定できないと思う。働く気力も湧くからね」

「ええ、そうですわね」

「そして、歴史家として言わせてもらえば……この程度の変革は今に始まったことじゃあない」

 

 それは少し、突き放すような言い方だった。

 フローリアンは笑顔のまま、少し冷めたような目でダフネを見つめていた。不思議な目だった。冷たいようでいて、そこには強い好奇心がこもっていた。

 

「僕は君がやろうとしていることの全てを理解しているわけじゃない。しかし、君の目標が反動的で保守的であることはわかる」

「そういう見方もできるでしょう」

「時代は移りゆくんだ。その流れに棹さす君は、果たしてどこまでいけるのか。期待はしているよ。君は僕が知っている革命家の中では一番面白いからね」

 

 フローリアンはそう笑って、席を立った。

 

「難しい話はおしまい! まずはアステリアにお小遣い帳をつけさせるところから始めたほうがいいんじゃないか?」

「アステリアはお小遣いをいただいていません、お姉様にお願いして買ってもらうからです!」

「ああー、なるほど。財布が緩いのは君の方だったか」

「失礼ですわね。私は吟味した上で買い物をしていますわよ」

 

 もっとも、アステリアにねだられたものを買わなかったことなどありはしないのだが。

 それからふたりはサンデーと試供品のジェラートを完食して、フローリアンに別れを告げ、ダイアゴン横丁をぶらついた。ダイアゴン横丁の店先には多くの品が並んでいて、アステリアの好奇心を大いに刺激した。

 

「お姉様、あの大きな円盤はなんですか?」

「レコードよ。セレスティナ・ワーベックの新盤ね」

「確か、有名な歌手の方ですよね。お掃除しながらモリーおばさまが歌っていました!」

「そう、モリーおばさまが大ファンなのよ」

 

 レコード店をいくらか物色し、靴屋に入って少し背の伸びたアステリアが庭で駆けるのにちょうどいいブーツをオーダーし、骨格標本専門店を軽く冷やかして。

 途中、アステリアは小さな店の前で立ち止まった。

 

「ガレ・ローン……お姉様、ローンってなんですか?」

「金貸しよ。目的に応じて大金を借りて、金利を付けて分割して返すの」

 

 金融業はグリンゴッツの専売特許ではない。

 魔法族が営む金貸し業は昔から存在する。昔ながらの価値観で生きている魔法族は金を蓄えるという考えがないから、何か大きな出費が生じた時に金貸しを頼るのだ。そして、家や土地や様々な権利を担保に金を借り、目的を果たす。

 こういった金貸し業で名を馳せているのが、三大派閥の一角を担うコーバン・ヤックスリーだ。

 ダフネの把握している情報が正しければ、このダイアゴン横丁で金貸し業や保険業を営んでいる魔法族はそのほとんどがコーバンの息がかかっている。謂わば、コーバンは金貸しの親分というわけだ。

 

「投資に保険に……コーバン・ヤックスリーはお金を扱うことに関しては一頭地を抜くものがあるわね」

「ヤックスリー様ですか。……アステリアは少し苦手です。あの方は、ちょっぴり怖い気配がします」

「正解よ、アステリア」

 

 コーバンは優れた金融家だが、善良な金融家ではない。

 ガレ・ローンは高利貸しだ。金利は239.45%、異次元の高利と言っていい。しかし、それでも縋る思いでふくろう便を送る者がいるのだ。そして、そういう者はコーバンの食い物にされる。

 ダフネは彼を味方につけようとは思わない。

 

「……あまり金貸しの前で立っているものではないわ。行きましょう、アステリア」

「はい、お姉様」

 

 そしてうろついた果てに辿り着いたのが、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店だった。

 

「どこを見てもギルデロイ・ロックハートね」

「すごいです、いっぱいです」

 

 店内はさほど混雑していなかったが、それでもまだロックハートのサイン本を手に取る者がちらほらいた。それを写真の中のロックハートが輝く笑顔で見送っている。

 ギルデロイ・ロックハート。

 偉大な忘却呪文の使い手で、他人の記憶を盗むことで名声を勝ち得た今世紀最大の詐欺師だ。

 詐欺行為によって書かれた()()により、知識や娯楽に貢献した者に贈られる勲三等マーリン勲章によって讃えられている。勇気や功績に対して贈られる勲一等マーリン勲章ではないあたり、魔法省の上層部に彼の悪行をわかって放置していた者がいるとダフネは読んでいる。

 ダフネからすればさほど重要ではない人物だ。どう転んでもらっても構わない。彼の罪を暴いたところで結社の名声にはならないし、それどころか彼のファンは罪が明らかになってもなおロックハートを擁護するだろう。

 

「お姉様はロックハートはお好きですか?」

「ええ、好きよ。娯楽小説はマグルが生み出した文化の中では一番好きかもしれないわね」

 

 ロックハートの文才は並大抵のものではない。

 たとえエピソードそれ自体が面白かろうと、それだけでベストセラーの枠を勝ち取ることはできない。魔法族はすでに小説という娯楽に慣れ親しんでいる。

 半純血であるロックハートは、おそらくマグル界の小説をしっかりと参考にして作品を書いている。彼には才能がある。そして、その才能を活かすために努力することもできる。

 マグルが魔法界の文化を作っている。

 

「せっかくだし、何か1冊買っていきましょうか」

「よろしいのですか?」

「もちろんよ。私がホグワーツにいる間に読み進めて、ふくろう便で感想を教えてちょうだい」

「やったあ! じゃあ、面白そうな本を探してきます!」

 

 店内を迷惑にならない程度の早足で進んでいくアステリアを見守りながら、ダフネは考えた。

 フローリアンの言う通り、変化は避けられない。

 ダフネ自身、こうして小説という消費的な娯楽を楽しんでいる。経済はもはや変化しつつあり、ダフネひとりがどうこうできる問題ではなくなっている。

 重要なのはマグル的な経済観を排除することではなく、純血が優位に立てる経済構造を作ることだ。

 

「……目標を間違えないこと、ね」

 

 小さく息を吐いて、ダフネはポーチから財布を取り出した。

 アステリアが抱えている魔法生物飼育学の動くフルカラー図録本は想定外の出費だったが、家に残していく可愛い妹のためを思えばこの程度どうということはない。

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