その血は呪われている   作:海野波香

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 空を駆けていた。

 

「おねーさまー! すごいですー!」

 

 歓声を上げるアステリアを抱き抱えて、ぐっと足に力を入れる。落下防止の魔法は最低限しかかけられていない。興奮と恐怖でやや興奮が勝る。

 巨大な翼が羽ばたき、風を切っていく。

 今、ダフネとアステリアはグリフィンの背に跨っていた。

 雲を割り、海へと急降下するグリフィン。猛禽の頭が甲高い鳴き声を上げると、手綱を握った魔女が踵でグリフィンの脇腹に合図を送った。

 ギリシャの空は工業化の波が押し寄せてなお神話の時代の空気を残している。それとも、ギリシャ魔法界が保全に努めているのだろうか。太陽を背にグリフィンが闊歩する空は、偉大な神話を感じさせる。

 約20分のフライトを終えて、ダフネとアステリアは地上に戻った。

 

「す、すごかったです……! 雲が、雲がわーって!」

 

 無邪気にはしゃぐアステリアが腕を振り上げた。

 グリフィンに跨って雲をかき分けた。この思い出はアステリアにとって特別なものになるのだろう。感動を共有しようと振り返る笑みのなんとまばゆいことか。

 乱れた髪を指先で整えてやると、アステリアはくすぐったそうに目を細めた。

 連れてきてよかった。

 

「ええ、感動的だったわ。グリフィンの力強い羽ばたきの勇ましさは他の国では味わえないわね」

「光栄です、ミス」

 

 グリフィンの体からダフネとアステリアを順に抱いて降ろしながら、騎手を務めた女性が白い歯を見せて爽やかに笑った。

 彼女はギリシャ魔法省から派遣されてきたグリフィンライダー隊の精鋭だ。アステリアの魔法生物好きを知ったルシウスが手を回してくれたおかげで、貴重な飛行体験の機会を得ることができた。

 

「ミス・ストラトスは代々グリフィンライダー隊に?」

「ええ、軍隊(ストラトス)なんて家ですから。父も、祖父も、その先祖もグリフィン乗りでした。嫁の貰い手がつかなくなると言って母は嘆きましたが、私はどうも結婚より相棒に乗っているほうが性に合うようで」

「天職というわけですわね。素敵ですわ」

 

 芝生に降ろされてから、ダフネは心配そうに見守っていたルシウスとナルシッサに手を振ってみせた。

 ルシウスは「凶暴な(けだもの)に自ら近寄ろうとする者は獣と同程度に正気ではない」と主張している。たとえ国際友好のためであっても絶対に乗る気はないらしい。

 つい先ほどまで駆け回っていた空を見上げる。

 空は居心地がいい。

 空を駆け、風を切り、雲を割る。飛行という行為に、ダフネは快感を覚えた。目が覚めるような心地よさだった。

 人が抱える空への憧れの結実だろうか。

 それとも、大鴉のマレディクタスとしての本能だろうか。

 

「おいで、メラーキ。いい子だ。そうだ、餌をあげてみますか?」

「いいんですか!」

「もちろん。メラーキはグリフィンにしては人懐っこい子で、自分のことを可愛がってくれる人間が大好きなんです。甘えんぼなんですよ。ちょっと待っててくださいね……」

 

 フライト用の革製のポーチから騎手が生のイタチを取り出すのを傍目に、ダフネは広く芝の手入れが行き届いた飛行場を見渡した。

 遠くに何頭ものグリフィンが放し飼いにされているのが見える。そしてそれとは反対の方角には厩舎。飼育されているのは餌用の牛だろうか。

 クィディッチができるよう整備されているが、ゴールポストにはあまり使い込まれた様子がない。箒で飛行してグリフィンを訓練する目的のほうが強いのだろう。その証拠に、クィディッチでは使わないようなボールがいくつか傷だらけで浮遊している。

 どうやらギリシャ魔法省はグリフィンライダー隊にかなりの自由を認めているらしい。

 それだけグリフィンライダー隊はギリシャ魔法界の象徴として役目を果たしているということだろう。ある時は儀仗兵として、またある時はドラゴンのような国難を追い払う空軍として。

 彼らはギリシャの誇りなのだ。

 

「お気持ちに感謝しますわ、ミス・ストラトス。でも、お忙しいのでは?」

「全然! 魔法大臣直々におふたりを歓待するよう仰せつかってるんですよ。そのおかげで今日は午後からオフだったりして」

 

 どうやらルシウスが手を回してくれたようだ。

 アステリアが投げたイタチをグリフィンが空中でキャッチして咀嚼する。見た目には獰猛だが、甘えたような鳴き声を上げておかわりを催促する程度には人懐っこいらしい。

 アステリアに二匹目のイタチを渡しながら、騎手は嬉しそうに笑った。

 

「なんでも、マルフォイ家の皆さんにはギリシャ独立の際に機密保持法の関係で色々と助けていただいたらしくて……あ、これ内緒ですよ? 大臣からこっそり教えてもらったんです」

「あら、じゃあ私たちだけの秘密ですわね」

「うわ、ずるい言い方するなあ。学校ではモテモテでしょう? いいなあ、私もちょっとくらい浮いた話があればよかったのに」

「ギリシャの男たちは見る目がありませんわね」

 

 ダフネが微笑むと、騎手は照れくさそうに首元を掻いた。

 マルフォイ家があちこちに手を広げていることは知っていたが、ギリシャ独立に一枚噛んでいたとは初耳だ。

 オスマン帝国支配下にあったギリシャ魔法界は、スルタンから軍事力として魔法使いの供出を命じられていた時代があった。それを問題視した国際魔法使い連盟は独立支援に踏み切り、現在のギリシャ魔法界がある。

 ここまでは魔法史を学んだ者なら大抵は知っていることだ。

 しかし、この騎手の話が本当だとすれば、マルフォイ家はおそらく国際魔法使い連盟に先んじる形でギリシャ魔法省に恩を売ったということになる。マグル界のギリシャを独立させるために、さぞかしあくどい手段を取ったのだろう。

 洗脳、脅迫、暴行。

 マルフォイ家の人間は陰謀家だが、陰謀家よりも一歩過激なところにいる。

 

「お姉様、この子すごくいい子ですよ! ほら!」

 

 アステリアが空中にイタチを投げると、グリフィンはアピールするように回転しながらキャッチして飲み込み、くるると甘えるような鳴き声を上げた。

 

「メラーキがこんなに懐くなんて、扱いが上手! どうですか、卒業後はグリフィンのブリーダーをやるというのは」

「えへへ……ありがとうございます。考えておこっかな、なんて」

 

 どうやらアステリアはグリフィンに気に入られたようだ。

 ダフネとしてもギリシャの夏のからっとした気候は好みだ。アステリアが気に入ったのなら、また遊びに来てもいいだろう。

 もっとも、その時までルシウスとの関係が続いているとは限らない。アステリアとドラコが結婚すればあるいは関係が続くかもしれないが、ダフネとルシウスに限って言えば純血志向と純血至上主義の違いという壁がある。

 アステリアがまたグリフィンと戯れることができるようにするためにも、早めにダフネ個人がコネクションを作っておくべきだろうか。

 

「国外の魔女でもギリシャ魔法界の誇りに貢献できるというのは魅力的なお誘いですわね。今度来る時は、叶うなら繁殖場の見学を」

「ええ、ぜひ! 嬉しいなあ、外国だとどこにいってもクィディッチ、クィディッチ、クィディッチですからね。興味を持っていただけるってだけでも光栄ですよ」

「誇りとはえてして外からはわかりづらいものですものね。でも、だからといって価値が劣るわけではない」

「そう、そうなんですよ! すごいなあ、ホグワーツの3年生なんですよね? 弟たちに聞かせてやりたいですよ」

 

 ホグワーツ。そう口にした時、彼女の言葉にかすかに羨望の色が滲んだ。

 国際魔法使い連盟に登録されている伝統と格式ある魔法学校は全世界に11存在する。それらの魔法学校に通えなかった者は多くが家庭学習であったり、地域の小規模な教室に通うことになる。魔法学校に通う子どもというのは、実は多数派ではない。

 ギリシャという、長い動乱と混迷の果てに独立を果たした地中海沿いの小さな国家。そこに属する魔法界もまた、まだ混乱の最中にある。魔法学校に通える子どもは決して多くはないだろう。

 

「ホグワーツっていいところですか? お城なんですよね?」

「ええ、素晴らしい学び舎ですわ。レッドキャップやトロール、その他様々な種族や闇の魔術師との戦いに備えた見事な城塞ですのよ。イギリスにいらした時は当家にお声がけくださいな。喜んでご案内いたしますわ」

「え、いいんですか! 嬉しいなあ。家族に自慢できますよ。うちは曾祖母がホグワーツの出で、みんな曾祖母に魔法を教わったので」

 

 ダフネは騎手の彼女と固い握手を交わした。

 ホグワーツに外国の客を入れる許可を取るのは少々手間かもしれないが、それでも魔法大臣から直々に賓客の応対を任されるようなポジションの人物とは親しくしておくに越したことはない。

 政治活動とはこういった積み重ねだ。コネクションを作り、いつでもそれを手繰り寄せられるようにしておく。気の遠くなるような人脈形成作業。

 しかし、苦ではない。これもアステリアのためになることだ。

 

「と、そろそろ昼食の時間ですね。大臣がぜひご一緒にと」

「嬉しいお誘いですわね。もちろん、お受けいたしますわ」

「それはよかった! お店にご案内します。大臣行きつけのお店ですよ。私も昇進した時に一度だけ連れて行ってもらったんですが、あそこのムサカが絶品で!」

 

 姿くらましのために杖を取り出した騎手の腕に手を添える。

 ムサカはギリシャ料理の代表的な一品で、ミートソースとホワイトソースを重ねて焼くラザニアに近い料理だ。どうやらギリシャの魔法大臣は祖国の料理で歓待してくれるつもりらしい。

 頭の中でそれらしいコメントをあらかじめ用意しているうちに姿くらましの圧搾されるような感触が始まり、そしてすぐに解放された。

 香辛料とオリーブオイルの匂いに満ちている。店内の姿現し用スペースと言ったところだろうか。奥には暖炉が鎮座しているのも見える。

 マルフォイ家は先回りしていたらしく、ダフネとアステリアの到着を確認してルシウスが小さく頷いた。

 

「ダフネ、アステリア。楽しんだかね」

「ええ、とっても! ありがとうございます、ルシウスおじさま!」

「そうか。ミス・ストラトス、君の、あー、非常に快適なガイドがあったことは大臣にしっかりと伝えておこう」

「光栄です、ミスター・マルフォイ。では、楽しんで!」

 

 騎手の彼女は最後にアステリアと軽く握手をして微笑んでから、店の外へと去っていった。

 

「さて、会食だ。ギリシャの魔法大臣はあまりマナーにうるさい方ではないが……話題は私が選ぶ。お前たちは行儀よく返事をしていれば十分だ」

「少し寂しい会食になりそうですわね」

「彼は魔法使いと魔女の違いについて()()()()()()をお持ちだ。あまり賢しらな振る舞いをすると、穏やかな会食とはいかなくなるだろう」

 

 ダフネは頷いた。

 そうなると、騎手の彼女がグリーングラス家につけられ、マルフォイ家には別のガイドがつけられていたことにもそこはかとなく意味が出てくる。

 どこまでいってもダフネは子どもで、女だ。それが不利に働くこともあるだろう。だからといってそれだけでめげていられるほどダフネは暇ではない。それならそれで、やれることをやるだけだ。

 それに、今日の目的はギリシャ魔法界にコネクションを形成することではない。

 明日、アステリアをナルシッサに預け、ダフネはルシウスとともにグリンゴッツ魔法銀行ギリシャ支店へと赴く。そこに()()が待っている。

 すでにグリンゴットの伝手で許可は取ってある。本店の頭取からの紹介とあれば、支店が無視することなどできようはずもなかった。

 

「楽しみですわね、おじさま」

「……その勇気だけは、称賛に値するな」

 

 明日、腐ったハーポの分霊箱と対面する。

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