その血は呪われている   作:海野波香

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 青筋を立てたガウェインを前に、どう釈明したものかダフネは考えを巡らせた。

 

「もう一度聞かせてもらおうか。腐ったハーポに直接会った、と?」

「ええ、まあ。気さくな方でしたわ」

「腐ったハーポが気さくでたまるか……!」

 

 カンカンである。

 つい先程煙突飛行でギリシャに降り立ったガウェインは、ダフネがグリンゴッツ魔法銀行アテナイ支店から這々の体で逃げ出してきたところに待ち構えていた。

 幸いにして乱れていた呼吸はトロッコに乗っている間に整ったし、外傷があるわけでもない。しかし、にじむ疲労に何かを察したのか、ガウェインはルシウスに半ば強引に断りを入れた上でダフネを連れ去った。

 闇祓い風情に身内を明け渡す行いはルシウスのプライドを傷つけただろうが、今の彼には反発する気力は残っていなかった。後ろでアブラクサスが大笑いしていたのは見なかったことにしたい。

 ガウェインが拠点に選んだ旅籠の2階で、ダフネは説教を受けていた。

 

「闇の! 魔法使いなんだぞ! それも悪人エメリックや極悪人エグバートとは格が違う、悪夢のような化け物! イギリスで言えばモリガンや例のあの人のようなもんだ! 君はわざわざご禁制の伝記まで読んでただろ!」

「ええ、まあ、夢に見そうなのは否定しませんけれど」

「死んでたかもしれないんだぞ! ルシウス・マルフォイに押し付けちまえばよかっただろ!」

 

 思い返すだけでも恐ろしい時間だった。

 ハーポはルシウスに興味を持っていなかった。それどころか、あっさり殺そうとまでした。もしダフネが一緒に行っていなければ、ルシウスはあの場で死んでいたことだろう。

 困ったことに、怒っているのはガウェインだけではなかった。

 椅子の背もたれに上体を預けて、ドレッサーの前でアステリアが膨れ面をしている。

 

「お仕事だっておっしゃってました、お姉様」

「ええ、そうよアステリア。とても大事なお仕事だったの」

「ルシウスおじさま、ひどいです。お姉様をそんな危ない目に遭わせるなんて。アステリアはすごく心配だったのですよ? ……決めました。ナルシッサおばさまに言いつけます」

「アステリア?」

「全部言いつけてやります! お姉様を危ない目に遭わせるルシウスおじさまなんか、めっためたに怒られてごはん抜きにされてしまえばいいんです!」

 

 これはこれで困ったことになった。

 ルシウスは役目を果たしてくれた。それどころか、今回ばかりはルシウスに救われたと言ってもいいだろう。彼には何かしらの形で報いなければならないだろう。

 どうやらクラウチ・シニアの件もすでに手を回してくれたようだ。少しルシウス・マルフォイという政治家の能力を侮っていたかもしれない。ことが動くのが早すぎる。

 とにかく、ルシウスは貢献してくれたのだから、彼のせいにするというわけにはいかない。

 ダフネは早々にふたりの機嫌を改善するような報告をする必要に迫られた。

 

「でも、収穫はあったわ」

「なきゃ困るさ。あってもまだトントンとはいかないが」

「ガウェイン、あなたアイアイエー島ってご存知?」

 

 不機嫌そうな顰め面のまま、ガウェインは顎に手を当てた。いつも清潔感のある彼にしては珍しく、薄っすらと無精髭が伸びている。どうやら相当急いで駆けつけたようだ。

 

「なんだったか、古代ルーン文字学で読んだ記憶があるな……地中海のどこかにあるっていう伝説の島だろ? 最初の魔女とか呼ばれてる大昔の魔女が住んでるとかいう……名前は忘れたが」

「キルケですわ。船乗りを豚に変えることで知られた魔女」

「あー、ガキの頃に蛙チョコカードを持ってたような……で、それがどうした」

 

 ちょうどその時宿の主人が飲み物を盆に載せて上がってきたので、ダフネは口を閉ざした。

 いつもなら紅茶を頼むところだが、ギリシャで茶と言えば高山のハーブティーを意味する。よく冷えたシデリティスの爽やかなハーブティーに、この店ではオレンジピールをブレンドしているという。今のダフネにはそういう爽やかさが必要だ。

 

「はい、おまっとさん。ご兄妹で旅行かね」

「ええ、まあ、そんなところです。どうも」

 

 ガウェインが盆を受け取ると、主人は少し訝しげにしながらも部屋を去っていった。

 グラスを受け取って口に運ぶ。よく冷えているが、魔法をかけているのか、グラスの表面は結露していない。

 想像していたよりも爽やかさが強いが、その分脳がすっきりする。目が覚めるような心地だ。ほのかな苦味も覚醒を手助けしてくれる。

 あいも変わらずダフネに咎めるような視線を送りながらギリシャビールを呷るガウェインに、意識がスッキリしたダフネはこう告げた。

 

「ハーポはこう言いましたわ。その魔女が血の呪いの治し方を知っていると」

「ぶっ!?」

「品がないですわよ」

 

 ビールの泡を口の端から流して咳き込むガウェインも気にせず、アステリアが椅子の上に立ち上がって声を上げた。

 

「治るんですか!」

「ええ。一歩前進ね、アステリア」

「大きな前進ですよ! さすがお姉様です! やったあ、お姉様治るんだ……!」

 

 椅子の上で万歳をするアステリアに微笑みを向けて、ダフネはもう一口ハーブティーを飲んだ。流石に今はお行儀が悪いなどと言っている場合ではない。

 血の呪いは治る。その事実がわかっただけでも大躍進と言えるだろう。

 問題は、アイアイエー島が現在では見つかっていないということだ。地中海のどこかにあるのは確かなのだが、はるか昔に魔法の護りに隠されて以来ただの伝説となった。

 次の目標はアイアイエー島を見つけることということになる。

 

「はあ……なんというか、君は本当にめちゃくちゃで……まあでも、よかったよ。どうにか島を見つけて、古の魔女に教えを請うってわけか。大冒険じゃないか」

「ふふ、恥ずかしながら私、少しだけワクワクしてますの」

「そのほうが健全だよ。ルシウス・マルフォイなんかと政治のあれこれをしてるより、そういう冒険にワクワクしてるほうが健康にいい」

 

 険の取れた表情で、ガウェインは今度こそビールのジョッキをゆっくり傾けた。

 ただ、ハーポの言葉を信じるのなら血の呪いを治すには愛が必要になる。ダフネを愛する伴侶、そしてアステリアを愛する伴侶。その相手を見つけなければならない。

 今はまだアステリアに伝えるべきではないだろう。意識して対人関係がぎこちなくなるのはよろしくない。どんな相手でも心から誠実に接することができる天真爛漫さがアステリアの108ある美徳のひとつだ。それを損なうのは惜しい。

 

「ふー……ようやく俺も気分が落ち着いてきたよ。それで? 後は帰るだけか?」

「ええ、ギリシャ旅行も終わりですわね。最後に夜店でも回ろうかしら」

「子どもは帰る時間だ」

「ケチ」

「なんとでも言え、俺はこの後アークタルス閣下にこの件を報告しなきゃならないんだぞ。……ああ、それから、副長が今度食事を一緒にと言っていた」

「あら、私からお誘いするつもりでしたのに」

 

 パイアス・シックネスと話す機会が向こうからやってきた。あるいはパイアスも何かを察していたのだろうか。

 ダフネは分霊箱を分霊箱であると証明する手段を知った。ゴブリン銀製の豚の蹄を当てれば、分霊箱はその正体を露わにするという。これでいよいよ親ダンブルドア派以外の対ヴォルデモート勢力を結成することができる。

 原作ではトンクスやキングズリーのような限られた人員がダンブルドアに従っていただけだった魔法法執行部も、決して無能というわけではない。ダフネにとっては優れた駒になるだろう。

 

「残りの夏休みは忙しくなりそうね。ハリーとの約束もあるし、ブリジットから招待ももらっているし……」

「お姉様は人気者ですね!」

「嬉しいわ。日頃の行いがよかったのかしら」

「……まあ、否定はできないよな。日頃の行いは悪いわけではないんだ、うん」

 

 何か言いたげなガウェインに目をやると、彼は肩をすくめてからビールを飲み干した。

 

「よし、暖炉を借りるとしよう。早く帰って、君のところの屋敷しもべ妖精が焼いたパイが食べたい」

「ギリシャ料理を楽しまなくてもよろしいのかしら?」

「そういうのは引退後にとっておくと決めてるんだ。アステリア、忘れ物はないか?」

「はい、ばっちりです!」

 

 鞄の留め具をパチリと締めて、アステリアが頷いた。

 それから3人は足早に宿の暖炉へ向かい、ロンドン郊外の屋敷へと戻った。数日空けただけなのに、我が家に帰るとどっと安堵が押し寄せてきた。

 しもべに鞄と帽子を預け、バスルームの支度をさせる。今夜は慣れた枕でぐっすり眠ることができるだろう。ハーポの夢に魘されないよう、アステリアを抱いて寝るべきかもしれない。

 髪をほどき、アクセサリーをしもべに任せる。

 

「お帰りなさいませ。お食事はいかがなさりますか、お嬢様」

「私は軽いものでいいわ。ふたりはしっかり食べるかしら?」

「安心したら腹が減ったな。今ならフルコース2人前だって平らげられる」

「アステリアも腹ぺこです!」

「では、シミーが腕を振るわせていただきましょう」

 

 ガウェインがガッツポーズをした。英国魔法界でおいしく健康的な食事を取ろうと思うなら、まず何よりも屋敷しもべ妖精の料理を食べるべきだというのは常識だ。

 特にグリーングラス家に長く仕えるシミーの料理は伝統的ながら味わい深く、特にオーブン料理でシミーが失敗したことは一度もない。シミーのチキンポットパイはガウェインの好物だ。

 

「涼みがてら庭の護りを見てくる。できたら呼んでくれ」

「かしこまりました、ガウェイン坊ちゃま」

「いってらっしゃい。シミー、私達が不在の間に変わったことは?」

「お手紙が一通。ダンブルドア校長からでございます」

「ダンブルドアから?」

 

 いくつか心当たりがある。

 ダンブルドアはどこまでいっても闇の力を認めない魔法使いだ。それはもちろん、グリンデルバルドとの思い出から生じる反動でしかない。しかし、彼が闇という力を愚かで間違ったものと捉えていることに変わりはない。

 その状況でダフネはルシウスに接近し、シリウス・ブラックの再審請求を裏で動かし、挙げ句の果てに腐ったハーポを訪ねた。ダンブルドアならこの程度はお見通しだろう。

 そのどれがダンブルドアに手紙を書かせたのかはわからないが、ともかく、ダフネは再びあの古老と対話する必要があるようだった。

 

「……後で目を通しておくわ、ベッドルームに置いておいて」

「かしこまりました。では、お食事の準備に取り掛かります」

 

 細腕に似合わないたくましさで全ての荷物を抱えたシミーは、指を鳴らして姿を消した。

 ダフネはソファに飛び込んで、大きく伸びをした。

 前進した。間違いなくこのギリシャ旅行は前進だった。アステリアを救う手立て、その一端が見えたと言っていい。

 

「お疲れですか、お姉様?」

「ええ、クタクタ。いらっしゃいアステリア、髪をやってしまいましょう」

「やった! えへへ」

 

 アステリアの結った髪を解き、ダフネが買い与えたギリシャ土産の髪飾りたちを外して、それからダフネはポーチから取り出した櫛でアステリアの艶のある髪を梳いた。

 地中海性のからっとした風に巻き上げられた砂埃を落としていく。

 今日はもうこのままシャワーだけ浴びて眠ってしまおうか。そんな誘惑に襲われる。ダフネも常に気を張っているわけにはいかない。たまにはこういう日がどうしても必要だ。

 

「ギリシャは楽しかった?」

「すっごく! グリフィンのメラーキがとっても可愛かったです!」

「……あれって可愛いの分類に入るのかしら。まあいいわ。料理もおいしかったし、気候もよかった。また行きたいわね」

「はい、ぜひ!」

 

 鼻歌を奏でるアステリアの髪に櫛を通す。

 こうして髪を梳いてやれるのも、もしかすると今のうちなのかもしれない。姉妹として過ごす時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。この記憶を永遠にとどめておきたいとすら思う。

 

「……ねえ、アステリア。話があるの」

「なんですか、お姉様?」

「あなたにね……あなたに、任せたい役目があるの」

「なんでもお任せください!」

 

 手は止めない。止めたくなかった。

 アステリアは振り向かず、大人しく髪を梳かれていた。

 

「あなたに……ブラック家を継いでほしいの」

 

 柱時計が時を知らせる音がする。

 夜は刻々と迫っていた。

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