その血は呪われている   作:海野波香

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 縦笛のソロから始まったそのパヴァーヌが流れ出すと同時に、部屋に置かれていたテーブルたちは金の光となって消えた。

 ダンスの時間だ。

 ちょうど挨拶回りを終えたダフネは、うやうやしくハリーの手を取った。16世紀宮廷風のゆったりとしたリズムが心地よく響く。ダンス初心者にステップを教えるのにはちょうどいいだろう。

 シャンデリアの輝きを受けて、ハリーはおずおずとダフネの腰に腕を回した。

 

「緊張しないで、ハリー。私に合わせるだけで大丈夫」

「合わせるって言ったって、僕はキャンプファイアですらろくに踊ったことがないんだよ? 何に合わせろっていうのさ」

「私の呼吸に、ですわ」

 

 ハリーの腕を引き、くるりと回る。

 振り回されてよろめいた足は、さすがクィディッチプレイヤーなだけあって、転びはしない。そのままダフネが身体を引いたほうに追いかけるようにして自然と足が出る。

 それが、ハリーの初めてのステップ。

 

「ほら、ステップが踏めたでしょう?」

「踏めたっていうか、踏まされたっていうか」

「なら、次は自分から踏んでくださいな。ほら、こっち!」

 

 ダフネが身体を寄せて体重を預けると、今度はよろめくよりも早く足が出た。

 次第にハリーは落ち着きを取り戻し、ダフネのリードに従ってゆったりとした二拍子のステップを踏めるようになっていった。

 密着する身体。奏でられるリズムの中で、次第に鼓動が、呼吸が溶け合っていく。

 ダフネが微笑みかけると、ハリーはくすぐったそうに笑った。

 

「ねえ、ダフネ?」

「ええ、何かしらハリー」

「バグノールドさんをホグワーツの先生に呼ぶために、僕を餌に使ったよね?」

 

 リバースターン。

 ハリーに体を委ねて、双子星のように揺れながらダフネは微笑んだ。

 

「あら、ばれました?」

「アークタルスお祖父さんが、僕に会いたいお年寄りは多いって言ってたでしょ? それに、君はバグノールドさんに僕と会わせる約束をしてた」

「ええ、その通り。不快だったかしら?」

「実は嫌じゃないんだ、びっくりはしたけどね。……でも、教えてくれればもっと君の役に立てたんじゃないかな」

 

 ダフネがハリーに体重を預けて身体を反らせると、ハリーは慌てたようにダフネを支えた。

 支える指先は優しい。どうやら、嘘偽りなく不快感はなかったらしい。政治の駒に使われて不快にならないとは、ハリーはダフネに対してかなりの寛容さを発揮してくれているようだ。

 そのうえで、ハリーは教えなかったことを責めるのではなく、教えてくれたほうがよりよい立ち回りができたと言ってくれている。

 気持ちは嬉しかった。ハリーは今、ダフネのために積極的に政治の世界に足を踏み入れようとしているのだ。その献身が嬉しくないはずがない。思わず握る手に力がこもる。

 しかし、今はまだその時ではない。

 

「ミセス・バグノールドはあなたのまっすぐさを評価したのだと思いますわ。下手に繕った造花より、野に咲く花のほうが心を揺らすものでしょう?」

「僕じゃ、君の役には立てない?」

「どんなに優れた杖でも、箒の代わりにはなりませんわ。……あなたは十分すぎるくらいに役立ってくれていますわよ」

 

 まっすぐ言うのが妙に気恥ずかしくて、ダフネは顔をそらした。それなのに曲はまだ節目を迎えず、ハリーの顔は見上げればすぐ上にあった。

 ハリーは十分役に立ってくれている。

 きっとダフネひとりではバグノールドを誘き出すことはできなかっただろう。元死喰い人(ルシウス)の主催というだけでパーティーへの参加を見送る者は少なからず存在する。ホラス・スラグホーンはその好例と言っていい。

 そんな中でも、「あのハリー・ポッターが出るのなら」と重い腰を上げる者はいる。ハリーは前時代を生きた者達にとって代えようのない輝きなのだ。

 あるいは、ダフネにとっても。

 

「もし、もしさ。僕がもっと君の役に立てたら。……その時は――」

 

 何かを言いかけたハリーを、ぐるりとターンさせる。

 

「わっ」

 

 なぜだか、その先はまだ聞きたくなかった。

 

「ステップはそろそろ覚えましたかしら? 曲が休憩に入ったらペアを変えますのよ。大抵は年上が相手ですから、リードは任せればよろしいですわ」

「う、うん、わかった」

「よろしい! いってらっしゃい、また後で踊りましょうね」

 

 曲が休憩に入り、ふたりは会釈を交わしてダンスを終えた。

 まだ心臓がドキドキしている。ダフネはなんとか呼吸を落ち着かせようと、胸元につけた鏡面加工のブローチを整えるふりをした。

 ハリーはなにかを言おうとしていた。関係を決定的に変えてしまうような、何かを。

 今更子どもぶるつもりはない。ハリーが何を言おうとしていたかの察しくらいはついている。それだけの優しさを彼に振りまいた自覚もある。

 自分がその言葉を求めていることも、今はまだ求めてはいけないことも、知っているつもりだ。

 

「――おい。踊るぞ」

 

 顔を上げると、薄っすらと眉間に皺を寄せたドラコが、ダフネに手を差し伸べていた。

 奥を見れば、アステリアが嬉しそうな笑みを浮かべてルシウスにリードされている。二人の身長差はまるで巨人と小人のようだが、それでもルシウスは気品を保ったまま器用に腰をかがめていた。

 

「アステリアのエスコートをありがとう、ドラコ」

「大役を押し付けた対価は支払ってもらうからな」

 

 そして、曲が再開された。

 身体を寄せると、ドラコからほんのりと酒精の匂いが漂った。

 

「あなた、飲んでますの?」

「グラスを間違えて一口飲んだだけだ。問題はない」

 

 その割にドラコの頬は薄っすらと赤みを帯びていた。いつもの血色の悪い肌が嘘のようだ。もしかすると酒に弱いのかもしれない。

 酔っているからか、少し強引なドラコのリードに身を委ねて、ダフネは軽やかにステップを踏んだ。

 

「それより、見てたぞ」

「何がですの?」

「ハリーのことだ。……気づいてるならはっきりさせろ」

 

 ナチュラルターン。

 わざと歩幅を合わせず乱暴なリードをしたドラコは、ダフネがそれについてくるのを確認して不満そうに鼻を鳴らした。

 

「お前が陰謀屋なのは今に始まった話じゃないが」

「あら、人聞きの悪い」

「そういう気持ちを手玉に取って操るのなら、僕は協力しない。いいか、はっきり言っておくぞ。僕は、協力、しない」

 

 わかっている。

 ハリーはきっと、恋をしている。

 物語に介入するため、彼の懐に潜り込もうというダフネの計画は成功した。成功しすぎてしまった。もはや失敗と言ってもよかった。

 いつからだろう。計画のためでなく、自らの願いに従ってハリーのそばにいることを選ぶようになったのは。

 ダフネもまた、恋をしている。

 その気持ちを今すぐ受け入れられるなら、どれほど幸せだろう。しかし、現実はそうはいかない。ダフネには成し遂げなければならないことがある。若者らしいちっぽけな幸せを享受するには、ダフネが直面する現実は厳しすぎた。

 今はまだ、ダフネはハリーの恋人にはなれない。

 原作通り事が進めば、ハリーは事実上の反体制組織である「ダンブルドア軍団(DA)」のリーダーになる。それに対し、ダフネはあくまで体制側の改革派だ。反体制派のハリーとの間には大きな、到底無視できない溝が生まれる。

 

「……わかっていますわ。状況さえなんとかなれば」

「ならなんとかしろ」

「簡単に言ってくれますわね」

 

 魔法省の暴走は既定路線だ。

 ファッジ下ろしのキャンペーンを展開するのには時間が足りない。ヴォルデモートの復活が露見した時、魔法大臣はファッジのままだ。つまり、ファッジの暴走は止められない。魔法省(ファッジ)ホグワーツ(ダンブルドア)は必ず対立する。

 そして、ウィゼンガモットは自らの権力を強めるためにファッジの暴走に便乗する。ダンブルドアの顔色を伺うことにうんざりしていたのはファッジだけではない。

 ダフネがすべきことは、ファッジの暴走を利用すること。

 DAは後にホグワーツにおける光の陣営の地下組織として機能する。言ってみればDAとはレジスタンスの前身、不死鳥の雛のようなものだ。ハリーがDAのリーダーになる流れを変えるわけにはいかない。

 

「どうせ状況が変わったところで、お前は言い訳をするさ」

「……知ったような口を利きますわね。お酒が効きすぎたかしら?」

「そういう目をしてるよ、今のお前は。逃げ出すやつの目だ。……怖いんだろ、ハリーに嫌われるのが」

 

 一瞬、ダフネの足が止まった。

 好きになってしまった。

 純朴で、それでいて意外と皮肉屋なところもあって、利発で、機敏で、たまにズレたことを言うところも可愛くて、おいしいものを食べると本当に幸せそうに笑う彼のことが、ダフネは大好きだった。

 ハリーが好きだ。彼と添い遂げたい。

 だからこそ、怖かった。

 ダフネが自分とアステリアを救うために選んだ、生きる手段――純血階級の再興をハリーが受け入れてくれなかったら、その時ダフネは一体どうすればいいのか。

 

「そういうところ、お前は子どものままだな」

「……生意気ですわよ、ドラコお坊ちゃま。あなたのほうこそ、ガールフレンドのひとりも連れてくればいいのだわ」

 

 ダフネはドラコの腕を引こうとしたが、それよりも早くドラコの荒っぽいリードがダフネの足元を狂わせた。どうやら相当腹を立てているらしい。

 なんとか躓かずに立て直すと、ドラコは小さく舌打ちをした。

 

「お前はいつも失敗しない。……いつもそうだったな。僕とお前が何かを企んだ時、父上に叱られるのはいつも僕だった」

「フォウリー様が違法に飼育していたスニジェットを勝手に逃がしたときのことかしら?」

「シャフィクのとこのぼんくらが禁輸品の空飛ぶ絨毯でガールフレンドと飛び回っていたのを盗撮したときのことだ。……昔はいつも、お前は策を立てるだけだった。僕はその策に飛びついて、手下を集めた。それで終わってから父上にバレて、大目玉だ」

「計画通りにやればバレないところを、あなたが大胆なアレンジを入れるんだもの」

 

 ステップが交差する。

 

「最近のお前は、昔よりも自分で前に出るようになった。そういうところは、まあ、評価してやってもいい」

「お褒めの言葉をどうも。なりふり構ってられないだけですわ」

「だが……走ってるのはお前だけじゃないからな。アステリアも、ハリーも、蒼の貴血(ブルーブラッド)のメンバーも」

「そして、あなたも?」

 

 ドラコは曖昧に鼻を鳴らした。

 

「お前の考えは純血のためになる。つまり、僕や僕の家のためになるってことだ。だから手を貸してやってもいいと思っている。……でも、お前が見えるところにいなきゃ、支えることだってできやしない」

「もっと連携を密にしろ、と?」

「そうだが、違う」

 

 ターン。

 

「お前は僕を友達だと言った、そうだろ。なら、相応の態度を示せよ。僕だけじゃない。父上にも、アステリアにも、ハリーにもだ」

「……ええ、そうね」

 

 ドラコは優しい少年だ。

 怒っているのだ。ダフネが彼を頼らないことを。彼の隣を歩かないことを。彼を支えとしないことを。

 多少の酔いが彼の(たが)を外れさせているのだろう。酔っていなかったらこの言葉は聞けなかったかもしれない。そうだとしても、その優しさは偽りではなかった。

 

「でも、ギブアンドテイクよ? 私があなたを頼るのなら、あなたも私を頼りなさいな」

「わかってる。今回の貸しは大きいからな」

「あら怖い」

 

 そして、ふたりのダンスは終わった。

 少し足元をふらつかせながら、それでもドラコはマルフォイ家の跡継ぎに相応しい優雅な会釈を披露してみせた。

 ダフネはその後も何人かとダンスをした。同世代は少なく、大抵はルシウスの友人たちにリードしてもらった。有意義な時間だったが、頭の中はハリーのこと、そしてドラコの言葉でいっぱいだった。

 

「なにか悩んでいるのかい?」

「そう見えますかしら。世界はいつだって乙女に難題を投げかけるものですわ、ディオメデス様」

 

 パンジーの父、ディオメデスがクスリと笑って、ダフネの細い指に優しく手を添えた。彼の指に輝く金無垢の指輪は、亡き妻への愛の証明だ。

 愛。まさにそれこそが、今ダフネを悩ませている難題だった。

 

「若いうちにたくさん悩むのはいいことだ。私は若いうちに悩むことなくルシウスについていって、気づいたらこんなよくわからないところまで来てしまったよ」

「後悔してらっしゃるかしら?」

「まさか。世間から尊敬される仕事をして、いい給料をもらって、可愛い娘も授かった。男にとってこれ以上の希望はないさ」

 

 ゆったりとしたパヴァーヌが転調し、軽快なガリアードへと続く。

 ガリアードはエリザベス1世が愛した舞曲だ。エリザベス1世の宮廷に仕えたマルフォイ家は、伝統的に舞踏会の終幕をガリアードで飾ることにしている。

 

「こんなおじさんとガリアードを踊るのはもったいない。君にはパートナーがいるだろう? さ、いっておいで」

「……では、お言葉に甘えて御前を失礼しますわ」

 

 ダフネは深く会釈をし、それから会場の中心近くで立っていたハリーを見つけた。

 少しはしたないと思いながらも駆け寄る。

 

「ハリー、今日のラストですわよ! 踊りましょう!」

 

 周囲から歓声が上がる。誰もがハリーにペアが現れることを待っていたのだ。そして、待っていましたと言わんばかりに演奏が始まった。

 手を取る。お互い汗ばんでいる。少し暑い。

 

「約束通り、踊りに来ましたわ」

「うん、約束通り待ってたよ」

 

 その時のハリーが浮かべた笑顔に、きっとダフネは生涯勝てないだろうと感じた。

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