篝火が盛大に焚かれた。
ハリーとダフネ、グリフィンドールとスリザリンのふたりが手を取り合って事件を解決したという事実に、ホグワーツは浮かれきっていた。
ご馳走が振る舞われ、フリットウィックがこしらえた飾り付けでホグワーツの校庭は世界一のガーデンパーティーの場となった。今夜ばかりはフレッドとジョージの花火にマクゴナガルも目くじらを立てなかった。
その隅、人目につかない木陰にダフネはいた。
「発症した、か」
手を火に翳す。
羽毛などどこにも生えてはいないのに、なぜか自分が穢れたような気分になった。嘴も失われたのに、なぜか声を発するのが億劫だった。
ルシウスの件が片付いて、燃え尽きてしまったのかもしれない。
ごう、と音を立てて篝火の火が首をもたげ、バジリスクの姿を取った。そのバジリスクがグリフィンドールの剣を模した花火に貫かれて崩れると、あちこちから歓声が上がった。
今は少しだけ、あの祭りに交ざれる気分ではなかった。
「否認、怒り、取引、抑うつ、受容……今は否認の段階と言ったところかしら」
死の受容のプロセスだ。
死にゆく患者は自らの死をまず疑う。そして、それが真実だとわかって、死という理不尽に怒る。全ての怒りが八つ当たりに過ぎないと理解して、何かに縋ろうとする。それが徒労に終わり、途方に暮れて何もできなくなる。
そして、死を受け入れる。
多くの患者と違い、ダフネは覚悟していた。血の呪いがいつかは自分を蝕むことを知っていたから、日記帳のトム・リドルと戦うために躊躇なく変身した。
しかし、まだ受け入れきれない自分がいた。
いずれダフネは獣へと堕ちる。そのタイムリミットが、時を刻みはじめた。
「――あるいは、君の覚悟が強固すぎるゆえに常人とは異なるプロセスを辿るのかもしれんのう」
「あら……こんばんは、先生」
ダンブルドアはダフネの隣にゆっくりと腰を下ろし、ダフネに湯気の立ったココアのマグカップを差し出した。
「マダム・ポンフリーのココアは絶品でのう、わしは具合が悪くない時でも彼女のココアなら大歓迎じゃ。気持ちがほっとほぐれる」
「今の私に必要なのはココア、そういうことかしら」
「それも、たっぷり練った特上のやつを一杯じゃ」
ダフネは受け取って目を閉じ、その香ばしい甘さをしばし堪能した。
確かに、気持ちがほぐれていくようだった。自分が本当に血の呪いと適切に向き合えているのか、そんな不安に包まれていたダフネの身体をココアの湯気が優しく撫でていく。
「君に謝りに来たのじゃ、ダフネ。ニコラスから、君の治療計画についてとても長い手紙が送られてきた。どうやら、わしの見立てよりも君たちの治療は複雑で難しいようじゃ」
「ふふ、先生にも間違えることがあるんですのね」
「左様。わしは恥ずかしくてたまらん。これほど申し訳なく思ったのは、弟の初めての編み物をうっかり踏んでしまって台無しにした時以来かのう」
ダフネが笑うと、ダンブルドアは穏やかに微笑んだ。
ダンブルドアは最善を尽くしてくれた。賢者の石をそのまま使うのではなく、専門家に紹介するという英断。これによってダフネはニコラス・フラメルが言う「恐ろしい事態」を避けることができた。
その一方で、賢者の石が直接的な解決手段にならないとわかったのも事実だ。
「血の呪いは、感情の昂りに合わせて肉体を、精神を蝕む呪いですわ。私が冷静でいられれば、あるいは発症することもなかったでしょう」
「おお、なんとも勇ましい言葉じゃ。しかしのう、バジリスクと若き日のヴォルデモートを前にして冷静でいられる者など果たしておるじゃろうか」
「そうですわね、避けようのない事態だったのかもしれない……」
ココアを一口飲む。
木陰の涼しさの中で、ダフネの心をココアが優しく溶かしていった。
「ねえ、先生。私、思っていたより怖くありませんの。考え方によっては、私はちょっとした動物もどきになったようなものですわ。便利でしょう? マクゴナガル先生の変身を見るたび、羨ましく思っていたんですのよ」
「同じことを、イオも言っておったよ」
「母が?」
ダフネは驚いて目を瞬かせた。
イオ・グリーングラス。ダフネとアステリアの母だ。才気あふれる魔女だったが、彼女も血の呪いの恐怖に勝てなかった。ダフネは彼女の首吊り死体を処理したときに、自分はアステリアに同じ苦しみを味わわせまいと誓ったのだ。
ダンブルドアは鷹揚に頷いて、ラベンダー色のローブのポケットから一枚の写真を取り出し、そしてダフネに差し出した。
「変身術クラブの卒業記念で撮った写真じゃよ。ハリーのご両親、特にジェームズも時折出入りしておったのう。そう思うと、君たちの縁は親の代から続いていたのやもしれん」
「……ふふ、なるほど」
写真の中では、勝ち気そうな黒髪の女性――イオが杖を手に自信ありげな表情で中央を陣取っている。周囲の人々がそれに不満を示していないところを見るに、リーダーとして認められた人物だったようだ。
イオは変身術を究めた人物だった。血の呪いは変身術に起源のある魔法だと主張し、変身術的アプローチの対抗呪文で血の呪いを緩和しようと試みた。その結果、彼女はマグルが想像するハーピィのような無惨な姿に変身してしまったのだが。
それでも、イオは優秀な学生だったのだろう。
しかし、それを唯一不満に思っているらしい癖っ毛に眼鏡の青年が、顔立ちの整った黒髪の青年と小柄でどこか臆病そうな表情の青年と肩を組んでカメラの前に滑り込んだ。
ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、そしてピーター・ペティグリューだ。
となると、カメラを操作しているのは案外リーマス・ルーピンなのかもしれない。
「その写真は君に進呈しようぞ。しかし、ゆめゆめ忘れてはならん。君が呪いに苦しむ時、君を愛する人々は君を助けたいと望んでやまんのじゃ。ハリーも、マクゴナガル先生も、君の友人たちや可愛いアステリアも」
「先生も?」
「おお、そうとも。わしの小さな頭で考えられることは、できる限り考えることとしようぞ。ダフネ、それが君の助けになることを願っておるよ。……なんと! あっという間にココアを飲み干してしまった! 長い夜じゃ、ポピーにおかわりを注いでもらわねばなるまいて」
ダンブルドアは鼻歌を奏でながら立ち上がった。
「さて、祭りの主役がいつまでもここに隠れていられるわけではなさそうじゃのう。どうせならたっぷり楽しむのじゃ、ダフネ」
「それってどういう――」
ダフネの疑問は、背後から飛びつくように抱きついてきたパンジーの腕にかき消された。あるいは押し潰された。
「いたー! あんたこんなところで何してるのよ! ミリセントが泣きべそかきながらずっと探してたのよ?」
「な、泣いてないぞ!」
「あーら、ずーっとぐずぐず言ってたくせに。やっぱりダフネに嫌われたかもしれないー、とか言って」
「そ、それは内緒にしてくれるって約束だっただろう!」
「ほら、やっぱり言ったんじゃない! ……あっ、ダンブルドア先生。こ、こんばんは……」
「こんばんは、パンジー。ミリセントも。いい夜じゃのう。わしがダフネと話し込んでしまったせいで、どうやら君たちにいらぬ苦労をかけたようじゃ」
パンジーとミリセントが慌てたように首を振ると、ダンブルドアはにこやかに頷いて小さく杖を振った。
すると、パンジーとミリセントの手元にダフネと同じマグカップが現れた。もちろん、そこにはなみなみと注がれたココアが湯気を立てていた。
「友情は何よりも尊いものじゃ。ホグワーツで何を第一に教えるべきかと理事会に問われれば、わしは君たちのような友情をこそ教えるべきだと答えようぞ」
「えっと……えへへ、褒めてもらってるんですよね? ありがとうございます」
「もちろんじゃとも、パンジー。では、君たちがいい夜を過ごせますように」
ダンブルドアはそのまま、空のマグカップを手に鼻歌を奏でながら去っていった。
「……え、何の話してたのよ。これ私が遮るのまずかったやつ?」
「大丈夫ですわ、大方片付いたところでしたから。座って、パンジー。ミリセントも」
「い、いいのか……?」
「あら、棒立ちのほうがお好きならそれでも結構でしてよ?」
ミリセントは大慌てで切り株に腰掛け、パンジーはダフネのからかいに呆れたような顔をしながらダフネを挟んで反対側に腰を下ろした。
しばらく、3人は黙って篝火のほうを見ていた。
フィルチの怒鳴り声が聞こえる。愛猫が復活した晩だというのに、彼のたくましい職業精神は今日も健在らしい。そのフィルチもフレッドとジョージが篝火に放り込んだドラゴン花火に追いかけ回されると情けない悲鳴を上げながら逃げはじめた。
「フィルチって馬鹿ねえ、あれ触っても火傷ひとつしないのに」
「そうなのか?」
「牙や鱗に見える部分は火花ではなく魔法薬の煙だと伺いましたわ。多少熱くはあるでしょうが、噛みつかれても煤けるだけでしょうね」
「な、なるほど……」
ミリセントはしばらく黙っていたが、おずおずと話を切り出した。
「その……ごめん」
「何が?」
「お前たちを避けたこと……怖かったんだ、その、バジリスクにずっと脅されてて」
「悪いのはバジリスクでしょう? 謝る必要なんてありませんわよ」
「でも……謝っておきたかったから」
ダフネが頷くと、ミリセントはホッとしたように息を吐いた。
ミリセントが謝ることなど何もなかった。ダフネは彼女の恐怖としっかり向き合わず、彼女の血筋に原因があると決めつけて放置した。間違えたのはダフネの方だ。
パンジーが鼻を鳴らし、ココアを啜った。
「言っとくけど、あたしはまだ許してないからね。しんよーってやつはこれからの振る舞いで取り返すのよ。わかったわね、ミリィ!」
「ミリィ……それは私か?」
「ミリセントだからミリィでしょ」
「じゃあ、パンジーは……パン? パグ? パピー?」
「おい、なんか失礼な気がするわよ。ダフネは……うーん、ダッフィーって柄じゃないわよね」
ダフネが声を上げて笑うと、ミリセントとパンジーが驚いたように身を引いた。
なんだか気が抜けてしまった。
「――ああ、ここにいたか! ミス・グリーングラス!」
「げえっ、マクミラン」
アーニーが木立をかき分けて現れると、パンジーが嫌そうに呻いた。
アーニーは困ったように眉を曲げていた。その後ろから、ザカリアスが呆れたものを見る目でアーニーを見守っていた。
「ほら、なんか言うんじゃありませんでしたか、先輩」
「わかってる! その、なんだ、すまなかった!」
「今日は受ける必要のない謝罪が降ってくる日ですわね。構いませんわ、私が紛らわしい振る舞いをしたのがよくなかったのですから」
「だとしても、僕は君の信念を信じるべきだった。誓うよ、もう君を疑ったりしない」
後ろでザカリアスが小さく鼻を鳴らしたのをダフネは聞き逃さなかったが、顔を真っ赤にして謝罪するアーニーのために何も言わないでおいた。
「あんたね、都合よすぎ。そういうのは誠意で示しなさいよね、誠意で!」
「誠意……わかった、いくらでも言ってくれ。実家に残してある小遣いでできるだけ工面しよう」
「いりませんわよ、そんな。パンジーも焚き付けないの」
パンジーはアーニーにべーっと舌を出してみせた。
秘密の部屋の事件が終わり、全てが終息に向かっている。ロックハートが聖マンゴ送りになったことを除けば、いつも通りのホグワーツが戻ってこようとしていた。
しかし、全てが解決したわけではなかった。
「……実は、ハッフルパフ内ではまだ君が継承者だったのではないかという噂が残っている。もちろん、僕は君がハリーと一緒に戦ったと信じているが……君の自作自演だったのではないか、そういう声があるのも事実だ」
「まあ、否定できる根拠はありませんわね」
犯人は日記帳だった。
そんなことを全ての生徒が信じるわけではない。ロックハートが操られていたということも、ダフネがハリーとともに戦ったということも、証言以外の証拠がないのだ。
「僕は全力で君に関するこれらの噂を撲滅する。任せてほしい」
「……人の口に戸は立てられないものですわ。時が過ぎ去れば、皆別のことに興味を向けます」
「それでもだ!」
そう口にしながらも、ダフネの気持ちは晴れなかった。
グリーングラス家の血の呪いが宿主を大鴉へ変身させるという事実は、先祖たちの変身を目撃した者たちによってまことしやかに語り継がれている。
その噂と今回の継承者騒動が合わさり、ダフネにはある風聞がまとわりついていた。
「君を
「……心強いですわね」
マーリンと戦った旧き闇の魔女、大鴉の動物もどき、モリガン。
その継承者なのではないかと、ダフネは噂されている。
「モリガンってあれでしょ? セイア家のご先祖の」
「そうだ、パーキンソン。その……イルヴァーモーニー魔法魔術学校の創設者イゾルト・セイアの先祖だな」
「……気を使わなくてもいいですわ、アーニー。英国史に名を刻む邪悪な闇の魔女モリガン。その名はマグル界ですらなお語り継がれていますもの」
笑って、ダフネは立ち上がった。パラパラと張り付いた芝が落ちていく。
そう、まだダフネの戦いは終わっていない。こんなところで燻っている場合ではないのだ。ダフネはまだ前に進み続けなければならない。
モリガンの継承者。その噂は今もなお広まり続けている。
当然だろう。ダフネが継承者であるという噂は、