犴と鮫   作:鷲谷ヒメリ

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例え忠義に叛くとも
私の誇りと道に懸けて
貫くものは 愛と仁


蟷螂、強襲

 宙空で一護の新たな戦技、月牙纏威衝によって身体を貫かれたグリムジョーは悪態を吐いた。戦いで負ったダメージは大きい。その中でも最後の一撃は、致命傷と言っていい。

 天鎖斬月の刀身を覆っていた黒い霊圧が解けて散る。その分の隙間が空いたことで、グリムジョーの胴体から黒刀が抜けた。

 脱力して落下しかけたグリムジョーの左腕を、一護は咄嗟に掴み取る。辛うじて残った仮面が砕けて、(ホロウ)化が解けた。

 一護は砂地の上に降り立って、動かなくなったグリムジョーを寝かせると織姫達の元へ舞い戻る。不安そうな織姫に、一護は目付きを和らげて怪我はないかと確かめた。最も、グリムジョーが帰刃(レスレクシオン)してからはずっと三天結盾を張っていたし、何より流れ弾が飛ぶ度に一護が庇っていたのだから、無傷であって然るべきなのだが。

 織姫は一護の顔を見て心から安堵する。自分よりも他人のことを優先するのは、織姫がよく知る一護だ。

「いちごー!!!」

「あっ!?コラ、ネル!!」

 ネルが一護に飛びついた。仮面を被った頭が一護の丁度鳩尾に激突し、一護は血の混じった唾液を吐きながら悲鳴を上げる。

「ばっ……バカ野郎!!!何考えてんだ!空中だぞ!!落ちたら死ぬんだぞっ!!!」

 一護は腰にしがみつくネルが落ちないように、脇の下から抱えてやる。すると、ネルの安堵する声に嗚咽が薄ら混じっていることに気付いた。ネルは一護の死覇装から顔を離さず、よかった、と溢す。

「一護が死ななくて……よかったっス……!」

「……ああ……ありがとな……ネル……」

 一護はネルの頭を撫でてやると、織姫に怪我がない事を再度確認した。そして、織姫を両腕でひょいと担ぎ上げる。

「ちょっ……ちょっと、黒崎くん!?何して……」

「何って、下りるんだよ。こんなガレキだらけじゃ下り階段探すより抱えて下りた方が早いだろ?あ、ミラ・ローズ。ネル頼めるか?」

「良いけど一護、お前もうちょっと抱え方あったろ……」

 慌てる織姫にあっけらかんと答える一護に呆れながら、ミラ・ローズはネルを受け取る。

 でも、と口籠った織姫に、一護は何か問題があっただろうかと訊ねた。

「お……重いよ……」

 ほんのり顔を赤くして、織姫は申し訳なさそうにそう答える。

「あー、気にすんな。思ったほどじゃねえよ」

 瞬間、ミラ・ローズの膝が一護の脇腹に叩き込まれた。

「……て……っ、てめえ……!」

「お前女の子にそういう言い方ねえだろ!」

「そっスよ!レデーにはレデーなりの言い方ってもんがあるっス!」

 デリカシーというものがあるだろう、と説いたミラ・ローズにネルが同調する。

「たとえ重くてもそこは軽いと答えるべきっス!たとえ重くても!!」

「や……やめてネルちゃん……だんだん悲しくなってきた……」

 そんな、死闘の後とは思えない緩いやり取りをして、一護達は砂地の上に降りた。一護は織姫を降ろし、泰虎とルキアの救援に向かおうと告げる。ネルは反射的に置いていかれるのでは、と慌てるが、一護はここにいる方が危険だからと同行するよう言った。その時。

「「「「!!!」」」」

 息も絶え絶えのグリムジョーが、立っているのもやっとの筈の状態でそこにいた。

「グリムジョー……!」

 グリムジョーが足を進める。一護は織姫を庇う位置に立って、天鎖斬月を掲げた。

 グリムジョーの帰刃(レスレクシオン)が解けて、斬魄刀へと戻っていく。帰刃(レスレクシオン)を維持出来ていないという事は、瀕死であるという事。それを悟ったミラ・ローズは、眉間に皺を寄せた。

「……敗けるかよ……俺が……俺がてめえなんかに……敗ける訳がねえんだ!!!」

 吼えるグリムジョーが踏み込んだ。一護は何を思ったのか、天鎖斬月を放り投げて振りかぶられたグリムジョーの斬魄刀を握る右手の手首を掴み上げる。

「……もう止めろ、グリムジョー……てめえの敗けだ」

 意地だけでまだ戦おうとするグリムジョーを、一護は諭す。

「てめえが王だか知らねえが……気に喰わねえ奴を片っ端から潰して……一人だけで王になって…….そんなもんの何が楽しいんだ……!」

 王、という言葉にミラ・ローズは眉間に皺を寄せたまま目を伏せる。

 今のグリムジョーでは、王にはなれない。少なくとも、彼女が敬愛するアメミトが求める王には。尤も、グリムジョーもそういった王には、なろうとしないだろうけども。

「俺のことが気に喰わねえなら、何回だって戦ってやる……だから……今はもう止めろ……!」

 一護が繰り返す。決着は着いた。これ以上はグリムジョーにとっても意味が無い。だから。

 グリムジョーが一護の手を強引に振り払う。

「ふざけんな!!!てめえは……」

 それでも、と叫んだその時。

 三日月を背中合わせに繋げた刃が、グリムジョーをへし斬った。

 一護は刃が飛んできた方角を見る。そこにいたのは、細身で、異常な程に長身の、眼帯をした破面(アランカル)

「……往生際が悪りィんだよ。さっさと死ね。死神は俺が貰う」

 長大が過ぎる斬魄刀を担ぐその姿を認めたミラ・ローズは、心臓が跳ねるように鼓動を打つのを感じながら息を呑む。

「てめェ……ノイトラ……!」

 ネルを降ろし、織姫共々庇うように位置取ったミラ・ローズを視界に収めた破面、ノイトラは面倒そうに舌打ちした。

「なんだよ。ハリベルの腰巾着が何でこんなとこに居て、侵入者と仲良しこよししてやがんだァ?」

「誰が腰巾着だ!!同志と言え!」

 ぐるる、とミラ・ローズが威嚇するように唸る。ノイトラはそれに嘲笑で返した。

「雑魚が何いっちょ前に、十刃(エスパーダ)と対等面してやがんだ。あァ?所詮てめえ等は、ハリベルとアメミトに飼われてる愛玩動物だろうが」

「こんの……人を馬鹿にするのも大概に……!」

 ミラ・ローズが斬魄刀に手をかけたその時、横たわるグリムジョーが呻き声を上げる。側に居た一護が、それに気付いた。

「……ノイ……トラ……てめえ……」

「何だよ。まだ生きてんのか」

 次の瞬間、ノイトラが大きく跳躍した。一護は咄嗟に投げ捨てた天鎖斬月を拾い、グリムジョーを庇う形で振り下ろされたノイトラの斬魄刀を受け止める。

「……何してんだ、てめえ?」

「こっちのセリフだ……動けねえ奴になんで斬りかかってんだよ……!」

 ノイトラは一護の反問を鼻で笑った。三日月を背中合わせに繋げた斬魄刀を横に払い、一護を突き飛ばす。

「目も当てられねえなァ、グリムジョー!!あァ!?敵に敗けて、命まで守られてよォ!!」

 詰られたグリムジョーは何も言い返せない。それだけの気力も無ければ、言葉も見つからないからだ。それが、悔しい。

 ノイトラはグリムジョーから興味を無くし、一護に目を向ける。

「名は何てんだ?死神」

「……黒崎一護」

「黒崎か、憶えとくぜ」

 そう言ってノイトラは、斬魄刀を構えた。一護はその迫力に、冷たいものが背筋を走り抜ける感覚を覚える。

「てめえが死ぬ迄の、ちょっとの間だがなァ!!!」

 重ね三日月の刃が、一護を襲った。

 一護はそれを天鎖斬月で受け流し、逸れた先で舞い上がった大量の砂に紛れて後退する。瓦礫を伝って宙空に退避して体勢を立て直そうとした瞬間、砂煙の中からノイトラの長い腕と斬魄刀が迫り来た。一護はどうにか受け止めるが、その細身に反して途轍もなく重い一撃に、あえなく吹き飛ばされる。

 何とか受け身を取った一護にノイトラの追撃が叩き込まれた。リーチの差で、天鎖斬月の鋒が届かない距離を保たれている以上、一護は防戦一方である。

「黒崎くん!!」

 織姫が慌てて駆け出した。直接的な戦力にならない事は自覚している。それでも、防御支援くらいは。だが。

「テスラ!」

「はい」

 ノイトラに呼ばれた青年の破面(アランカル)第5従属官(クイント・フラシオン)のテスラが織姫を捕獲しようと背後に姿を現した。それに反応したミラ・ローズが、織姫の首に伸びたテスラの右腕を掴んで止める。

「……ミラ・ローズ。何のつもりだ」

「……させるかよ。アタシの友達に、指一本……いいや、髪一筋触れさせるものか……!」

 テスラは眉を顰めてミラ・ローズの手を振り払う。三歩分の距離を空けて、斬魄刀を抜いた。ミラ・ローズも織姫を庇いながら、自身の斬魄刀を構える。

 一呼吸置いて、二人が同時に砂を蹴った。次の瞬間、ブロードソードの形をした斬魄刀と、サーベルの刃の根本に円環の付いた奇妙な形の斬魄刀が激突した。

「井上!ミラ・ローズ!」

「どこ見てんだ?」

 横薙ぎに振るわれたノイトラの斬魄刀を、一護は頭を下げて回避する。

「クソッ。こっちに集中するしかねえか!」

「面白え科白だ!そいつは、"気が散らなきゃてめえに勝てる"と思ってる奴の科白だぜ」

 一護が天鎖斬月を構えた。ノイトラはそんな一護の言葉を嘲笑う。

「教えといてやる」

 そう言って、ノイトラは舌を延ばして一護に見せつけた。そこに焼き付けられた数字は、5。一護はそれを見て無意識に息を飲んだ。

「わかるか?てめえがそこまでボロボロになってようやく勝ったそこのカスより、俺の方が上なんだよ」

 お前は終わりだ。ノイトラは指を指してそう告げる。そして、一護の名を呼ぼうとしてほんの僅か、頭の中を探ったが。

「悪りィ、名前忘れた」

 重ね三日月の斬魄刀が振り上げられる。一護は上に跳んでそれを躱し、峰を蹴って間合いを詰めると天鎖斬月を振るった。

「良い動きをするじゃねェか!長物相手は初めてじゃねえのか!?」

「二度目だ!!」

 そうか、と返したノイトラは、重ね三日月の斬魄刀を回し長い柄で一護の背中を殴りつける。遠心力で重さの増した一撃が、一護を砂地の上に叩きつけた。

「やめて!こんなの……黒崎くんはケガしてるのに!」

 堪え切れず織姫が叫ぶ。万全のノイトラと満身創痍の一護では、対等な戦いとは言えない。一方的な蹂躙に対する非難に、ノイトラは苛立って舌打ちした。

「うるせえぞ!!バカか!?ケガしてるからなんだ!!!戦いだぜ。不平等が当然だろうが」

 ノイトラの怒号に合わせて、剣が互いを弾き合う音がする。ミラ・ローズとテスラだ。テスラが虚弾(バラ)を放ってミラ・ローズを牽制する。ミラ・ローズはそれに対して、卑金の一撃(バラ・デ・オロ)で叩き落とした。

 従属官(フラシオン)達の戦いを尻目に、ノイトラは続ける。

「戦いってのは元々、不平等と不寛容が産み出す怪物だ。あいつが気に喰わねえ。あいつになら勝てる。あいつが許せねえ。あらゆる理由で敵を作り、敵を作った瞬間から呼吸一つまで戦いの一つだ」

 一護達にとって、虚夜宮(ラスノーチェス)は敵の本拠地。その渦中で激闘を繰り返せば、誰にも狙われないわけがない。それこそ、悪い冗談だ。

「来いよ。てめえとグリムジョーの戦いは頭っから見てた。てめえの手の内は全部知れてるがな」

 ノイトラが誘う。一護はふらつく身体に鞭打って、ゆっくりと立ち上がった。

 それを固唾を飲んで見守る織姫が気付かぬ内、ネルは瓦礫の陰に隠れて得体の知れない痛みと、孔の空いた心臓の異常な拍動に耐えていた。

 立ち上がった一護はノイトラを見据える。乱れた息を整えて、意を決して砂を蹴った。

「遅せえ」

 ノイトラが重ね三日月を突き出す。一護はそれを横にステップを踏んで身体をズラし、避けると同時に黒刀の突きを放った。

 が、ノイトラはそれを左手で難なく掴み、掌で滑らせて鋒を逸らす。刃に触れている筈のその掌に、傷は無い。

「何だよ。斬れそうなのは見かけだけか。避けて損したぜ」

 落胆したように嘲笑ったノイトラは一護に頭突きを喰らわせる。その威力は一護の想定を超え、壊れた建物の残骸まで突き飛ばされた。

「一護!!……クソッ、テスラてめェ退きやがれ!!」

 テスラと相対するミラ・ローズは、一護がノイトラに突き飛ばされたのを見て歯軋りする。ブロードソード型の斬魄刀を振りかぶって、テスラに向かって突進した。

 テスラはミラ・ローズの斬魄刀を自身の斬魄刀で受け流し、脇腹に向かって足を振り上げる。ミラ・ローズは斬魄刀を左手で持ったまま右手でテスラの足を掴んで止めた。

 テスラが舌打ちしてミラ・ローズに止められた足を引く。斬魄刀を振り上げて、ミラ・ローズを追い払って距離を取るとテスラは腑に落ちなさそうな顔をして問うた。

「……何故敵に手を貸す?貴女はハリベルの従属官(フラシオン)だろう。死神を助ける道理が何処にある?」

 問われたミラ・ローズは何を言ってるんだコイツは、とでも言いたげに眉を顰めた。

「決まってるだろ。一護はもう、アタシにとって敵じゃなくなったからだ」

「……何だと?」

「アタシの友達と妹にとって大切な人なら、アタシにとっても大切にしなきゃならない人だ。だから、助ける。だから、守る。わかったら退け、テスラ」

「ならば俺など無視して行けばいい。貴女如きが加勢したところで、ノイトラ様に勝てる可能性など万に一つもないがな」

「ここでハイわかりましたって素直に向こう行ったら、あんた織姫に手を出すだろ。それがわかってて……行けるわけねえだろが!」

 ミラ・ローズが斬魄刀を右手に持ち替えて、左手で虚閃(セロ)を放った。テスラはそれに自身の虚閃(セロ)をぶつけて相殺する。

 巻き起こった煙幕で視界が潰れる。テスラは探査回路(ペスキス)を研ぎ澄まさせてミラ・ローズの姿を探した。その瞬間。

 煙に紛れてミラ・ローズがテスラの死角、即ち眼帯で覆った右眼側から飛び出して、斬魄刀を振り下ろした。

「!!」

 一瞬テスラの反射が遅れる。辛うじて肩が斬り裂かれる直前に身体を捻りながら横に跳んでダメージを最小限に留めた。

 ミラ・ローズは舌打ちする。

「避けてんじゃねえよ!!」

「避けるに決まってるだろ!!」

 ミラ・ローズが斬魄刀を左手で持って横薙ぎに振るう。テスラはそれを自身の斬魄刀で受け止め、鍔迫り合った。

 二方面で繰り広げられる戦いを、織姫は見ていることしかできない。より一層傷付いていく一護を、足止めを喰らって歯痒そうに闘うミラ・ローズを案じることしかできない自分に嫌気が差す。

 ふと、織姫はネルの姿が見えないことに気付いた。思わずネルを探す織姫の様子を、ミラ・ローズと競りながらも目敏く認めたテスラは、目だけを動かして周囲を確かめる。

「……そういえば、最初に貴女方と居た破面(アランカル)の姿がないな」

「……!待て、テスラ!」

 ミラ・ローズの静止の声は当然効かず、テスラは探査回路(ペスキス)を回してネルを探す。そして、建物の残骸の一つの裏にその気配を見つけ出すと、眼から虚閃(セロ)を放って隠れていたネルを吹き飛ばした。

 ネルの小さな身体が砂地を転がる。

「ネル!」

「ネルちゃん!」

 ミラ・ローズと織姫がほぼ同時にネルを呼んだ。その瞬間に、テスラがミラ・ローズの斬魄刀を押し返して弾く。タタラを踏んで数歩後ろに退がったミラ・ローズは、体勢を立て直してからネルに目を向けた。

 ネルは頭を抱えて蹲り、呻いている。

「……ネル……?」

 困惑する声がミラ・ローズの喉から零れ落ちた。

 それとほぼ同時、ノイトラに投げ飛ばされた一護の身体が、ネルの眼前で砂地を跳ねた。

「……い……」

 ネルが一護の名を呼ぼうとする。だが、その前にネルを得体の知れない恐怖が押し潰した。その姿を見つけたノイトラは。

「お前……ネルか?」

 それは確認だった。織姫が、ミラ・ローズが、唖然とした声を上げる。

 緊張から汗を噴き出しながら、ネルはゆっくりと後ろを振り向いた。その顔に見覚えのある紋様、仮面紋(エスティグマ)を認めたノイトラは嗤う。

「随分と見すぼらしくなったモンだな、ええ!?どうだ?割れた仮面は疼くか?オイ!」

「……う……あうう……」

 ノイトラが額を、正確にはネルの仮面のヒビの位置を指差す。ネルは恐怖と痛みと、由来の知れない緊張とで呻くことしかできない。

「……どういう事だよ……てめえ……ネルを知ってるのか……?」

 一護が問う。織姫とミラ・ローズも、同じ疑問を抱いていた。

「何だァ?なんでコイツがこんな処に居んのかと思ったら、てめえが連れて来たのかよ?……まァ、そのツラ見る限りじゃ、コイツが何者かなんて知らねェまんま連れ回してたんだろうがな」

「……おい待て、ノイトラ。それ、どういう意味だよ」

 テスラに斬魄刀を向けたまま、ミラ・ローズが半身でノイトラの方を向いた。ノイトラは悪戯を思いついたかのような顔で嗤う。

「……てめえも知らねェのかよ。ハリベルの腰巾着。なら教えてやるぜ」

 ノイトラは頭を抱えて自身を苛む全てに耐えるネルを指す。

「こいつはネル。ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンク。元十刃(エスパーダ)だ」

 一護が、ミラ・ローズが、織姫が、息を飲み目を見開いた。

「……ネルが……」

「……元……十刃(エスパーダ)……?」

「そうだ!何だ?危険は無えとでも思ったか?バカが!てめえら全員騙されてんだよ、こいつにな!」

「……っ、ふざけんな!ネルが元十刃(エスパーダ)なのは三万光年譲って事実だとして、んな悪どい事するわけないだろ!」

 ノイトラはミラ・ローズの反論に舌打ちした。主人が主人なら従属官(フラシオン)従属官(フラシオン)。悪霊である(ホロウ)の癖に、善性を盲信しているイカれた連中だ。だから、ノイトラはハリベルのみならず、アメミトのみならず、第3十刃(トレス・エスパーダ)という存在に纏わる全てが気に入らない。

 ネルが、荒い呼吸を繰り返しながら上体を起こした。

「ウ……ウソっス……ネルが……十刃(エスパーダ)なんて……そんなのありえないっス……」

 途切れ途切れの否定に、ノイトラはドスの効いた声を浴びせ掛ける。

「何言ってんだお前?ふざけてんのか?まさか忘れたとか言うんじゃねえだろうな?」

「わわ……忘れてなんか……ないっスよ……だってネル……十刃(エスパーダ)じゃないっスもん……」

 怯えながら答えるネルに、ノイトラは舌打ちした。そしてゆっくり右足の爪先をネルに向けて上げる。

「しばらく見ねえ間に、違う意味でイラつく奴になったみてえだな。つまんねえよ、お前」

 ノイトラの足が、ネルを踏みつけようと勢いをつけて下された。それを殴りつけて、ネルから逸らす黒い影。

 割って入ったのは、一護である。

 目元に表面張力ギリギリまで涙を溜めたネルは、一護の背中を恐る恐る見上げた。

「……一護……し……信じてほしいっス。ネルは……ネルは一護たちを、だましてなんかいないっス……」

「当たり前だろ!」

 震えるネルの声を、一護は力強く肯定した。

 例え短い付き合いだとしても、一護は理解している。ネルが、自分達を陥れようなど、騙そうなど企むワケが無い。

「心配すんな、ネル。俺たちは……」

 ゴッ、と鈍い音がして、一護の言葉が遮られた。ノイトラが一護の頭を、その長い脚で蹴飛ばしたからだ。

 ノイトラが嗤う。

「どうも記憶を失くしてやがるみてえだが……まァ、いいさ。あんだけハデに頭割ってやったんだ。記憶失くすのもしょうがねえって話だ」

「なっ!?」

「……ッ、待てよ!割ってやった……だと?」

 テスラを牽制するミラ・ローズと、口元の血を手で拭い取った一護がほぼ同時に目を見開いた。

「そうだ」

 肯定して、ノイトラはネルの頭を仮面ごと鷲掴む。そしてそのまま、高く持ち上げた。

「こいつの頭は俺が割ってやったんだよ!!」

「ネルちゃん!!」

「ネル!!!」

「やめろ!!!」

 三人同時に叫ぶ。一護は脇目も降らず砂地を蹴って、ノイトラに特攻を仕掛けた。

 横薙ぎに振るわれたノイトラの、重ね三日月の峰が一護の左脚を打つ。痛みに顔を顰めながら、一護は半ば強引に天鎖斬月をノイトラに振り下ろした。

 黒刀がノイトラの肩に直撃する。だが、その刃はノイトラの身体を、薄皮一枚断つ事はできなかった。

「……忘れたのかよ。てめえの剣じゃ、俺は斬れねえんだぜ」

 嘲笑うノイトラが、右足で一護の胸を蹴り上げる。ネルの頭を掴んだまま、ノイトラは忌々しげに一護を睨んだ。

「……イラつく奴だったぜ。今のてめえみたいにな」

 砂の上に這いつくばった一護は、力を振り絞って顔を上げる。

「……ネルを放せ……」

 ノイトラは応えない。頭を掴まれ宙ぶらりんになったネルを、仇を見るような目で見つめていた。

「だから後ろから頭割って、虚夜宮(ラスノーチェス)の外へ放り出してやったんだ」

 それは独り言のようだった。一護に話しているようで、その実誰に語るでも無く。

 一護は叫んだ。放せ、と。

 それに呼応して、ノイトラが八つ当たりのように怒鳴った。うるさい、と。

 一護が跳ぶ。ネルを助ける為にノイトラを倒さそうと天鎖斬月を構え、月牙纏威衝を放とうとした。

 だが、ノイトラは卑劣だった。一護が想定し得るよりも。自分と一護の間にネルを盾にするように掲げられ、一護は一瞬躊躇し月牙纏威衝が霧散する。

 その隙を突いて、ノイトラの斬魄刀が一護を砂の上に叩き伏せた。

 ノイトラはネルを放り投げ、倒れた一護の右手を持ち上げる。

「俺はよォ、勝てねえのに向かってくる奴ってのが嫌いなんだよ……終わりにしようぜ、死神」

 ノイトラは空いたもう片方の手で一護の右手首を掴む。あらぬ方向に力が加わって、骨が鳴ってはいけない音を立て始めた。

「一護!!」

 それを見たミラ・ローズは、一瞬飛び出しかけてしかし、テスラを野放しには出来ず踏み止まって舌打ちする。テスラのマークが外れれば、織姫が危ない。しかし、一護を助けに向かいたい。二つの感情に板挟みにされたミラ・ローズは、斬魄刀の柄を軋む程握り締めた。

 骨の組織が潰れる音がする。一護が痛みに呻き声を上げた。

「いちご……いちご……」

 一護は自分の骨が湿気った木の枝のように折れていくのを知覚する。喉から堪え切れない悲鳴が吐き出された。

「いちご……っ」

 ネルは、自分の無力を呪う。

 なんで、ネルは一護を助けられない。

 なんで、ネルは守られることしかできない。

 なんで、ネルは見ていることしかできない。

 なんで、私はこんなにも———!

「いちごーーーーー!!!!」

 ネルが一護の名を叫んだ、その瞬間。

 

 ネルの霊圧が、弾けた。

 

 ノイトラが目を見開いて振り返る。衝撃で舞い上がった砂煙の向こうから、その姿を現したのは。

「……ネル……?」

 翡翠の髪と、ヒビの入った巻き角の仮面の女破面(アランカル)だった。




次回、メンヘラvsシスコン
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