その血は呪われている   作:海野波香

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 復活祭休暇に入り、ホグワーツではちょっとした騒ぎが起きていた。

 選択科目だ。

 騒ぎと言っても、授業を選ぶことができるというだけで熱狂するのはハーマイオニーくらいのものだろう。騒ぎはよりネガティブなもので、しかも騒ぎの中心となっているのは3年生や4年生だった。

 

「ミス・コールドウェル、4年生の貴女が今から数秘術を選択しなおしても授業に追いつくのはとても難しいことですよ!」

「でも先生、私、呪い破りになるのに数秘術が必要だなんて知らなかったんです!」

 

 朝食の席でコールドウェルと呼ばれたレイブンクロー生がフリットウィックに必死ですがりつくのも仕方がないことだ。自分の将来がすでに決定されているなど、絶望でしかない。

 騒動の元は蒼の貴血(ブルーブラッド)が発行した小さなパンフレットだった。

 内容はシンプルだ。職業パンフレットを元に「その選択科目がどのような職業と結びついているのか」を逆引きできるようにしただけの、簡単なもの。勉強会の宣伝として配られたそれが、すでに科目選択を終えた上級生たちを憤慨させた。

 なぜ自分が2年生だったころにこれがなかったのか。

 

「大騒ぎじゃない……本当に大丈夫なんでしょうね、ダフネ」

「ええ、まあ……少しだけ想定を外れてはいますわね」

 

 ダフネはうっすら冷や汗をかいていた。

 確かに、2年生のころに真剣に自分の将来を選択できるかと言われればそれは無理というものだろう。だからといって、ここまで()()()()()()()()()()()()上級生がいるとは。

 幸いにしてスリザリンにはそこまでの混乱は広がっていない。縦のつながりを辿って職に就く生徒が多い都合上、上級生が自分の派閥の下級生に「どの科目を取っておくべきか」を教えてくれるのが慣例だからだ。

 しかし、他寮にはそこまでしっかりとした構造がないらしく、監督生たちは選択科目の相談を受けすぎてノイローゼになっていた。

 

「真面目に選ばなかったから痛い目を見てるってだけなのに、皆自分勝手すぎよね。今更科目変更をしたいなんて。4年生になってから授業を変えたところで、ついていけないに決まってるじゃない」

「あら、あなただってパンフレットがなかったら占い学と魔法生物飼育学で済ませてたでしょう?」

「だって、宿題が一番楽って聞いたから……そんなことより、ダフネはどれを選ぶの?」

 

 ダフネは「考え中ですわ」と曖昧に濁して、選択科目の用紙を隠した。

 成績優良者に限り、全ての選択科目を選択することで逆転時計の貸与が認められる。逆転時計という道具の危険性を考えるとありえないと言いたくなるような措置だが、選択科目を全履修するためにはそうするしかないのも確かだ。

 逆転時計はダフネにとって間違いなく有用だ。

 原作でハーマイオニーは逆転時計を授業のためだけに使って疲弊していた。確かに目的外の用途への使用は禁じられていただろうが、そこには宿題をする時間や休息を取る時間も含まれていたはずだ。

 そして、ダフネは勉強会の主宰者でもある。それはつまり、「勉強のための時間」として勉強会のために割く時間を逆転時計で捻出できるということだ。その分、ダフネは残りの時間で社交に精を出し、血の呪いの研究に勤しむことができる。

 

「ふーん……それは何の本?」

「魔法で生活リズムを整える研究についての本ですわ」

「生活リズム?」

「ちゃんと朝起きて、夜には眠くなる……これって意外と難しいことなんですのよ?」

 

 魔法界には自律神経という言葉はないが、それでも経験則から「朝に日差しを浴びると夜の寝付きがいい」という程度の事実は認識されている。

 ダフネは今、逆転時計を使い続けても概日リズムが崩れないようにするために役立ちそうな研究を読み漁っていた。逆転時計に限らず、呪文や魔法薬で一日という単位が崩壊した魔法使いや魔女は少なくない。そういった研究は参考になるだろう。

 血の呪いの影響か、それとも先祖が試した治療法のどれかがよくなかったのか、グリーングラス家は代々虚弱の傾向にある。風邪を引いたときなど、元気爆発薬を飲んでもなお入院が必要だった程度には身体が弱い。

 せっかく逆転時計を手に入れても体調が追いつかないようでは意味がない。健康を維持するためにできることはしなくてはならないだろう。

 

「へー。それでちょっと顔色よくなったんだ」

「顔色?」

「あんた、最近ひどい顔色してたわよ? 今にも飛び降りでもするんじゃないかってくらい思い詰めたような顔してた。……どしたの?」

 

 思わず顔が熱くなる。

 確かにダフネは思い詰めていた。そして、その問題は少し前に解決された。情けないことに、ハリーに愚痴を聞いてもらうという形で。

 ダフネは今のところ、アステリアを養子に出すべきかまだ悩んでいる。

 他にも手がないわけではない。たとえば、ルシウスを協力者にした上でアステリアをルシウスの庇護下に入れてしまえばひとまず問題は解決する。アステリアはルシウスの庇護下でぬくぬく育ち、そのままドラコと結婚……という筋書きもなしではない。

 しかし、それは逃げの一手だ。

 ダフネはアステリアをブラック家の養子に入れたいと考えている。それはなぜか。

 ブラック家という家名を最大限に利用しつつ、アークタルス亡き後も協力体制を維持したいからだ。つまり、ダフネはアステリアを()()()()()()()()()()に据えたいのだ。

 政治に関心のないシリウス・ブラックではなく、能力ある協力的な当主としてのアステリア。彼女がブラック家の当主になれば、ダフネはブラック家というネームバリューを最大限に利用することができる。

 ダフネは悪い姉だ。事ここに及んで、()()()()()()()()()()()()()すら計算に入れている。アステリアが養子にいくことで発生する()()、そこに手を伸ばすべきなのか。それ以前に、アステリアがそれを容認してくれるのか。

 次の休みには、アステリアとしっかり話し合う必要があるだろう。

 

「なんでもないわ。少し疲れが出ただけ」

「ふーん」

 

 不思議と心は軽やかだった。

 誰かに相談することでここまで気持ちが救われるとは。問題はまだ解決していないが、それでもダフネは少し前向きに考えることができるようになった。

 思わず気が抜けてしまって、ハリーの胸の上で寝てしまったほどだ。この秘密は墓場まで持っていくことにしたい。ダフネを嫌っている生徒たちに知られてしまえばハリーにも迷惑がかかる。大問題だ。

 その一方で、別の問題もあった。

 

「そりゃ疲れるか。やっぱ、あいつ一回わからせといたほうがいいわよね?」

 

 あいつ。

 そう呼ばれたのは、離れた席で怯えたようにあちこちへ視線を泳がせながら朝食を口にするミリセントだ。最近、ミリセントはダフネに近寄らないようになった。

 

「……仕方のないことですわ。彼女の誤解が解けた時は、またお友達になれるといいですわね」

「あんたってお人好しよね。あたしなら一度離れてったやつは、こう!」

 

 パンジーが拳を突き出すと、テーブルの上でオートミールのボウルが揺れた。

 ミリセントが離れていった理由は、ダフネが継承者だと噂されていることにある。

 彼女は半純血で、しかも旧家であるブルストロード家の家名に泥を塗るような形で生まれてきたと陰で揶揄されている。言ってみれば彼女の存在自体がブルストロード家の罪なのだ。

 そして、スリザリンの継承者はきっと自分を見逃してくれないだろう……ミリセントはどうやらそう考えているようだった。

 

「彼女たちの恐怖は、どうしたって私たちにはわからないものなんですわ、きっと」

 

 血統が()()()()()から殺される。

 その恐怖は純血の魔法使いや魔女にはどう頑張っても理解できない。生まれつき肯定されている一族の子どもにとって、己が純血であることは当たり前の事実だ。

 その子どもたちが純血という事実を改めて考えるようになるのは、大人になり、本格的に結婚相手を探しはじめた時のこと。それまでの間、子どもたちは純血というステータスの恩恵をただ享受する。それが純血社会というものだ。

 そのことは半純血やマグル生まれの子どもたちも肌で理解している。自分たちの恐怖が理解されないということを。

 だから、ダフネが手を差し伸べてもミリセントは救われない。

 

「そういうもん?」

「そういうもんですわ」

 

 不思議そうに首を傾げるパンジーは、昔より少しだけ思慮深くなった。

 かつての彼女であれば、ダフネに確認も取らずミリセントに暴力を振るったり、大っぴらに悪口を言ったりしただろう。もしかするとミリセントの抱える苦しみ――半純血であるという事実を喧伝して回ったかもしれない。

 変化しているのはダフネだけではない。全ての人間にとって時間は均等に過ぎ去る。その中で、立ち止まる者もいれば成長する者もいる。

 今のところ、ダフネはパンジーとミリセントを見守るつもりでいた。

 

 しかし、数日後に事態が動いた。

 アルバス・ダンブルドアの停職。つまり、ルシウスは計画を実行に移したのだ。

 

「ふん、あんなイカレジジイいなくなってせいせいするわ」

 

 そう嘯きながらもパンジーは不安そうだった。

 

「ダフネもそう思うでしょ」

「そうね。ルシウスおじさまは()()()()()()()()()()

 

 原作と少し違うところがあるとすれば、ダンブルドアの停職に同意した理事は総数の2/3だったということだ。そして、驚くべきことにルシウスはその中に含まれていない。

 ルシウスは慎重派の仮面を被りながら、他の理事たちを扇動せしめたわけだ。これによって、もしダンブルドアが復職することになったとしてもルシウスを糾弾する声は容易に押さえつけることができる。

 マルフォイ家らしい動き。原作よりもさらに悪辣だ。

 ダンブルドアがホグワーツからいなくなったことで、いよいよ半純血やマグル生まれの生徒たちは怯えはじめた。生徒たちは露骨にダフネを避けるようになった。

 噂が広まった。

 石化した生徒は布石に過ぎなかった。スリザリンの継承者の真の目的はホグワーツそのものを掌握し、サラザール・スリザリンにとってのあるべき姿に戻すことなのだ――。

 勉強会の主宰者で旧き純血であるダフネは、彼らにとって恐怖そのものだった。

 純血の生徒たちですらダフネを警戒しはじめ、パンジーがいない時のダフネはほとんどひとりで過ごすようになった。

 

「ダフネ……ダフネ! こっち!」

「……ハリー?」

 

 姿を隠したハリーの呼び声に導かれて、ダフネは空き教室に足を踏み入れた。時刻はもう夕方で、本来ならば寮に戻らなくてはならない時間だ。

 透明マントを脱いだハリーが、戸惑ったような表情でダフネを見つめていた。

 

「ハリー……どうしましたの、こんなところで」

「ハグリッドが連れていかれた。アズカバンにだ。小屋に行ったら、僕あての手紙が残ってた」

「……そうですわね、そうなるのは避けられないでしょう」

「知ってるんだね、ハグリッドに何があったか」

 

 思い返してみれば、ハリーと最初に出会った時はハグリッドの紹介だった。ハグリッドに問題が起きた時、ハリーがダフネを頼ろうと考えるのも自然なことだろうか。

 ハリーは日記帳を手に入れていない。それはつまり、前回の事件――ハグリッドが冤罪で退学になった事件について知らないということだ。これを機に情報を明かしておいたほうがいいだろう。

 ダフネは杖を振って積み上げられた椅子の中からふたつを浮かべて引っ張り出し、ハリーに座るよう促した。

 

「長い話になりますわ」

「……わかった。でも、約束して。何も隠さずに教えてほしい」

 

 ハリーは椅子を引っ張ってダフネの椅子の向かいまで持っていって、そして腰掛けた。

 

「50年前、秘密の部屋が開かれました。そして、ひとりの生徒が亡くなりました。その生徒の名前はマートル・エリザベス・ワレン」

「それってもしかして……」

「ええ、嘆きのマートルの名で知られるゴーストですわ。絶命日パーティーで顔を合わせたかしら。……当時の校長は閉校を視野に入れていました。しかし、告発があったのです。ホグワーツで怪物を飼っている生徒がいて、その怪物がマートルを襲ったと」

「待って、まさか……嘘だよね」

「その生徒こそが、ルビウス・ハグリッドなのです。彼自身に悪意がなかったことが認められ、未成年だったこともあり、彼は杖を折られ退学処分となりました。そしてダンブルドア先生の助力があり、ホグワーツの森番となったのですわ」

 

 ハリーは唖然とした様子で、目を見開いていた。

 信じられないのも当然だ。ハリーにとってハグリッドは魔法界に自分を連れ出してくれた最初の友人なのだから。しかし、これが50年前の事件についての()()()()()なのだ。

 

「……待って、おかしいよ。ハグリッドは純血なんて馬鹿馬鹿しいって考えてる。ハグリッドがスリザリンの継承者なわけがない」

「ええ、私もそう思いますわ」

「じゃあ、どうして……見て、これがハグリッドからの手紙」

 

 手紙というよりは走り書きに近い書き置きを受け取って、ダフネはその内容を読み取った。

 癖字でこう書かれている。蜘蛛の跡を追え。

 

「……実は、彼が酔っ払ったときにルビウスから話を聞いたことがあります。彼が退学処分になった時飼っていた怪物というのは、アクロマンチュラなのです。彼はそれにアラゴグという名前を付けて可愛がっていたそうです」

「あ、アクロマンチュラって……あのアクロマンチュラ!? 猛毒があって肉食の蜘蛛の!?」

「教科書をよく読んでいますわね。ええ、そのアクロマンチュラです。そして……おそらく、アラゴグは今も禁じられた森に棲んでいるのだと思いますわ。ルビウスがそのようなことを口走っていました」

「ハグリッドって時々本当にどうかしてる……でも、やっぱりおかしいよ。アクロマンチュラに人を石にするような能力はない、そうだよね?」

 

 ハリーは興奮したように立ち上がって、教室をうろうろしはじめた。

 

「そうか……その蜘蛛は50年前のことを知ってる。だから、怪物の正体を知ろうと思ったら蜘蛛に会いに行けって言いたかったんだ」

「ハリー、それは流石に危険すぎますわ」

「危険? もうどこだって危険だよ! ハグリッドは連れてかれちゃったし、ダンブルドアは停職! もうどこにも安全な場所なんてない、違うかい?」

「それは……」

 

 このままでは、ハリーはアラゴグに会いに行くだろう。

 原作でハリーとロンがアラゴグと遭遇して無事生きて帰ることができたのは、幸運そのものとしか言いようがない。野生化したフォード・アングリアのおかげでなんとか脱出できただけで、少しでも時間がずれていればふたりとも死んでいたかもしれない。

 原作とは運命ではない。確約された結果というわけではないのだ。もしハリーとロンがアクロマンチュラの糸に包まれたミイラと化して発見されたら。

 ここを見逃すわけにはいかなかった。意味のない危険は回避すべきだ。

 

「……だからといってその危険を冒す必要はありませんわ。私はおそらく、怪物の正体を知っていますもの。――スリザリンの怪物は蛇の王、バジリスクです」

 

 ハリーは息を呑んだ。

 

「バジリスク? ……でも、あの生き物は眼光で人を殺すんだよね?」

「厳密に言えば、違いますわ。腐ったハーポはバジリスクに強力な邪視の力を与えたのです。 睨むだけで相手の身動きを封じ、苦しめ、死に至らしめる……直視しなければ、せいぜい身動きを封じられる程度で済むと思いますわ」

 

 邪視はバジリスクに固有の力ではない。今となっては忘れ去られつつある、古い魔法のひとつだ。

 バジリスクを創った腐ったハーポは古代ギリシャの魔術師、つまりまだ杖魔法が一般的でなかった時代の存在だ。感情に任せて魔力を振るうひとつの形として存在していた邪視は、彼にとって身近な魔法だったのかもしれない。

 

「バジリスクは創られた魔法生物ですわ。強力ですが、その強さには理屈がある。そして、その理屈から外れたものにまではバジリスクの力は及ばない」

「どうして……どうして知ってるの?」

「単なる推理の積み重ねです。元々腐ったハーポに興味を持って調べ物をしていたのですけれど……一番のヒントになったのはあなたの蛇語ですわね」

 

 原作知識を抜きにしても、バジリスクに辿り着くことはできた。

 蛇の魔法生物というだけですでに種類は限られている。その中で、サラザール・スリザリンが自らの象徴として選びそうな魔法生物は?

 そして、ホグワーツの教授陣もまた、ハリーの蛇語という情報が明かされた時点でバジリスクを可能性のひとつとして考慮には入れていた。

 

「……じゃあ、先生たちは知ってるんだね?」

「ええ。鏡の呪文に雄鶏の呪文、しっかり覚えて使えるように指導されたでしょう?」

 

 鏡はバジリスクの視線対策、そして雄鶏の鳴き声はバジリスクの弱点だ。ホグワーツの教授陣は密かにバジリスクへの警戒を強めていた。

 それを理解すると、ハリーは複雑そうに眉を曲げた。

 

「そこまでわかってるのに、バジリスクをやっつけたり継承者を捕まえたりはできないんだ。……ハーマイオニーがやられたの、知ってるよね」

「ええ。残念なことですわ」

「石になって発見されたんだ。可哀想に、冷たくなって、水浸しで……水浸し?」

 

 ハリーが何かを思い出すように瞼を閉じた。

 ハリーには様々な強みがある。勇気。友情。少しのずるさ。しかし、今一番輝いているのは、彼の頭脳とその回転速度だ。

 

「ミセス・ノリスが見つかった時、足元は水浸しだったよね」

「そうですわね」

「コリンが見つかった廊下をフィルチは必死になって掃除してた。ひどいにおいがした。ハーマイオニーの見つかった廊下からもまだひどいにおいが消えてない……パイプ、そうだよ! バジリスクは下水管を通ってるんだ!」

「それで壁から声が聞こえたと。筋は通りますわね」

 

 ハリーは一瞬黙って、それから閃いたように目を輝かせた。

 

「ねえダフネ。魔法界にあるかはわからないけど、ダーズリーの家では定期的に排水管に薬を流して掃除するんだ。害虫や鼠が排水管から上がってこないようにね。……ホグワーツの下水管全部に、魔法で網を張るわけにはいかないかな」

 

 ハリーの問いかけに、ダフネは頷いた。

 考えもしなかったいい作戦だ。うまく先生たちを説得すれば、バジリスクの捕獲すら視野に入ってくる。

 もしかすると、原作とは違う形で事態が解決するのかもしれない。

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