耳当てを手に持ったまま、ダフネたちは薬草学の授業を受けていた。
「今日はマンドレイクの植え換えをやります。マンドレイクの特徴がわかる人は?」
ダフネが手を挙げると、隣でパンジーが自慢げに鼻を鳴らした。
昨年度の期末試験でハーマイオニーと同率1位を取ってからというもの、ダフネはスリザリンきっての才女ということになっていた。
原作知識と過去問があって初めて成立する成績だ。今年度は原作通り進めば期末試験はないし、来年度以降は選択科目が入ってくる以上単純な競争ではなくなる。限定的な環境で得られた形ばかりの結果だが、この名声を無駄にするつもりはない。
「マンドレイク、別名マンドラゴラは強力な回復薬、その材料として用いられます。呪いなどによって姿形を変えられた人を元の姿に戻すほか、変身そのものを安定させる目的でも使われます。大抵の解毒剤に使われますが、泣き声を聞くと命に関わるという危険な特徴もあります」
「素晴らしい、私がすべき説明は大体片付いたようですね! 前半に10点、後半に10点、予習を進めていることへの5点で合わせてスリザリンに25点!」
スプラウト先生がダフネを褒める裏で、クスクスと笑い声を上げる女子生徒たちがいた。
さぞかし面白いのだろう。血の呪いを受けたマレディクタスのダフネがマンドレイクの説明をしている様は、言ってみれば犬がノミ取り薬の紹介をしているようなものだ。
しかし、隣に立つミリセントが睨みつけると、そのクスクス笑いは自然と収まった。
「やな奴ら」
パンジーが吐き捨てるようにこぼした。
スリザリン寮内は必ずしも一枚岩ではない。
親の派閥があり、子ども同士の関係があり、さらには血筋の問題もある。それは大人社会の派閥政治と比べれば他愛ない子どもの遊びかもしれないが、だからこそ不透明で複雑な人間関係によって構築されていた。
成績優秀、教師陣の覚えもよく、昨年度末にはダンブルドアから直々に点をもらったダフネは一部の層の嫉妬を買った。名を揚げたことで、反動的にじわじわと悪意が広がりつつある。
子供らしい嫉妬に下等生物への差別感情が乗ったそれは、ダフネにとっては些細なことだった。そのような幼稚なことに付き合っているほど、ダフネは暇ではない。
しかし、どこかで根本的な改善を図らねばならないとも思っていた。来年にはアステリアが入学してくるのだから。可愛い妹の学生生活に不愉快な要素が混じる可能性は極力排除しておきたい。
「さて、ミス・グリーングラスが教えてくれた通り、マンドレイクの泣き声は大変危険です。これはまだ苗ですから命取りにはなりませんが――」
薬草学の間中、ダフネは肌に視線を感じていた。
新学期に入ってから、明確に風潮が変わった。いじめというほどではない。ただ、そこに悪意の気配が潜んでいるのがわかる。
気になるのは、その悪意の発信源が特定できないことだ。
授業が終わってから、ダフネはよく自分を笑っている面々の顔を思い出してじっくりと考えていた。特定の派閥というわけではない。学年も全員が同じというわけではない。共通点らしい共通点が見つからないのはなぜだろうか。
「……おい、大丈夫か?」
「私は大丈夫ですわよ? どうしましたの、ドラコ」
「なんというか、こう……難しいことを考えているときの顔をしていた」
「どうして魔法族は魔法で食品の鮮度を保てるのに魚や卵を生食しないのか考えていましたの」
「そんな気持ち悪いことができるか!」
「あら、日本では普通のことだそうですわよ。マホウトコロの留学希望者向けパンフレットをご覧になったことはなくて? ゲスト用の夕食に載っていましたわ」
気持ちの悪いものを見る目をしたドラコを軽く笑って、ダフネは次の授業の準備を進めた。
「気持ち悪いことと言えば……ハリーの周りをうろちょろしてる変な1年生がいたぞ」
「カメラを持った?」
「なんだ、知ってたのか。危うくサイン入り写真なんてものを配らされそうになっていたから止めてやった。そんなことをしたらポッター家の名誉に関わる。……もっとも、ロックハートはそうは思っていないみたいだったが」
ロックハート。
その名前を口にした時、ドラコは苦虫を噛み潰したような表情だった。どうやら彼はすでにギルデロイ・ロックハートなる作家が闇の魔術に対する防衛術の教師として不適格であることを知っているようだ。
この1年間、闇の魔術に対する防衛術の時間は無駄になる。昨年度の
「ねえ、ドラコ」
「なんだ?」
「今年の勉強会、少し実技を増やしましょうか。魔法省や出先機関で使われている呪文を中心に。もしも今年の授業が
ホグワーツの教育体制には問題点がある。それは、科目担当教授が1年生から7年生まで、座学から実技までを教えることだ。初歩を教えるのが得意な教師もいれば、応用を一緒に考えるのが得意な教師もいる。座学一辺倒の教師もいるし、実技に傾倒している教師もいる。
最悪なことに、1年生にとっての外れ年は7年生にとっての外れ年でもある。
しかし、それは裏を返せば全員が平等に外れを引くということになる。そういうときにこそ、勉強会は互助会として意味を持つ。知識と経験の独占が生まれるからだ。
「それは……どうして思いつかなかったんだろうな。父上からダンブルドアがロックハートをねじ込んだって話を聞かされた時点で思いつくべきだった」
「次の会合で話しましょう。やることが盛り沢山ですわね」
止まっている暇はない。
ダフネは最初から内職をするつもりでロックハートの授業に臨んだ。
「私だ」
その一言に、ダフネは一周回って満足感すら覚えた。
ギルデロイ・ロックハート。勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、『週刊魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞。
惜しいと思えた。彼が純血であれば、あるいは引き込んだかもしれない。
ロックハートには政治に重要な能力が備わっている。悪事の痕跡を残さず、自分を大きく見せ、それでいて能力を試される機会から逃げ続けるというものだ。この器用さはダフネも見習うべきところだろう。
もっとも、ダンブルドアに睨まれているロックハートを庇うのは得策とは言えない。彼はある意味で殺人よりも罪深いことをした。その罪が償われない限り、たとえ駒としてであっても彼を取り込むのは不利益を生む。
「おや、このクラスにはミス・ハーマイオニー・グレンジャーと並ぶ才女がいると聞いていたのですが……残念ながら、闇の魔術に対する防衛術の小テストでは彼女に一歩及ばないようだ」
何人かのクスクス笑いが教室に響いた。
「おっと、だからといって彼女を馬鹿にしてはいけない。確かにミス・グレンジャーには及ばないが、クラスでは一番のいい成績を取っているからね。それは褒め称えられるべきことだ。私はそう思いますよ。ミス・ダフネ・グリーングラスはどちらに?」
「私です。ご期待に添えず残念ですわ、先生」
思わず笑顔が引きつりそうになった。
あまりロックハートの授業で目立つつもりはなかったから、ある程度手を抜いたのだ。しかし、それでも他の生徒達と比べれば高得点を取ってしまっていたらしい。
早くもロックハートはダフネにお気に入りを見る視線を向けつつあった。
「素晴らしい。満点というわけではなかったから、そうだね……スリザリンに5点あげましょう。それで十分だ、ね? では、授業ですが……」
ロックハートはおもむろに杖をローブのポケットにしっかりとしまって、それから机の後ろに屈み込み、覆いのかかった大きな籠を持ち上げた。
すでにグリフィンドール生への授業で行ったのと同じ失敗を繰り返すつもりらしい。
「さあ――気をつけて! 魔法界で
クスクス笑いが響いた。
それを自分に向けられたと感じたのか、ロックハートは少し厳しそうな表情を浮かべてみせた。
「笑っていられるのも今のうちですよ、小さな淑女たち。この教室で君たちは、これまでにない恐ろしい目に合うことでしょう。君たちがそれを自力で対処してみせること。それが君たちに与える、私からの最初の課題です」
中々の役者ぶりだ。
すでにスリザリンの2年生たちは籠の中身に意識を向けている。本当に危険な生き物が入っているのならなぜロックハートが杖をしまったかなど、誰も考えてはいないだろう。
ロックハートが覆いを取った。
「さあ、どうだ。捕らえたばかりのコーンウォール地方のピクシー小妖精」
生徒たちはどっと笑った。
ジョークだと思うだろう。ピクシーというのは庭小人などと同じで、駆除が家事の一環になるような他愛ない悪戯者だ。少なくとも、魔法族の生まれの子どもならピクシーを怖いとは思わないだろう。
「ああ、君たちも思い込みをしているようだ。それなら――君たちがピクシーをどう扱うかやってみましょう!」
ロックハートが籠を開けた。
そして、その時初めて、生徒たちは自分がピクシー程度もまともに退治したことがないことに気づくのだった。
まるで室内で花火を打ち上げたような大騒ぎだった。フレッドとジョージに依頼すれば同じ程度の騒ぎはいつでも起こせるという程度では平和なものだったが、少なくとも授業中に起きていい騒ぎではなかった。
窓ガラスは割れ、教科書は引き裂かれ、写真は放り出された。
賢明な者は机の下に避難していたが、ローブの裾にひっくり返されたインク壺からインクがかかっていた。中には逃げ遅れて耳をつままれている者もいたし、ミリセントはパンジーを庇って教科書を振り回しながら果敢に戦っていた。
その様子を見て、ロックハートは何かを確かめるように頷いてから、教室内の階段の上にある準備室に駆け上がった。
「たかがピクシーです、捕まえてみたまえ! 全部捕まえて籠に戻したら今日の授業は終わりです、では、さらば!」
大量の羽音と甲高い声の中で、扉の閉じる音が嫌に響いた。
「ダフネ!」
「なんですの、ドラコ。私はロックハート大先生のたまらない愉快さに浸っているところなんですけれど」
「どうにかしろ!」
「私ならどうにかできると思っているあたり、あなたの中の私の評価を疑いたいところですわね。……ふむ」
ちょうど試してみたい呪文があったことを思い出して、ダフネは杖を抜いた。
一部の呪文は対象にではなく空間にかけることができる。たとえばグリンデルバルドは沈黙呪文を空間にかけることで相手に無言呪文を強いて集中を乱すといった巧みな戦術で知られた。
これの応用ができないだろうか。
「
ダフネの杖先から淡く白い光が教室中に広がった。
途端にピクシーの動きは鈍くなり、ゆっくりと落下していく。
成功だ。空間に妨害呪文をかけることで、ピクシー程度の小さな魔法生物であれば問題なく処理できることがわかった。使う機会があるかはわからないが、覚えておくに越したことはないだろう。
ダフネは立ち上がって、声を上げた。
「皆さん、手伝ってくださる?」
パンジーとミリセントを中心に歓声が上がった。
スリザリン生たちは立ち上がり、急いでピクシーを拾い上げて籠に放り込んでいった。ダフネをよく思っていないであろう生徒たちですら、ここに至っては協力していた。
そして、生徒たちは終業のベルが鳴るよりも早く防衛術の教室を後にした。
「さすがじゃないダフネ、それでこそよね! 胸がスーッとしたわ!」
「うん、ダフネはやっぱりすごい」
「試してみたいと思っていた呪文が偶然うまくいっただけですのよ? 皆さんが怪我をする前にうまく片付いてよかったわ」
鞄に跳ねていたインク汚れを魔法で消しながら、ダフネは考えた。
結社の表向きの活動が勉強会である以上、ダフネは成績優良者を維持し続けなければならない。しかも、ただ成績優良者なのではなく、目立つ形で優秀な生徒でなければならないのだ。
あるいは看板の役目を段階的に誰かに譲ってもいい。
純血で、あまり勉強が得意ではなくて、ダフネに好感を抱いている誰か。そんな人物が一気に成績優良者になれば、勉強会の地位は一気に高まる。しかし、そのような人物がいるだろうか。
「……どしたの、ダフネ?」
いたかもしれない。