その血は呪われている   作:海野波香

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 水が囁いている。

 息が詰まるような立方体の中心で、ダフネは古代の囚人と向き合っていた。目隠しで覆われているにも関わらず、捕食者の眼光のような重圧がダフネを貫いていた。

 意識を失ったルシウスが床に倒れ、その隣にダフネは立っている。緊張で胸が張り裂けそうだ。

 それでも、ダフネは正面から彼に向き合った。

 

「1つ目の質問。その物品が分霊箱であることを、証明する手段は?」

「面白い質問だ。分霊箱を分霊箱であると示したいのか、ふーむ。……高度な魔法で作られた品の一部は、最も魔力を持たない生き物に触れられることを強く拒む傾向にある」

「最も魔力を持たない生き物……ええ、知っていますわ、豚ですわね」

 

 魔法族、特に純血の魔法族は豚を最も穢れた生き物と唾棄する。

 それは豚が一切の魔力を持たないからだ。その意味で豚は全く純粋な非魔法種族であり、動物を魅了する類の魔法が全く効かないとされる。

 古くから、魔法族は豚と豚の飼育者を蔑んできた。古い迷信では、純血の赤子は本能的に豚を恐れて泣くとされているほどだ。だからマルフォイ家はウィーズリー家の隠れ穴を「豚小屋」と呼ぶし、ハグリッドはダドリーを豚に変身させようとした。

 図像学的な言い方をするのなら、豚とは反魔法の象徴である。

 

「そうだ、豚だ。懐かしいな、キルケのやつと豚の使い道についてあれこれ議論をしたものだ……。豚の蹄。特に、悪しきを弾く魔法の銀で作られた豚の蹄を触れさせれば、分霊箱の魂は耐えられずに姿を現すだろう」

「悪しきを弾く魔法の銀……なるほど」

 

 ゴブリン銀でできた豚の蹄。

 そんなものはどこにも転がっていないだろう。見つけるのは至難の業だ。今まで一度たりとも試されなかったことにも納得がいく。

 しかし、ダフネにはゴブリンへの伝手がある。

 分霊箱を分霊箱であると示すことができれば、ヴォルデモートの生存を証明することができる。それはつまり、ダンブルドア陣営が動き出すのに先んじてヴォルデモート対策を講じることができるということだ。

 そのために、ダフネは早期から魔法法執行部とのコネクションを求めていた。

 ようやくピースが揃ったということになる。これでダフネは大手を振って対ヴォルデモートのために動けるわけだ。

 

「2つ目の質問。器を壊さずに特定の魂のみを破壊する手段は?」

「……お前、面白いな」

 

 突如、貫かれたような衝撃がダフネの身を襲った。

 鎖に縛られたハーポが身を乗り出し、頬が裂けたと錯覚するほど深い笑みを浮かべた。鎖がけたたましいほどに鳴り響き、部屋の空気を揺らす。

 ダフネは理解した。今、ハーポはダフネを見ている。目隠しされたハーポの視線が、ダフネの魂、その中枢を観察しているのだ。

 

「特定の魂。特定の。魂が複数あるという言い方だ。つまり、お前は生きた分霊箱を知っていて、それを生かしたまま分霊箱として破壊したいわけだ。生きた! 分霊箱! 面白い……なんだ、吾が離れている間に俗世は随分と面白くなっているじゃないか」

「……答えを」

「まあ待て、少し時間をくれたっていいだろう……囚われの身も長いからな、こんなに愉快なのは久しぶりだ……ふむ、そうだな。いくつか手段は思いつく」

 

 ハーポは椅子の上で体を揺らしはじめた。鼻歌でも奏でだしそうなほど、彼はご機嫌だった。

 

「手っ取り早いのは一度殺すことだ。深く傷ついた程度では駄目だな。完全に死ななくてはならない。最近発明されたあの呪文、なんと言ったか……そう、死の呪い(アバダケダブラ)。あの呪文で死ぬのと同じ程度の死を迎える必要がある」

「……これは親切心からお教えしますけれど、死の呪いが発明されてからざっと1000年近く経っていますわよ」

 

 古代ギリシャの魔術師であるハーポから見れば、中世に発明されたともされる許されざる呪文すら近年のものになってしまう。

 死の呪いに特別の感情を抱かない英国魔術師などいない。緑の閃光は英国魔術師にとって、ヴォルデモートの象徴ですらある。ヴォルデモートは最も強力な死の呪いの使い手だった。

 もちろん、ハリーと同世代であるダフネはヴォルデモート自ら死の呪いを振りまいていた時代を肌で覚えているわけではない。しかし、原作の記憶が訴えているのだ。死の呪いを侮ってはならない、軽んじてはならない、と。

 ダフネは改めて、目の前に座る少年が旧き魔術師であることを痛感させられた。

 

「1000年! はは、時が経つのは早いな。その親切心に報いてやろう。この手段はおおよそ不可能だ。死の呪いすらも防ぐ護りが()()()()()()()()()()()()のでもない限り、起こりえない現象だと言っていい。死は覆らない」

 

 ダフネは黙って静かに頷いた。あるいはこの思考すらも読み取られているのかもしれないが、生半可な閉心術でどうにかなるような相手ではない。そもそも、心を読んでいるのかすらもわからない。

 まさにそれこそが原作でハリー・ポッターという分霊箱を破壊した手段だ。

 死の呪いを防ぐ唯一の対抗呪文である愛の護りに包まれていたハリーは、ヴォルデモートの死の呪いを受けても無傷だった。しかし、ハリーに宿っていたヴォルデモートの魂だけは、愛の護りによる守護の範囲外だったというわけだ。

 しかし、この手段を取るわけにはいかない。かつてヴォルデモートが消し飛ばされたことからもわかるように、愛の護りとはただの防壁ではないのだ。

 

「では、他の手段を模索することにしよう。重要なのは目的を定めることだ。お前が求めるのは分霊箱の破壊手段ではなく、その者に宿った余分な魂の破壊手段。つまり、魂を壊せればいい」

「そうですわね。魂だけを破壊する手段があればいいのです」

「よって、お前が求めるべきは魂の破壊手段だ。考えてみろ。魂を壊すにはどうするべきか」

 

 魂を壊す。

 作中で魂について明示された情報は多くはない。悪意を以てなされた殺人が魂を傷つける行いであること。殺人によって引き裂かれた魂を器に収めるのが分霊箱の術であること。魂を冒涜するような術には恐ろしい結末が待っていること。

 ダフネにはここから答えを導き出すのは不可能だった。ダフネが求めているのは、カップを割らずに見えないカフェオレからコーヒーだけを抜き出すような魔法だ。

 魂。それは魔法族にとってすら秘奥中の秘奥である。いくら原作の知識があるとはいえ、未熟な少女に過ぎないダフネにできることではない。

 しばらく沈黙していると、ハーポが愉快そうに舌を鳴らした。

 

「うん、いい気分だからな、サービスだ。教えてやろう。物質は物質を、霊魂は霊魂を破壊する。最も邪な霊魂は、最も清らかな霊魂によって破壊されるだろう」

「最も清らかな霊魂……まさか」

「吾たちの時代には決まった呼び名はなかった。それぞれがそれぞれの呼び方をしていたからな。確か、今はこう呼ぶのだったか――守護霊(パトローナス)と」

 

 ダフネは衝撃に思わず目を見開いた。

 しかし、考えてみれば、それこそが正しい答えだとも思えてくる。

 守護霊の呪文は最も古い呪文のひとつだ。古代ギリシャでは無敵のアンドロスを筆頭に優れた魔術師たちが様々な守護霊を呼び出した。その術は世界各地に記録が残っており、ブリテン島の魔法遺跡でもあちこちに壁画や石像が残っている。

 ここからわかる事実がある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なるほど……そう、そうですわね。吸魂鬼は1()5()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。古代の呪文である守護霊の呪文が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 どうしてここまで初歩的なことに気づかなかったのだろう。

 あらゆる術には目的がある。

 古代の呪文である守護霊の呪文とは本来、何を目的とした術なのか。それを考えれば、自ずとハーポが守護霊の呪文を解として挙げた理由がわかってくる。

 

「冴えてきたな? あの魔法は呼びかけに応え、術師の願いに相応しい霊魂を招来する。怒りには怒りを、悪意には悪意を、そして幸福には幸福を携えてやってくる。よって、真に清らかな願いには――」

「真に清らかな守護霊が訪れる……」

「古くから、あらゆる闇の魔術の敵は清らかな願いによって招来された守護霊の呪文だった。吾も手こずらされたものだ……。もちろん、()()()()()()()()()()()。寸分の狂いもなく、幸せの絶頂の最中にただその者の救済をのみ思って招来された、本物の守護霊でなくてはならない」

「本物の、守護霊」

 

 果たして、ダフネにそれができるだろうか。

 ダンブルドアは卓越した守護霊の呪文の使い手だ。自ら呪文に改良を施し、守護霊に伝言の機能を付け加えることまで成し遂げた。そのダンブルドアが、少しでも試してみようとは思わなかったのだろうか。いいや、思ったはずだ。

 しかし、ダンブルドアの守護霊ですら分霊箱を破壊するには至らなかった。

 つまり、ハリーをヴォルデモートの魂から解放するには、ダンブルドア以上に完璧な守護霊を呼び出さなくてはならないということになる。

 本物の守護霊。

 ハーポの言葉を信じるのなら、ハリーの救済をのみ思って守護霊の呪文を唱えれば、ハリーをヴォルデモートの魂から解放することができるはずだ。しかし、果たしてダフネにそれができるだろうか。

 

「不安を抱いているな、そうだろうとも。お前は多くを欲している。そうでなければ、吾を頼るなどという発想は生まれないだろう。雑念に満ちた者に守護霊は応えない」

 

 ダフネは欲深い人間だ。

 本質的にダフネは()()()()()()()()()()()()()()。アステリアが幸せになるため、その過程としてハリーの苦しみを減らしてやろうという身勝手な傲慢さから動いている。

 果たして、ダフネが真にハリーの幸せを、ハリーの救済を思うことはあるのだろうか。

 

「しかし、意外だったな。お前は吾にもっと重要なことを聞くはずだと期待していたが」

「私にとっては、これが重要なことなんですのよ」

「そうか? お前はもっと別の呪いについての情報を求めているはずだ」

 

 一体何のことを言っているのか。

 ダフネは一瞬考え、その直後、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。

 ヒントは最初の会話から示されていた。この金庫にずっと封じられているはずのハーポは、はっきりとダフネを指してこう口にした。

 マレディクタス。

 血の気が引くような思いでダフネはハーポを凝視した。ハーポは当たり前のような態度で笑って、爪先で鎖を弄んでいた。

 

「そうとも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 心臓が早鐘を打つ。

 

「アイアイエー島にキルケという魔女がいてな。最初の魔女と呼ばれる女だ。あれは迷い込んだ船乗りを豚に変えて飼っていた。ところが、子豚を産ませてみるとどうもうまくいかない。そこで考えたわけだ――種を書き換える呪いがあればいいと」

「種を、書き換える呪い」

「そうだ。感じたことがあるだろう、空を飛ぶ快感を。風を切る心地よさを。人の身に戻ったはずなのに、おかしいとは思わなかったか?」

 

 グリフィンの背に跨って、雲を割ったあの時。

 いつも通りのダフネなら、アステリアが落ちないように気を配ることを何よりも優先したのではないか? それなのに、ダフネは興奮していた。

 心が空にあった。妹のことなど見てすらいなかった。

 それはまるで、ダフネ・グリーングラスという人間に大鴉の本能が顕れたかのような――

 

「お前はすでに大鴉になりつつある。やがてその呪いはお前の理性を奪うだろう。人としての全てを失い、お前は大鴉に成り果てる」

「私は……私はッ!」

「そら、感情を昂らせたな。吾には見えるぞ……呪いがお前の血を、肉を、骨を、魂を歪めるのが」

 

 いつの間にか荒くなっていた呼吸を鎮めようと歯を食いしばる。

 平静を保たねばならない。感情を荒ぶるままにさせて相手取ることができるほど、ハーポという魔術師は容易くはない。

 

「さあ――質問しろ!」

 

 ダフネは大きく息を吐いた。

 おそらく、ハーポは問いかけることで相手を衰弱させる魔法を使うことができる。そして、ダフネがする質問の回数が嵩めば嵩むほど、ハーポからダフネに返される質問の数は増える。

 しかし、困ったことに、ダフネはどうしても質問したい。質問しなければならない。血の呪いを解く手段、そんなものが本当にあるのなら、ダフネはその答えを絶対に持ち帰らねばならない。

 だから、ダフネは正確に問いかけなければならなかった。

 ルシウスは6つの質問で気絶した。ダフネはすでに2つ質問している。

 

「……3つ目の、質問」

 

 ダフネはいくつ耐えられるのか。

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