犴と鮫   作:鷲谷ヒメリ

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いざ行かん 遥か高みへ
血肉を喰らい
骨を砕き
数多の屍を踏み越えて
形亡き彼等への 手向けと成れ


豹月、死闘

 コンクリートに近い材質の床が砕ける程の衝撃を持って、黒と白の刃がぶつかり合う。

 オレンジの髪の死神代行、黒崎一護は黒刀を振り切って空色の髪の破面(アランカル)、グリムジョー・ジャガージャックの斬魄刀を打ち払った。

 グリムジョーは身体を仰け反らせたまま、空いた左手を一護に向ける。虚閃(セロ)の光を認めた一護は黒刀をグリムジョーの左手に叩きつけるように振った。

「月牙……」

 剣速が乗った状態で月牙天衝を放つことで、虚閃ごとグリムジョーを斬り伏せようとした一護を嘲笑うように、グリムジョーは斬魄刀を投げ捨てて空いた右手に虚閃を構える。

 一護は咄嗟に黒刀を引いて、月牙天衝をグリムジョーの右の虚閃に流し撃った。

 黒と青の霊光がぶつかり合って爆ぜる。

 グリムジョーは爆風の中、身の内から堰を切ったように溢れ出す歓喜に高笑いした。

「いいぜ!!これを待ってたんだ!!てめえを全力でブッ潰せる時をな!!」

 お前もそうだろう。グリムジョーは一護に同意を求める。だが一護はそれを否定した。

 虚閃とぶつかった月牙天衝が掠めた左手から、血を僅かに飛び散らせたグリムジョーは微温い事を言うなと吼える。

「言えよ!!俺を殺してえってよ!!てめえの仲間をズタズタにした俺を!!引き裂いて殺してえんだろ!!」

 叫ぶようにそう言ったかと思えば、グリムジョーは一転して静かに一護を見る目を氷のように凍てつかせた。

「……俺は許さねえぞ……俺がこの傷を残してる意味を……てめえは知らなきゃならねえ……!」

 左の親指で胸に残る傷跡を指す。最初の戦い、グリムジョーにとっての全ての始まりで、一護に付けられた傷の痕。

「てめえの(のど)を掻っ切って、どっちが上か解らせてやるぜ!!!」

 グリムジョーは左手を獣の指先のように折り曲げ、喉を爪で八つ裂きにするジェスチャーを見せつけた。

 投げ捨てた先にある建物の壁に突き刺さった斬魄刀の柄を掴み取る。宙返りしながら斬魄刀を引き抜いて、建物の上に飛び乗った。

 一護は天鎖斬月を構え、グリムジョーを見上げる。その表情を認めたグリムジョーは、腑に落ちない様子で一護を睨みつけた。

「……何だそのツラは?どうやら本当に、俺に殺意は無えらしいな……」

 情けない奴。そう吐き捨てたグリムジョーに、一護は意図を図りかねて疑問符を口にした。

 グリムジョーは納得のいかない顔で、しかし一瞬のうちに響転(ソニード)で一護の視界から掻き消える。そして背後から強襲した。

 一護は既の所で横に跳躍し、その一撃を跳躍して避ける。空振ったグリムジョーの左手が床を破壊した。

 空中の一護にグリムジョーは、攻撃後の一瞬の硬直すらなく斬魄刀を振り上げる。一護は天鎖斬月でそれを受け止め、打ち払って強引に体勢を立て直した。

 グリムジョーが逃さないと言うかのように攻め立てる。剣のぶつかり合う音が途切れ無く戦域に響き渡った。

「……訊くが黒崎。てめえは何の為に虚圏(ここ)に来た?」

 鍔迫り合いの中、グリムジョーが問う。

「そんなもん、決まってんだろ……!井上を助ける為だ……!」

 何を当然のことを、という一護の答えを、グリムジョーは鼻で笑った。

「だったら何であの女を見た瞬間に、連れて逃げる素振りさえ無えんだ!?」

 言われて一護は、斬魄刀を握る手が力むのを感じた。グン、と黒刀が押され、一護は僅かに背を仰け反らせる。

「見た目が無傷で安心でもしたか!?内側はどうなってるかも知れねえのによ!!」

 実際のところこれは、一護を煽るためのグリムジョーのハッタリである。

 何せ、仮に織姫に手を出そうものなら、バレた瞬間怒れる第3十刃(トレス・エスパーダ)とその右腕による殺人ビデオ(スナッフムービー)撮影会が決行されるからだ。

 何故彼女らがそこまで織姫を気にかけているのかはグリムジョーの知る所では無いが、いずれにせよまともな頭をしているものは、基本的に"問題児(ハリベル)お気に入り(庇護対象)"にちょっかいをかけることはない。

 最も、グリムジョーを含めて例外が無いとは言わないが。

 なので、グリムジョーはおそらく織姫を連れ出す際にそこに居た、正しくその例外こと女破面二人は、後で散々な目に遭うだろうと確信していた。

 だが、一護はそんな事情など知らない。だからこそ、このハッタリは効果覿面だった。

「……てめえら……井上に何かしたのか……!」

 一護の黒刀がグリムジョーの斬魄刀を押し返す。激情を覗かせるその表情にグリムジョーは、幾分か気分を持ち上げて鼻を鳴らした。

「……いい顔だぜ、黒崎!!!」

 グリムジョーの斬魄刀が一護の黒刀を弾く。一歩分間合いを開き、グリムジョーはほくそ笑んだ。

「あの女を助けにここへ来たと言ったな……?解ってねえようだから、教えてやる」

 出来の悪い生徒を指導する塾講師のように、グリムジョーは一護に説く。

「違うぜ。てめえは虚圏(ここ)へ戦いに来たんだ。てめえには見えてんだよ。本能の示す道筋ってやつがな!」

 グリムジョーのその言葉に、修復されて間もない一護の心臓が跳ねた。

 グリムジョーは畳み掛ける。

「てめえは死神、俺は(ホロウ)!!負けた側は皆殺し!!!千年も前からそう決まってんだ!!!」

 戦う理由などそれだけでいい。それ以外など不要と吼えて、グリムジョーが一護を誘う。生きて戻れるのは、最後まで立っていた方だと。

 黒と白が目視で追える速度を遥かに超え、高速で斬り結ぶ。グリムジョーの右手が振り上げた斬魄刀を一護は黒刀の刃先で受け流し、鎺で停めて弾き返した。

 一護の黒刀がグリムジョーに対して横薙ぎに振るわれる。グリムジョーは斬魄刀を立ててそれを受け止め、空いている左手に虚閃を留めて一護に掴み掛かった。一護はそれを半身になることで避けて、グリムジョーの斬魄刀と交差する黒刀を軸に背後へ回る。

 一護の放った月牙天衝に、グリムジョーが虚閃を合わせて迎え撃つ。単発攻撃の月牙天衝に対して攻撃が持続する虚閃が、黒い霊圧を穿ち抜いて一護を襲った。

 一護は横に跳んで虚閃を躱す。その先に、響転で背後に回ったグリムジョーがいた。

 振り返った一護は咄嗟に黒刀で振り下ろされたグリムジョーの斬魄刀を受ける。が、防ぎ切れずに胸を斜めに斬り裂かれた。

 幸いにして、黒刀を出したことでダメージを軽減できたのか、傷は浅く済んだものの一護の表情は険しい。

 グリムジョーが白い砂の上に着地する。空中の一護と、視線が交わった。

「……いい顔になったぜ、黒崎……」

 グリムジョーは砂の上に斬魄刀を突き立てる。そしてその刃先に指を滑らせて、皮膚を薄く裂いた。

「……だが……まだだ」

 指先から血が滲む右手を前に掲げる。

 グリムジョーが真に戦わんと求めるのは、今の一護ではない。

「……喰らいやがれ」

 掌に霊圧が集中する。指先から流れる血を取り込んで、より強大に、より禍々しく変異した虚閃が一護に向けられた。

「こいつが……十刃(エスパーダ)だけに許された、最強の虚閃だ!!!!」

 アレを無防備なままに喰らうのは不味い。一護は体勢を立て直して回避しようと身を捩る。が、その時視界の端に、虚閃の射線の先に織姫達がいることに気付いた。気付いてしまった。

「待て!!!グリムジョー!!!」

 一護は反射的に待ったをかける。だが、グリムジョーは止まらない。

「……ッ!あの馬鹿!」

 織姫と共にいるミラ・ローズもまた、感じ取った霊圧からその危険に気づく。グリムジョーの構えるアレが、天蓋下での使用を禁じられている技だと知っていたミラ・ローズは、織姫とネルを抱き寄せて自分の身体を盾にするように背を向けた。

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!!」

 並の破面の虚閃など鼻で笑う程に太く、強く、禍々しい虚閃が、戦域の空間を抉り取った。

 直撃していないどころか、光から距離の離れた砂地さえも衝撃で波打つ。巻き上がった砂が晴れた先、ミラ・ローズに庇われる織姫とネルを護るように、仮面を着けた一護がそこにいた。

「……ようやく出やがったか……」

 グリムジョーが待ちかねたと言いたげにほくそ笑む。

 それと対照的に、ミラ・ローズの腕の中からそっと身体半分抜け出した織姫は、一護の背中を凝視する。不穏な程鈍く鳴る心音に、薄寒いものを覚えながら。

「……黒崎……くん……?」

 名を呼ばれた一護が首だけで振り返る。

 (ホロウ)の仮面の奥に見える、黒い結膜に浮かぶ金の月を思わせる眼に、織姫は息を飲んだ。

「……悪りい、怖いか。このカッコで安心しろっつっても難しいだろうな……でも、言わせてくれ」

 仮面と、その奥の眼を見せないように。織姫を怖がらせないように前を向き直した一護は、自分に言い聞かせるかのように告げた。

 高笑いが響く。声の主は当然、(ホロウ)化した一護の姿を認めたグリムジョーだった。

「待ってたんだ……この時をよ……!」

 グリムジョーの左手が斬魄刀の刀身に爪を立てる。指先に獣の爪のような霊光が走った。

「軋れ、豹王(パンテラ)!!!!」

 霊光を纏った指先が斬魄刀の刀身を掻く。刀の形をした檻に収めた(ホロウ)としての本質が、言霊に導かれて解き放たれた。

「井上。ここから先、お前達三人の前に三天結盾を張って、一瞬も消すな」

 織姫を振り返らないまま、一護は真の力を解放したグリムジョーを見据える。

 その姿は、細身ではあるが引き締まって強靭な身体の肉食獣。長く伸びた髪は立髪のように揺らぎ、歯は鋭い牙がズラリと並ぶ。長い尾はしなやかに揺れ、耳は獣のように毛に覆われていた。

「……ウ……ォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 グリムジョーが吼える。その音圧だけで、一護の全身の皮膚に衝撃が豪雨のように打ちつけた。一護は思わず黒刀を握る手で、仮面を被った顔を庇う。

 跳躍したグリムジョーが、瞬きすら間に合わない速度で一護の眼前に迫った。両手で怯んだ一護を突き飛ばし、建物を次々突き破った先に回り込んで膝で蹴り上げる。

 カチ上げられた一護が体勢を立て直す隙さえ与えず、グリムジョーはより高く跳んでその背後から霊光を纏った鋭い爪の一撃を振り下ろした。

 グリムジョーは建物に叩きつけられ、縦に割り砕いた一護の姿を砂煙の中から探す。この程度では無いはずだ、と。

「……出てこいよ」

 挑発の意図を持って誘う。その背後から、黒い霊圧を纏った黒刀を振り翳す一護。

「月牙天衝!!!!」

 死神と虚の力が合わさった、黒い月牙天衝がグリムジョーを襲う。グリムジョーはそれを真正面から迎え撃ち、相殺した。

 グリムジョーは嗤う。昂る感情そのままに。

「いいぜ!黒崎一護!!!!いい眼だ!!!その眼が!!気に食わねえんだよ!!!」

 霊圧のぶつかり合いで生じた爆風を左手で払い除ける。その先にいる一護の、仮面の奥の眼に宿る意志の色に、歓喜と憎悪と悦楽と、それから不愉快をミキサーにかけたような感情を叩きつけた。

 

「……まだ空間、歪んでんだけど」

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)なんて、天蓋下で使っていいものじゃないってこと、忘れていらっしゃるので?」

「忘れてるからぶっ放してるんだろう。傍迷惑な話だけどな」

 第三の宮のバルコニーから、第3十刃(トレス・エスパーダ)とその従属官(フラシオン)達が一護とグリムジョーの戦いを見ていた。誰と無しに、馬鹿野郎が、と呟く。

「つーか、ミラ・ローズあそこにいるんじゃなかったっけ?大丈夫なのかよ」

 しゃがんだ姿勢で両手で頬杖をつくアパッチは、戦場の近くにいるであろう同胞の身を案じた。

「やれやれ……流石にこれはグリムジョーお仕置き案件かなあ」

 右手を顎に添えて、アメミトは悪どい表情で態とらしく報復をちらつかせる。

「何をなさるおつもりですか、アメミト様……」

 アメミトの横顔を見て、その表情に若干引き気味のスンスンは横に逸れて、アメミトから僅かに身体を離した。

 霊圧同士の衝突の余波が、彼女達の居る場所まで届く。その圧力に、中級大虚(アジューカス)がベースの破面(アランカル)であるアパッチとスンスンは恐怖心から思わず目を閉じた。

「……グリムジョーの奴、調子乗ってんな……」

「……怖いか?」

 揶揄うように問いかけたのは、第3十刃のハリベル。アパッチはその声にハッとして、取り繕うように首を勢いよく横に振った。

 ハリベルはその強がりを深く追求はしない。仲の良い相手に良いカッコを見せたがる、或いはカッコ悪いところを見せたくない心理は、自分も理解できるし持ち合わせているからだ。特に、敬愛や親愛を含んだ関係ならば尚更。

 とはいえ、アパッチとスンスンが恐れを成すのも無理は無い。解放した十刃(エスパーダ)の、真に殺意を伴う戦いとはそういうものだ。アメミトがノイトラを殴り倒した時は恐ろしさを感じなかったのは、身内贔屓を抜きにしてもアメミト側に殺意も敵意も皆無だったので。

 それにしても、とハリベルは戦いを見据える。

 グリムジョーと相討つ死神代行の霊圧は、人とは思えぬ程強大で禍々しい。これでは、まるで———。

十刃(エスパーダ)同士の殺し合いに見えるか?」

「!」

 燦光する翠玉(エメラルド)が愉快そうに細められる。クスクスと笑うアメミトは、目だけをハリベルへ向けてプラチナブロンドの髪を払った。

 

 グリムジョーが一護の黒刀を掴んで一護毎叩きつける。一護の背中と衝突した建物の壁を砕いてクレーターを作った。

「どうやら……その仮面状態の保持時間は延びてるらしいな!」

 以前の戦いから更に鍛えたか、或いはここまでの戦闘での無意識の上達か。いずれにせよ、グリムジョーにとってはつまらない戦いをせずに済むのは幸いだった。

 グリムジョーの右手が一護に槍のように突き出される。一護は左手でその手を掴んで止めた。

「仮面が割れたら……つまんねえだと……?」

 ギリ、とグリムジョーの右手を掴む一護の左手が力む。握力をかけられた手の骨の軋む音が、グリムジョーの鼓膜を揺らした。

「笑わせんな」

 一護は右手の黒刀を振り上げる。黒い軌跡を描いた一撃が、グリムジョーの胸を逆袈裟に斬り裂いた。

「……こっちのセリフだぜ、グリムジョー。つまんねえから……その解放状態、解くんじゃねえぞ」

 一護が挑発を返す。振り下ろされた黒刀を左腕で受け止めたグリムジョーは、左脚で一護の脇腹を蹴り上げた。一護はそれに対して、蹴り上げた左脚に肘打ちを叩き込み、黒刀でグリムジョーを追撃する。

 それを後ろに跳んで躱したグリムジョーは、回転しながら一護に右脚を振り降ろした。一護は半身になり横にズレて蹴り降ろされた右脚を避ける。反撃の為に黒刀を構えた瞬間、頭上から空気を裂く音。

 叩きつけられたのは、長くしなやかな尾。四つ脚の肉食獣のような姿のグリムジョーの帰刃(レスレクシオン)豹王(パンテラ)の尾は手脚と並ぶ第五の白兵武器である。

 砂の上に叩きつけられた一護に追い討ちをかけようと、グリムジョーが急降下する。砂煙の中から飛び出した黒刀の鋒に気付いた時には、一護を八つ裂きにせんと繰り出された左腕を一護の黒刀が裂いていた。

 すれ違い様、互いの目線が交じり合う。振り向くと同時に放たれた爪と黒刀の一閃が、その衝撃で白い砂を舞い上げながらぶつかり合った。

 互いに後ろに下がって間合いを取る。グリムジョーは白打以外には無いと思い込む一護を嘲笑うかの様に、右肘から棘のような杭を五発、一斉に発射した。

 一護はそれを一度は横に上体を逸らして回避する。が、その射線上に織姫達がいる事に気付くと、瞬歩で三天結盾を張る織姫の前に移動し、その背中で杭を全て受け止めた。

「一護!」

「い……いちごぉ……!」

 杭を打ち払おうとしたのか、斬魄刀に手をかけたミラ・ローズとその背後に隠れるネルが、杭を全弾モロに喰らった一護を案じる様に名前を呼ぶ。

「……黒……崎……くん……」

 織姫も、一護を案じて絞り出す様に名前を呼んだ。が、息を切らして顔を上げた一護の仮面と眼に息を飲んで、後に続けるべき言葉を失う。その様子を見た一護は、致し方無い、と汲み取れる目の伏せ方をして、織姫をこれ以上怯えさせない様グリムジョーの下へ舞い戻って行った。

「……どうした?息が上がってるぜ」

 蜻蛉返りして来た一護が白い砂の上に降り立ったのを確認したグリムジョーは、肩で息をする一護を煽る。左腕を上げて、肘から棘のような杭を射出し、建物を粉砕する事でその威力を見せつけた。

「……こいつを5発も喰らってんだ。無事な方がどうかしてるがな」

 砂を巻き上げて崩れ落ちる建物の残骸の末路を見届けて、グリムジョーの目線は一護の仮面に向く。左側の目元にヒビが入ったのを認めたグリムジョーは、維持限界が迫っているようだと判断した。

「……限界だと?誰がだよ」

 強がるような、或いは威嚇のような声音で、一護は仮面のヒビ割れに手を翳し、霊力を込めて再生させる。それを見たグリムジョーは、そのしぶとさに舌を巻きながらも、そうでなければ、と構えた。

「……お前こそ、相当ガタがきてるように見えるぜ」

 一護が煽り返す。事実、グリムジョーも同様に呼吸を荒げ、心臓が早鐘を打っていた。

 二人が同時に砂地を踏み締める。次の瞬間、最早何度目になるかわからない衝突によって砂が噴水のように舞い上がった。

 

 一護とグリムジョーの戦いを見守る織姫は、右手で左腕を握り締めて嫌に大きく鳴り響く心音に耐えていた。その理由は自分でも判っている。

 怖れているからだ。一護が被った仮面の奥の、暗闇の中に浮かぶ金の月を。彼の眼に、自分の姿など何処にも映っていないのだと感じてしまうからだ。

 重なるのは、かつて(ホロウ)となってしまった兄の姿。中心を失い妄執に囚われ、織姫を殺そうとしたあの眼。

 グリムジョーの上段蹴りが一護の仮面の左上を破る。砂地の上を転がった一護の上から、縦回転で勢いをつけたグリムジョーの踵落としが叩きつけられた。

「……一護が、押されてる……」

「……そんな……」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ミラ・ローズは零す。身を乗り出して喰い入る様に戦いを見ているネルは、信じられないと表情で雄弁に訴えた。

「ドルドーニ様の時も……ウルキオラ様の時も……仮面つけてた時は一護が圧倒的に勝ってたっス……仮面つけてる一護は、無敵だったっス……」

 ネルの視線の先で、グリムジョーによって一護の仮面が更に砕ける。

 信じられない。あり得ない。あんなに強い一護が、あそこまで追い詰められるなんて。ネルは眼球が乾く程、瞬きを忘れて戦いを見つめていた。

 不意に、ネルは織姫が怯えているのに気付く。何に怯えているのか。(ホロウ)化した、一護にだ。それを見たネルは、意を決する。

「が……がんばれ一護ぉっ!!!」

 ネルは腹に力を入れて、一護に声が届く様に応援の言葉を飛ばす。

「ネ、ネル……?」

「ほれっ!何をスてるスか!!二人も応援するっスよ!!」

「……え……」

「え、じゃないっス!!一護はあんたのために戦ってるっスよ!!だのになんであんたが一護を怖がってるんスか!!」

 ネルに図星を突かれた織姫は息を飲む。

「あんた言ったっスよね!?一護は優しい人だって!その通りっス!だからネルは一護が大好きになったんスから!!その優しい一護が!!あんたの名前を聞いてウルキオラ様に飛びかかったっス!!」

 織姫が眼を見開いた。思わずミラ・ローズの方を向けば、ネルの証言を肯定する意図で小さく頷くのが認識できた。

「一護は人間っス!!それなのに死神ンなって、仮面までかぶってあんなデタラメな力つかって!!一護が苦しくないわけないっス!苦しいのにきまってるっス!!」

「……そうだな、ネル」

 ミラ・ローズが一歩前に出る。両手をメガホンの形にして、口の前に掲げた。

「やっちまえ、一護ォ!!グリムジョーなんかコテンパンに伸しちまえぇ!!」

 大声で野次に近い檄を飛ばしてから、ミラ・ローズは織姫の肩に優しく手を置いて、(ホロウ)とは思えない程穏やかに微笑んだ。

「一護の奴、あんたの為にヤベェ力使って、命削りそうなくらい必死で戦ってるんだ。大切なもん取り戻す為に。守る為に……気持ちはすっごいわかるんだけど、無茶するよなあ……」

「そうっス!!だから……っあんたが一護を応援スねえで……どうするっスか!!!」

 涙声で訴えるネルと、共感性羞恥で苦笑いをするミラ・ローズにそう言われて、織姫は今も戦う一護を見た。

 最初は仲間を、友人達を守りたくて虚圏(ウェコムンド)に来た。それでも一護達が、織姫を助ける為に乗り込んできたと聞かされ、心の何処かで喜んでしまった。

 仮面を着けた一護の姿を見て、助けに来たわけではないんじゃないかと疑ってしまった。

 違う。織姫はさっき迄の自分を否定する。

 どうだっていいのだ、そんなことは。織姫の望みは唯一つ———。

 仮面の半分が砕けた一護が、背中から壁に叩きつけられた。失血と痛みで息が上がる。正真正銘、限界が来ているのだとグリムジョーは判断した。

「……終わりだぜ、黒崎」

 トドメを刺さんとグリムジョーが構える。一護は重くなった身体に鞭打って立ち上がり、黒刀を構え直す。その時。

「死なないで!黒崎くん!!」

 心の底からの、織姫の嘆願の声が一護に届いた。思わず一護は、右眼周辺に辛うじて仮面の残った顔を織姫に向ける。

「……勝たなくていい……頑張らなくていいから……もう、これ以上……ケガしないで……」

 そう言った織姫の目に涙が滲んでいることに気付いた一護は、その命を穿ち抜かんと突き出されたグリムジョーの右手を左手で、一瞥すらせず掴み取った。

「……注文多いぜ、皆……勝てっつったり、死ぬなっつったり……」

 グリムジョーの眼に映る、振り返った一護の眼は死闘の最中にあって、異常な程柔和な色をしている。

「……悪りィな、グリムジョー……どうも俺は……これ以上やられる訳にはいかねえらしい」

 振り下ろされた黒刀の一撃が、グリムジョーの身体を縦に斬り裂いた。

 致命傷だ。まともな奴なら。これで終わったと一護は一息吐こうとした、が。

「!」

 グリムジョーの左手が黒刀を掴んでいた。

「こんなもんで……勝ったつもりか……!?」

 夥しい流血を顧みず、逆流し喉まで迫り上がった血を空気ごと吐き出す。

「この……俺によ!!!」

 グリムジョーの右手が一護の脇腹に突き刺さった。一護は後ろに跳んで突かれた場所を左手で抑える。残された仮面が更に崩れて形を変えた。

「……何だ……その眼は……てめえはいつもそうだ……」

 諦めの色が見えない一護の眼が、グリムジョーには腹立たしい。どれだけ打ちのめされても勝つつもりでいるその眼が。自分の方が強いと自負するその眼が。

「気に喰わねえんだよ!!!」

 グリムジョーが跳ぶ。鋭い爪の一撃が一護を弾き飛ばし、受け身を取ったところに追撃が迫った。一護は反射的に黒刀でそれを受け流す。

「何が気に喰わねえんだよ……人間如きに対等なカオされんのが気に喰わねえか……!?」

 苦し紛れの挑発を無視して、グリムジョーは一護の肋の真下を殴りつけた。一護が怯んだところに蹴り上げで追い打ちをかける。

「関係無え!!!てめえが人間だろうが死神だろうが破面(アランカル)だろうが、俺をナメた眼で見やがる奴は、一人残らず叩き潰す!!!」

 打ち上げられた一護に向かってグリムジョーが跳躍した。歩数にして四、五歩分の距離まで近付いたところで、響転で一護の視界から消える。

「その手始めが……てめえだ黒崎!!!」

 そして一護の背後、或いは上に陣取ったグリムジョーは、両手の爪それぞれに霊圧を凝縮した長大な刃を形成した。

「何だよ……そりゃ……!?」

 冷や汗を流して眼を見開く一護に、グリムジョーは愉快そうに嗤う。

豹王の爪(デスガロン)。俺の、最強の技だ」

 グリムジョーが左手を振り上げる。五本の巨大且つ高密度の霊圧で出来た爪が、一護目掛けて振り下ろされた。

 一護は黒刀で豹王の爪(デスガロン)を受け止める。だが、その重さに耐え切れず黒刀を弾かれ、一護はその一撃をモロ喰らってしまった。

 グリムジョーは嗤う。お前は終わりだと。俺に負けると。

 その胸の内には、あの日志半ばにして息絶えた従属官(フラシオン)達との、古い盟約。

「俺が……俺が王だ!!!」

 どいつもこいつも、喰い尽くしてやる。

 一護も、ウルキオラも、ハリベルも、バラガンも、スタークも、藍染でさえ。

 全て叩き潰して、王になる。それが、自らを差し出してまでグリムジョーを彼方へと進ませた、彼等への———。

 刹那、一護の黒刀が豹王の爪(デスガロン)に突き立てられた。

「……月牙……」

 黒い霊圧が迸る。一護はそれを飛ぶ斬撃として切り離さず、斬魄刀の刀身に被せる形で収束させた。

(悪りィ、パクらせてもらうぜ。ミラ・ローズ)

 参考にしたのは、ミラ・ローズの卑金の一撃(バラ・デ・オロ)だ。霊圧を刀身に圧縮し、直接ぶつけることで威力をロス無く叩き込める。

 

 ———全てのものには名前がある。

 

 斬月の声がした。何だか随分久しぶりだ。懐かしさすらあるその声に、一護は状況を忘れて安心感を得る。

 

 ———魂に、道具に、そして技術に。凡ゆるものには名前が存在する。一護、月牙天衝から枝分かれしたその技巧にもまた、名前が必要だろう。

 

 そうかな。そうかも。一護は危機的状況でありながらも、酷く冷静だった。少なくとも、斬月の声に耳を傾け、戯けた返答を返す程度には。

 

 ———叫べ、その技の名は……!!

 

「……纏威衝!!!」

 収束、圧縮して尚、元の刀身よりも二回り以上大きな黒い霊圧の刃が、豹王の爪(デスガロン)を打ち砕いた。

 月牙纏威衝。その仕組み自体は至って単純だ。月牙天衝を刀身に圧縮し、直接ぶつける。唯それだけだが、飛距離による威力の減衰も無く、また一護の集中力次第で持続性も高い為打ち合いにも適した取り回しの良い技であった。

「……てめえが……てめえだけが……勝ちてえ訳じゃねえんだ……」

「……何だと?」

「てめえ言ったよな……俺が……手始めだって……俺もそうだ」

 月牙纏威衝を維持したまま、一護はグリムジョーに迫る。その眼は元の白い結膜と、ブラウンの虹彩に戻っていた。

 グリムジョーは舌打ちして、右手の豹王の爪(デスガロン)を一護に向けて放つ。

「てめえの言う通りだ。俺は虚圏(ここ)にてめえと戦いに来た」

 月牙纏威衝が豹王の爪(デスガロン)の一つを斬り裂く。

「てめえを倒す!ウルキオラを倒す!!藍染を倒す!!」

 豹王の爪(デスガロン)を砕き、グリムジョーに迫りながら一護は改めて誓う。

「そしてルキアを!チャドを!石田を!恋次を!井上を連れ戻す!!!」

 迷いは捨てた。守ることも助けることも、そして敵を倒すことも、全部取る。一護は自分が、ほんの少し強欲であるという自覚があったからだ。

「てめえ一人に……敗ける訳にはいかねえんだよ!!!グリムジョー!!!」

 一護の常よりも遠いが、しかし間違いなくその剣が届く間合いに入った。豹王の爪(デスガロン)は完全に砕かれた。

 月牙纏威衝を被せた天鎖斬月が、グリムジョーの身体を貫いた。




何処で切れば良いのかわからなくなってこんなことになってしまった
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