その血は呪われている   作:海野波香

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 ザカリアスと微妙に距離を取って、ブリジットはロックハートの執務室へ向かっていた。

 

「どうしてそう早足なんだ?」

「任された仕事はすぐにこなす。当たり前のことでしょう」

「ふーん。どうでもいいが、お前の先輩は目立つことは望まないと思うぞ」

「む……」

 

 腹の立つ言い方だったが、指摘は確かにその通りだった。

 なんとか気持ちを落ち着かせてゆっくり歩くように心がけると、ザカリアスが後ろで鼻を鳴らした。

 

「お前、あの先輩の名前を出すだけでなんでも言うこと聞きそうだよな」

「失礼な。僕は先輩を尊敬しているだけだ」

「尊敬、ね。なんか理由でもあるわけ?」

 

 雑な問いかけにブリジットは沈黙で応えた。

 しばらく、ふたりの足音が廊下に響いた。人気はまばらで、生徒の大半は夕食のために大広間に向かいつつあるのだろうということがわかった。

 廊下を歩きながら、ブリジットは考えた。ザカリアスは嫌なやつだ。厭味で、他人を敬う心に欠けている。それなのに、ザカリアスは何かとダフネに目をかけられている。

 それが妙に腹立たしくて、ブリジットはザカリアスにだけは負けたくないと思っていた。

 

「……それにしても、ロックハートが実技を始めたのには驚いた。まあ、勉強会で予習してた範囲を超えることはなかったけどな」

「当たり前でしょう。勉強会のカリキュラムはグリーングラス先輩が組み立てているのだから」

「……あの人、そんなことまでしてたのか。そのうち倒れるんじゃないか」

 

 ザカリアスの呟きに、ブリジットは思わず不安になった。

 確かに、ダフネが休みらしい休みを取っているところを見たことがない。勉強会の教室手配から教材の準備まで全てを主導し、それ以外の時間も誰かしらと話したり、手紙を書いたり、図書館で何か難しい本を読んだりしている。

 ダフネはいつ休んでいるのだろうか。

 そう考えると、不安が込み上げてくる。()()()()()()()()()()()()()()のだ。なんとしてでも、ダフネには英国魔法界の旗頭となってもらわなくてはならない。

 

「おい、フランス女」

「……その呼び方はやめてもらいたい。僕にはブリジット・トランブレという名がある」

「あー……トレンブレイ?」

「トランブレ」

「ほら、そういうところがフランス女だって言ってるんだよ。どうしてフランス式の発音なんだ? イギリスに来たんだからイギリス式でいいだろ」

「そんなことより、何か用か落第紳士」

 

 ザカリアスはむっとして、無言で正面を指さした。

 廊下の突き当り、闇の魔術に対する防衛術の教室の扉は開け放たれていた。そして、その奥から何か言い争うような声が聞こえた。

 どうやら先客がいるようだ。

 頷きあってゆっくり様子を伺うと、そこには意外な人物がいた。

 

「先生が噂を広めてるのはわかってるんです! どうしてそこにダフネを巻き込むんですか!」

「随分な言い草だな。証拠でもあるのか?」

「ブレーズ……妙な真似をするようなら、君も痛い目を見ることになるぞ」

「可哀想なクリービーやフレッチリーのようにか? 先生、聞きましたか、マルフォイは今確かに僕のことを脅しましたよ」

 

 言い争っているのはドラコ・マルフォイ、そしてブレーズ・ザビニだった。

 どうやらドラコがロックハートを糾弾し、それに対してブレーズがロックハートを擁護しているようだった。そして、その内容はまさに、今広がっているダフネについての噂にまつわるものだった。

 

「まあまあふたりとも、そのあたりにしておきなさい。ミスター・マルフォイ、友達を心配するのは結構だが、言いがかりは感心しないね。そういった振る舞いは、回り回って君自身の悪評を招くことになる」

 

 ロックハートが宥めるように腕を開いたが、ドラコはロックハートを鋭く睨みつけた。

 

「……父上が黙ってないぞ」

「では、君のお父上が生徒どうしの些細な諍いにいちいち口を挟むような方でないことを願っておこう。もう用は済んだかな?」

 

 ドラコは悪態をついて、ロックハートの教室を飛び出していった。入口からすぐのところに潜んでいたブリジットとザカリアスのことには気づきすらしなかった。

 追いかけるべきか一瞬悩んで、ブリジットは駆けていくドラコの背を視線で追った。

 ブリジットにとってドラコは先輩のひとりに過ぎない。それでも、ダフネが彼のことを大切にしているのはよく知っている。それならば、彼の力になるべきなのかもしれない。

 しかし、今のブリジットにはダフネから任された役目があった。

 

「それでは先生、確かにお伝えしましたからね。じっくりご検討ください」

「ありがとう、ミスター・ザビニ。くれぐれもお母上によろしく伝えてくださいね。このギルデロイ・ロックハートが心から喜んでいたということを!」

「ええ、もちろんです。それでは」

 

 教室に入ると、ちょうどブレーズが出ていくところだった。

 ブレーズは一瞬驚いたような顔でブリジットとザカリアスを見た後、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

 不可解な態度に首を傾げたが、今声をかければ話を盗み聞きしていたことがバレてしまう。ブリジットは黙ってブレーズを見送った。

 ロックハートは上機嫌な様子でふたりを迎えた。

 

「おや、おや。今夜は来客が多いようですね。それも随分と珍しいカップルだ」

「やめてください先生」

「そうですよ先生、俺にだって相手を選ぶ権利はある」

 

 ブリジットがザカリアスの脛を蹴り飛ばすと、ザカリアスが上げた呻き声にロックハートが笑った。

 

「女の子の扱いがまだまだのようですね、君。それで? どんなご用件かな? サインがほしいというわけではなさそうだ」

「先生に伺いたいことがあります。よろしいでしょうか」

「ええ、なんでも。私は先生ですから」

「では、失礼して……ハリー・ポッターがスリザリンの継承者だという噂を耳にしたのですが、これは確かなことなのでしょうか?」

 

 しばし黙って、ロックハートはブリジットとザカリアスを交互に見比べた。

 その表情は一見すると真剣そうだったが、ブリジットにはすぐにそれが演技であるとわかった。ブリジットにとって真剣そうに取り合う大人というものは見慣れた存在でしかなかった。

 

「ふむ……他の誰でもない、この私に聞きに来たのは賢明でしたね、ミス……」

「トランブレです。ブリジット・トランブレ」

「そうでした、ミス・トランブレ、どうもありがとう。そうですね、そのような噂は確かにある。それを疑って私を訪ねてきたわけですね? 非常に正しい判断だ。どうやら我がレイブンクローは才女をひとりグリフィンドールに奪われたようですね」

 

 ロックハートのウィンクを無視して、ブリジットは話を続けた。

 

「僕はポッター先輩が犯人だとは思っていません」

「ふむ」

「先生はもう犯人に心当たりがあるのでは?」

「なるほど、なるほど。ずばりお答えしましょう。私はすでに犯人の証拠を掴んでいる」

 

 やはりか。

 ダフネの悪評をばらまいていたのはロックハートだったのだ。

 ブリジットが怒りに拳を握りしめると、慌てたようにザカリアスが前に出てブリジットとロックハートの間に入った。

 

「そ、それで先生、その犯人というのは」

「気になりますか? しかし、残念ながら、()()()()()()()()()()()。犯人の証拠を掴み、悪行を全て光のもとに曝け出すその瞬間まで、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……そうなんですか? 俺が聞いた噂では、もっと別のパターンも――」

 

 質問を続けようとしたザカリアスの言葉をかき消すように、ロックハートが手を打ち鳴らした。

 

「さ、質問はこのあたりでいいでしょう。ふたりとも、夕食がまだのようですね? 若いうちはたっぷり食べてたっぷり動くのが何よりも大事だ! そこにちょっとの読書が加わればなおよし!」

 

 ロックハートは笑いながらふたりを教室から追い出し、とどめにもう一度ウィンクをしてから扉を閉じた。

 その時、ブリジットは一瞬奇妙なものを目にした。

 ロックハートのマントの下、ライラック色のローブのポケットに何か、()()()()()()()()()()()が入っていた。華やかで煌びやかなロックハートには似合わない、古臭い表紙のノートだった。

 

「まあ……なにはともあれお使いは終わりだ。さっさと戻るぞ」

「今の、見たか?」

「何が?」

「ロックハート先生のポケットに、なんというか……彼らしくない、古びた手帳が入っていた」

「昔から使ってるネタ帳とかじゃないか? 作家ってそういうのにこだわるんだろ、知らないけど」

「そうかもしれないが……」

 

 妙に気になって、ブリジットはしばらく扉を見つめていた。

 あの古びたノートには、何か心がざわざわするような、人を惹きつける力を感じた。一体何だったのだろうか。

 そこにロックハートの秘密が隠されているのではないか。

 

「そんなに気になるのか? その手帳が」

「まあ、そうだ」

「はあ……じゃあ、聞いてみるか? もしこだわって使ってるネタ帳とかならまあ、作家としても聞かれて悪い気はしないんじゃないか」

「……いや、先輩から任された仕事をこなすのが先だ。帰ろう」

 

 後ろ髪を引かれるような思いで、しかしもう振り返ることはせずにブリジットは闇の魔術に対する防衛術の廊下を後にした。

 

「なあ」

「……なんだ」

「結局、お前はなんでそんなにあの先輩が好きなんだ?」

「すっ……好きとかそういう、浮ついたものではないぞ!」

「……マジかよ。どこが好きなわけ? 顔? 声? まさか体つきとか言わないよな?」

「そういうのではないと言っているでしょう! ……お立場に共感したんだ。グリーングラス先輩は辛い境遇を力強く生き抜いている」

 

 ダフネは立派だ。

 身一つで家を切り盛りし、妹を育て、ホグワーツでは勉強会を主催し、学外でも盛んに有力者たちと交流を持っている。呪われた一族の少女とは思えない活躍だ。

 ブリジットはできるだけダフネから学ばなければならない。

 そうせよと、父に命じられたのだ。

 暗い部屋、割れたワインボトルを避けながら跪いたあの部屋で、ブリジットは父に命じられた。トランブレの名を再び轟かせるために、なすべきことをなせ――と。

 

「……そういうお前こそどうなんだ。グリーングラス先輩をマクミラン先輩から庇った時の言葉はらしくもなく中々立派だったじゃないか」

「別に、先輩にスミス家のことを語られたくなかっただけだ。誇りがどうこう言うつもりはないけどな、わかってない人に口出しされるのが一番腹立つんだよ」

「失礼な。グリーングラス先輩はよく考えた上で助言をくださっているのだぞ」

「ふん、どうだか。あの人の名言名句で自分を箔付けする癖、俺は好きじゃないね。本当に賢い人間は自分の言葉で語るもんさ」

「この無礼者!」

 

 ブリジットが拳を振り上げると、ザカリアスはおちょくるように舌を出してから駆け出した。

 廊下を走りながら、ブリジットは自然と気持ちがすっきりするのを感じた。

 ホグワーツに入学することが決まった時はどうなることかと思った。父はブリジットがボーバトンへの入学許可証を受け取れなかったことに激怒していたし、母はそんな父を宥めることに必死でベビーベッドで泣く弟のことなど眼中になかった。

 しかし、ブリジットはホグワーツで真に尊敬できる人物に出会えた。

 この自由で不思議な学校は、ブリジットに新しい可能性を与えてくれた。家に殉ずることしか考えていなかったブリジットは、今、学業を楽しむことができている。ダフネがブリジットに環境を与えてくれたのだ。必ず報いねばならない。

 廊下を駆け回っていたふたりは、角であやうくマクゴナガルを突き飛ばすところだった。

 

「ミスター・スミス、ミス・トランブレ! 一体何のつもりでそのような勢いで走り回っているのですか! ハッフルパフとグリフィンドールから3点ずつ減点!」

「違うんですよ先生、この暴力女が――」

「何を言うか! 先生、この紳士の出来損ないが――」

「もう2点ずつ減点です! まったく、仲が良いのは結構ですが、だからといってお互いを悪く言っていい理由にはなりませんよ。もう夕食です、落ち着いて食事を取ってしっかり眠ること。いいですね?」

 

 頷き難い文言が含まれていたが、マクゴナガルには敵わない。

 渋々ブリジットが頷くと、マクゴナガルは安心したように微笑んだ。

 

「ミス・トランブレ、他寮に友達を持つことはとても難しく、それだけに恵まれたことです。そのつながりを大事になさい」

「……はい、先生」

 

 もちろん、ブリジットにとって大事にすべきつながりとはザカリアスなどではなく、ダフネのことを指す。それでも、同じ勉強会の一員としてザカリアスのことを認めてやってもいいのかもしれないと、そう思える夕方だった。




お知らせ:
更新ペースが少しずつ落ちます。少なくとも頻繁な投稿が続くのは来月で終わりになりそうです。
理由は下記の活動報告から。

https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=325491&uid=244813
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