決闘クラブ。
その噂は興奮を伴って一気に広まった。
「今夜が第1回目だ。決闘の練習、悪くないと思わないか?」
「うーん、僕が思うに、スリザリンの怪物は決闘には応じてくれないと思うけどな」
ロンはシェーマスにそう答えたが、掲示板を食い入るように見つめていた。
ハリーもまた、決闘というその一単語に胸が踊っていた。まるで映画やドラマに出てくる騎士や紳士たちのようではないか。ハリーは久しぶりに魔法界が自分の知る常識を覆す音を感じた。
その晩8時に、ハリー、ロン、ハーマイオニーは大広間へ急いだ。
「すごい人混みだ!」
「すごいなあ、学校中の生徒が集まってる……あいたっ」
誰がロンの足を踏んだのかわからないほどの混雑だった。
「フリットウィック先生が教えるのかしら。若い時、決闘チャンピオンだったんですって」
「誰だっていいよ、あいつでなければ――」
その直後、呻き声と溜息があちこちからこぼれた。
ギルデロイ・ロックハートの登場に、うっとりする者もいればがっかりする者もいた。最近のロックハートの授業は朗読劇とペーパーテストばかりで、彼が杖を振るところはほとんど見ていなかった。
それに対するは、スネイプだ。
いつもの黒装束に陰鬱な表情で、スネイプはバーノンが仕事を増やした部下に電話をする時とそっくりな目つきでロックハートを見ていた。
「静粛に! みなさん、集まって。さあ、集まって。私がよく見えますか? 私の声が聞こえますか? 結構、結構!」
ロックハートが観衆に手を振ると、生徒たちの中から黄色い悲鳴が上がった。
「ダンブルドア校長から、私がこの『決闘クラブ』を始めるお許しをいただきました。私自身が数え切れないほど経験してきたように――」
そこから先の自慢話をハリーは聞き流した。
ロックハートはいつも自分の功績を授業で高らかに語るが、その内実を誰も知らない。ロックハートが人狼やトロール、グールお化けを華麗にやっつける姿は、初日に彼が晒した醜態から考えれば正直に言って疑わしい。
去年のクィレルのように今年も教師が事件の犯人なのではないかという疑いを持つ者もいて、ロックハートがその容疑者に上がっている。
しかし、ハリーは半信半疑でいた。彼にダンブルドアが解けないほどの呪いを扱えるとは思えない。
「では、助手のスネイプ先生をご紹介しましょう。スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてわずかながらご存知らしい」
一瞬、ハリーの目にはスネイプが冷笑を浮かべたように見えた。
あれが愛想笑いのつもりなら、大した演技力だ。
「相討ちで両方やられちまえばいいと思わないか?」
ロンの囁きにハリーは笑った。
それから、模範演技が始まった。
「3つ数えて、最初の術をかけます。1、2、3――」
その瞬間、驚くべきことが起きた。
「
「ッ、
スネイプの呪文を、ロックハートが防いだのだ。
目も眩むような紅の閃光が、ロックハートの生み出した透明な盾に当たってまるで溶けた鉄のように弾けた。その様を、ロックハート自身が呆然とした様子で見つめていた。
まるで、
一瞬の茫然自失のあと、ロックハートは自慢げに杖を掲げた。大広間に集まった生徒のいくらかが歓声を上げた。あのスネイプに一泡吹かせたというだけでも、今はロックハートを応援する機運が高まっていた。
「あ……そう、武装解除呪文! 武装解除呪文を選ぶというのは、えー、なかなか良い判断でしたね。生徒たちのレベルに合わせるならちょうどいい。しかし、そう、考えがあまりにも見え透いていた。私が唱えた盾の呪文が余裕を持って間に合うほどに」
スネイプは殺気立っていたが、何も言わなかった。
ハリーは少しだけロックハートのことを見直した。盾の呪文は去年のハロウィーンにダフネが使っていた呪文だ。トロールの棍棒を防いだことをよく覚えている。ハリーも練習しているが、中々うまく使えないでいた。
それから、ロックハートは腕を振り上げて、生徒たちに呼びかけた。
「模範演技はこれで十分! ふたりずつ組を作って練習してみましょう。スネイプ先生、お手伝い願えますか?」
生徒の群れに入った先生ふたりが二人組を作りはじめた。
ハリーの視線から逃げるジャスティン・フィンチ-フレッチリーはネビルと組まされた。ロンはシェーマスと、ハーマイオニーはミリセント・ブルストロードという大柄でがっちりしたスリザリンの女子生徒と組まされた。
そして、ハリーはロックハートに引きずられるようにして壇上に立った。
「大丈夫ですハリー、私のプロデュースがあれば君は明日にでも英雄だ! さあ、スネイプ先生、彼の相手は誰がよさそうかな?」
「ドラコ、いけるな」
「はい、先生」
舞台の上にドラコが上がり、ハリーにニヤリと笑ってみせた。ハリーは笑い返した。
「杖を構えて! 私が3つ数えたら、相手の武器を取り上げる術をかけなさい。スネイプ先生がお手本を見せてくれましたね? 武器を取り上げるだけですよ!」
杖を構える。
距離はそれなりに離れている。呪文を防ぐ手段がハリーにはない以上、躱すのが賢明だろう。しかし、この舞台は細すぎて呪文を避けるのには向かない。
それなら、先手を取るしかない。
「1、2、3――」
杖先の向こうに見えるドラコが腕をかすかに動かした瞬間、ハリーは呪文を唱えた。
「
「
放った赤い閃光は、ほぼ同時に放たれた同色の閃光によって相殺された。
ハリーとドラコの視線が重なった。お互いの考えていることがはっきりとわかった。このままでは決着がつくことはない。
ハリーが小さく頷くと、ドラコは笑って杖を握りなおし、叫んだ。
「
「
銀色の閃光が飛び交った。
何発かの呪文がふたりの間で炸裂した。何色もの花火が二人の中間できらめいた。即興で放たれ続けるそれは、決闘というよりまるでダンスのようだった。
ロックハートの制止すら無視して、ハリーは杖を振るうのに夢中になっていた。今ならどんな呪文でも成功させられる気がした。
「
「――
ドラコが放った青白い閃光を、ハリーの盾が防いだ。
一瞬怯んだような表情をしたドラコは、「これは防げるか」と言わんばかりに眉を上げて、呪文を唱えた。
「
杖の先から長い黒蛇が現れた。
怒り狂った蛇が誰彼構わず襲いかかろうとしている。夢中になったハリーは、思わず叫んだ。
「誰も襲うな!」
沈黙が訪れた。
蛇はとぐろを巻き、ハリーの指示を待っている。
全ての視線がハリーに注目していた。スネイプも、ロックハートも、ドラコも、決闘をしていた全ての生徒たちも。
蛇の視線はジャスティンを向いていた。
彼の表情は蒼白だった。
「……ふ、ふざけるなよ、なんなんだよ!」
ジャスティンの悲鳴じみた叫び。
それを聞いて初めて、ハリーはロンが言っていた蛇語使いへの偏見の意味を理解した。
「――ハリー、来たまえ!」
ロックハートがハリーの腕を力強く掴んだ。それと同時に、スネイプが杖を振って蛇を消し炭にした。
頭が真っ白になったハリーは引っ張られるままに歩き、気づくとロックハートが使っている闇の魔術に対する防衛術の教授の執務室に連れ込まれていた。
興奮した様子のロックハートは、ハリーの肩を掴んだ。
「ハリー、先に言わせてほしい」
「あの、僕、ごめんなさい」
「素晴らしい決闘だった!」
ハリーは驚いて、目を見開いた。
「本当に見事だった。ええ、私の学生時代を思い出しましたよ、正直に言ってね。君にはいつだって驚かされる。どうやら本当に、君は輝かしい道を歩む素質があるようだ。私の後継者というわけだね」
「先生、あの、僕、蛇語を」
「蛇語? ああ、
「……どうにかしてくれるってことですか? 先生が?」
輝かしい笑みを浮かべるロックハートは、やけに自信ありげだった。
「それより、です。君の盾の呪文は見事だった! 一体誰に教えを?」
「教わったというわけじゃなくて……」
「ハリー、ハリー、もちろん君は偉大になりたいと思っている、それはわかっている! でも、君に師がいることは君の名声を潰すわけじゃあないんですよ!」
「本当に違うんです! ダフネが使ってたのを、見様見真似で……」
口にしてから、しまったと思った。
明らかにロックハートはダフネに興味を示していた。ハリーの肩を離すと、落ち着かない様子で部屋の中をうろつきはじめた。
「ダフネ・グリーングラス……興味深い生徒だ。本当に、本当に興味深い……彼女の生まれ持った困難については私も聞き及んでいます。それなのに負けることなく、勉強会も主催している、そうですね?」
「ええと、はい」
「ハリー、君が思うに……彼女の強さの秘訣はなんだと思いますか?」
ロックハートの目は見たことがないほどぎらついていた。
獣のようだった。いつもの歯が浮くような、軽薄で芝居がかったロックハートはどこかに消え失せていた。
ダフネのことをなんでもかんでも話そうという気にはなれなかった。それに、彼の怪しい眼光がダフネに向くことを思うと、妙にぞっとした。
少し考えてから、ハリーは答えた。
「なんていうか……ダフネはすごく情が深い人だから、誰かのために頑張れるんだと思います」
「なるほど……利他の人物というわけだね。結構、結構。純血の家なんて古臭いものには興味を持ってこなかったけれど、
「あの、それじゃ僕、寮に戻ってもいいですか?」
その時、部屋の扉が開かれた。
口を真一文字に結んだマクゴナガルがそこに立っていた。ハリーに心配そうな視線を向けたあと、ロックハートをキッと睨んだ。
「一体どういうつもりですか、ギルデロイ。大広間は騒然としていて、セブルスひとりではどうしようもなくなっていました。彼からの連絡を受けて、大急ぎで駆けつけたのですよ」
「これは失敬! そうでした。校長から言われた秘密の件で、ちょっとした事故が起きまして。ええ、ほんの些細な事故です! しかし、噂は放置するわけにはいかない、そうでしょう? 生徒の快適な生活がかかっているのだから」
ロックハートがマクゴナガルに反論してみせたことに、ハリーは目を見張った。
今までにないほど、ロックハートは自信に満ちていた。
「そうだとしても、私に一言あるべきでした。ミスター・ポッターは私の寮の生徒ですよ、ギルデロイ」
「そして私のお気に入りの生徒でもあります。とはいえ、私の用は済みましたから、あとは寮監に任せるのがよいでしょうね。いいですか、ハリー。噂なんてものを心配めさるな!」
ロックハートは大きく笑ってハリーの背を叩くと、退出してよいという風に頷いた。
何が何やらわからず、ハリーはマクゴナガルを見上げた。
「おいでなさい、ミスター・ポッター。あなたの秘密が広まったことで、校内は混乱しています。あなた自身の安全のために、今日のところはもう寮に帰って静かに休みなさい。談話室まで送ります」
「はい、先生」
マクゴナガルに連れられて、ハリーはロックハートの部屋を後にした。
静かな廊下を歩きながら、ハリーは自分がロックハートのことを少しも知らないまま内心で馬鹿にしていたことに気がついた。彼が何を思って教師になったのかも、どんなことを考えてあの本たちを書いたのかも、少しも知らないままだ。
「ミスター・ポッター」
「なんですか、先生」
「あなたに謝らなくてはならないことがあります。……人には聞こえない声が聞こえると聞かされた時、真っ先に私はあなたの正気を案じました。魔法界では、そういった現象は狂気の先触れとされているからです」
マクゴナガルはとても静かに、ゆっくりと語った。
「教師として、あなたの言葉をもっと真剣に吟味するべきでした。まさか、本当にパーセルマウスだったとは」
「その……先生は何かご存知ですか? 僕の先祖に、サラザール・スリザリンがいるかどうかについて」
「……ジェームズ、あなたの父はポッター家のことを誇りに思っていました。彼はあなたと違ってスリザリンと相性があまりよくありませんでしたから、もし知っていれば自らの汚点と思ったかもしれません」
「パパが隠していたかもしれないってことですか?」
「ジェームズに限って、そのようなことをするとは思えませんが……もし知っている者がいるとすれば、それは
何か言いかけて、マクゴナガルは頭を振った。
結局、本当にハリーがサラザール・スリザリンの子孫なのかはわからずじまいだ。ダフネが一生懸命調べてくれているが、現存する資料では見つからないかもしれないと言っていた。
ハリーが思わず俯くと、マクゴナガルは励ますように言葉を続けた。
「1000年も昔の人物です、途中で枝分かれしていても何らおかしなことではありません。極端な話、マグル生まれでない全ての生徒がスリザリンの血を引いていることだって考えられるのですよ」
「……それじゃあ、僕は親戚には困りませんね」
マクゴナガルは微笑んで、寮に続く扉を守る太った婦人の前で合言葉を唱えた。
「過去に囚われすぎないことです、ミスター・ポッター」
「はい。おやすみなさい、先生」
静かな談話室を抜け、寝室に上がりながら、ハリーは考えた。
蛇語を話せることがバレてしまった以上、明日からハリーはひどい目に遭うかもしれない。しかし、もしハリーがスリザリンの継承者として扱われるのなら、本物の継承者はそれを一体どんな気分で見ることになるのだろうか?