「人手が足りませんわ!」
心からの叫びだった。
ガウェインは困ったように頬を掻いて、アステリアと顔を見合わせた。ダフネが家を離れている間に、またガウェインとアステリアの距離が縮んだようだった。
人手不足。これはダフネにとって喫緊の、極めて切実な問題だった。
とにかく、今足りないのは人手だった。
「人手が足りないったって……」
「この際、ホグワーツ内は別に構いはしませんわ。ええ、構いませんとも。愚かな大衆が噂に惑わされるのは社会の常です、真実で目を覚まさせればいい。私がずらりと並んだ間抜け面に真実の鉄槌を叩き込んで差し上げましょう」
「お姉様がキレちゃってます……」
「しかし、ホグワーツ外に関しては、いい加減どうにかしないとパンクしますわ。ええ、パンクです。マグルの自動車が路肩で情けない姿を晒すように、私もまた道半ばで悲鳴を上げるというわけですわ」
ダフネは自覚した。
少しずつ人脈を築いてきた。今、魔法界にはグリーングラス閥と言ってよいものが萌芽しつつある。
ガウェインを筆頭とし、当主アークタルスの意を汲むブラック閥の残党。蒼の貴血を中心とした純血学生集団。ここにアーマンドやグリンゴットなどの協力者が加わる形になる。
悪くない陣営だ。それは間違いない。
しかし、現在のグリーングラス閥には明確な弱点があった。
「政治のできる現役世代が……せめて、ひとりでもいれば……!」
セストラルが牽く馬車の中で、ダフネは大きく息を吐いた。学校では決して見せられない、気の抜けた姿だった。当たり前だろう、集った同胞たちに「お前たちでは頼りにならない」などという態度は決して見せられはしないのだから。
グリーングラス閥は子供と老人の集まりだ。
それ自体は悪いことではない。今のところ他の勢力に警戒されていないのは、そういった無力な存在の集まりでしかないからだ。警戒を買わないうちに計画を進められるなら、それに越したことはない。
しかし、今のダフネは決定打に欠ける。
たとえば、デメテル・ザビニに対する抑止力。彼女がいつでもダフネやアステリアを攻撃できる以上、それを躊躇わせるだけのカードを持たなくてはならない。しかし、今のダフネにはそれがない。
「なんというか……力になれなくて悪いな」
「いえ、まあ、あなたも磨けば光るとは思いますが……本分に集中してくだされば結構。それに、近いうちに優秀な駒をいくつか引き抜くあてはあります。今さえ私がなんとか乗り切れば……」
「駄目ですよ、お姉様。また痩せられたんですから」
アステリアがダフネに厳しい視線を向けた。
認めたくはなかったが、ダフネのまだ幼い肉体には限界というものがあった。
勉強会を主宰し、その傍ら蒼の貴血の理念に共感してくれそうな生徒を探し、その裏で日記帳を追いながら、学外ではデメテル・ザビニに対処しなくてはならない。当然、ダフネは成績優良者でなければならないから勉学を怠るわけにもいかない。
必然的に、ダフネは疲弊した。アステリアが一目で見抜くほどに、抑えられない体重減少が続いていた。
「クリスマス休暇の間はぷくぷくになるくらいいっぱい食べてもらいますからね! 絶対ですよ!」
「ああ、アステリア……私、あなたのお願いでもさすがにぷくぷくになるのはちょっと恥ずかしくて耐えられないかもしれないわ……」
「いいじゃないか、ぷくぷく。ちょっと肉付きがいいほうが可愛げがある」
あまりにも失礼な発言にダフネはガウェインの脛を蹴り飛ばした。
「いたた……まあ、ともかく休みの間はしっかり身も心も休めてだな」
「そうしたいのは山々ですけれど、ニューイヤーパーティーが控えていますわ。夏のあの事件があってから初めての対面です、少しでもデメテル・ザビニの情報を集めておかなくては」
本音を言えば、ホグワーツを離れたくはなかった。
継承者はダフネであるという噂が広まりつつある今、状況の掌握を諦めてホグワーツから離れるのは悪手だったかもしれない。
しかし、未就学のアステリアに当主の仕事を任せるわけにはいかない。それに、ニューイヤーパーティーのホストを務めるデメテルはアステリアに危害を加えさせようとした疑いが濃いのだ。それを無視してのうのうと過ごせるほど、ダフネの神経は太くはない。
「そんな君にプレゼントがある」
「プレゼント?」
ガウェインが思わせぶりにウィンクした。腹立たしいことに男前な彼のウィンクはロックハートほどではないがそれなりに様になっていた。
「情報と、人。どっちからほしい?」
「……まずは情報を」
「それじゃ、こいつだ」
ガウェインがスーツの懐から紙束を取り出した。
ヨーロッパでは見かけないタイプのパピルスを綴ったそれは、どうやらワガドゥ魔法学校の名簿らしかった。魔法で保護されているようだが、それでも古びている。
当然だ。この名簿は50年も前のものなのだから。
「ディペット爺さんからクリスマスプレゼントだ。デメテル・ザビニの尻尾を掴んだ」
「なるほど。ホグワーツの名簿にないと思ってはいたのですが……」
納得はできる。
新興層を支持基盤とするデメテルがなぜ学閥を頼らなかったのか。それはひとえに、彼女がホグワーツの卒業生でないからだ。
パピルスをめくると、最後の一枚のあとに白黒の写真が挟まっていた。
「美貌は50年前から健在というわけですか」
「ああ。あの女、どうやら見た目通りの年齢ってわけじゃなさそうだぞ」
「……俄然興味が湧いてきましたわね。美と健康の秘訣がある、ということかしら」
「ああ、それもおそらく、とびきりの厄ネタがな。……6人目の夫の死体がテムズ川から上がった。外傷はないが、検視官の話じゃひどく衰弱していたらしい。ご丁寧に遺書の複写が胸ポケットに入ってたよ」
幾人もの夫の不審な死。
衰弱した水死体。
いつまでも保たれる美貌。
「お姉様、デメテル様ってやっぱり恐ろしい方ですね」
「ふふ、そうね。でもね、アステリア。怪物はいつだって人に討たれる運命にあるのよ」
「お姉様、それはどういう……」
ダフネは以前からある仮説を立てていた。
デメテルは他者に結婚を強いることができるほどの権力を持っているわけではない。全ての夫と恋愛結婚をしている。それはつまり、夫たちから愛されているということだ。
愛。
最も強力な魔法のひとつであるそれを、本当に誰も悪用しようとしなかったのだろうか?
「ダンブルドアは愛という魔法を尊いものだと思っている。でも、力はただ力だわ。闇も愛も、力であることに変わりはない」
「何か心当たりがあるんだな、デメテル・ザビニの秘密に」
「確証はないけれど……ええ、探るあてくらいは見つかりそうですわ。素敵なプレゼントをありがとう、ガウェイン」
「おっと、プレゼントはこれだけじゃない――」
ガウェインが笑顔で発したその一言に、ダフネは思わず座席から立ち上がりそうになった。
「パイアス・シックネス副長が君に興味を持っている。ぜひ夕食を一緒にしたいそうだ」
「喜んで、とお伝えくださる?」
「そう言うと思ったよ」
パイアス・シックネス。
現魔法法執行部副長だ。ガウェインの評価では、決して前線で輝くタイプではないものの後方支援に長けた優秀な人物であるらしい。
原作では服従の呪文にかけられた状態で登場したパイアスは、魔法省の各部局とのパイプを持つことからコーバン・ヤックスリーに狙われ、そのまま闇の陣営の傀儡として魔法大臣にまで就任させられた人物だった。
ダフネは以前から彼に強い興味を抱いていた。
闇の陣営が傀儡として選ぶということは、少なくとも彼は純血ということになる。政治的能力があり、優れたステータスの純血現役世代。アステリアにとっては最も望ましい協力者だ。
「ガウェインさん、シックネス副長はどういうお方なんですか?」
「んー、そうだな……俺と同じで、アークタルス閣下に恩があるというのは確かだ。そのつながりで俺も可愛がってもらってるからな。あとは……甘いものが好きな人だ。オフィスのデスクに自分用のキャンディーボトルを置いてる」
「まあ! 素敵です!」
「なら、手土産は……そうね、アップルストロープでもご用意しようかしら。贈答用の在庫はいつもシードルばかり出ていくから、あまり量は作っていないのだけれど」
「きっと喜ぶ」
政治の基本は他者の価値観を知ることから始まる。勧誘戦略とはすなわち対人コミュニケーションのパーソナライズの極地である。何を好み、何を嫌うのか。価値観のすり合わせが目標の共有を生み、そして互いに利益のある協力関係を生むのだ。
暗闘と議論、どちらを好むのか。
敵を徹底的に討つことと和解して手を取り合うこと、どちらを優先するのか。
真に敵とみなしているのは何で、真に信じているのは何なのか。
ダフネは確実にパイアスを引き込むつもりでいた。最低でも相互に情報を提供しあう程度の協力関係を構築したい。今後のためにも、ダフネには魔法省の上層部との伝手が必要だった。
「でも、まずは休むことだな。マッサージを手配しておいた。帰ったらシャワーを浴びて、それから全身をほぐしてもらうといい。それから、今夜の夕食は君ら姉妹ふたりだけで過ごせ。せっかくのクリスマス休暇だ、そういう日も必要だろ?」
「あら、気が利いていますわね。お礼に肩叩きでもしてあげましょうか」
「はは、20年後になったら頼むかもな」
馬車がロンドンの上空を抜けた。
ガウェインがもたらした希望のおかげで、ダフネの気持ちは少しだけ軽くなった。隣に座ったアステリアの手のひらを握って弄びながら、ダフネは事態が好転する可能性を感じた。
くすぐったそうに身をよじるアステリアを捕まえてなおも手のひらを可愛がっていると、ガウェインが心配そうに眉を曲げた。
「ホグワーツの方は大丈夫なのか? ダンブルドアが口止めしてるみたいだが、噂はさすがに俺の耳にも入ってるぞ。スリザリンの継承者がどうとか」
「ええ。生徒の皆様に言わせれば、私はサラザール・スリザリンの継承者で、ハリー・ポッターを隠れ蓑に暗躍する悪の魔女なのだそうです」
「ほお、そいつはなかなか説得力があるな」
「怒りますわよ」
「そうですよガウェインさん! お姉様が悪いことを考えることなんて絶対にないんですから!」
ホグワーツの事件は大丈夫なのか。
まったく大丈夫ではないのだが、ダフネの手に負える状況ではないというのが正直なところだ。
問題はダンブルドアの協力を仰ぐのが難しいことだろうか。トム・リドルの日記帳にまつわる一連の事件でダフネが積極的にダンブルドアと連携しようとすると、日記帳が分霊箱であることを確信していると気づかれかねない。
万が一にもダンブルドアがダフネに開心術を使う口実を作ってはならない。ダンブルドアは教育者たらんとして必死に良心の枷を嵌めているが、いざとなればその枷を己の肉ごと引きちぎって捨てるだけの覚悟を持っている。
「まあ……やりようはありますわ」
ロックハートが日記帳の所有者だとわかった以上、監視はさほど難しくはない。
そもそも本人が積極的に目立とうとする人物であるのだから、彼を見張ることや目撃情報を集めること自体はさほどおかしなことではないのだ。教師で作家という立場は彼の行動の不審さを包み隠すだろうが、ダフネにはそのヴェールは通用しない。
遅かれ早かれ、秘密の部屋は開かれる。
日記帳は封じられた過去だ。変化も成長もしない。よって、日記帳が目的を変更することもない。マグル生まれを殺害し、ダンブルドアを放逐し、ホグワーツを支配すること。日記帳の勝利条件は「日記帳が制御できる校長を理事のルシウスが送り込むこと」だ。
それに対し、ダフネの勝利条件はハリーがバジリスクに勝利することと、日記帳を破壊すること。破壊方法はバジリスクの牙だろうがグリフィンドールの剣だろうが構わない。
困難を極める課題ではあるが、原作で誰の助力も得ずに成し遂げたハリーに賭けるのはそれほど分が悪いわけではない。ダフネ自ら手助けすれば、予期せぬ失敗という結末には至らないはずだ。
「最終的に勝てばそれでよいのです。綺麗な勝ち筋にこだわることが許されるほど私は優秀ではありませんもの」
そう嘯いてアステリアの手を撫でると、アステリアは困ったように首を傾げた。
「お姉様は優秀な方だから勝ち筋にこだわらないということを選べるのではないでしょうか。だって、ドラコ兄様はチェスを指すときにいつも華麗なエンディングで勝とうとしてお姉様に負けていますから」
「あら、ドラコに教えちゃおうかしら」
「そんなあ!」
クリスマスがゆっくりと近づいてくる。
できることを一歩ずつやる。それがダフネにできることだ。