春の日差しと呼ぶには少し熱を帯びていた。
「外はいい陽気じゃよ、ギルデロイ」
ダンブルドアは優しくカーテンを閉じ、ベッドに寝かされている人形に目をやった。人形というのはつまり、ギルデロイ・ロックハートのことだ。
ベッドサイドには大量のファンレターが届いている。癒者は時折彼のためにファンレターを読み上げてやっているらしい。人形に変身させられてもなお、ロックハートにはファンレターを聞き届けるだけの自我が残っている。
もっとも、彼がそのファンレターに輝くスマイルの写真と華やかなサインを添えて返事をするのにはしばらく時間がかかりそうだったが。
「今日の陽気によく似て、君の人気は衰えんようじゃのう」
返事はなかったが、ベッドの上で人形がカタカタと震えた。
この一年間、ダンブルドアはロックハートをどうやって罰するべきかをじっくりと考えていた。彼の犯罪には証拠がないからだ。残酷な言い方をしてしまえば、もう覚えていないという意味で被害者もまたいない。
しかし、意外な形で彼は良心を発揮し、相応しい報いを受け、こうして横たわっている。
世間はロックハートの罪を知らない。
今もご婦人方はロックハートに夢中だし、ホグワーツ生の中にも彼を英雄視する者はいる。驚くべきことに、日記帳が提案する授業プランは座学中心とは言えどもそれなりに精度の高いものだったからだ。
「残念じゃが、新しい先生を探さねばならんようじゃ」
ロックハートが抗議するように身体をカタカタと鳴らした。
「次の先生は、自分で授業計画を組み立てられる方にしなければならんのう」
カタカタ音が止んだ。
複雑な、古い呪いによってロックハートの肉体は人形に変えられている。魔法薬の塗布によって少しずつ人間に戻される予定だが、その過程には耐え難い痛みが伴うだろう。
ダンブルドアは杖の一振りで彼を元に戻せる自信があったが、そうする予定はなかった。彼はしばらく身動きの取れない状態で反省の期間を挟むべきだ。奪われた記憶たちが取り戻せない以上、償いの形は苦しみよりほかにない。
しかし、反省と後悔の末に改めて彼が新しい道を望むのなら、その時こそダンブルドアは喜んで彼を許すことだろう。
「――先生、ここでしたか」
扉を開いた老人が、ベッドの上に寝かされたロックハートを見て顔をしかめた。
「あー、つまり、彼が今年の?」
「そうとも、ニュート。では、養生するのじゃぞ、ギルデロイ」
ダンブルドアは病室を後にして、老人――ニュート・スキャマンダーと並んで歩いた。
しばらく、ふたりは沈黙していた。
リノリウムの床の上を革靴の踵を鳴らして歩き、すれ違う癒者に会釈を返しながら、ふたりは聖マンゴ魔法疾患傷害病院の外へと出た。
「……残念です。サラザール・スリザリンのバジリスクとなれば、1000年生きた個体だ」
ややあって、ニュートはゆっくりと切り出した。
「おお、そうとも。そのような偉大な生き物が間違った思想に基づく間違った行為のために使役されていたのは、誠に残念としか言いようがない」
「ええ。でも、戦った生徒たちが無事でよかった。バジリスクは凄まじく強力な生き物だ。毒牙や邪視が言及されがちだけど、そもそもの肉体やそれを覆う鱗が呪いに対する強い抵抗力を持っていて――」
思わずと言った様子でまくし立てそうになってから、ニュートは慌てて口を閉ざした。
骨の髄まで学者肌。正直者でまっすぐなところは昔からちっとも変わっていない。それどころか、年を取ってなおニュートの探究心は衰えを見せないようだ。
そんなニュートだから、ダンブルドアは彼のことを心から信じられるのだ。
「ここに来たということは、手紙を読んでくれたことかと思うが、君の見解を聞かせてもらいたくてのう」
「……難しい質問ですね」
ロンドンの街角でカフェに入ったふたりは、テラス席を確保した。
ダンブルドアはキャラメルマキアートを、ニュートは少し迷ってブレンドコーヒーを頼んだ。注文した飲み物が届き、代金を支払った後、ダンブルドアが杖を振るとテーブルは外の空間から隔絶された。
ニュートはカップを持ってゆっくりとコーヒーを啜り、眉をひそめた。
「どうやら、ティナの淹れるコーヒーのほうがおいしかったようじゃのう」
「ええ、とても。ただ、まあ、ロンドンでこの値段で飲めるブレンドなら悪くないんだろうな、たぶんだけど。それで――血の呪いについてですか」
ダフネが発症した。
もしダフネが個人的にダンブルドアを頼ってくるようなら、ダンブルドアとしてはいつでもダフネを助ける用意があった。さすがに専門でない錬金術についてはニコラス・フラメルに任せたが、変身術に関してはダンブルドアもそれなり以上の心得がある。
しかし、血の呪いについて変身術の視点からアプローチしたイオ・グリーングラスは自ら命を絶った。彼女の絶望から察するに、おそらく血の呪いは単なる変身術で対処できるものではないのだろう。
錬金術では対処が間に合わないとわかった。
変身術では対処として足りないこともわかっている。
そこで、ダンブルドアはマレディクタスの行き着く先――魔法生物飼育学の権威であるニュートの知恵を借りることにした。
「そうですね……なんというか、血の呪いは僕の分野なようでそうでもないんです。血の呪いが効果を発揮するのはマレディクタスを動物に変容させるまでの間であって、動物になったあとはいくつかの生体的な特性を除けばただの魔法生物だから」
「なるほど、続けて」
「ただ、言えるとすれば……血の呪いはクィンタペッドにかけられたとされる呪いに近いものがあるのかもしれません」
「毛むくじゃらマクブーン……なるほどのう」
クィンタペッド、通称毛むくじゃらマクブーンとは、スコットランド北部のドレア島にのみ生息する魔法生物だ。名前の通り
これだけならただの危険な魔法生物だが、クィンタペッドにまつわるある伝承がこの興味深い生き物を際立たせていた。
クィンタペッドの先祖は元々人間だったというのだ。
「伝承の通りなら、クィンタペッドはマクブーン家の一族全員が呪いをかけられて変身した姿だ。そして彼らは呪いをかけたマクリアート家を皆食べてしまった。そして今もまだ呪いを解こうとすると抵抗して噛みついてくる……というのが、一般に知られている話」
「ほう、壮大な物語が始まりそうな前置きじゃのう」
「あまり愉快な話じゃないですけど……」
ニュートはコーヒーをもう一口啜って顔をしかめてから、話を続けた。
「クィンタペッドは苦しんでいない。つまり、価値観の全てがヒトではなく、クィンタペッドになっているということだと僕は思うんです。変身術は必ずしもそうではない、そうでしょう? たとえば、動物もどきが動物になっても心はヒトのままだ」
変身術とは本質的に元素変容の魔術だ。
紙切れを鳥に変えた時、紙切れだったものは鳥のように思考する。同様に人間が動物に変えられた時、人間だったものは動物のように思考するとされるのが一般的だ。
しかし、ある程度熟達した魔術師が抵抗をすれば、変身術をかけられても自我を保つことはできる。たとえば、子どもの悪趣味な悪戯に使われるクラゲ脚の呪いのような変身術では自我が奪われることはない。
変身術の本懐はガンプの法則が示すように元素変容であって、精神をいじくり回すことは変身術の目的ではない。
動物もどきはまさにその好例だ。適切な処置を施すことで、変身術の影響を肉体のみに与えるように仕向けている。変身術という技術の極地のひとつと言えるだろう。
「興味深い指摘じゃのう。わしも昔ちょっとしたミスでティーポットに変身したことがあったが、一向に茶を注ぎたいという気持ちにはならなんだ」
「ティーポットに? 先生が? ……ティーポットが望んでお茶を注いでるかはちょっと面白いテーマだと思いますけど、ともかく、僕が言いたいのは、血の呪いもクィンタペッドと同じように肉体だけでなく精神まで変容させる呪いだということです」
キャラメルマキアートのソースがたっぷり乗ったスチームミルクを味わいながら、ダンブルドアは思案した。
血の呪いが発症した者は精神まで確実に変容する。
これはある意味で周知の事実だ。ある意味でというのは、マレディクタスが人狼と同様に下等生物として扱われるからだ。人々は事実を知らないままマレディクタスを獣と決めつけ、それは偶然にも部分的に正解だった。
完全に獣まで堕ちたマレディクタスは獣よりもはるかに高い知性を持つ。しかし、彼らはもはや人間ではない。
「……ニュート。君はナギニのその後を知っておるかね?」
「いえ、残念ながら何も」
「彼女は蛇のマレディクタスだった。パーセルマウスであればあるいは、彼女と意思疎通を図れるのではないか……最近ふと、そのようなことを思ってのう」
「彼女が存命だったとして、精神がヒトのそれを保っているとは思えません。僕も、できればそうであってほしいと思ってるけど……」
ニュートは渋い顔でコーヒーカップを口元に運んだ。
ナギニ。かつてクリーデンス――アウレリウス・ダンブルドアを支え、ともにグリンデルバルドと戦った勇敢な魔女だ。
ある時期まではサーカス団の団員として見せ物にされていたが、グリンデルバルドとの戦いが終わりアウレリウスが他界してからは行方知れずとなっていた。
「先生はナギニを助けるつもりで血の呪いのことを?」
「……そうなってほしいと思っておるよ」
曖昧に誤魔化して、キャラメルマキアートを口に運ぶ。
ダンブルドアにとって、ダフネ・グリーングラスは想定外の人物だった。
強烈な革命思想。満ち溢れるカリスマ。強い既視感を覚えた。しかし、それと同時に彼女にはその
もはや、ハリーに関する計画を進める上でダフネを取り除くことはできない。
ダフネの思想はダンブルドアにとって受け入れがたいものだ。選民的で、独善的で、強引。しかし、同じことはダンブルドア自身にも言える。
どう向き合うべきか。
ダンブルドアはまだ答えを出せずにいた。かつての自分と、そしてゲラート・グリンデルバルドと重なるからこそ、彼女と自分たちとの違いは眩しいほどに鮮烈だった。
「もしナギニが存命だったとして……彼女が自由かどうか」
「誰かに捕らわれておると? なぜそう思うのかね?」
「マレディクタスはただの動物ではないんです、先生。マートラップから触手液を絞るみたいな……魔法生物として、マレディクタスには、その、
ダンブルドアの中に一瞬邪な考えが浮かび上がり、すぐに後悔した。
こんなことを考えるなんて、絶対にあってはいけない。
「たとえば、古い記録が確かなら、インド魔法界には象のマレディクタスがいて、牙から金運を高める魔法薬が作られた。今の幸運薬の原型になった薬です」
「君にとっては腹立たしい話かもしれんが、魔法族は古くから魔法生物を資源として利用してきた。その話を聞くと、どうにも
「
ニュートはぞっとしたように目を見開いた。
おかしな話ではない。資源にはそれぞれ違った価値がある。有り余る資源を別の資源に
その資源が偶然生き物だっただけ、という言い方はあまりに残酷だろう。しかし、その残酷さを許容する魔法族も世の中には存在する。
「ニュート、聞かせてくれるかな。君の知る限り、最も古い血の呪いの記録はどこに残っておるか」
「僕は魔法史家ではないから、自信はないけど……いくつかの説があります。アフリカが起源だって主張する学者もいる。僕はこの説は間違いだと思っています。アフリカを起源とする変身術は多いけど、血の呪いは……」
「変身術ではない」
「そう。だとすると、一番確かだと思われる説は……」
ニュートは少し困ったように眉を寄せて、ゆっくりと口を開いた。
「