医務室で、ハリーはダフネに自分が聞いた声の話をしていた。
「その……本当に不気味な声だったんだ。殺してやるとか、なんとか……」
「それは恐ろしいですわね」
「あの……ダフネ?」
ハリーはおずおずと問いかけた。
目の前には、膨らんだシーツの塊だけがあった。その下から煙がもくもくと立ち昇っていて、まるでシーツの下で火事が起きているかのようだった。
「どうして隠れてるの?」
「忌々しい元気爆発薬の副作用のせいですわ」
「耳から煙が出るだけじゃないか」
「それが嫌なんですの! もう、いじわる」
10月に入り、ホグワーツでは風邪が大流行していた。ダフネもその流行りを食らったようで、マダム・ポンフリーはダフネに薬の効果が切れるまでベッドにいるよう指示した。
その病状をドラコから伝えられたハリーは慌ててお見舞いに来たわけだが、ダフネは顔を見せてくれない。それどころか、ハリーが意地悪をしていると言う。何が何やらさっぱりで、ハリーは困惑してきた。
「ともかく、その声の正体を特定したいというお話ですわね?」
「うん、そうなんだ……罰則も片付いたし、僕としては去年みたいな厄介事はなしでクィディッチに力を入れたいんだよ。ドラコも無事選手に選ばれたしね」
そう、ハリーにとって嬉しかったのはドラコがスリザリンのクィディッチチームの選手に選ばれたことだ。
これでライバルができた。今までの試合が単調だったとは言わないが、出た試合でハリーがスニッチを取り損ねたことはなかった。ハリーは競いあう相手を求めていたのだ。
競技場の予約について
「やることが山積みなんだ。ニックの絶命日パーティーにも参加しなきゃいけないし」
「サー・ニコラスの?」
「うん。絶命日パーティーって知ってる? ゴーストが自分の死んだ日を祝うイベントらしいんだけど」
「少なくとも言えるのは、生者向けの食べ物はひとつもなさそうということですわね」
「僕、なんでオッケーを出しちゃったんだろうな……」
ハリーは絶望した。
去年はクィレルの企みのせいでハロウィーン・パーティーを満喫できなかったというのに、どうして今年もまたハロウィーンに予定が入ってしまうのだろう。しかし、ほとんど首無しニックの悲しそうな表情を見て裏切ることはできなかった。
そんなとき、ダフネが光明を差し伸べてくれた。
「あの、もしよろしければハロウィーン・パーティーの食事をいくらか包んでお持ちしましょうか? ゴーストの皆さんも生者が同じものを食べるとは思わないでしょうから、食べ物を持ち込んでも怒られはしないでしょうし」
「いいの? 本当に?」
「ええ。……それに、本当はちょっとだけ興味がありますの、絶命日パーティー」
シーツの下で、ダフネが小さく笑い声を上げた。
見えない笑顔を想像して、ハリーは不思議と少しだけドキドキした。
それから数日が経ち、ハロウィーンの当日になった。
金の皿やキャンドル、生きたコウモリで飾られた大広間から出ていくのは名残惜しかったが、ハリーはダフネの言葉を信じて地下牢へと向かった。
「震えてきた……今からでも大広間に戻らないか? ニックに生きた招待客を呼んだ経験があって、とんでもないご馳走が待ってるっていうなら話は別だけど」
「どうかしら、絶命日パーティーに招待された生者はほとんどいないって本で読んだことがあるわ」
「ダフネが持ってきてくれる料理に期待しよう……あまり失礼な態度は取りたくないけど、ハーマイオニーの話を聞いてる限りじゃ僕達が快適に過ごせる場所じゃないみたいだ」
真っ黒な細蝋燭が青い火を灯して、仄暗い幽かな光を投げかけている。いつにもまして怪しげな地下牢を、ハリーたちはおずおずと進んだ。
階段を一段下りるたび、温度が下がっているような気がした。
ローブをしっかりと体に巻き付けて、それでも寒さが襲ってくる。それは間違いなく、ゴーストたちが集うことで生まれたこの世のものではない冷気によるものだった。
「親愛なる友よ……このたびは、よくぞおいでくださいました」
ニックの悲しげな挨拶にハリーがドラコから教わった招待客としての会釈を返してみせると、ニックは微笑んだ。
「楽しんでいってください」
楽しめるとは思えない光景だった。
地下牢を埋め尽くす何百というゴースト。彼らのワルツは、黒幕で飾られた壇上でオーケストラが奏でる30本の鋸に合わせられて揺れている。音楽というよりは、地獄の底から聞こえる悲鳴のようだった。
シャンデリアは千本の黒い蝋燭で群青色の炎となり、物悲しげに輝いている。
食べ物は腐ったり、焦げたり、蛆が湧いたりしていた。
目の前で恰幅のよいゴーストが料理を通り抜けて満足気にしたことで、ハリーはその意味を理解した。腐らせて風味を強めているのだ。
「楽しんでいますか?」
「ええ」
ニックの問いかけに三人は嘘をついた。
「そろそろ私のスピーチの時間です。向こうに行ってオーケストラに準備させなければ……」
そう言った瞬間、オーケストラが演奏をやめた。
何事かとあたりを見渡すと、ゴーストたちが興奮しながら何かひそひそと言い合っている。
遠くから角笛が聞こえる。狩りを告げる音色だ。
「ああ、始まった」
ニックが苦々しげに言うのもつかの間、壁を抜けて12騎の馬のゴーストが飛び出してきた。それぞれが首なしの騎手を乗せていて、どうやら彼らはゴーストたちの中でも歓迎に値する有名な存在らしかった。
ニックのスピーチは台無しになった。
彼ら「首無し狩りクラブ」は自分たちの生首を使ってホッケーを始めた。その様子をゴーストたちは熱狂しながら観戦していた。ハリーはどうしてニックが「首無し狩りクラブ」に参加できないのかよく理解できた。ニックの首はホッケーには向かない。
「僕、もう我慢できないよ」
ロンの囁きに応じて会場を後にすると、ちょうどピクニック・バスケットを持ったダフネが入ってくるところだった。
「いかがでした?」
ハリーたちが無言で首を振ると、ダフネは苦笑して踵を返した。
それから、ハリーたちはダフネが持ってきてくれた料理を歩きながら食べた。どうやら魔法のかかったバスケットらしく、かぼちゃパイはまだ焼き立てのように熱かった。
体の芯から少しでもゴーストたちの熱を追い出すようにホットのかぼちゃジュースを飲んでいると、次第にハリーたちの気持ちは上向いていった。
「ジニーはお元気? 夏休みにお会いして以来ですけれど、最近お見かけしないですわね」
「なんか風邪を引いてから調子が出ないみたい。最近はいっつもなんだか暗い顔してるよ。パーシーが心配して元気爆発薬のおかわりを飲ませようとしてる」
「私、あの薬は苦手ですわ。耳から煙が出るなんて、そんな恥ずかしいこと耐えられませんもの」
「君って時々不思議なことを言うよね、魔法界にはもっと変なことがいっぱいある気がするよ」
「あら、ハリーって女の子の気持ちをちっともわかってないのね。変だから恥ずかしいんじゃなくて、変なところを見られるのが恥ずかしいのよ」
「直球で言われるのも恥ずかしいですわ、ミス・グレンジャー」
そんな他愛もない話をしていた時だった。
あの声が聞こえた。
「……引き裂いてやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……」
冷たい、残忍な声。
ロックハートの部屋で聞いたものと同じだった。
ハリーは立ち止まり、耳を澄ませた。
「腹が減ったぞ……こんなに長い間……」
「ハリー? 何して」
「またあの声なんだ。ちょっと黙ってて……」
声は遠ざかっていくようだった。それも、上へ。
ハリーは慌てて天井を見上げたが、そこには何もいなかった。
「殺す時が来た……!」
ハリーは声を追いかけて走りはじめた。
それがなにかはわからないが、誰かを殺そうとしている。止めなくては。
四人は大階段を駆け上がり、3階の廊下へとやってきた。姿の見えない何者かの殺戮をなんとしてでも止めなくては。ハリーは緊張と興奮でどうにかなりそうだった。
しかし、そこには誰もいなかった。
「ハリー、一体どういうことだい? 僕には何も聞こえなかったけどな……」
まさか、本当にハリーにだけ聞こえていたのだろうか。
その時、ハーマイオニーが小さく息を呑み、廊下の隅を指さした。
何かが光っている。
窓と窓の間の壁に、文字が塗りつけられていた。松明に照らされてちらちらと鈍い光を放つそれは、赤黒くべったりとした何かで、こう綴られていた。
「秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ……これって一体」
「ハリー、それより、そこ、下にぶら下がってるのは……何?」
ロンの声は震えていた。
嫌な臭いのする水溜まりを渡りながら、ハリーたちはゆっくりとそれに近づいた。
「ミセス・ノリスだ」
「助けてあげるべきじゃないかな……」
「いや、ここを離れよう」
ロンがきっぱりとそう言った。
「僕の言う通りにして。ここにいるところを見られないほうがいい」
しかし、手遅れだった。
遠くからざわめき声が近づいていた。パーティーが終わり、満腹で幸せな生徒たちが何百と上がってきていた。
次の瞬間には生徒たちが廊下に現れていた。
一瞬の沈黙。
少しして広がったざわめきは、時折悲鳴が交じっていた。秘密の部屋、継承者、そんな言葉が電流が走るようにして拡散していった。
「何の騒ぎだ!」
その時、フィルチが肩で人混みを押し分けてやってきた。
吊るされたミセス・ノリスを見たフィルチの表情は劇的だった。絶望と悲嘆、恐怖と憤怒を一緒くたに煮詰めたような顔で、ハリーに詰め寄った。
「わたしの……わたしの猫だ! お前だな! お前が私の猫を殺したんだ! 殺してやる……殺してやる!」
「――アーガス!」
ダンブルドアが現れ、すんでのところで制止をかけた。
あと一歩で、ハリーの首が絞められるところだった。
ダンブルドアが現れなければ、ハリーはどうなっていたことだろう。無数の視線がハリーに突き刺さっていた。まるでハリーがミセス・ノリスを殺したとでも言いたげだった。
それから、一番近かったロックハートの部屋でハリーたちは先生方から質問攻めにあった。
絶命日パーティーに出たことを話すと、マクゴナガルが嘆息した。
「どうりでパーティーの席にいないと思いました」
「では、その絶命日パーティーに出ていたとして……どうして3階にいたのかね? 我輩が思うに、ゴーストのパーティーに生者の食べ物はないと思うが、空腹のままベッドに向かおうとしたわけではあるまい」
「ダフネが食べ物を用意してくれたんです、まさにその理由で」
スネイプの視線がダフネに突き刺さった。
「興味深い親切心だ、グリーングラス。自分は参加せず、それでいてポッターたちに食事だけは準備したというわけか」
「ええ。それから……」
ダフネがハリーに目配せした。
最初、ハリーは声のことを黙っておこうと思った。他の人に聞こえない声に導かれて進んだ先にあったのが、吊るされた猫と怪しげなメッセージだった……そんなことを主張して信じてもらえるとは思えない。
しかし、ダフネが促すので、ハリーは渋々それを話した。
「その、声が聞こえたんです」
「声?」
「殺してやるとか、八つ裂きにしてやるとか……時が来たって言ってました。壁沿いに追いかけて、上に進んでいったので急いで大階段を登って……そしたら、3階に出たんです」
先生方の反応はそれぞれだった。
ハリーの正気を心配する目もあれば、ハリーが目立ちたがっているのだと解釈した目もある。しかし、なぜかスネイプは真剣にハリーの話を聞いていた。
「グリーングラス。ポッターがその声を聞き取った時、何か聞こえなかったか」
「強いて言えばですが、息を吐くような……擦過音のような音が」
「もっと具体的に」
「……そうですわね、蛇が威嚇するような」
ダンブルドアが椅子からゆっくりと立ち上がった。
キラキラとした明るいブルーの瞳がじっとハリーを観察していた。
「ハリー。前に、蛇と話したことはないかね」
「あっ、僕、あります。その、動物園で蛇を脱走させちゃったことがあって。……蛇と話すのって、そんなに珍しいんですか?」
ロンが隣で驚愕したように生唾を飲んだ。それが答えだった。
「諸君、このことはこの場だけの秘密じゃ。左様、誰にでも秘密はある。ギルデロイ、君であってもじゃ。よいね、ハリー?」
「えっと、蛇と話せることを内緒にすればいいんですよね」
ダンブルドアは鷹揚に頷いて、「帰ってよろしい」と告げた。
教室の前でダフネと別れて、ハリーたちはグリフィンドールの談話室への道を急いだ。
「どうして言ってくれなかったんだ? パーセルマウスだってこと」
「パーセル……なんだって?」
「蛇と話ができるんだろ?」
「そうだけど……それがどうかしたの? ここにはそんなことできる人、掃いて捨てるほどいるだろうに」
ロンが立ち止まった。
その表情は蒼白で、何かを必死にこらえているようだった。
「ハリー、そのことは絶対に秘密にしないと駄目だ」
「そうよハリー……パーセルマウスは遺伝するの。そして、最も有名なパーセルマウスはあのサラザール・スリザリンよ。わかる? パーセルマウスの多くは闇の魔法使いや魔女だったの」
「それじゃ……僕がそうだって言いたいの?」
ロンは蒼白な顔のまま、なんとか肩をすくめてみせた。
「そう思い込むやつは山程いるってことさ」