その血は呪われている   作:海野波香

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 なんとか報告書をやっつけたガウェインは、半ば駆けるようにしてパイアス・シックネスのデスクに向かった。

 この報告書にサインを貰えれば、当面の仕事は片付く。ずっと追っていた連続強盗犯も捕らえた。これでガウェインは大手を振って休暇を取り、ギリシャに向かうことができるだろう。

 

「シックネス副長、お願いします」

「ん……どれ、見せてごらん」

 

 タフィーをつまんでいたパイアスが指を拭き、ガウェインから書類を受け取る。

 彼のマグカップからはココアの柔らかな甘い香りが立ち昇り、デスクには局員から差し入れられたキャンディーとタフィーのボックスが置かれている。その糖度の高い環境に反して、書類を精査するパイアスの目は決して甘くはない。

 清潔な指先で素早くページを捲りながら、パイアスがポツリと呟いた。

 

「心配そうだね」

「……ええ、まあ、心配ですよ」

 

 誰のこととは言わずとも伝わった。ダフネのことだ。

 夏休みが始まるや否や、ダフネはマルフォイ家に連れられてギリシャ旅行に旅立った。目的は腐ったハーポの分霊箱との対話だ。闇の魔法使いにくっついて闇の魔法使いに会いに行く。

 正気の沙汰ではない。

 なぜかダフネはマルフォイ家を信用しているようだった。幼い頃からの付き合いという点を差し引いても、彼女はマルフォイ家に特別の感情を抱いていた。

 ガウェインとしても彼らの政治能力と財力に関しては目を見張るものがあるということは理解している。ダフネの計画のために必要なら協力関係を結ぶべきだとも思う。

 しかし、それはそれとしてルシウス・マルフォイなどという男は姑息にも有罪判決を逃れただけの犯罪者だ。ただの悪人ではない。ヴォルデモートに忠実な腹心のひとりだ。服従の呪文にかけられていたなどと、誰が信じるだろうか。

 法執行機関に身を置く者として大きな声では言えないが、ガウェインはあの戦争を生き抜いた魔法使いとしていつかルシウスに痛い目を見せてやりたいと思っている。それくらいにガウェインはルシウスを信用していなかった。

 

「まあ、君の懸念は痛いほどわかる。だが、少し緊張しすぎだな。これは顛末書の様式だ」

「……ああっ!」

「まあ、内容としては理解できた。あえてケチを付けるほどの過不足もない。自動筆記羽根ペンで構わないから報告書の様式で書き直しておいてくれるかな。ついでに有給の申請書も持ってくるといい、見てあげよう。ルーファスには僕から話を通しておくよ」

「ありがとうございます!」

 

 ガウェインが頭を下げると、パイアスはうっすらと微笑みながら頷いた。

 闇祓いとして、それ以上に保護者として、ガウェインはダフネとアステリアを一刻も早く迎えに行きたかった。

 しかし、闇祓いという仕事は決まった日にまとめて有給を取っていいような生易しい仕事ではない。休暇を取って旅行に行っていたから逃亡犯を捕まえられませんでした、では済まないのだ。

 分霊箱によってヴォルデモートが生きている。ダフネからその事実を突きつけられた時、ガウェインの背筋は凍りついた。あの絶望の時代が終わっていなかった。英国魔法界が多大な犠牲を払って終わらせたはずの戦争が、まだ続いている。

 だからこそ、ガウェインはますます仕事に励むようになった。次の時代を惨劇にしないために、できることはやっておかねばならない。

 そして、ダフネ・グリーングラスという小さな女の子は、どうやら新時代の嚆矢であり、旗頭であるようなのだ。であれば、ガウェインは全力を尽くして彼女を支えねばならないだろう。

 

「そうだ、彼女が帰国したら声をかけてくれるかな。彼女さえよければ、また食事でもと思ってね。色々と面白い話が聞けそうだ」

「きっと喜びますよ」

 

 好都合だった。

 ことが計画通り進めば、ダフネは分霊箱についての情報を持ち帰ってくるはずだ。そしてそれはつまり、ヴォルデモートの生存を示す根拠を得て帰ってくるということになる。

 そして、その時こそ、ダフネは対ヴォルデモートにおいてパイアスと共同戦線を張ることができるのだ。協力関係を築く足がかりとしては十分すぎるほどだろう。

 

「ギリシャから帰り次第、ふくろう便を送らせますよ。そういえば、副長にも土産を用意するつもりでいるみたいなことを言っていましたね」

「ほう、それは――」

「失礼します、シックネス局長」

 

 けたたましい足音とともに、ひとりの闇祓いが早足で入室してきた。

 ジョン・ドーリッシュ。ガウェインの同期だ。ふくろう試験を全てO、つまり優の成績で突破してきたエリート中のエリートで、ファッジのお気に入りでもある。

 ドーリッシュは室内にガウェインの姿を認めると軽く眉を上げたが、ガウェインが場所を譲ると当たり前のような顔でパイアスの前に立った。

 

「何かな、ジョン」

「来週予定されている大臣のアズカバン訪問についてですが、私にも随行するようにとのことです。こちら、出張申請書になります」

「結構。どれ……うん、問題なさそうだね」

 

 パイアスが申請書をチェックしてサインを書き込むのを待つ間、ドーリッシュはガウェインにちらりと視線を送ってきた。

 

「ロバーズ、また書類で副長に泣きついたのか」

「生憎と苦手ってやつは一朝一夕で直るもんじゃなくてね」

「ふん。それも仕事のうちだということを自覚するべきだ。現場に出るだけが闇祓いの仕事じゃあない」

「ご忠告どうも」

 

 ドーリッシュとはどうにもうまくいかなかった。

 入局してすぐのころはバディを組まされたこともあったが、あのスクリムジョールが呆れた顔をするくらいに相性が悪かった。

 教本通りの仕事をさせたら何でも完璧なドーリッシュと、その場での応用力や対処能力を評価されているガウェイン。上手く噛み合えばいいコンビになるとスクリムジョールは期待していたようだったが、一度たりとも噛み合った試しがない。

 

「はい、そこまで。ガウェインは書類仕事に慣れるべきだし、ジョンは上手な人の頼り方を覚えるべきだね。……そうだ、ちょうどいいからガウェインも随行員に加わるといい」

「俺がですか?」

「軽いオフだと思えばいいさ。アズカバンをファッジと一緒に回って囚人の様子を見てくるだけだ。守護霊を出してね」

「オフで旅行に行くにはちょーっと寒々しくないですかね。現地にいるのも愉快な仲間たちって感じじゃないですし」

 

 ガウェインの反応に、ドーリッシュが不満そうに鼻を鳴らした。

 

「上が行けといったらどこであろうと行くのが闇祓いだ」

「はいはい、ドーリッシュ様ちゃんの仰せのままに」

「おい、ロバーズ!」

「はは、君たちはどうしてこう、水と油なんだろうねえ。ふたりとも余分な血の気を吸魂鬼に吸ってもらってくるといい。少しはお互いの温かみというものを知る機会になるだろう」

 

 そう言って笑ったパイアスは、ドーリッシュに書類を返すとデスクの上に置かれたボックスから棒付きキャンディーをつまんでふたりに差し出した。

 コーヒーヌガー味とストロベリー味だ。ガウェインがストロベリー味を受け取ると、ドーリッシュがムッとした顔をした。

 

「おっと、ストロベリーがよかったか?」

「……いや、結構。仕事中ですので、これで失礼します」

 

 ドーリッシュが出ていくのを見送ってから、パイアスは少し残念そうにコーヒーヌガー味のキャンディーの包装を剥いた。

 

「ジョンも君も、入局以来変わらないね」

「あいつはもう少し肩の力を抜くことを覚えたほうがいい。じゃないと上に行ってから苦労しますよ、きっと」

「おや、出世すること自体は否定しないんだね」

「もちろんですよ。俺なんか足元にも及びません」

 

 ガウェインが肩をすくめながらキャンディーを咥えると、パイアスは小さく笑った。

 事実、ドーリッシュは出世を期待されている闇祓いのひとりだ。将来的には魔法法執行部長もありえるだろうと噂になっている。

 しかし、そのためにはマニュアル人間なところを改善しなくてはならないだろう。融通の利かない生真面目な性格のままでは部下の管理はうまくいかない。ただでさえ闇祓いという職に就くような人間はよくも悪くも跳ね返りが多いのだから。

 裏を返せば、その性格さえなんとかなれば上はいつでもドーリッシュを引っ張り上げていいと思っている様子だった。

 魔法大臣の覚えもよく、基本に忠実な秀才。魔法省の多くの官僚がこれからは平和な時代になると考えている以上、求められているのはドーリッシュのような人材だった。

 

「僕としては、君にももう少し出世欲を示してもらいたいんだけどね」

「俺には荷が重いですよ。第一、席が空かないでしょう」

「どうかな? ジョンと君が次代の魔法法執行部を牽引していってくれるなら、僕としては心強い限りなんだけれどもね。闇祓い局ではなく、魔法警察という選択肢もある」

 

 意外な提案に、ガウェインは目を瞬かせた。

 しばしば忘れられがちだが、魔法法執行部は闇祓いのみによって成り立つのではない。

 特に英国魔法界の魔法法執行部においては、闇の魔術に係わる案件とそうでない案件で管轄が分かれている。その中でも闇の魔術以外の犯罪全般を扱うのが魔法警察だ。

 闇祓いの試験をパスできずに魔法警察部隊に配属される者も少なくない。キャリア組の闇祓いと比較すれば出世街道から外れた傍流と言っていい。そんな魔法警察だが、近年は戦後ということもあって闇祓い局よりも案件数が多く、予算も相応に付けられるようになっている。

 

「魔法警察ですか。俺が? それとも、ドーリッシュが?」

「それは今後次第だ。適性と、それから社会の状況を見てということになる。魔法警察局の局長になりたがる魔術師はなかなかいないからね。僕としては有能な人材を割り振っておきたい」

「まあ、お気持ちはわかりますが……わかりました、検討しておきます」

「ああ。それじゃあ、有給申請書をやっつけておいで。また後で」

 

 それからガウェインは自分のデスクに戻り、白紙の報告書と有給申請書の用紙を取り出し、自動筆記羽根ペンを立ててからゆっくり考えた。

 以前聞いた未来図では、ダフネには闇祓い局の局長を期待されている。ガウェインとしても出世が嫌というわけではないが、自分にはまだ早いのではないかという気持ちがどこかで引っかかっていた。

 

「次代、か」

 

 アメリア・ボーンズ、パイアス・シックネス、ルーファス・スクリムジョールという構造は魔法法執行部に安定をもたらしていた。クラウチ時代の魔法法執行部にはない、省庁全体の調和と連携に寄与する魔法法執行部。居心地のいい職場だった。

 しかし、時代は次に移ろうとしている。

 ヴォルデモートが生きている以上、魔法法執行部は戦時体制に移行する必要があるだろう。その時、ガウェインはどのような役割で、何を担うべきなのか。

 ダフネとアステリア。亡き妹によく似たふたりを、ガウェインは果たしてどこまで守れるのだろうか。

 

「ロバーズ! 有給取ってギリシャ旅行だって? 鬼婆の次はキメラ退治か、いよいよマーリン勲章を授与される準備ができたってわけだな」

「……お転婆なお姫様を迎えに行くだけだよ、プラウドフット。土産には期待しないでくれよな」

 

 同僚の軽口をあしらって、仕上がった書類に目を通す。今度こそ問題はないはずだ。

 よくも悪くも、ダフネが持ち帰る情報次第で英国魔法界の辿る道筋は変わってくる。戦時中の絶望を鮮明に覚えている者ほど、ヴォルデモートの生存は認めたがらないだろう。ダフネがどこまで影響力を伸ばせるかは、ハーポの情報にかかっている。

 その一方で、ガウェインは心配でもあった。

 あの腐ったハーポだ。ギリシャ魔法界を一度は破滅にまで追いやった伝説の闇の魔法使い。蛇の王バジリスクを生み出し、今にも残る多くの闇の魔術を発明した邪悪な人物。

 グリンゴットの反応を見る限りでは、分霊箱という闇の魔術が恐ろしいものであることは間違いない。そんな恐ろしい存在を相手にして、本当にダフネは無事で帰ってこられるのだろうか?

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