その血は呪われている   作:海野波香

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 クリスマス休暇が始まっても、ハリーの気分は落ち着かないままだった。

 驚くべきことに、ハリーを取り巻く状況は決して悪くなかった。

 ドラコが筆頭となって「他の旧家がそうであるように、ポッター家がサラザール・スリザリンの血を引いている可能性があることは決しておかしなことではない」と主張してくれたからだ。少なくとも、今のところスリザリン生から嫌な目で見られることはほとんどなかった。

 しかし、ハリーが追い詰められていない最大の理由は他にあった。

 

「どうしてダフネが疑われなきゃいけないんだ? 彼女は何も悪いことなんかしてないだろ!」

 

 ハリーの苛立ちにドラコが曖昧に首を振った。

 今や、ハリーは堂々とドラコたちと会うことができた。ロンも「継承者について何か聞き出せたら教えてくれよな」と冗談交じりに送り出してくれる。それ自体は喜ばしいことだった。

 それなのに、一番会いたい人がここにいない。

 

「あいつは……少し疑わしい振る舞いをしすぎたんだよ」

「疑わしい振る舞いって何? ダフネは僕達と一緒に賢者の石を守ったんだよ? 成績だっていいし、後輩の面倒見だっていい!」

「そうだ、そうだが……少し落ち着け」

 

 ドラコに制止されて、ハリーはようやく大きく息を吸った。

 招かれて入ったスリザリンの談話室は暗く、湿っていて、空気がひんやりとしていた。大窓をゆっくりと横切る巨大イカの無機質な瞳がハリーに向けられていた。

 クラッブとゴイルに出された大量の補習課題の面倒を見ながら、ドラコはうんざりしたように呻いた。

 

「クリスマス休暇にあいつが残らなかったのは正解だった。もう状況はあいつが操れるような程度にない。……父上に相談できればよかったのに」

「ルシウスさんは忙しいの?」

「たぶんね。今年はどうしても手が離せない仕事で家を空けるから帰って来るなと言われたんだ。父上が僕をホグワーツに残すなんて、よほど大きな仕事に違いない」

「ホグワーツの理事なんだっけ」

「そうだ。他にも色々やっている」

 

 クラッブの書いたミミズののたくったような文字に顔をしかめて、ドラコはパタリと本を閉じた。

 どこかで見覚えのある本だった。確か、同じグリフィンドールのラベンダーや後輩のブリジットが談話室で読んでいた本だ。

 

「それ……何の本?」

「ん? ああ……勉強会で使っている副読本だ」

「副読本? それって教科書とは違うんだよね?」

「教科書は仰々しい言い方でわかりにくいし、先生方の説明だっていつもピンとくるとは限らない。だから、誰でも授業についていけるようにするための本が必要だったんだ。……まあ、これを使ってもクラッブとゴイルに変身術を理解させるのは難しいけれど」

「いいなあ……勉強会って、誰でも入れるの?」

 

 ハリーの問いかけに、ドラコは困ったように眉をひそめた。

 

「すまないが、純血子弟の互助が目的でやってるんだ。君はその、母方が、あー……マグル生まれだろう?」

「うん。そっかあ、残念」

「……ここだけの話だが、勉強会への参加自体は純血に限定されていても、会のメンバーが教材を友人に共有する分には問題ないとされているんだ。ほら」

 

 差し出された本を受け取りながら、ハリーは考えた。

 ドラコは今、ハリーのことを友人と呼んでくれた。しかし、ハリーからすれば、ドラコに何かしてあげたこともないし、一緒に何かをした経験だってそこまでありはしない。

 どうしてドラコはずっとハリーに親切なのだろうか。

 

「ありがとう。……ねえ、聞いてもいい?」

「なんだ」

「どうして……ドラコはずっと僕に優しいの?」

 

 ドラコは眉を上げて、あたりを見回してから羽根ペンを置いた。

 

「面白い話じゃない」

「それでも、聞きたいよ」

「長くなるかもしれない」

「時間ならいっぱいある、そうでしょ?」

「……いいだろう。場所を変えよう」

 

 インク壺に栓をして、荷物を鞄にまとめ、ドラコはくいと顎で談話室の奥に行くよう促した。

 そこにはいくつかの扉が並んでいて、中に人がいるかどうかが吊るされた看板の色でわかるようになっていた。そのなかのひとつを引きながら、ドラコが薄く笑った。

 

「密談用の部屋だ。スリザリンの伝統だよ。こういうのは、グリフィンドールにはないだろ?」

「うん、初めて見るよ」

 

 部屋の中には深いグリーンのソファと、黒檀のローテーブル、そしてチェス盤やゴブストーンのセットが揃っていた。ドラコはソファに腰掛け、ハリーに向かいに座るよう促した。

 ハリーがソファの座り心地を確かめながら座ると、ドラコは指を組んで前のめりになった。

 

「先に言っておく。僕がそうだからといって、他の家がそうというわけではない。そこだけは気をつけたほうがいい」

「わかった。それで?」

「……始まりは、君が闇の帝王を打ち倒したことにある」

 

 ドラコはゆっくりと語りはじめた。

 

「暗黒の時代だった。そう聞いている。父上は闇の帝王の支配下にあった。優秀な方だから、側近を任されていて、たくさんの恨みを買った。それでも、闇の帝王が滅んだ瞬間、父上の支配は解けて、本来あるべき場所に帰ってこれた」

「支配下……魔法で使われてたってこと?」

「まあ……そうだと思う。脅されてたのかもしれない、僕がまだ赤ん坊だったから。どちらにせよ、父上は闇から解放された。……夏休みに会った時、覚えてるか? ボージン・アンド・バークスの」

 

 ハリーはすぐに思い出した。

 いかにも闇の物品らしい魔法の品々で囲まれた怪しげな店。値踏みするようにハリーを見る脂ぎった店主。ルシウスと店主の落ち着いた、しかし丁々発止のやり取り。

 頷くと、ドラコは神経質そうに親指の爪を握った。

 

「勘違いしてほしくない。だが……マルフォイ家には闇の物品がいくらかある。それはまあ、そうだ。長い歴史の中で、マルフォイ家はどちらかと言えば闇に親しい生き方をしてきた」

「闇に親しい、生き方」

「だからって、闇の帝王みたいに残虐なことをしたわけじゃない。他の家より呪いに詳しくて、使い所を弁えていたり、危険な品の扱いに長けていたりするだけだ。闇だからって悪なわけじゃない、わかるだろ?」

「うん、わかるよ」

 

 いまいちピンとこなかったが、ハリーが相槌を打つとドラコは安心したように息を吐いた。

 

「なんというか……闇の帝王が滅んで、父上は平和な世界に帰ってこれた。母上はそれをとても喜んでいた。本来励むべきことに集中できる人生のほうがよっぽどいいって。……君のおかげで、僕の両親は人生を取り戻したんだ」

「そんな、僕のおかげなんて」

「いいや、君のおかげなんだ。……その、もしかしたら、父上はそうは思っていないかもしれない。でも、あの時代について語る時の父上は別人のように冷たくて、暗くて……だから、そういう時代が終わって、それが君のもたらしたものなら、僕は感謝しなくちゃならない」

 

 ドラコは少し躊躇いながらも手を伸ばして、副読本を持ったままだったハリーの手をそっと握った。

 

「君には、感謝しているんだ」

「……うん。じゃあ、その感謝を受け取るよ」

「ああ。……せっかく部屋を取ったんだ、話しづらいことはここで片付けておこう。あいつのことが気になってるんだろう?」

 

 誰のことかすぐにわかって、それからハリーは思わず立ち上がりそうになった。

 耳が熱い。

 

「ダフネはその、いい友達だよ」

「そうか? まあ……悪いやつではないからな。どうした? 顔が赤いぞ」

「な、なんでもない。それで、話しづらいことって?」

「あいつの噂のことだ」

 

 急にハリーの気持ちからすっと熱が引いた。

 ダフネが学校中から警戒されているおかげで、ハリーは今のところむしろ同情されてすらいる。もちろん、ハリーのことを継承者なのではないかと疑う者もいないことはないが。

 ドラコは言いづらそうに口をむにむにさせてから、ようやく話の続きを語りだした。

 

「実は、スリザリン内でもあいつが継承者なんじゃないかって噂が立ってる」

「どうして!」

「あいつが純血にこだわるからだ。言っただろう? 勉強会は純血子弟の互助なんだ。誰がそれを始めたと思う?」

「ダフネがやってるの? でも……それ自体は、立派なことじゃないか」

「ああ。そして、サラザール・スリザリンが目指したことでもある。学ぶ者をば選ぼうぞ、だ」

 

 ドラコが歌うように言いながら指さした先には、サラザール・スリザリンの胸像が立っていた。

 首の周りに巻き付いた蛇は大理石の像であるにもかかわらず鱗の質感から瞳の輝きまで本物そのもので、蛇語で命じれば動き出しそうなほどだった。

 サラザール・スリザリン。

 魔法族の生まれである生徒のみがホグワーツに通うべきだと主張した、ホグワーツの創設者のひとりだ。彼は今や、純血至上主義の代名詞となっている……と、ハーマイオニーが言っていた。

 

「ねえドラコ、純血至上主義って何?」

「……それを僕に聞くのか」

「えっと、まずかったかな」

「いや、いい。……簡単に言えば、先祖代々魔法族の者が偉いという考え方だ。まあ、人によって程度がある。マグル生まれやマグルのことを奴隷みたいに思っている人もいるし、単に純血を優遇しようとするだけの人もいる」

「そんな人もいるんだね」

 

 ハリーは考えた。

 もしドラコがマグル生まれを奴隷と思うような人だったら、果たして仲良くなれただろうか。きっと無理だっただろう。ハリーはマグル生まれにも立派で優秀な人がいることを知っている。ハーマイオニーはまさにその好例だ。

 顔に出ていたのだろう、ドラコが慌てたように手を振った。

 

「全員が全員そうというわけじゃない。ダフネだってそうだ。あいつは……」

「ダフネは、どうなの?」

「あー……難しいな。あいつの考えを説明するのはすごく難しい。なんというか……思想家なんだ、あいつは。僕もあいつの考えの全貌は掴みきれていない。ただ、ひとつ言えるとしたら……あいつは純血が半純血やマグル生まれを保護すべきだと考えてる」

「保護?」

 

 ドラコは不満げに鼻を鳴らした。

 

「僕達純血は、つまり、先祖代々魔法界にいるってことだ。だから、色々な伝手がある。でも、マグル生まれはそうじゃない。純血にはあって、マグル生まれにはない力だ。それを駆使して、そう、協力すべきだとあいつは考えてる……んだと、思う」

「それって……純血至上主義なの?」

「いや……あー、どうなんだろうな。正直、僕はわからない。あいつの考えていることは……簡単に説明するには大きすぎるんだよ」

 

 ようやく、ハリーはドラコが先程口にした「ダフネは思想家だ」という言葉が腑に落ちた。

 考えがあまりに遠大すぎる。とても同世代の考えていることとは思えない。ダフネは社会全体のことを考えていたのだ。一体どこからそんな考えが湧いてくるのだろうか。

 ハリーが感心していると、ドラコは半目になってハリーにじっとりとした視線を向けた。

 

「あまりあいつを美化しすぎないほうがいい。どうせ『妹が生きやすい社会を作りたいんですの!』くらいの考えに決まってる」

「アステリアはいい子だよね。ダフネってそんなにアステリアのことが好きなんだ」

「アステリアが微熱を出したからという理由で遊びの約束をすっぽかされたことが5回ある。5回だぞ? そのうち1回は遠乗りの約束だってしてたんだ」

 

 ダフネの人間らしい側面を知ることができて、ハリーは思わず笑った。

 彼女がここにいたら、きっと恥ずかしがって顔を真っ赤にするだろう。それとも、当たり前のような顔をしてドラコをやり込めてしまうだろうか。どちらにせよ、彼女の反応が見たかった。

 

「話がだいぶズレたな。ともかく、あいつは純血を大切に思っているし、純血を導く能力がある。……悔しいが、認めざるをえないね。あいつにはリーダーの素質があるんだよ」

「リーダーの、素質」

「そして、それをスリザリンの継承者と重ね合わせて見ているやつが出はじめた。言ってみれば、そうだな、あいつの信奉者みたいなものだ」

「でも……それは違うよ。ダフネはマグル生まれを呪ったり、怪物に襲わせたりなんかしない!」

「わかってる。ただ、思い込みの激しい馬鹿もたくさんいるってことは君ももう気づいているだろう?」

 

 ハリーはゆっくりと頷いた。

 ハッフルパフのアーニー・マクミランと、先日ハリーは大喧嘩をした。アーニーはハリーを疑ったことを謝罪してきたかと思えば、「一緒にダフネを糾弾しよう」と言い出したのだ。

 危うく杖を抜くところにまで発展しかけた喧嘩のせいで、ハリーはクリスマス休暇前の最終日を罰則とともに迎えることになった。

 

「そういうわけだから、君もよくよく気をつけるんだな。……まだ時間はあるだろ? 副読本を一緒に読まないか。ロックハートの授業じゃあてにならないと思って、あいつの伝手でいくつか面白い呪文をまとめてあるんだ」

「いいの? ありがとう」

 

 ドラコと一緒に副読本を読みながら、ハリーは考えた。

 勉強会を主催して、社会のことを考えて、一歩ずつ前に進んでいるダフネは立派だ。そんな彼女を取り巻く噂には我慢がならないし、できる限りの助けになりたいとすら考えている。

 しかし、ダフネは果たして純血でないハリーの助けを本当に求めているのだろうか?

 少しだけ、胸に不安がよぎった。




前回のあとがきにリンクを掲載した活動報告について、たくさんの温かい声援をいただきました。
ありがとうございます。
これからも自分のペースで連載を続けていこうと思います。
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