その血は呪われている   作:海野波香

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 休日のブリジット・トランブレはどうやらトラッドでマニッシュな装いを好むようだった。

 品のいい黒のジャケットを羽織ったブリジットは、休日にダフネから呼び出しを食らったにも関わらずなぜか興奮している様子で、落ち着かないようにフォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテーブルの上で指を踊らせていた。

 

「改めて、新年おめでとう、ミス・トランブレ」

「おめでとうございます、先輩。それで、ご用事というのは……」

「あなた、お父上はお好き?」

「……父ですか。尊敬すべき方であると考えています」

「そう。では、ご存知かしら。あなたのお父上が私の妹に求婚を仄めかされたのだけれど」

 

 グラスに注がれた水を飲もうとしていたブリジットが咳き込んだ。

 

「げっほ……求婚……?」

 

 アフォガードを崩しながら、ダフネは問いかけに頷いた。

 先日のニューイヤーパーティーで、アステリアは彼女の父ダミアン・トランブレから求婚を仄めかされた。

 純血社会の倫理ではこれはさほどおかしなことではない。

 ダミアンは「ホグワーツを卒業したら」という条件をつけた。つまり、()()()()()()()()という求めがあったわけだ。その条件がなければダフネは堂々とロリコン野郎を社会的に殺しにかかることができたのだが、そういうわけではない。

 要は予約だ。

 マグル界の常識では無礼極まることだが、こと魔法界、特に純血社会に限っては即座に断れるほど無礼な振る舞いというわけではない。

 正式な申し込みであれば当主であるダフネを通すのが筋だが、パーティーの席で仄めかす程度であれば当事者間のやり取りというものは往々にして発生する。むしろ、ダフネを介さなかったのは親切心とすら取れる。

 かつてブラック家が姻戚関係による影響力から王家と渾名されたように、純血旧家は婚姻によって互いの影響力を高めようとする。ダミアンはそういったありきたりな提案をしたに過ぎない。

 弁えているからこそ、腹立たしい。

 はいそうですかと妹を渡すほどダフネは愚かではない。地上に舞い降りた天使であるところのアステリアが幸せに嫁いでいく相手としてダミアンは年を取りすぎている。

 姉としての正直な感想を言えば、おととい来やがれだ。

 

「あの、聞き間違いではない……?」

「もう一回言って差し上げましょうか」

「はい、いいえ、申し訳ありません。その……承諾なさったのですか?」

「そう思うかしら?」

 

 ブリジットは顔を蒼白にして首を振った。

 今、ダフネは機嫌が悪い。それも、心底悪い。

 純血の女に生まれた以上、結婚相手を自由に選ぶ権利などないに等しい。女とは子を産み血を残す道具である。若ければ若いほどよいという考えも自然と付随してくる。

 だから、ダフネはせめてアステリアがいくつかの候補者の中から結婚相手を選べるような環境を作ってやりたいと思っていた。純血にそれだけの価値がある時代になれば、アステリアは胸を張って嫁に行くことができる。

 しかし、まさか今の段階で唾を付けてくるような者がいるとは。

 

「ご、ごめんなさい……! 僕の父がとんでもない失礼を」

「あなたの過ちではないわ、ミス・トランブレ。でも、もし申し訳ないと思うのなら、教えてくれないかしら。あなたのお父上がなぜそう考えられたのかについて」

「はい、その……」

 

 ブリジットはあたりを伺ってから、躊躇いがちに切り出した。

 

「先輩はご存知かもしれませんが……当家は大陸においてはレストレンジ家と並び立つ旧家でした。父はその時代の栄光を取り戻したいと常々口にしております」

「そのために、若い妻を娶りたいと?」

「その、恐らくはそうかと」

 

 若い妻を娶れば、それだけ出産の可能性は高まる。ホグワーツを卒業したばかりの若い花嫁なら複数の子を授かることすら視野に入ってくる。そして、その子らの姻戚関係によってトランブレ家は影響力を拡大するというわけだ。

 ロジックとしては正しい。

 しかし、まだ謎が残っている。ダミアンは()()()()()()()()()()()の当主なのだ。ゴールドスタイン家やレストレンジ家のように、魔法界には国境を跨いで存在する名家が存在する。点在するそれらの家は対等ではなく、本家と連枝の関係がある。

 イギリスのトランブレ家は連枝の中でも席次では末席にあたる。会社で言えば窓際と言ったところか。

 

「あなたのお父上は確か、ご自宅ではフランス語で話されるのでしたね。……帰りたいのですね、フランスに」

 

 ブリジットは躊躇いがちに頷いた。

 

「……大陸の本家は、跡継ぎの不足に頭を悩ませています。健康な男児が生まれれば、父はその子どもとともに本家に合流することができる」

「イギリスにあなたたちを残して?」

「その……はい」

 

 小さく頷いて、ブリジットは水を呷った。その表情は今まで勉強会で見せたことのない影を帯びていた。

 ブリジットは先程「尊敬すべき」と口にした。「尊敬できる」ではなくだ。それはつまり、内心で彼女が父に同調しきれていないことを意味する。

 少しずつ、ブリジットのことがわかってきた。

 

「最近まで父は、その、あまり調子が優れなかったのです。しかし、親切な方から社交サロンのようなものに招待していただいて、それから元気が出てきて」

「社交サロン。そう、それは素敵ね。どなたから招待をいただいたの?」

「デメテル・ザビニという魔女から、もっと光を(ルーモス・マギス)という会のお誘いを。その、父と同じように立身出世で悩まれる方が情報共有をするような会らしく……ご存知ですか?」

 

 ご存知だとも。

 ダフネの中でパズルが組み上がりつつあった。

 つまり、デメテルはダフネから手札を奪ったつもりなのだ。アステリアを嫁に出すことでダフネの勢力圏を拡大するという選択肢を潰せば、ダフネが行き詰まると考えたのだろう。

 巧い手だ。

 おそらく、吹き込まれたのはダミアンだけではない。これから複数の魔法使いがアステリアの許婚候補を差し出してくるだろう。血の呪いの恐ろしさを知らない歴史の浅い魔法使いたちにとって、アステリアは純血社会への特急切符に見えるに違いない。

 候補者が名乗り出ている中でアステリアが能動的に結婚相手を選ぼうとすれば、そこには社会的な説得力が必要になる。候補者たちの求婚を断ってでもその人物と結ばれたいという理由が。純血社会とはそういう世界なのだ。

 そして、それだけの価値がある者ほど、血の呪いの重みを理解しているというわけだ。

 人狼をけしかけるなどという暴挙を打ってきた時と()()()()()()()()()()()()()()。純血らしい、遠回りで厭らしい策。

 

「そう……ふふ、なるほど。デメテル・ザビニね……」

 

 本気でダミアンに怒っているわけではない。

 可愛い妹を中年の後妻に差し出すことはありえないが、それはそれとして求婚に腹を立てているわけではない。ダフネはアステリアの所有者ではない。彼女の人生は彼女のものだ。

 問題は、デメテルが求婚を唆したであろうことだ。これからさらに求婚者が現れるかもしれない。しかし、彼らは血の呪いを受けた者の苦しみを本当に理解しているだろうか。アステリアのことをただの御しやすい小娘としか思っていないのではないだろうか。

 不愉快だ。

 覚悟なき者を追い立てるそのやり方は、きっと賢いのだろう。しかし、どうにも腹が立つ。グリーングラス家と、血の呪いがあってなおグリーングラス家を愛してくれる人々の誇りに泥を塗られたような気分になる。

 しかし、その不愉快さを乗りこなして利益を見出すことこそが、ダフネの役割だ。

 

「先輩、その……父にはよく言って聞かせますので、今回のことはどうか水に流していただけませんか」

「ミス・トランブレ。いいえ、ブリジット」

「は、はい、先輩」

「あなた、面白い子ね」

 

 ダフネが身を乗り出して落ち着きのないブリジットの手を捕まえると、ブリジットは小さく息を呑んだ。

 

「本当にお父上を尊敬なさっているのなら、出会って1年も経たない先輩より、お父上の野心を応援するのが筋ではなくて?」

「そんな、それは、その」

「隠し事が下手。それでいて一生懸命。応援したくなりますわね、あなたのこと」

 

 指を絡め取って手の甲を指先で撫でると、ブリジットは声にならない声を上げた。

 ずっとブリジットには注目していた。期待していたからだ。

 家のことを誇りに思っている様子は見せるが、家族のことは話題に出さない。フランス女と揶揄されると機嫌を悪くするが、わずかに残ったフランス訛りを恥じらう様子はない。ダフネを尊敬し、執着している様子を見せるが、その理由は何も示さない。

 ブリジットは不思議な子だ。

 

「組分けの時、少し時間がかかりましたわね。どちらと迷われたのですか?」

「す、スリザリンとです」

「なるほど。スリザリンと迷って、グリフィンドールに進んだ。じつに()()()と思いますわ」

「ら、らしいって……」

「私、これでもあなたのことを見守ってきましたのよ?」

 

 決めた。

 望み通り、深い関係を築いてやろうではないか。トランブレ家とグリーングラス家の間に消えない絆を結ぼう。ただし、その旗頭はダミアン・トランブレなどという愚か者ではない。

 ダフネは指をブリジットの指と深く絡め、そのままぐっと握りしめた。

 

「ねえ、ブリジット。あなた、野心はあるかしら?」

「せ、先輩……? 何を仰って」

「お父上はフランスにお帰りになりたいのでしょう? なら、イギリスのトランブレ家は誰のもの? 少なくとも、フランスに帰りたいとお考えの方のものではないはずだわ」

 

 ブリジットが目を見開いた。

 

「……ご存知だったのですか」

 

 跡目争いの野心。

 もちろん、知っていたわけではない。しかし、ブリジットが時折見せるダフネへの強い尊敬心には以前から引っかかっていた。

 トランブレ家が呪われているという噂は聞かない。どこかで会ったことがあるというわけでもない。一体何がブリジットにダフネへの敬意と執着を抱かせているのか。

 ようやく答え合わせの日が来たというわけだ。

 

「あら、当たり? 幸先がいいわ、あと18個はあなたを口説き落とす文句を考えていたのよ」

「そ……そんなに口説かれたら、僕は耐えられません」

 

 ブリジットが椅子の上で崩れ落ちた。

 

「よくってよ。あなたが望むのなら、あなたをトランブレ家の当主にしてさしあげます。こういう悪巧みは得意なんですのよ、私」

「……本気で仰っているのですね、グリーングラス先輩」

「もちろん。私、お友達にはできるだけ嘘をつかないようにしていますの」

 

 ブリジットがトランブレ家の当主になるのは、ダフネにとっても都合がいい。

 結局のところ、政治とは協力者を作るゲームだ。一時的にでも目標を同じくする仲間で過半数を取ることができればどのような状況でも政治的な勝利は確約される。

 連枝の末席とはいえ、トランブレ家は純血旧家だ。ブリジットが当主につけば、彼女はただの学生ではなく、家の代表者としてダフネに協力することができる。

 

「……グリーングラス先輩は、あらゆる魔女の模範です。僕もあなたのように強く生きたいのです」

「あなたにならできますわ、きっと。……ところで、そろそろ注文をなさらない? ここのアイスクリームはどれも絶品ですわよ」

「あっ、え……そ、そうでしたね! はは……」

 

 ダフネが手を離してメニューを差し出すと、ブリジットは名残惜しそうに自分の手を見つめてから少し悲しそうに笑った。

 溶けかけたアフォガードをつつきながら、ダフネは思案に耽った。

 ダミアンからの求婚はまだ礼儀を弁えていた。しかし、他の求婚者が現れれば花嫁の争奪戦が始まってしまう。そうなれば、もはや礼儀がどうこうと言っている場合ではなくなるだろう。

 はっきり言って、ダフネは社交界でなめられている。

 女の、しかも学生の当主だ。十分に家のことを差配できると思うほうがどうかしているだろう。彼らの侮りは間違いではない。

 なんとかして、アステリアを守る手段が必要だ。

 

「……ままならないものですわね」

 

 ()()()()()

 しかし、それを実行する覚悟がダフネにはなかった。その手段だけは取りたくないと、ダフネは思いついた瞬間から苦しみ続けていた。

 溶けたバニラアイスがエスプレッソの表面で白い渦を描いている。スプーンの先で軽く混ぜれば、ふたつの間に境界線はなくなり、淡いブラウンが現れる。アイスクリームの輪郭が消えても、ダフネの悩みは消えそうになかった。

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