その血は呪われている   作:海野波香

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 マクゴナガルの主導で、ハリーの提案は実行に移された。

 元々ホグワーツの下水管は整備のために検知不可能拡大呪文がかけられており、人が立ち入ることすら容易だ。バジリスクがそこを這っているというのはホグワーツをよく知っている者ほどありえると思える説だった。

 ハリーの進言を受けたマクゴナガルの様子を見るに、おそらくジェームズ・ポッターがかつて下水管を隠し通路代わりに使ったことがあったのだろう。彼女の瞳は誇らしさと懐かしさにきらめいていた。

 門限を破ったにも関わらず、ハリーとダフネはマクゴナガルから20点ずつ得点を与えられた上で寮まで送り届けられた。

 

鏡と化せ(スペキュラム)。しっかし、蛇の王が下水管を這い回ってるなんてなんだか情けない話よねー」

 

 廊下の角に置かれた鎧の表面を鏡に変身させながら、パンジーが肩をすくめた。

 ダンブルドアがいなくなったことで守りに不安を感じた教授陣は、生徒たちに警戒を呼びかけた。バジリスクが徘徊している可能性があるという情報は彼らを怯えさせたが、少なくとも正体不明の怪物に怯えるよりはマシだった。

 移動は原則として先生たちの引率下で行われ、すべての角に何かしらの置物や鏡が設置された。あちこちから雄鶏が時を作る声が響いた。

 そして、肝心の下水管は教授陣が分担して魔法をかけ、巨大な固体が通ると警報が鳴り響くように改良された。

 

「誰もが思いつかないような道を進むという意味では、実にスリザリンらしいのではなくて?」

「やーよ、ばっちい」

「ふふ、そうですわね。でも、これでしばらくは安全……あら?」

 

 廊下を渡りかけていたその時、ダフネは見覚えのある後ろ姿がひとりで列を外れたことに気がついた。

 ミリセントだ。

 ダフネは一瞬躊躇して、それから声をかけた。

 

「ミリセント、ひとりでいると危ないですわよ」

 

 ミリセントは肩をびくりと跳ねさせてこちらを伺ったかと思うと、転がるように駆けて逃げ出してしまった。

 

「ほっときなさいよ、あんなやつ」

「そういうわけにはいきませんわ。……失礼。ロックハート先生!」

 

 スリザリンの2年生を呪文学の教室へと先導していたロックハートは、にこやかに振り返った。

 ダフネの背筋に緊張の汗がにじんだ。

 ロックハートは日記帳を保有している。それはつまり、下手をすれば彼は今この瞬間にもトム・リドルに操られている可能性があるということだ。学生時代のリドルがどの程度開心術に長けていたかはわからないが、避けるべき相手ではある。

 しかし、だからといってミリセントを放っていくわけにはいかない。

 こうして多数の生徒たちを先導している以上、今尻尾を出すことはないだろう。ダフネは表情を繕って、慎重にロックハートに呼びかけた。

 

「何かな、ミス・グリーングラス。サインの依頼なら、君からであればいつでも歓迎ですが!」

「友達が道を逸れてしまったみたいで……すぐ合流いたしますので、迎えに行ってもよろしいかしら?」

「なんと、それはいけない! わかりました、許可しましょう。ただし、素早く行って素早く戻ること! 私がグールお化けを茶こしで引っかけたときのように、機敏にね!」

 

 幸い、彼の人格はまだ日記帳に乗っ取られてはいないらしい。

 ダフネは安心して礼を言い、ミリセントを追いかけて小走りで廊下を曲がった。

 

「ミリセント!」

 

 大柄なミリセントの影がタペストリーをくぐるのが見えた。

 ダフネは慎重にそのタペストリーをめくり、裏に下り階段が隠されているのを見つけた。どうやらミリセントはこの階段を下ったようだ。

 追うべきだろうか。そもそも、ミリセントは何のために列を外れたのだろうか。

 少し迷って、ダフネは階段に足を踏み入れた。

 暗い。湿った空気が階下から吹き上げてきて、不快なにおいを隠し階段いっぱいに充満させている。

 

「ミリセント……?」

 

 隠し階段を抜けると、そこは3階の女子トイレの前だった。

 湿った、カビ臭い空気があたりに充満していた。どこからか水の滴る音が響いていて、それがあたりの静けさを余計に感じさせた。

 女子トイレの扉は開いていた。水音は中から響いているようだ。パイプ漏れか、それとも蛇口がしっかり閉まっていないのか。

 入ってはいけない予感がする。

 なぜなら、ここは()()()()()()()()()()()()()だからだ。

 

「ミリセント、早く戻りますわよ」

 

 返事はない。

 戻るべきだ。理性はそう主張していた。

 罠にかかったのかもしれない。このままここにいてはまずいことになる。

 ダフネは踵を返そうとした。

 しかし、脳裏にミリセントの怯えた顔が浮かんだ。彼女が何を思おうと、ダフネは彼女の友達であり、彼女を利用するつもりである以上彼女を守る義務がある。

 ここでミリセントを見捨てるわけにはいかない。

 

「……ミリセント、そこにいますの?」

 

 杖を抜いて、ダフネはゆっくりとその女子トイレに入った。

 何かがおかしい。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「――どうして来たんだ、ダフネ!」

 

 ミリセントは確かにそこにいた。

 半透明のくすんだ真珠色になって空中を漂う()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()()()()()()の前で、ミリセントは泣きながら立ち尽くしていた。

 全ての下水管には魔法のトラップが仕掛けられている。バジリスクが出てくることはできず、出てこようとすれば魔法で捕縛されることになる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「来ちゃだめだ、()()……」

「奴って、あなたまさか」

()()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ダフネは衝撃に息を呑んだ。

 

「あなた、蛇語が……!」

「私は……私はあの蛇にずっと脅されてたんだ!」

 

 もはやゴーント家は滅んだも同然だ。

 しかし、純血は血を交わして生き残ってきた。その血の中には、他の純血旧家と並んで、ゴーント家のそれも混じっている。

 もし、他の純血旧家からゴーント家の血を濃く継いだ者が生まれたら。

 そう。これは確率の問題だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、ありえないとまでは言えない。

 しかし、半純血であるミリセントは、バジリスクがスリザリンの継承者として認めるには値しなかったのだろう。

 ミリセントはただ怯えていたのではない。ずっと苛まれていたのだ。

 バジリスクの殺意に。

 

「もうだめだ、奴が……」

「逃げましょうミリセント、今ならまだ――」

「だめだ! 奴は()()()()()()()!」

 

 トイレの入口から、()()()()()()()()()()()が聞こえた。

 排水の嫌な臭いが近づいている。

 瞬間、ダフネは杖を後ろ手に構えて唱えた。

 

雄鶏よ(ガルス)!」

 

 けたたましい雄鶏の時の声が響き渡り、その裏で巨大な何か――バジリスクが苦痛に動きを止めた。身悶えする大蛇の下でタイルがいくつも砕け散る音が連続した。

 ダフネはさらに畳み掛けた。

 

妨害せよ(インペディメンタ)! 目隠し(オブスキューロ)!」

 

 空間にかけた妨害呪文がバジリスクの動きを鈍らせ、その隙にダフネが放った魔法の帯がバジリスクの眼をきつく覆う音がした。バジリスクは威嚇するような鋭い鳴き声を上げながら、魔法のかかった空間で鈍重に身を捻った。

 巨体が身を捩る振動で壁のタイルがボロボロと崩れる。まるで地震に襲われているかのようだ。

 

「ミリセント! 走って!」

 

 返事はなかった。

 

「ミリセント……?」

 

 ぱき、と何かが砕ける音がした。

 遅かったのだ。

 石になったミリセントの首元で、ダフネが与えた邪視除けのお守りが砕けていた。

 ゆっくりと倒れゆくミリセントの周りに、まるで彼女を守る盾が失われたことを示すかのように、澄んだ濃いブルーの破片が撒き散らされた。

 

「ッ……!」

 

 ミリセントは最後にこう言い残した。

 奴は君を狙っている。

 つまり、バジリスクはダフネのことを狙っている。ミリセントは巻き込まれただけだ。彼女はダフネのせいでおびき出され、秘密の部屋の入口を開けさせられ、そして石になったのだ。

 

「……縛れ(インカーセラス)!」

 

 拘束呪文で時間を稼ぎながら、ダフネは煮えたぎったはらわたと脳味噌をなんとか落ち着かせようと歯を食いしばった。

 ダフネにバジリスクを殺す手立てはない。しばしとはいえこの畜生を生かしておくことには余りある腹立たしさを覚えるが、それはダフネの果たすべき役目ではない。ダフネがすべきことは、この場を脱出することだ。

 このトイレから脱出するには、振り向いてバジリスクの巨体を乗り越えなければならない。

 しかし、振り向いてよいという確証はどこにもなかった。ダフネには自分が放った目隠しの呪文が成功している自信がなかったし、もし成功していたとしてもバジリスクが身を捩った勢いで目隠しが外れてしまっているかもしれない。

 背後からバジリスクの鋭い声が聞こえる。

 咄嗟に飛び退くと、直後ダフネが立っていた空間をぬらぬらと禍々しく光る牙が噛み砕いた。

 

目隠し(オブスキューロ)!」

 

 魔法がバジリスクの鱗に当たり、湿気た花火が弾けるような音がした。

 不発だ。

 ダフネは決して魔法戦闘に長けているわけではない。アーマンドとガウェインのもとで効果的な呪文を学び、他の生徒より少し先取りして勉強を進めているが、それは戦闘センスの高さを必ずしも意味しないのだ。

 助けは来ない。

 迂闊だった。ミリセントが隠し通路を使ってここに降りてきた以上、それを追ってきたダフネの足跡は誰にも辿れない。

 ダフネがいるこの女子トイレには普段から人が来ない。それに加えて、「バジリスクが出たならば警報が鳴るはずだ」という安心が生まれてしまっている。こんなところに秘密の部屋の入口があるなどと、本気で信じる者はいないだろう。

 このトイレを鏡張りにし、石化して助けを待つという手もある。しかし、バジリスクはダフネを狙っている。石化した後、無事でいられる保証はない。石化された上で肉体が砕かれれば、それは死を意味するだろう。

 万策が尽きた。

 しかし。

 

「……いいでしょう」

 

 ダフネは秘密の部屋の入口に駆け寄った。

 バジリスクが動く気配はない。

 

「招待に、応じて差し上げますわッ!」

 

 そして、ダフネは深くまで開いたその空洞に飛び込んだ。秘密の部屋へ通じる唯一の道を、転げ落ちていく。

 

 そのころ、時を同じくして。

 魔法史の授業を受けていたグリフィンドールの2年生のところに、息を切らせたロックハートが駆け込んだ。いつになく真剣な表情の彼に、生徒たちは注目した。

 

「失礼、ビンズ先生! 緊急の要件で、ハリーをお借りしてもよろしいですかな?」

「緊急? あー、構いませんが」

「それはどうも! ハリー、一緒に来なさい!」

 

 困惑しながらもハリーは立ち上がり、ロックハートの後に続いた。

 道すがら、ロックハートは興奮した様子でハリーを相手にまくし立てた。静かなホグワーツにロックハートのきらびやかな声が響いた。

 

「先ほど、資料室で()()()()()()()()ときに古い地図を見つけてね。ディリス・ダーウェント校長の指揮下でホグワーツに下水道が通されたころのものだ。ハリー、君がバジリスクと下水管の関係を導き出してくれたおかげで私は天才的なひらめきを得た!」

「どういうことですか、先生」

「こういうことです。()()()()()()()()()()()()()! 情けないことに、サラザール・スリザリンの隠し部屋へつながる唯一の配管は女子トイレのものでした。嘆きのマートル、知っているね? 彼女がいるトイレこそが秘密の部屋への入口だ!」

 

 ロックハートは杖を強く握りしめながらそう語った。

 杖を握る手には力が入りすぎていて、指先が白くなっていた。心なしか血色も悪く、いつもの笑顔がないロックハートはどこか疲れて見えた。

 

「秘密の部屋を開き、怪物を退治する……いいでしょう、私のささやかな武勇伝に新たな章が加わるというわけです。しかし、ハリー、君にも手伝ってもらいたい」

「僕に? でも、僕、バジリスクと戦ったことなんてありません!」

「バジリスク? ああ、そうでしたね。心配ご無用! 君には入口を開いてもらいたいのです。スリザリンの秘密の部屋は彼の継承者にしか開けない扉で守られていることでしょう。そして、それはつまり、蛇語によって開く扉だ。そうは思わないかね、ハリー?」

 

 ロックハートは自信ありげにそう語った。

 しかし、彼の杖先は自信などどこかへ落としてきたかのように震えていた。ハリーには彼の本心が杖先に宿っているように思えてならなかった。

 

「……はっきり言って、今学期が始まってからしばらく私は怠惰だった。ええ、無能を晒したと言っていいでしょう。闇の魔術に対する防衛術の教授としての責務を忘れていました。しかし、私の杖捌きは輝きを取り戻した……今こそ、本懐を成し遂げる時というわけです」

「それじゃ……先生がバジリスクと継承者を倒すんですか?」

 

 ハリーは内心少し疑わしく思った。

 しかし、ロックハートは彼の言葉を信じるのならいくつもの冒険を乗り越えてきた英雄だ。そして、決闘クラブではスネイプの呪文を防いでみせたわけだから、全くの無能というわけでもない。

 ロックハートを信じてみてもいいのだろうか。

 ふたりは3階の女子トイレへと辿り着いた。

 

「ファンには見せられないですね、こんなところ」

 

 ロックハートが緊張に強張ったウィンクをした。

 ハリーはこの期に及んでまだおどけるロックハートに呆れていたが、女子トイレの中に入ると、そうもいっていられなくなった。ミリセント・ブルストロードが石になって転がっていたからだ。そして、そのすぐそばではマートルが石になって浮かんでいた。

 そして、石になった彼女たちのすぐ近くの床には、ぽっかりと深い穴が開いていた。

 

「これは……先生!」

 

 ロックハートの顔は青ざめていた。

 

「ミス・ブルストロード……いや、そんなはずはない、しかし……彼女はミス・ブルストロードを追っていったのだから……まさか、本当に?」

「先生、どうしたんですか!」

「……そこで石になっているミス・ブルストロードは、先ほど私が引率している最中に姿を消したのです。そして、彼女を追っていった生徒がいた……」

 

 その名を聞いて、ハリーはこの深い穴に飛び込む覚悟を決めた。

 

「ミス・グリーングラスの行方が、まだわかっていない」

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