その血は呪われている   作:海野波香

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 ブラック家の調度品には、マグル界であれば国宝級と思われるような品が紛れている。

 今、ダフネとアークタルスが盤面を挟んでいるこのチェス盤もおそらくはそのひとつだ。上等な樫製で、代々のしもべ妖精が丁寧に手入れしてきたために美しい飴色に仕上がっている。

 チェス盤も、ソファも、柱時計も。グリモールド・プレイス12番地はクリスマス休暇の最終日を過ごすのには贅沢過ぎる場所だった。

 

「ビショップをCの4へ」

「あら、イタリアン・ゲームとは古風ですこと。ビショップをCの5へ」

「ほう……よく合わせ方を知っておる」

 

 最近の魔法使いのチェスのように派手な動きはないし、駒が喋ることもない。静かに駒が進み、自らのあるべき場所に収まる。その動きにはいっそ気品すら感じる。

 ダフネの見立てでは、このチェス盤は16世紀の作だ。ひょっとするとエリザベス女王の宮廷で楽しまれたものと同じ職人による作品かもしれない。樫の時代と呼ばれた16世紀の作品には、まだ国際魔法使い機密保持法が施行される前のマグル界と交わっていた色が残っている。

 

「チェスも久方ぶりよな」

「オリオン様とは指されなかったのですか?」

「あれにとってチェスとは社交の道具だった。家でまで指したいとは思うまい」

「寮にはオリオン様がご友人と指された棋譜が残っていますわよ。閣下が対局相手として厳しすぎたのではなくて?」

「ふむ……もう少し手加減をしてやるべきであったか」

 

 オリオン・ブラック。

 シリウスとレギュラスの父である彼は、トム・リドルとの間に友情を見出していたという。少なくともオリオンにとって、()()はヴォルデモートではなくリドルだったのだろう。

 オリオンはリドルと何度対局したのだろうか。

 スリザリン寮のスコアブックにはオリオン・ブラック対トム・リドルの棋譜が残っている。互いに決して上手ではない指し手だったようだが、それでもオリオンがチェスを楽しんだ時間はあった。

 リドルにとって、それは楽しい時間だったのだろうか。

 想いとは、愛とは双方向性のものだ。たとえ片方が想い続けていても、それに応じる気持ちがなければ結果は伴わない。

 

「何か話したいことがあるのであろう」

「そう思われますかしら?」

「そうでなければ、爺とチェスを指している暇などあるまい」

 

 ダフネにはやるべきことが山ほどある。

 デメテル・ザビニの動向を探らなくてはならない。ダフネの人脈では彼女が主宰する『もっと光を(ルーモス・マギス)』にスパイを送り込むのは難しい。それならば、せめて彼女個人や息子のブレーズの動きを把握しておきたい。

 それとは別に、ルシウスの動きも気になる。ニューイヤー・パーティーで耳に入った情報が確かならば、ルシウスは散々扇動しておきながらダンブルドアの更迭に難色を示しているらしい。ダフネがもたらす「絶望」を警戒して守りに入ったということか。

 何にせよ、考えることもやることも沢山あった。

 しかし、何よりも考えなくてはならないのは、アステリアのことだった。

 

「アステリアのことです」

「その方の泣き所よな」

「……私にもっと力があれば、あの子を守ってあげられたはずなのです」

「ないものねだりは弱者の戯言よ。その方に戯言を編んでいるような(いとま)があったか?」

「ある手札で勝負するしかないとはいえ、その手札が枚数に乏しいことを嘆く時間くらいはあってもいいはずですわ」

 

 せめて、親が生きていれば。

 両親が逝去し、グリーングラス家の当主をダフネが務めることになって以来、元々マルフォイ閥の末席だったグリーングラス家はいよいよ侮られていた。

 他の家に侮られているというのは、それだけで社交界において弱点になる。無礼な振る舞いに対して反撃をちらつかせることができないからだ。

 ダフネはこれまで侮られているからこその立ち回りで人脈を形成してきた。それゆえに、グリーングラス家の家格はまだ相応に収まってしまっている。血の呪いによって没落した哀れな一族。その認識をダフネはいまだ覆せていない。

 アステリアを守るためには、力が必要だ。

 

「それで、その方の手札から答えは導き出せたか」

 

 指す手が止まった。

 

「……策は、あります」

 

 ずっと考えていた策がある。

 アステリアを守り、なおかつ幸せにするかもしれないひとつの策。

 しかし、その策はダフネにとって無限の苦しみをもたらすものだった。魂が引き裂かれるような苦しみだった。たとえアステリアが守られるとしても、ダフネには耐え難い。

 それでも、その策について相談するために、ダフネはこうしてアークタルスのもとへとやってきた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 アークタルスは見透かすような瞳でダフネの顔を見下ろした。

 

「その方は、この世に永遠があると思うか」

「……ありませんわ、永遠なんて」

「左様。余の薔薇は永遠を目指した。しかし、それとていつかは枯れるであろう。花も家も血も、皆同じよな。そして、家族もまた」

「それでも……それでも今はまだ、夢を見ていたいのです」

 

 夢のようだった。

 アステリアはこの世の誰よりも可愛い、ダフネの天使だった。その笑顔はどんな花よりも輝いていて、その声を聞くだけでどんな苦痛も癒やされた。

 この世界に生まれてからというもの、一日たりともアステリアを思わない日はなかった。

 ダフネは陰謀家ではない。ルシウスやデメテルのような本物を相手取れば一手も二手も遅れを取る。それでも歯を食いしばって戦い続けられたのは、アステリアがいたからだ。

 アステリアがいなければ、ダフネには戦う意味がない。

 

「覚悟が足りないのは……ええ、わかっていますわ」

 

 覚悟が足りない。

 ()()()が成就すれば、少なくともホグワーツ卒業までは誰もアステリアに手出しできないというような状況を作ることができる。策を成就させるための材料は揃っていて、あとはアステリアの同意を得るだけでいい。

 しかし、ダフネにはそれが怖かった。

 アステリアに嫌われてしまうのではないか。彼女の心がこの醜悪でおぞましい姉から離れてしまうのではないか。そう思うと、どうしても他の手を考えたくなる。

 

「そら、チェックだ」

「……閣下は厳しいお方ですわね。こういう時くらい、手加減のひとつもしてくださってもよろしいのではなくて?」

「ふ、そこまで惰弱だったとすれば余の見込み違いということになる」

「そうやってオリオン様のこともいじめていたのでしょう、悪い人だわ」

 

 追い込みをかけてきたアークタルスの駒を蹴散らしながら、ダフネは一人掛けのソファに深く座りなおした。

 スカートのポケットで注射器がぶつかってかしゃりと鳴った。

 ニコラス・フラメルから送られてきた()()()は、打つことで血の呪いの因子をあえて活性化し、変身を制御下に置けるようにするものだ。呪いをコントロールするところまでは来たが、克服には至らない。

 

「……どこまで行っても、私たちは血の呪いからは逃げられない。誰とともに生きようとも」

 

 グリーングラス家には膨大な量の研究資料がある。それらは全て血の呪いとその解呪に関するものだ。

 母は優れた魔女だった。自らの呪いについて深く研究し、呪いによる変身に抗って人の姿を維持し続ける魔法にまで辿り着いた。

 しかし、その魔法を嘲笑うように呪いの力は強まり、母は半端な変身の状態から戻れなくなった。

 マグルが想像するハーピィのような姿で、鴉の声帯を人の喉に宿して、滑稽な声では呪文を唱えることすら叶わなかった。それが彼女の心を折ったのだろう。早朝、ダフネは首を吊った彼女の姿を発見し、アステリアが目にするよりも早く遺体を()()することになった。

 もし父が生きていれば、彼の解呪によって少なくとも獣の姿には戻れただろうに。

 

「せめて、親が生きていればもう少しやりやすかったのですけれど」

 

 ダフネとアステリアは親なき子だ。

 誰も血の呪いを患った子どもを養子にほしいとは思わない。そのせいと言うべきか、そのおかげと言うべきか、ダフネは未成年の身でありながらグリーングラス家の当主として家のことを差配することができた。

 親がいないことでやりやすいこともあるし、親がいないせいで歯痒い思いをする日もある。

 

「親がないことを不幸と思うか」

「……すべての幸福な家庭は、互いに似かよっているが、不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である。偶然にも私たちの不幸が親の死と血の呪いだっただけですわ。世には他の形で同じ程度の不幸が溢れかえっています」

「それでも、その方が不幸であることは否定できまい」

 

 ダフネは何も返せず、チェス盤の上の駒を睨んだ。

 

「その方は不幸だ。惨めであろう。生まれついて血は呪われ、親はなく、家では妹の親代わりを務め、社交界では嘲りの目を向けられる。それで心を折られず、前に進む目をしているその方は立派だ。十分に誇ってよいことだ」

「……これくらい、当たり前のことですわ」

「それを当たり前と思わぬ者が、その方についていく。その方の味方は皆、その方の努力を知っている者たちだ。余もそのひとりよな」

 

 当たり前のようにそう口にして、アークタルスはダフネのキングに再びチェックをかけた。

 

「その方が覚悟を決めれば、余はその方の策に乗ろうぞ。あとはアステリアを頷かせるだけよ」

「……少し、考えさせてくださいませ」

「よかろう。盤面はそのままにしておいてやろう」

 

 考えがまとまらないまま、ダフネはグリモールド・プレイス12番地を後にした。

 煙突飛行でグリーングラス邸に帰ったダフネは、灰を落としながらなんとか表情を切り替えようと努力した。アステリアに心配をかけるわけにはいかない。

 

「おかえりなさい、お姉様!」

「ただいま、アステリア」

 

 この笑顔を曇らせたくなくて、ダフネは戦い続けている。

 灰を落とすのもそこそこに、ダフネは駆け寄ってきたアステリアを抱きしめた。

 甘い香りがする。金木犀にも桃にも似た甘く優しい香り。そこに混じる林檎の爽やかさと、下草のわずかな青臭さ。

 

「……お姉様?」

「ねえ、アステリア」

「はい、なんでしょう!」

「……ううん、なんでもないわ」

「えー、気になります!」

「本当に、なんでもないのよ」

 

 胸が苦しい。

 絶対に顔を見せないよう、アステリアを強く抱き寄せる。姉として、こんな弱った姿を見せるわけにはいかないのだ。ダフネはアステリアにとって理想の姉でなければならない。

 親がいない以上、誰かが手本を示さねばならない。そして、それは身近な親族の役目だ。アステリアが正しい道を進めるように、ダフネはいつまでも彼女の手本でなくてはならない。

 だから、今泣くわけにはいかないのだ。

 

「お、お姉様、苦しいです」

「ごめんなさいね、アステリア。でも、そういう気分だから、もう少しだけ」

「もう、お姉様ったらー!」

 

 ()()()()()()

 もはやデメテル・ザビニにも手が届かないところへアステリアを送り、守る策。それさえ成就すれば、ダフネは安心して戦うことができる。

 しかし、その策が成就することは、ダフネにとって無限の苦痛を意味する。そこまでしてまで戦うのなら、いっそ全てを諦めてしまったほうがいいのではないかとすら思う。

 

「ねえ、アステリア」

「はい、お姉様」

「好きよ。あなたのことが大好き。あなたの姉に生まれたことを誇らしく思うわ」

「アステリアもお姉様のことが大好きです!」

 

 大きく息を吸う。

 

()()()()()()()()()()()

「……()()()()()

 

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、そのかわりにダフネは笑みを作った。

 今はまだ、この幸せを享受していたい。世界一の妹と過ごす時間を大切にしていたい。全ての策謀を忘れて、ただアステリアと笑って過ごすのだ。草木や獣を愛で、季節の味わいを楽しみ、時にはふたりで遠出をして。

 そんな幸せも、きっと永遠ではない。

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