その血は呪われている   作:海野波香

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 なぜ、今ルシウス・マルフォイを離反させる必要があるのか。

 時は1990年まで遡る。ヴォルデモートの消滅に対して戦後処理を済ませ、自らの足で大臣室を去ったミリセント・バグノールドの後任として、コーネリウス・ファッジが選ばれた。

 ファッジは魔法事故惨事部の副長だった人物である。マグル界での魔法事故に対処する魔法事故惨事部の性質は、マグル界と連携して安定を取り戻していかなければならない戦後の魔法省にとって必要不可欠だった。

 副長というまとめ役を担っていたファッジは、少なくとも平和な時代の魔法大臣としては適しているように思われた。

 平和な時代の魔法大臣としては。

 

「魔法界の明日のために、乾杯!」

 

 ファッジがシャンパングラスを掲げると、三派閥の頂点たち――ルシウス、コーバン、デメテルがそれに応じた。ニューイヤーパーティーの幕開けである。

 どうやらホグワーツ内の不穏な動きに大臣自らが噂のもみ消しにやってきたらしい。彼のテーブルはルシウスやホグワーツの理事たち、それから予言者新聞社の重役で埋まっている。

 大臣がパーティーで呑気に醜聞潰しをしていられるのは平和の証拠だ。しかし、平和は長くは続かない。

 あと2年でヴォルデモートが復活する。

 そして、平和な時代が終わりを見せたその時、魔法界は2つではなく3つに分断される。善と悪ではなく、悪とそれに立ち向かうもの、そして悪が存在しているという事実を認めないものである。

 悪に立ち向かうダンブルドアとその支持者――彼らは派閥を形成しないが、あえてダンブルドア閥と呼ぼうか――は他の2勢力から苛烈な攻撃を受ける。だからこそ、その思想は先鋭化していく。ダンブルドア閥に染まりきった人間は悪だけでなく公権力も認めない。

 

「かつて国家に対して怒りの念をいだかなかったような党派はなかった」

「誰の言葉ですか、お姉様?」

「ヴァレリーよ、アステリア」

 

 三派閥ですら、魔法省を完全に掌握しているわけではない。

 シャンパンを飲むふりをして唇を湿らせながら微笑むルシウスは、ファッジをある程度コントロールできる。ファッジが頑なにヴォルデモートの復活を認めなかったその一根拠には、ルシウスの甘言が含まれていたに違いないとダフネは考えている。

 ルシウスは本質的には闇の陣営だが、同時に公権力の陣営にも属している。

 この属性はこれからの時代ではあまりにも敵を作りすぎる。時代が進めば進むほど、ルシウスの影響力は弱まっていく。しかも、その弱体化は彼が社会の敵と徒党を組んでいる以上避けようがない。

 ダフネはマルフォイ家の最盛期を求めている。

 ファッジとダンブルドア、どちらも泥舟だ。原作通り事が進むなら、ルシウスの見切りの付け方は遅い。それでは遅きに失する。

 

「実った果実は腐らないうちに収穫しないとね」

「お姉様?」

「なんでもないわ。あなたがホグワーツに入学したら庭の林檎をどうしようかと思って。9月の収穫は人を雇うしかなさそうね」

「そうですね……でも、クリスマス休暇の楽しみが増えますよ!」

「ふふ、それもそうね。……閣下、飛ばしすぎでは?」

 

 テーブルの向かいでアークタルスがしもべにシャンパンのおかわりを注がせていることに気づいて、ダフネは眉をひそめた。

 ダフネとアステリアの保護者としてアークタルスがパーティーに参加するようになってから、ダフネは彼が中々の健啖家であることを知った。一時期の胃弱が夢だったのではないかと疑うほど、よく食べよく飲む。

 アークタルスは薄く笑って、オリーブのピクルスをつまんだ。

 

「余の仕事はその方が悪巧みをしている間のアステリアのお守りだ、これくらいのことは許されるであろう」

「その調子でお飲みになってあまり酔われると困りますわよ、アステリアの教育にもよろしくない」

「教育? 誰よりも教育に悪いのはその方であろうに」

「……それだけ口が回るほどお元気なら大変結構ですわ、まったく」

 

 言い負かされたような気になってフィンガーサンドイッチを頬張ると、アークタルスの隣でアーマンドがからからと笑った。

 

「気にすることはないぞ、ダフネ。アークタルスはな、この口先で監督生や先生方からの減点を回避し続けてきたのじゃ。とはいえ、へキャット先生の目だけは誤魔化せんかったが。彼女は代々ブラック家の生徒には目を光らせておった」

「ディペット、その話はあまり愉快ではない」

「おや、いくら君でも学生時代の罰則のことはいい思い出とは言えないと見えるのう」

「その調子ですわよディペット先生、厳しくお願いしますわ。……少し挨拶に回ってきます。アステリア、グリーングラス家へのお客様はあなたに任せていいかしら?」

「全力でお相手します!」

「ふふ、頼もしいわね。では、また後ほど」

 

 ノンアルコールワインのグラスを手に、ダフネはアステリアを連れて他のテーブルへと向かった。

 挨拶すべき人物はいくらでもいる。

 たとえば、グリセルダ・マーチバンクス。魔法試験局の試験官で、ウィゼンガモットの評議員としては古株の老魔女だ。紆余曲折の末、現行の勉強会のテキストは彼女の監督を受けている。日頃から手紙でやり取りはしているが、顔を合わせておくに越したことはない。

 もしくは、ダーク・クレスウェル。小鬼連絡室の次期室長で、グリンゴッツの内部事情に詳しい。スラグホーンのお気に入りだ。マグル生まれでさえなければ、ダフネも積極的に勧誘しただろう。

 日頃からやり取りのある人々に顔を合わせ、感謝を示しておくこと。これは地道で退屈な作業だが、決して無駄にはならない。

 そうやって、テーブルを回っていた時のことだった。

 

「――ダフネ!」

「あら……ごきげんよう、ドラコ」

 

 ドラコが怖い顔をして、ダフネの手首を掴んだ。

 そしてドラコは引っ張るようにしてダフネをバルコニーへと引っ張り出し、似合わない夜会服姿のクラッブとゴイルに門番を命じてから扉を閉ざした。

 

「どうしましたの、そんな顰め面で」

「どうしましたのはこちらの台詞だ! お前、父上に何をした」

「あら、ルシウスおじさまは何と?」

 

 ドラコはいつも青白い顔をますます青白くさせて、ダフネをじっと睨んだ。

 

「……お前についての報告を一切するなと言われた」

「私があなたを介して情報操作をすることを警戒されたのね、やはりおじさまは正しい手を打ってくる方だわ」

「どういうことだ、説明しろ」

「説明しろと言われましても……私、ルシウスおじさまと賭けをしていますのよ」

「賭け?」

 

 握られたままだった手首にそっと指を添えると、ドラコは慌てたように手を離した。

 本質的に、ドラコは悪党にはなりきれない。

 女の子には優しくという母の教えを破れないし、口先ではどう言おうとも人の死には怯えるし、たとえヴォルデモートに命じられていてもダンブルドアを殺すことに本気になることすらできはしない。

 ドラコは父親のような悪辣な政治家にはなれない。

 

「内容は秘密。でも、来年には結果が出ますわ」

「来年……」

「ああ、でも賭けの結果次第では私が痛い目を見るかもしれませんわね。その時はアステリアをよろしくお願いいたしますわね、ドラコ」

「冗談じゃない!」

 

 声を張り上げてから、ドラコは慌ててあたりを見渡した。

 せっかくのニューイヤーパーティーをバルコニーに隠れて聞き耳を立てて過ごすような呆れた暇人はいないようだ。

 夜風が冷たい。ドレスにかかっている防寒の魔法がなければ凍えていただろう。

 

「安心なさって。どう転んでもあなたに損はありませんわ」

「……教えられるところだけでいい、話せ。僕に何かできることはないのか?」

「それは私のために? それともお父上のために?」

 

 ドラコは口を閉じて、眉を曲げた。

 家族愛は素晴らしいことだ。愛するべき家族をアステリアより他に得られなかったダフネにとって、マルフォイ家の人々はたとえ歪であっても美しいと感じられる。

 父への愛と友情、その狭間で揺れ動くことはきっと苦しいだろう。

 

「もし賭けに勝ちたいなら、私に乗るほうが賢明ですわ。でも、お父上と一緒に負けておくのもある意味賢いかもしれませんわね」

「……どっちについてもいい、そう言いたいんだな」

「ええ。私、賢いお友達を持って幸せですわ」

「……思ってもないことを言うなよ」

 

 ドラコはそう呟いて、ダフネから視線を外した。

 つられてダフネも空へと目をやった。夜闇の中に満月が眩しいほど輝いている。今夜は各地で人狼たちが苦しみの遠吠えを上げていることだろう。

 

「私はあなたのこと、本当にお友達だと思っていますわよ」

「お前の言うお友達と、僕が思う友達は同じじゃない」

「じゃあ、あなたの思うお友達って?」

「……秘密を分かちあう仲のことだ」

 

 ドラコは気に食わないのだろう。

 たくさんの秘密を隠したままにしている。前世の記憶のこと。ハリーの運命のこと。マルフォイ家の緩やかな衰退と、その果てにあるアステリアとの結婚のこと。

 どれも話せることではない。話せば正気を疑われるだろう。あるいは予見者だと思われるかもしれない。グリンデルバルドも自らの戦略に未来視を組み込んでいた。どちらにせよ、立ち振る舞いは難しくなる。

 ダフネはゆっくりと口を開いた。

 

「どんな秘密が知りたいんですの?」

「……父上を蒼の貴血(ブルーブラッド)から遠ざけているのは、どうしてなんだ」

「その時ではない、それだけですわ」

「ほら、そうやってはぐらかす」

「……ふふ、あなたって意外と可愛い拗ね方をしますのね」

 

 ダフネはドラコと向きあって、その青白い頬に手を添えた。

 もうドラコのほうが背が高くなってしまった。13歳にもなると男の子は一気に背が伸びていく。来年には話すたびに彼を見上げることになるだろう。

 

「ルシウスおじさまは、まだ闇に通じています。この賭けに勝ったら、おじさまには私の陣営に寝返っていただく約束をしているのです。全てはそれからですわ」

「……父上は、そんな方じゃない」

「言葉に力がありませんわよ、ドラコ。あなただって察してはいたでしょう、ルシウスおじさまが自らヴォルデモートの軍門に降ったことを」

 

 その名にドラコは肩を跳ねさせた。

 

「お前、今、あの方の名を」

「ええ、口にしました。教えておきましょう、ドラコ。ヴォルデモート、その本当の名はトム・リドル。父親はマグルで、育ちは孤児院。他に縋れるものがなかったがために闇に逃げ込んだ、憐れむべき半純血です」

「お、おま、お前……正気か!」

「秘密を明かしてほしかったのでしょう?」

 

 青褪めた頬をそっと撫でると、指先に震えが伝わってきた。

 ヴォルデモート。

 その名は戦後育ちのドラコにとってすら恐怖の象徴だった。いや、むしろ最も近くでヴォルデモートの恐ろしさを見てきたルシウスの子だからこそ、その恐怖を過敏なほど強く感じ取るのかもしれない。

 酷なことをしてしまっただろうか。しかし、ドラコには強くあってもらわねばならない。マルフォイ家の次期当主として、ドラコには象徴になってもらわなければならないのだから。

 次世代の純血は、もはやヴォルデモートに怯えない。

 

「何を考えてるんだ……!」

「とりあえずはアステリアの幸せと、魔法界の安寧についてかしら」

「ふざけるな! ……ふん、いいさ。せいぜい父上に負けて痛い目を見るといい。泣きべそをかいて縋ってきたって遅いからな」

「結果が楽しみですわね」

 

 ダフネは微笑んで、それから扉を開けて会場に戻った。

 いくつかの好奇の視線がダフネに突き刺さったが、それらも遅れて出てきたドラコを見て霧散した。痴話喧嘩とでも思ったのだろう。ニューイヤーパーティーに来るような大人はティーンエイジャーの恋愛事情になど興味はない。

 それからダフネは挨拶回りを済ませ、テーブルに戻った。

 

「戻りましたわ。……あら、アステリア、そちらは?」

 

 アステリアが顔を赤くして一生懸命に応対していた相手が、くるりと振り向いて微笑んだ。

 整った口髭、澄んだブルーの瞳。見覚えのある金髪。

 優雅な会釈とともに、その男はダフネに自らの名を明かした。

 

「ダミアン・トランブレと申します。どうぞお気軽にダミアンとお呼びください。貴女と会えるのを楽しみにしていましたよ、マドモワゼル」

 

 トランブレ。

 ほのかにフランス訛りのある英語でそう名乗った彼は、跪いてダフネの手を取り、その甲に触れるか触れないかの柔らかなキスを落とした。

 ダフネはそのキスを受け入れながら、おおよその状況を察した。彼はブリジット・トランブレの父親――おそらく、あの可愛らしい後輩にダフネに接近するよう命じた人物だ。

 

「今日はご挨拶に伺ったまでです。娘から送られてくる手紙は貴女を賛美するものばかりだ。僕としても、娘がよき先達に恵まれたことはとても心強く思います」

「お褒めに預かり光栄ですわ、ムッシュー・トランブレ」

「おや、なかなか手ごわい子ですね」

「ふふ、今のホグワーツ生は気障な殿方に対する防衛術も学んでいますのよ」

「これは参りました。降参の印にこれを」

 

 指を鳴らしたダミアンは、どこからか現れた薔薇の花を手にしていた。

 造花ではない。今摘んだばかりのような新鮮な薔薇だ。マグル式の手品にしては手が込みすぎている。

 ダフネが迷っていると、横から伸びてきた腕が薔薇を奪い取ってしまった。

 アークタルスが薔薇を手に、険しい表情でダミアンを睨んでいた。

 

「この娘には余が育てた薔薇で十分だ」

「おや……保護者が割り込んでくるのはあまり褒められたことではありませんね」

「その方の国では幼子を誑かすのが褒められた振る舞いなのか」

「おっと、痛いところを突かれました。それでは、またの機会に」

 

 優雅な会釈をして去っていった彼の背を、アークタルスがじっと睨んでいた。

 呆然とするアステリアの手を握る。まだ彼女の頬は紅潮したままだ。

 

「どうしたの、アステリア?」

「あの、その、お姉様」

 

 その一言は、ダフネにとって爆弾のようなものだった。

 

「ホグワーツを卒業したら妻になってほしいと……」

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