私の望みで世界を統べ
貴女は泰平の王となる
ジャッカル・ミーツ・シャーク
悪性霊、
砂を巻き上げて斃れたのは、首元から腰までを寸断されたカミキリムシのような
致命傷を受けて物言わぬ屍となった中級大虚を見下ろして、最上級大虚は仄暗い眼を更に暗くした。
虚園では、常に何処かで虚同士が殺し合う。殺し合い、勝者が敗者を喰らって力をつけ、また別の虚を喰らう。虚の力は、即ち犠牲の積み重ねだ。最上級大虚は、少なくともそう持論する。そして、その犠牲の積み重ねの果てに到達するモノである自分に対する自己嫌悪が、虚としての心の欠落を示す孔を造っていた。
屍から視線を外し、最上級大虚はその場を立ち去ろうと踵を返す。その瞬間。
「アンタ、それ食べないのか」
左斜め後ろ。メゾソプラノが最上級大虚へ呼びかけてきた。警戒しつつゆっくりと声の方を振り返ると、まず真っ先に
声の主は、虚圏において都市伝説扱いされてもおかしくない、人間と全く変わらぬ姿をしていた。最上級大虚のよりも明度の高い金髪を側頭部で二つに結い、白磁の肌の顔には右にジャッカルを模したらしい仮面の破片が、左に煤汚れのような紋様があり、ピーコックグリーンのロングジャケットに袖を通している。腰には鞘に収まった幅広の二刀を提げ、そしてその眼は、燦光する
なんと不運なのだろう。コイツは、
最上級大虚は仮面の奥の表情を変えぬまま、静かに己の死を覚悟する。
「もう一度訊こう。それ喰べないのか?」
「……」
繰り返される問いに、最上級大虚は沈黙で返した。破面は困ったように眉を下げて、わかりやすく肩をすくめてみせた。
「ううん、じゃあ訊き方を変えよう。既に食事を終えて満腹か、具合悪くて食欲不振で食べられないのか?それとも……
子供に言い聞かせるような、それか医者の問診のような、そんな問いかけに最上級大虚は。
「……食べたく、ない」
絞り出すように、初めて破面に対して言葉を返した。破面は軽く握った右手を口元に添えて小さく首を傾げる。
「何故?折角の狩りの成果だろ」
続けて投げかけられた問いに、最上級大虚は首を横に振った。
「狩りをしたつもりはない。そもそも私は犠牲によってもたらされる力で、強くなりたくはない。できることなら、誰も殺めず、誰も喰わず、静かに暮らしたい」
破面は目を丸くした。頭の中でゆっくり、返ってきた答えを咀嚼して、それから緩く口角を上げる。
「———アンタ、変なこと言うな」
「は?」
最上級大虚は身体ごと破面へ向き直った。破面はまあまあ、と宥めるように両手を掲げる。
「アンタ、名前は?」
「ティア・ハリベルだ」
最上級大虚———ティア・ハリベルは破面を睨んだまま動かない。破面はゆったりとハリベルの横を通り過ぎて、演技がかった動きで振り返り、両腕を広げた。
「そうか。じゃあ、ティア。現世では、植物は草食動物に喰まれ、草食動物は肉食動物に狩られ、肉食動物は命尽きた後土に返り植物を育てる。これを食物連鎖というらしい」
「……それが、なんだと言うんだ」
ハリベルの鋭くなった視線に対して、破面は悠然と構えて、そう逸るなと宥める。そしてお構いなしに続けて。
「虚圏ではどうだ?霊子の砂に育まれた植物や、大気の霊子を吸って生きる小動物型の虚は人から変じた虚の餌になるだろうな。そして虚はそのうち互いを喰い合い、
破面は右手の人差し指を立ててくるくる円を描くように回す。ハリベルは思わず、その指の動きを目で追った。
「最下級大虚の中から自我を持つものが同格を喰らい、中級大虚に成る。そしてその中の一握りの素質ある者は、同じように喰い合いの果てに最上級大虚へ至るだろう。そして、生きている以上最上級大虚であっても何時かは死ぬ。死んでその身は霊子に解け、植物を育む砂になり、そして大気に満ちる」
人と変わらぬ両掌をパッと開いて、破面は掌を上向けた右手をハリベルへ伸ばした。
「これこそ、虚圏における食物連鎖であるなら私たちが互いを喰い合うことは自然の摂理」
破面は説く。虚圏における生命の円環、その道筋を。自分たちが生きる世界の、自分たちが知り得る事実を。虚は喰い合いの果てに、死して虚圏の大地を創り、大気を満たす。それは誰も変えることは能わずば。
「人も、虚も、まして死神であっても、命は皆他の命を食べることで生きている。霞だけ食って生きていけるような命なんて、そんなものは存在しない。ならばそこに、一つの例外も無いだろ?」
「それ、は……」
ハリベルは言葉に詰まる。人であった頃の記憶など残ってはいないが、確かに、生きている限りは命を食べるのは避けられないことではあった。虚も、その点に関しては変わらないことも、その通りではある。
破面は続けた。
「つまりは、だ。そこでくたばって転がってる大虚をアンタが喰ったなら、それはあくまで自然の摂理であり命の流れの一部分。アンタの血肉となって、ソイツは明日を見るだろう。現世の人間がご飯を食べる前にする"いただきます"って挨拶は、
祈るように両手を合わせた破面は、砂を踏み締めるようにハリベルに歩み寄る。燦々と瞬く
「逆に、アンタが最初そうしようとしたように、このまま野晒しで捨て置けば、それはティア・ハリベルという暴力装置による犠牲者、ということになるだろうな」
「———暴力、装置だと?」
唖然とするハリベルの様子に、破面はクスクスと笑う。そして、指先でハリベルの肩を戯れるように突いた。
「なんだその顔。今更だろ?私にしろアンタにしろ、最上級大虚なんて多かれ少なかれ理不尽な暴力の化身しかいないんだから」
「理不尽……」
「そう、理不尽。弱者にとって、強者が持つ圧倒する力とは世界に許容された理不尽だ。とはいえ、だからと言ってそれが悪とはならないけどな。どちらかといえば、一定の秩序と均衡を保つ為には必要なものだし」
「理不尽を世界が許容する……?そんなこと……」
「あるんだなあそれが。というかだな、そもそもアンタ犠牲によってもたらされる力がなんとかって言っていたけど、殺した命を頂くことで力を得られるのならそれは犠牲とは言わんだろ」
「何……?」
破面が態とらしく溜め息を吐いた。ハリベルの肩に左腕を掛け、顔を近付ける。
「あくまでも、これは私の持論として聞いて欲しいんだが。犠牲とは、
「誰の糧にも……成り得ない?」
「そう。殺した命を喰えば、それは己の血肉となって命を繋ぎ、虚であれば敵を退け、不要な争いを生まないだけの力を獲得できる。それは、糧だ。成長する為の、維持する為の、生きる為の糧だ。だが喰わずに捨て置けばどうなる?時間をかけて霊子に還り、砂漠の一部となるだろう。大気を満たす霊子の一部になるだろう。それも一応は食物連鎖の上では循環の一部だ。しかし、それまで糧となってきた者たちの命の意義は?アンタがただ殺すことで、それらを無価値に変えてしまうんだ」
仮面越しに、ハリベルの眼が見開いて揺れた。思わず後退りしたのを、破面は逃さないと言うように右手で捕える。
「で、どうする?このままコレほったらかして犠牲にするか。それとも綺麗に喰べ切ってアンタの糧にするか。決めるのはアンタだ、ティア」
翠玉に囚われて、あるかどうかもわからない心臓が早鐘を打つ。呼吸が浅くなる。視線が破面と、砂地に横たわる中級大虚の屍を行き来する。迷うハリベルに、破面は底冷えする程に恐ろしい声音で。
「さあ、選べ」
息が止まった。そう思った時にはハリベルは、中級大虚の屍に喰らいついていた。
「ゥ……ゲホッ……ゴホッ、ゴホッ……!」
ザンッ、と右腕と同化した両手剣を砂地に突き立て、左手を着いてハリベルは咳き込んだ。長らく忌避し続けてきた捕食行為が精神にかける負荷は、本人の想定以上に大きかったらしい。破面はそれに対して手を叩いて称賛することで評価した。
「よく出来たな。偉いぞ、ティア」
破面は膝を着き、死体の血に塗れたハリベルをそっと抱いて後頭部を撫でた。幼い子供にするようなそれにハリベルは僅かに気恥ずかしいものを覚えたが、不思議な安心感と心地良さには勝てず破面の肩に顔を押し付ける。
そうしている内にふと、そういえばハリベルは破面の名前を訊いていないことを微睡みかけた頭で思い出した。名残惜しさをどうにか振り払って身体を破面から少し遠ざけると、もういいのか、と訊く破面に対して頷くことで返答とする。
「名前を訊いていないのをすっかり忘れていた。なんというんだ?」
ハリベルの問いに対し、破面は一瞬惚けたように瞬きをした後、すぐに微笑んでこう答えた。
「アメミトだ。アメミト・レシェフ」
こうして、一人の破面と最上級大虚が徒党を組むこととなった。
知ってるか、洗脳に斬魄刀も完現術も聖文字も要らないんだぞ
アメミト・レシェフ
虚園において割と長生きしてると思われる自然発生した成体の破面。
仮面の名残から見るに元はジャッカルの虚と思われる。
謎の演説スキルの高さでハリベルの「犠牲」に対する認識をズラした。その目的はまだ不明