ダフネに関する噂。
その出所を、ダフネは今学期が始まってからずっと探っていた。それが謀略の一端なら、意図を読み取り、必要に応じて対処しなくてはならないからだ。
悪意ある噂はあちこちから広まっていた。その広がり方に法則性はなく、まるで各地で自然発生したかのようにすら見えた。
しかし。
「――こんばんは、ブレーズ」
「……なにか用かな、ダフネ」
少し怯えたような笑みを浮かべる、アフリカ系の少年。
女子生徒たちに囲まれて暗がりに座っていた彼は、夜闇の中にダフネの姿を認めるとゆっくり立ち上がった。
「少し歩きませんこと?」
「あー……うん、わかった。いいよ。ごめんね、君たち。すぐ戻るから」
女子生徒たちは不満げな声を上げたが、ブレーズの言葉には逆らわなかった。
しばらく、ダフネとブレーズは連れ立って校庭の外周を歩いた。風は少し冷たかったが、その風に乗って祭りの賑わいが夜を明るく感じさせていた。
こんな夜は、秘密が暴かれるのにぴったりだった。
「ロックハート先生のことは残念でしたわね」
「え? ああ、うん、そうだね。聖マンゴに送られるんだろう?」
「ええ。
ブレーズが歩みを止めた。
鋭い視線を気にもとめず、ダフネは枝から飛び上がった蛾が篝火のほうへと飛んでいくのを見守った。あの蛾はきっとそのまま篝火に飛び込み、そして燃え尽きるだろう。
「デメテル・ザビニは七人目の花婿を求めている。そうでしょう? そしてあなたはロックハート先生を彼女のもとに連れていく役目を任されていた」
「なんで、それを」
ダフネは返事のかわりに小さく微笑んだ。
不老の美貌をたたえるデメテルは、まるで夫を使い捨てるかのように乗り捨てている。一連の殺人がただの保険金詐欺ではないことを、ダフネは見抜きつつあった。
デメテルは夫を犠牲に若さを保っている。
そして、名の売れた作家であるロックハートはデメテルの再婚相手にちょうどよかった。
「ロックハート先生は半純血。これ以上の栄達を望むのなら、社交界で純血の魔法使いや魔女にサポートされる必要があった。彼は文才だけでマーリン勲章を授与された天才だけれど……その先がもうなかった。渡りに船、というわけですわね」
「……そうだよ。ママはロックハート先生をほしがってた」
「彼に近づくために、あなたはロックハート先生に弟子入りするふりをした。あなたたちは同じですものね。
ダフネが見落としていたこと。
それは、ブレーズが女子生徒に高い人気を誇るという事実だ。彼は特定の恋人を持たないが、それでも多くの女子生徒が彼の囲いについていた。
そして、それはロックハートも同じだった。ハーマイオニー・グレンジャーやモリー・ウィーズリーのように、彼の熱狂的なファンはほとんどが魔女だった。
女性を味方につける才能とは天禀だ。
清潔感、言葉選び、程よい距離感、全てが揃っていなければならない。それらが揃って初めて、彼らは総人口の半数、その大半に支持されるようになる。民主主義においてこれがどれだけ偉大な才能か。
ギルデロイ・ロックハートとブレーズ・ザビニは似通っている――
「ところが、あなたには誤算があった。ロックハート先生と違い、あなたには実績がない。あなたは女性たちの庇護欲を掻き立てるけれど……そういう魔女は得てして、過熱し、暴走するもの」
枝を踏む音が響いた。
そう、ブレーズはロックハートにはなれない。
「あなたのガールフレンドたちは、あなたが吹き込んだダフネ・グリーングラスへの悪意に忠実に従った。ええ、驚きましたわ。さすがの私も少しは気が滅入りました。主犯が見当たらないいじめって、なかなか苦しいものですわね」
「……違う、そんなつもりじゃ」
「ええ、そうでしょうとも。あなたは
ブレーズが息を呑んだ。
「デメテル・ザビニはホグワーツの出身ではない。だから、ホグワーツという学閥をことさら警戒している……私がホグワーツ内で派閥を形成していると知って、彼女は焦った。そして、あなたに私を孤立させるよう命じた」
デメテルはダフネを警戒している。その理由についてもダフネはおおよその察しがついている。デメテルはダフネを真なる弱者の旗頭になりかねないと考えているのだ。
人狼、スクイブ、魔法疾患や傷害によって癒えない傷を負った者たち。そういった弱者に対する慈善活動を核として支持層を獲得してきたデメテルにとって、本物の弱者が求心力を得ることは都合が悪いのだ。その弱者は彼女の言うことを聞かないのだから。
しかし、デメテルは
だから彼女は息子を使う必要があった。
「私に嫌がらせをするのも、悪口を吹聴しているのも、全て女子生徒でした。最初は悩みましたわ、寮も学年もバラバラなんですもの。しかし、少しずつ全貌が見えてきた……天晴れ、お見事ですわ」
ブレーズには天賦の才があった。
女性を惹きつける才。寮も学年も問わず、彼を愛し、彼に愛される。なるほど、愛とは強力な魔法だった。
「何の話だったかしら……ああ、そう。誤算の話でしたわね。そう、あなたには誤算があった。彼女たちはあなたを愛しすぎていた。つまり――あなたに特別扱いを受けた、私に嫉妬した」
「ッ、違うんだ」
話を遮るようにブレーズは手を突き出したが、その後に言葉は続かなかった。
「噂はどんどん膨らんでいった。彼女たちはロックハート先生が流した噂にすら便乗した。簡単ですわね。スリザリンの継承者だということになれば、私はホグワーツから追放される」
そう、噂の正体とは、ブレーズを囲う少女たちの嫉妬だった。
最初は血の呪いの噂が流れただけだった。
しかし、スリザリンの継承者についての噂が広まると、彼女たちは興奮した。これはダフネを追放する好機だ。そう考えた彼女たちは、ダフネを継承者に仕立て上げた。
複数の、寮も年齢も異なる発信源。
彼女たちは的確にダフネを追い詰めたつもりだっただろう。
「僕は……僕はそんなつもりじゃ」
「ええ、そのつもりはなかったかもしれない。けれども、あなたは止めなかった。そのほうが都合が良かったからか、それとも彼女たちに歯向かうことを恐れたのか……どちらにせよ、彼女たちは今も止まっていない」
モリガンの継承者。
その噂は静かに、しかし確実に広まっている。グリーングラス家の女性が血の呪いで大鴉に変身するのは、モリガンが大鴉の動物もどきだったからなのだと。そしてグリーングラス家はモリガンの血を引いており、マーリンの呪いが動物もどきの魔法を血の呪いに変えてしまったのだと。
幸い、これは事実ではない。ダフネの母イオが身を挺して検証したように、血の呪いは変身術に由来しないからだ。
しかし、そんな事実は世間にとっては重要ではない。
パーセルマウスが闇の魔術師の証として忌み嫌われるように、グリーングラス家そのものを忌み嫌う風潮が作られようとしている。
「もはや、噂は止められませんわ。あなたが止めようとすれば、かえって過熱する」
「本当に……本当に、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、ママが君をひとりぼっちになるようにしろって言うから、少し吹き込んだだけで……」
「あなたは少し、自信がなさすぎですわね」
ブレーズの自信のなさが、この結果を招いた。
ガールフレンドたちに対する影響力。彼はそれを自覚していなかったのだ。
そして、全寮制のホグワーツで女子生徒内で囁かれる噂とは、すなわち世論だった。
ダフネは初めて、ブレーズに興味を持った。
世論操作と多数派工作で、ダフネは危うく彼に負けかけたのだ。ダフネが自ら秘密の部屋の事件を解決するという手段を取っていなければ、状況はさらに悪化していただろう。
「責任を取ってもらいましょうか、ブレーズ・ザビニ」
「せ、責任って言っても……僕がやったわけじゃない! 彼女たちが勝手に」
「情けない口ですこと。ガールフレンドたちがやったことの責任は男の子が取るものですわよ」
ダフネが一歩迫ると、ブレーズは怯えたように身を引いた。
もう一歩。
もう一歩。
ブレーズの背中に大樹の樹皮が当たると、彼は泣きそうな顔をして腕を上げ、頭を庇った。
「お願いだから、ぶたないで」
その一言に、ダフネは違和感を覚えた。
「まさか、殴ったりしませんわよ。
否定する言葉はなかった。
これでダフネは確信した。
ドラコは以前、ブレーズのことを「シャキッとしたやつ、自信があってかっこいい男」と評した。しかし、ある時期を境に彼は変貌した。臆病になり、人の顔色を伺うようになり、13歳になってもどこか幼稚なままだ。
「……いつからですの?」
「何が……?」
「いつから、
ブレーズは母親から虐待を受けている。
「わかんないよ……昔はああじゃなかったんだ。でも、5年くらい前からすごく怒りっぽくなって……でも、魔法のカップにお水を注いで飲むと昔のママに戻ってくれるんだ」
「魔法の……カップ」
背筋を嫌な汗が伝った。
カップなどいくらでもある。魔法のかかったカップを全て気にしていたらきりがない。
しかし、精神を捻じ曲げ、性格を変貌させるカップはそれほど多くはないはずだ。我が子に手を上げるまでの変貌をさせる魔法がかかったカップとなると、流石に疑っておくべきではないか。
「……私たち、協力できると思いませんこと?」
「協力……?」
ブレーズがおずおずと顔を上げた。
「あなたは昔の母親を取り戻せる。私は干渉を絶つことができる。どうです、魅力的な提案だと思いませんこと?」
「僕……僕、わからないよ。ママには昔みたいに笑っててほしい。でも、君に近づくなってママが……」
「そのママを助けるために、今こそ立ち上がるのですよ」
躊躇うように、ブレーズは黒い瞳を迷わせた。
夜闇に溶け込んで、ブレーズの大きな瞳だけが宙を彷徨っていた。
正直に言って、ダフネにとってみればザビニ家の問題など些事に過ぎない。ブレーズが虐待を受けていようが、デメテルの性格に難があろうがどうでもいいのだ。
しかし、その原因が分霊箱にあるのだとすれば。
「私、そのカップに心当たりがありますの。恐らくは逆……カップがあなたの母親を狂わせ、そして内容物を飲むよう仕向けられている」
「そんな!」
「そのカップはプレゼント? 贈り主は誰かしら」
「魔法省の役人だよ、名前は知らない。なんか……すごく嫌な目をしたおばさんだった」
「ピンク色の服を着て、ガマガエルのような顔をしていませんでした?」
「そう、その人!」
ブレーズは興奮したように声を上げて、大樹から身を起こした。
点と点が線でつながった。
贈り主はアンブリッジだった。グリンゴッツからハッフルパフのカップが失われた際、立ち入り調査の監督をしていたのは大臣室のアンブリッジだ。彼女は半純血で、出世のためにコネクションを求め続けている。
アンブリッジが分霊箱を知っているとは思えない。そうでなければ、スリザリンのロケットを身に着けようとは思わないだろう。ヴォルデモートの地雷の上でタップダンスを踊るようなものだ。
「あいつが……あいつがママに悪さをしたの?」
「彼女としては単なる贈り物のつもりだったのでしょうが……自分の手元に置かなかったことを考えると、何かしらの悪影響を及ぼす品であることは認識していてもおかしくはないかと」
「じゃあ……ママは、あいつのせいで……」
思い詰めた表情のブレーズの肩に、ダフネはそっと手を置いた。
「今はどうやってデメテルを救うかです。カップを持ち出すことは可能ですか?」
「……無理だよ。あれはママが持ち歩いてる」
「持ち歩いている、なるほど……それはパーティーの時でも?」
「ママのドレスはどれも特注品なんだ。アフリカ式の空間拡張呪文をかけてあって、魔法がかかった品でもしまえるようになってる」
ダフネが小さく息を吐くと、ブレーズは怯えたように肩を震わせた。
勝ち筋が見えた。
ハッフルパフのカップを入手できれば、ダフネの計画は大きく前進する。上手くいけば、ヴォルデモートの復活より前に決着をつけることができるかもしれない。
「いいですか、ブレーズ・ザビニ……私、あなたを高く評価していますの。あなたの才能には使い道がある。私の側につけば、あなたの母親を助けてあげますわ」
「でも、僕……本当に?」
「ええ。何も母親を裏切れとは言いません。そうしなくとも私の味方につけるよう、私が取り計らって差し上げましょう」
ブレーズには使い道がある。
民衆に愛されること。それは生半可な弁論術よりもはるかに重要な、政治家に求められる素質だ。ブレーズは純血というブランド、愛される力、その両方を有している。
「だから、今は安心して母親に従っていなさいな。彼女を救うため、協力いたしましょう?」
「うん……うん、わかった」
デメテルが正気を取り戻すか、破滅するか。
どちらに転んでも、ダフネは得をする。