社交界デビューの機会は大抵冬に設けられる。冬はスポーツ・ハンティングの閑散期だからだ。
要は、「社交界の新参者」を迎え入れるほどの暇が生じるのは冬だという話だ。
なかでも12月は社交界デビューに最適と言える。子を持つ親は社交界デビューの様子をクリスマス休暇で帰ってきた我が子に語り、それによってホグワーツ内部で派閥が事前形成されていく。
「心にもない言葉よりも、沈黙のほうがむしろ、どれほど社交性を損なわないかしれない」
「だ、誰の言葉ですか、お姉様?」
「モンテーニュよ。だからアステリア、無理におべっかを使うくらいなら微笑んでいればよいということを忘れないように」
所詮、子どもの社交界デビューなど大して期待もされていない。
ほとんどの子どもは手足を緊張に強張らせた操り人形で、親に吹き込まれた台本通りにしか喋ることができない。それがわかっていてからかいにいく悪趣味な大人もいる。
しかし、結局のところ子どもに期待されているのは「どれくらい親に従順か」「どれくらい家を大切に思っているか」程度でしかなく、それらはつまり「どれくらい自我がないか」を測っているようなものだ。
「笑顔、笑顔よアステリア」
「は……はい、お姉様」
「大丈夫。ドレスはよく似合っているし、あなたは世界一素敵なお姫様なのだから」
アステリアが恥ずかしそうにほんのり顔を赤らめた。
ダフネは本心からアステリアが世界一だと思っている。若草色のドレスは深い常磐色の絨毯によく映えているし、宙に浮く蝋燭の光が艶のあるブルネットに反射してまるで天使の輪のようだ。
「あなたは世界一可愛いのだから、自信を持ちなさい。……そろそろ名前を呼ばれるわよ」
広間への入場はホストが順番を決める。基本的には位の高い者から先に客間を出て入場することになっている。
それはつまり、マルフォイ家が各家に与えた評価のようなものだ。
経済力、政治力、影響力、家柄、血の濃さ、子弟の優秀さ。あらゆる面から評価された格付けが、入場の時点ですでに始まっている。社交とは政治と同じで、当日には全てがもう決まっているのだ。
「グリーングラス家、アステリア嬢のご到着!」
ダフネのエスコートで、アステリアが緊張に手を震わせながら広間へと進んだ。
すでに広間は温まっていて、名の知れた面々が会話を交わしている。後から入場することの最大のデメリットがこれだ。すでに始まっている会話に交じるのはひどく難しい。会話を遮るのは無礼にあたる。
それでも、アステリアの入場はそれなりの注目を惹いた。
「あれがグリーングラス家の」
「最近何かと名前を耳にしますが」
「不憫な子たちね。姉にエスコートしてもらわなくてはならないなんて」
ざわ、と会場の空気が一瞬騒がしくなる。
ダフネは自分たちが一番下の席次で呼ばれることくらい察しがついていた。この数年間、多少派手に動き回ったのはここで印象に残っておくためだ。話題性は時にあらゆる評価を凌駕する。
視線を感じる。憐憫、嘲笑に交じって、いくらかの興味を帯びた視線がダフネに絡みついている。
「胸を張って。息をゆっくり吸って。足は一歩ずつ滑らせるように」
アステリアに囁きながら、ダフネは微笑みを絶やさず前に進んだ。
広間の最奥ではホストであるルシウスが待ち構えている。見知った顔を前にして緊張が緩んだのか、アステリアの手から震えが抜けてきた。
ダフネがそっと手を離すと、アステリアはゆっくりと、礼儀正しくルシウスに頭を下げた。
「こんばんは、ルシウスおじさま。本日はお招きくださり、誠に光栄です」
「今日の君は一段と可愛らしい、妖精のようだ。姉として鼻が高いかね、ダフネ」
「もちろんですわ、ルシウス様。今日ばかりはナルシッサ様の美貌ともいい勝負をできるのではないかと」
くつくつと笑って、それからルシウスは手元に置いていたシャンパングラスを持ち上げた。
「アステリア、君を歓迎しよう。よき魔法界の一員として、これからも励んでくれたまえ」
「ありがとうございます、おじさま」
「ああ、それから」
ルシウスはわざとらしく眉を上げてダフネに微笑みかけた。
ここからが正念場だ。
きっと、必ずルシウスは何かを仕掛けてくる。ダフネはそう確信していた。ルシウスは出る杭は打つタイプだ。昨今のダフネは彼から見れば目立ちすぎていたと言えるだろう。
しかし、ルシウスと交渉するのは
「ダフネ、少し時間をもらえるかな? 例の……
「……もちろんですわ、おじさま。でも、アステリアのエスコートを任せられる方がいらっしゃるかしら」
暗に「後にしろ」と示すと、ルシウスは興味深そうにダフネを見てから、静かに右手を立てた。
「お呼びですか、父上。……おっと、ダフネか」
「ご丁寧なご挨拶をどうも、ドラコ」
するりと現れたのは彼の愛息子、ドラコ・マルフォイだ。
父親と同じプラチナブロンドの髪を撫でつけた姿はすでに神経質そうで、顔立ちはルシウスによく似ている。
お互いの社交界デビュー以来度々ダンスを踊る仲だ。とはいえ、わがまま放題のドラコに男女の機微はまだ早いのか、気安い友達程度に扱われているのが現状なのだが。
「ドラコ、アステリア嬢のエスコートをお前に任せる」
「僕が?」
社交界デビューのエスコートとは、つまり振る舞い方や作法のあれこれについて付きっきりで助言をするということだ。これほどの面倒事はないだろう。ダフネも可愛い妹のためでなければごめんだった。
ドラコが嫌そうな顔をすると、隣でアステリアがわずかに顔を俯かせた。
原作の嫌味な小悪党からは想像しやすいが、これで案外面倒見のいいドラコは年下によく懐かれる。アステリアもそれは例外ではなく、一時期はドラコを兄のように慕っていた。
「思春期には少し早いのではなくて?」
ダフネの一言にドラコは赤面した。
「しっ……そのようなマグル臭い考えを持ち込むのはどうかと思うけどね」
「純血の子弟であるあなたに伝わるのですから、これはもう魔法族の言葉ですわ。それで? アステリアをお任せしてもよろしいかしら? それとも、ルシウス様にお待ちいただいたほうがよろしいかしら?」
圧をかけると、ドラコは渋々頷いた。
ダフネとしては、原作で夫婦になったこのふたりの関係が良好であるに越したことはない。彼はいい人間であるかはともかくいい夫、いい父になる才覚を持ち合わせているのだから。
ルシウスが小さく笑ってから視線で促すと、ドラコがアステリアに腕を差し出した。
「ほら」
「ありがとうございます、ドラコ兄様」
「その兄様というやつをやめろ。僕はマルフォイ家で、お前はグリーングラス家だ」
「よいではないか、ドラコ。レディに恥をかかせるものではない」
ルシウスはドラコとアステリアを見送ってから、ダフネに手を差し出した。
「挨拶まで少し時間がある。我が家の中庭にある月時計を見たことは?」
「これが初めての機会ですわ」
「結構、少し歩くとしよう」
腕を差し出したルシウスに掴まって、ダフネは注目されながらパーティー会場を後にした。その背には無数の視線が突き刺さっていた。
しばらく歩いて外に出てから、ダフネはわざとらしく頬を膨らませた。
「おじさまの意地悪。母の財産分与などとうに済んでおりますのに」
「おや、ほしかったものは得られたのではないかな?」
ルシウスの言う通り、ダフネは一気に注目の的になった。
グリーングラス家の財産。これは一部の界隈では金銭や債権、不動産とは別の意味を持つ。血の呪いの研究成果、その派生物であるいくつもの闇の魔法のことを指すのだ。
確かに注目は買おうとしていた。しかし、ダフネが買おうとしていた注目とは別の、よくない注目がグリーングラス家に突き刺さった。
「私はパトロンを探していますのよ。ハイエナでは役に立ちませんわ」
たちが悪いのは、「ルシウス・マルフォイが目をつけた」ということの評価の仕方によって注目してきた連中のアプローチが変わってくるということだ。
ルシウスの縄張りを荒らさない程度に賢い連中は黙っておこぼれを待つだろう。つまり、残るのはルシウスからのおこぼれを待てない愚か者ということになる。闇の魔術の研究に興味を持つせっかちな愚か者が取る手段など、相場は決まっている。
つまり、ルシウスは「お前の命は私の手のひらの上にあることを忘れるな」と初手から強い脅しをかけてきたことになる。それも、理解できるギリギリの迂遠さで。
大人げないと人は言うだろう。
しかし、ルシウス・マルフォイという獅子は7歳の小さな兎を捕らえるにも全力を尽くすのだ。優雅に、そして獰猛に。
「なるほど、これは失敬。しかし、君ならもっと早くにパトロンを見つけられたのではないかな? 君はどうやら……人望に恵まれた星の生まれのようだ」
「ご冗談を。差し伸べられた手に縋っているだけですわ」
暗にマルフォイ家を頼らなかったことを責めるルシウスに対して、「助けに来なかったくせに」とやり返すダフネ。
この程度はじゃれあいに過ぎない。
「では、最近の生活も特に困ってはいないかね?
「なんとかやりくりしていますわ。お客様も話のわかる方で、最近は色々と家のことを手伝っていただいています」
ガウェインの件も、多くの「コレクション」を持つルシウスにとっては他人事ではない。もしガウェインが監視に入ったのが他の家、たとえばノット家やヤックスリー家であれば声を大にして批難していたことだろう。
しかし、ダフネにとってはむしろガウェインが出入りしているということ自体が潔白であることの証拠作りになる。
立場の違いが会話に齟齬を生む。お互いに認識が違うとわかっていながら、試すように言葉を交わす。
これが社交のダンスだ。
「そうだったか。しかし、何かあれば遠慮なく頼ってくるといい。ドラコも君のことを心配していたようだ」
「ドラコが? まあ、それは光栄ですこと」
「あれとは寮も同じになることだろう。せいぜい可愛がってやってくれ」
一瞬、ルシウスの表情から仮面が取れた。
息子のことを語るときだけ、ルシウスはどうしようもなく人になる。その柔らかさはダフネも好ましく思っていた。どんな優れた政治家であろうとも、結局人間としての本生が全うされなければ苦しいものだ。
「ホグワーツといえば……ディペット先生はお元気かね」
「お体に障りはないものの、やはりお歳を召されて苦労されていますわね。最近は眠っている時間のほうが多いですわ」
「そうか……彼もまた偉大な校長だった。機会があれば当家にも招きたいものだが」
ディペットは1992年の夏にこの世を去る。
日記帳の分霊箱がルシウスの手によってホグワーツに送り込まれるそのわずか数日前、トム・リドルの過去を知る校長が魔法事故によってこの世を去る。これは偶然とは思えない。
もしルシウスが下手人なのだとしたら、将来的にルシウスは後見人の仇ということになる。
それでも、ダフネはルシウスと敵対する予定はない。
「これが、当家の月時計だ」
中庭の中央、生け垣に囲まれるようにして鎮座していたのは、白い岩を削って作られた月時計だった。
月光が影を生んでいる。月齢と影を合わせて読み解けば、今の時刻が19時半ごろだということがわかる。実用性のない、しかし美しい品だ。
「見事なものですわね。……もしや、ストーンヘンジと同じ岩を?」
「左様。あの魔法遺跡を管理し、マグルに真の価値を理解させないこともまた当家の責務だ。もっとも、簡単な魔法をかけるだけだが」
ダフネは一瞬、目的も忘れて月時計に見入った。
このマルフォイ家の荘園があるウィルトシャー州は、ウィリアム1世が臣下の誓いを立てさせた土地として知られている。そしてマルフォイ家の初代はウィリアム1世の家臣としてこの土地を与えられたのだ。
その土地にある魔法遺跡、ストーンヘンジ。きっと魔法的に特別な意味があるのだろうと、ダフネは期待している。
「古い家の多くは役目を帯びている。ノット家も、ヤックスリー家も、フリント家も、そして――ブラック家もだ」
「……ええ。グリーングラス家もまた、そういった家のひとつですわね」
月時計の前で、ダフネはルシウスを見上げた。
プラチナブロンドが月光を受けてきらめいている。彼は美しい貴族だ。優雅で、残酷で、悪意に満ちていて、しかし愛情深い。
ダフネはルシウスのことが好きだ。ぜひ味方になってほしいと思う。
「アークタルス閣下はお元気だったかな?」
「薔薇の剪定に夢中で、
しかし、ルシウスを味方につけるのは
「ディペット、フォーテスキュー、グリンゴッツ魔法銀行、ブラック……君は骨董趣味にでも目覚めたのかね?」
「あら、私自身曰く付きの骨董品のようなものではなくて?」
今はまだ、ふたりは敵同士だ。純血至上主義と純血社会志向、この道は並行しているようでゆっくりと逸れつつある。
「……体を冷やすといけない。会場に戻るとしよう」
「ええ、そうですわね、おじさま」
いつかダフネは、ルシウス・マルフォイを寝返らせてみせる。