犴と鮫   作:鷲谷ヒメリ

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何を妬み
何に飢え
何を羨み
何に傲り
何を侮り
何に怒り
何を欲するのか
何故に揺れ惑う
俺がいるからだ


第二階層

 第五の塔、その最上階。ウルキオラによって天蓋に空けられた穴を見上げていた雨竜と織姫は、突如起きた強大な霊圧による揺れに思わず膝をついた。振動で細かな瓦礫がパラパラと振ってくる。雨竜はどうか崩れないでくれ、と願わずにはいられなかった。

「……上で一体何が……」

 天蓋の上で戦っている筈の一護を案じる。その隣で、織姫が何かを言おうとした時だった。

「おぎゃっ!?」

「わーっ!?」

 二人分の悲鳴が聞こえた。驚いて振り返ると、浅黒い肌の筋肉質な身体をした女破面(アランカル)が顔から転倒している瞬間を目撃してしまう。その背中には、雨竜も知っている小さな少女がしがみついていた。

 鈍い音と共に完全に床に俯せで倒れ込んでしまった女破面(アランカル)は、痛みに呻き声を上げた。

「うぐぉおお……痛え……ダセェ……」

「あわわわわ。おねえちゃん、大丈夫っスか!?」

「身体は大した事ねえけど心は今重傷になった……」

 背負われていた少女、ネルが心配そうに小さな手で女破面(アランカル)、ミラ・ローズの肩をぺちぺちと叩く。ミラ・ローズはミラ・ローズで、妹になったばかりのネルにカッコ悪いところを見られたショックで身体から力が抜けるのを感じた。血縁の有無に関わらず、兄姉とは往々にして弟妹にカッコつけたがる生き物である。

 雨竜は大してズレていない眼鏡の位置を正すフリをして動揺を抑え込むと、恐る恐る二人に呼びかけた。

「ネルちゃん……と、君は?」

 呼びかけられて、まず返事をしたのはネル。遅れて顔を上げたミラ・ローズは、落ち込んだように眉を下げたまま雨竜を見上げた。

「……第3従属官(トレス・フラシオン)で、ネルの姉のミラ・ローズだ。テメェは?見たとこ死神ってわけじゃなさそうだけど」

「石田雨竜。滅却師(クインシー)だ……そうか、君がピカロ達の名付け親……」

「ああ。そういやお前ら、ピカロ達に遊ばれたんだっけ」

 悪いな、迷惑かけて。そう言ってミラ・ローズは気を持ち直して立ち上がる。その背中にしがみついたままのネルは、キョロキョロと探し物をするように周囲を見回した。

「一護は?一護はどこっスか?」

「上だろ、多分。天蓋の上に出て、ウルキオラと戦ってるんじゃないのか」

「……よくわかったね」

「まぁな。第4(クアトロ)以上の十刃(エスパーダ)が本気で戦おうと思ったら、虚夜宮(ラスノーチェス)ン中は具合悪いから」

 ミラ・ローズの言葉に、雨竜はどういう事だと首を捻る。

第4(クアトロ)以上の十刃(エスパーダ)……と、あともう一人……いや二人、うちのアメミト様とワンダーワイスって奴は、虚夜宮(ラスノーチェス)の中での刀剣解放(レスレクシオン)を禁止されてんの。強過ぎて虚夜宮諸共ぶっ壊しちまうから。もう一つ、王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)っていう十刃専用の虚閃(セロ)も同じ理由で禁止事項に入ってんだけど……こっちはもうグリムジョーの野郎が使ってたから、織姫は知ってるか」

 振られた織姫は、辿々しく頷く。思い出すのは、ミラ・ローズの肩越しに見えた強烈な、そして恐ろしい光と、禍々しい霊圧を纏った一護の背中。

「ウルキオラは第4十刃(クアトロ・エスパーダ)。万全の状態の一護でも、ヤベエかもしれない。出来る範囲で加勢しに行きてえけど……流石にここから更に登っていくには遠いな……」

 ミラ・ローズは辟易しながら、天蓋に空けられた穴を見上げる。織姫はそれを見て、改めて意を決した。

「……石田くん」

 呼びかけられた雨竜は、キョトンとした顔で織姫に向き直る。

「……石田くんの力であたしを、この天蓋の上まで運ぶことって……できる?」

 雨竜は返答に詰まった。織姫のその問い自体は予測することは容易かったが、それを拒む術を雨竜は持ち得なかった。

 だからか。それを横目に見たミラ・ローズが、自分都合を隠れ蓑にして織姫に助け舟を出したのは。

「雨竜、あたしからも頼めるか。一護を……助けに行きたいんだ」

 穏やかなヘーゼルグリーンに重ねて請われた雨竜は、複雑な胸中のままそれを了承した。

 

 そして雨竜は、後にそれを直ぐに後悔することになる。

 

 

 虚夜宮(ラスノーチェス)の天蓋の上。常夜の空の下。天蓋を貫いて聳える塔の側面に、ウルキオラの黒虚閃(セロ・オスキュラス)の直撃により目に見えて重傷の一護が叩きつけられた。塔の壁に穴を空け、一護の身体が瓦礫に埋まる。

「……理解したか?」

 その黒く大きな翼で宙空に佇むウルキオラは、息を切らして瓦礫の山から這い出る一護を見据えた。

「お前の姿や技が幾ら破面(アランカル)に似ていようとも、その力は天と地ほどにも隔たっている。人間や死神が力を得ようと、(ホロウ)を真似るのは妥当な道筋だが、それで虚と人間が並ぶことなど永劫ありはしない」

 淡々と説きながら、ウルキオラが一護に迫る。壁の穴を越えて眼前まで迫った時、どうにか動ける程度に息を整えた一護は両手で黒刀を握り締めて立ち上がった。

 ウルキオラを睨むその眼は、(ホロウ)化が解けかけているのか、右が人間の眼に戻りつつある。

「……なんつーか、グリムジョーも言ってたけど、随分お喋りだよな。やっぱり」

 自分を奮い立たせる為か、絞り出したような減らず口を訊く一護に、ウルキオラは眉を顰めた。

「お前は何にビビってて、何に悩んで、何を迷ってんのか……自分でもわかってねえんだろうな。だから、わかんねえのを誤魔化したくて、多弁になってるのか?」

 軽く問いてみたそれを、ウルキオラは一護を左手で殴り飛ばす事で有耶無耶にした。殆どウルキオラ自身さえ、理解が追いつかないレベルの反射行動だった。

「……迷っている?悩んでいる?———畏れている?お前は一体、何故そのような世迷言を軽々しく口にする」

 ウルキオラの胸の孔が騒つく。身体に張り巡らされた血管が膨張して、血流が速まる感覚があった。それが一体何なのか、ウルキオラは未だ知らない。

 殴り飛ばされた一護は、しかし辛うじて倒れるのを堪えて足を踏ん張っていた。両手で握った黒刀の刀身に、黒い霊圧が絡みつく。

 それを認めた瞬間、ウルキオラの有意識が爆ぜた。

「無駄だと言っているんだ!!!」

 それが激昂だと、ウルキオラに教えてくれるものはいない。右手に携えた霊子の槍を横薙ぎに振い、一護を斬り裂いた。その余波で塔の頭までが粉砕される。

 吹き飛んだ一護にウルキオラは追い打ちをかける。槍の薙ぎ払いで隣の塔の壁を登るように転がった一護は、血反吐を吐いてその屋上に倒れ込んだ。

 ウルキオラが一護のボロボロになった死覇装の襟を掴んで持ち上げる。一護は、それでも黒刀を取り落としはしなかった。

 ウルキオラは、それを疑問に思い口にする。

「これだけの力の差を目にしても、未だ俺を倒せると思っているのか?」

 問われた一護は、口角を上げていた。

「———……力の……差か……それが何だ?てめえが俺より強かったら……俺が諦めると思ってんのか……?」

 ウルキオラの眼が見開かれる。それは、自分には理解し得ないものを見た眼だった。

「てめーが強いのなんか……最初っから解ってんだ……今更てめえの強さなんか……幾ら見たって変りゃしねえんだよ……」

 それでも、お前を倒す。一護は自分自身に誓うように言った。

 ウルキオラは少し考えて、一護の死覇装を掴んでいた手を離した。

「———戯言だ、黒崎一護」

 ウルキオラの霊圧が、俄かに変質し始める。

「お前のそれは、真の絶望を知らぬ者の言葉だ」

 その変質が、徐々にウルキオラの身体にまで及び始める。一護はそれに、息を飲んだ。

「知らぬなら教えてやる。これが真の絶望の姿だ」

 ウルキオラの仮面が融ける。解放に伴って変形した白い死覇装が溶け落ちる。胸の孔はより大きく広がり、黒い何かが流れ落ちていく。

 常夜の空に浮かぶ月を背に、悪魔が姿を現した。

 

 一方その頃、天蓋の内側から外へ向かって、霊子を固めて作った足場をエレベーターのように使って登る雨竜、織姫、ミラ・ローズ、ネルの四人の姿があった。

「……すごいね、これ」

 織姫が雨竜の肩に手を添えて感嘆する。

黒腔(ガルガンダ)を通る時に憶えたんだ。虚圏(ウェコムンド)でも使えるってことに、ここに来る途中で気がついた」

「ああ、虚圏(ウェコムンド)は三界で一番大気中の霊子濃度が濃いからな」

 ミラ・ローズは納得したように相槌を挟んだ。であれば成程、霊子操作能力に長けた滅却師(クインシー)であれば、足場を作ってそのまま移動することも可能だろう。

「もう少し早く気付いていれば、戦闘にも応用が利いたんだけどね」

 自嘲する雨竜に、織姫は何と声をかけるべきかに詰まった。その時。

 

 黒が、天蓋の上から視界に入る全てを覆い尽くすかのように広がった。

 

 真っ先に、ネルが悲鳴を上げた。雨竜は天蓋に空いた穴の向こうから感じるそれに、寒気を覚えた。

「……な……何だ……!?天蓋の上から……これは……何だ……!?霊圧なのか……!?」

 雨竜の心臓が早鐘を打つ。今まで経験してきたどの霊圧とも違い過ぎるそれに、全身の産毛が根本から逆立った。

 その霊圧は、強い、や、巨大、という言葉ではとても言い表しきれない。

 異質であった。それを霊圧であるとは認識出来ないほど濃く、重いそれは、空の上に海が在るかのように雨竜の知覚を狂わせる。

「……こんな……」

「……まずい……急ごう……!!」

 雨竜が霊子の足場を加速させる。その傍で、ミラ・ローズは背中にしがみついたまま怯えるネルを自身の前に移動させ、その背中を撫でながら呟いた。

「ウルキオラ……まさか、お前も(・・・)なのか……?」

 その声は、ミラ・ローズに抱き抱えられたネルにしか、聞こえなかった。

 

 天蓋を貫いて聳える塔の上。姿を大きく変えたウルキオラに、一護は愕然としていた。

「"刀剣解放・第二階層(レスレクシオン・セグンダ・エターバ)"」

 ウルキオラは、その姿に与えられた名を誦じる。

十刃(エスパーダ)の中で俺だけ(・・・)が、この二段階目の解放を可能にした。この姿は、藍染様にもお見せしていない」

 これを見て、人間風情と(ホロウ)の間にある、埋める事の出来ない格差を知れ。言外にウルキオラは一護に宣告した。

 それでも一護は立ち上がり、弱音を吐きそうになる口を固く結んで、天鎖斬月を構えてウルキオラを真っ直ぐに見据えた。

「……この姿を目にして、未だ戦う意志が在るのか」

 ウルキオラは一周回って感心する。見たところ、一護の手は震えている。恐怖を感じない程に混乱している訳で無く、然りとて命と引き換えに、などという捨て身の意志も見当たらない。つまり、勝てると思っているのだ。一護は。十刃(エスパーダ)の誰も成し得ていない、第二階層(セグンダ・エターバ)を前にしても。

「……いいだろう。ならば貴様のその五体、塵にしてでも解らせてやろう」

 脚を大きく開き、左手を床につき、四足獣のように姿勢を低くした。そして。

 巨大な翼を一扇ぎするとほぼ同時、床を蹴って一護に向かって超高速の低空飛行をした。

 一護は黒刀を構えて迎撃の姿勢を取る。だが、それを無意味だと蹴散らすように、ウルキオラの姿は瞬きさえも間に合わない速さで視界から掻き消え、気がつけば一護の真横から側頭部に掌底を叩き込んでいた。

 突き飛ばされた一護の身体が、隣の塔の壁に叩きつけられる。その衝撃で破壊された塔の瓦礫の中から、辛うじて受け身を取ったらしい一護の姿が見えたウルキオラは、間髪入れずに一護に接近し、黒刀を素手で掴み取った。

 一護がそれを振り解こうと刀の向きを変えようとするが、それよりも速くウルキオラの細長い尾が鞭のように叩きつけられる。宙に打ち上がった一護を、ウルキオラは追撃に向かった。

「愚劣だ、黒崎一護」

 一護は飛ばされた状態のまま、左手を顔に添える。内なる虚を引っ張り上げて、仮面を被り虚化した。同時に、月牙纏威衝を発動し黒い霊圧の刃を形成する。ウルキオラに少しでも肉薄する為に。

 黒く染まったウルキオラの腕が、一護の黒刀とぶつかり合った。

「恐怖を感じる程の実力差の相手に、勝てるつもりで戦いを挑む。理解の外だ」

 ウルキオラの尾が、槍のように一護を突く。月牙纏威衝で受け止めた一護の身体は容易く突き飛ばされ、塔を二本突き抜けて破壊した。

 崩れた塔の瓦礫の向こうで、ウルキオラが黒い翼を広げて佇んでいるのが、一護の視界に映る。

「……それが貴様等の言う心というものの所為ならば、貴様等人間は心を持つが故に傷を負い、心を持つが故に、命を落とすという事だ」

「別に……勝てるつもりで戦ってるわけじゃねえよ……勝たなきゃいけねえから……戦ってんだ……!」

 一護のその言葉を受けて、ウルキオラの脳裏に再生されたのは謀反人となったヘーゼルグリーン。彼女を逆袈裟に斬り裂く直前にぶつけられた言葉が反響する。

 ———損得勘定だけで生きてねえんだよ、こっちは!

 ウルキオラは眉を顰めた。目の前の茶色(ブラウン)と、頭の中の銀幕に映し出されたヘーゼルグリーンが重なる。銀幕に刃を突き立てて引き裂いたウルキオラは、目障りなオレンジの髪を赤黒く染めるべく手刀を構えた。

「戯言だ」

 肉を裂く音と共に、鮮血が飛び散った。

 

 天蓋に空けられた穴を通って、霊子の足場に乗って登ってきた雨竜、織姫、ミラ・ローズ、ネルの四人は足場から飛び降りて天蓋の上に降り立つ。一護の霊圧が感じ取れない中で、その姿を探した。

 ふと、織姫が空を見上げる。

 織姫は視界の先に、常夜の空に浮かぶ三日月の下、聳える塔の上に広げられた黒い翼を見つけた。

「……来たか、女」

 塔の上から見下ろすのは、ウルキオラの無機質な眼。その前方に、黒く長い尾に首を絞められた一護がいた。

 ウルキオラは動けない一護の胸に、右の人差し指を向ける。

「丁度良い。よく見ておけ。お前が希望を託した男が、命を鎖す瞬間を」

 ウルキオラの指先に、黒い霊圧が収束する。織姫の数歩後ろからそれを認めたミラ・ローズは、それが解放した十刃(エスパーダ)の使う黒虚閃(セロ・オスキュラス)であると気が付いて、息を飲んだ。

「やめて!!!!」

 織姫が叫ぶ。だが、無情にもウルキオラの黒虚閃(セロ・オスキュラス)は解き放たれ、一護の胸に容易く孔を空けた。跡には骨も肉も、心臓さえも掻き消えているのを認識した織姫は、力無く塔から真っ逆様に落ちていく一護の身体を、悲鳴を上げながら三天結盾で受け止めた。

 完全に恐慌状態に陥った織姫は、訳もわからぬまま一護に駆け寄ろうとする。しかし、ウルキオラが響転(ソニード)で眼前に立ちはだかった。

「無駄だ。近付こうとお前程度の力では、奴の命を繋ぐことはできん」

 織姫の意志を挫こうと宣告するウルキオラ。その背後に、飛簾脚で宙を舞いながら銀嶺孤雀を構える雨竜の姿があった。

 雨竜がウルキオラの頸目掛けて、矢を放つ。高速で飛ぶそれを、ウルキオラは事も無げに翼で打ち払った。

 ウルキオラが半身で振り返る。その隙に織姫は一護の元へと駆け出した。それと入れ違いにして、ミラ・ローズが斬魄刀を抜いて横薙ぎに斬りかかる。

卑金の一撃(バラ・デ・オロ)

 霊圧が刀身に収束する。金色の刃がウルキオラに迫った。ウルキオラは左手でそれを受け止め、長い尾をミラ・ローズの右腕に巻きつかせて投げ飛ばす。

光の雨(リヒト・レーゲン)

 その一瞬、逸れた注意に突け込んだ雨竜は無数の矢を雨のように上から連射した。

「ミラ・ローズさん!無事かい!?」

 着地した雨竜は、投げ飛ばされたミラ・ローズの安否を訊ねる。

「心配すんな!それより、気ぃ抜くなよ!」

 片膝をついて斬魄刀を支えに立ち上がりかけたミラ・ローズは、雨竜に警戒を促した。ミラ・ローズの探査回路(ペスキス)は、ウルキオラの健在を執拗に訴えている。

「……意外だな」

 砂煙混じりの煙幕の向こうに、悪魔の影が見える。

「……お前は黒崎一護の仲間の中で、最も冷静な人間だと踏んでいたんだが。そこの裏切り者と組んだところで、勝機など僅かばかりも無い事など理解できるだろうに」

「……冷静さ。だから君と戦う余裕がある。それよりも、あまり僕らを舐めない方がいい……足元を掬われても、それは君の責任だからね……!」

 雨竜が銀嶺孤雀に矢を番える。ウルキオラを挟んで向かい側のミラ・ローズも、斬魄刀の鋒を床に突き立てた。

「喰い散らせ、金獅子将(レオーナ)!!」

 ミラ・ローズが帰刃(レスレクシオン)する。幅広のバスターソードに変形した斬魄刀を両手で構え、ウルキオラに向かって床を蹴った。

 雨竜とミラ・ローズがウルキオラと交戦する後ろで、織姫は一護に駆け寄り、双天帰盾を発動する。後を小さな身体で追いかけてきたネルも、口の中に溜め込んだ唾液が溢れないよう両手で口を抑えていた。

「んぐふ〜!」

 口を閉じたまま、ネルは一護の傍まで駆け寄って右手でその肩を揺さぶる。動かないと見るや、背中に身を乗り出して身体を貫通する孔に溜め込んだ唾液を一息に吐きかけた。

 唾液をかけながら一護に呼びかけ続けるネルに対して、織姫は瞳孔が開き切って動かない一護の姿に涙を流した。

 現実を直視してしまった。これは、自分ではどうにも出来ないと確信してしまった。理解してしまった。

 織姫は、直前までは楽観視していた。一護は、一護であれば大丈夫だと。一護なら勝ってくれる。そう信じる事で、絶望的な状況から目を逸らしていた。

 どうすればいい。どうすれば、一護を助けられる。天蓋の下で一護を送り出す為に戦う仲間達を守れる。ウルキオラと相対している、雨竜とミラ・ローズを助けられる。どうすれば———。

 頭を抱え、髪を掻き乱し始めた織姫の側を、ウルキオラに突き飛ばされた雨竜の身体が通り抜けた。

「…………石田くん……!」

 小さな血溜まりが出来る程の流血が目に入った。発生源は、手首から先が失くなった左腕。滴り落ちる血が、雨竜の白装束のズボンを赤黒く汚す。

「……心配無いよ。もう麻酔も、止血剤も打った……」

 織姫に気遣わせないよう、雨竜は息が上がったままそう返した。その視線の先には、ミラ・ローズと手刀で斬り結ぶウルキオラの姿。

「井上さんは……黒崎を頼む」

 雨竜は右手に魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)を握る。剣のように構え、ミラ・ローズの肩を抉ったウルキオラに突撃した。

「石田くん!!!」

 駄目だ、と雨竜の死を危惧した織姫が叫んだ。

 ウルキオラの尾が雨竜の腹を裂く。ミラ・ローズが卑金の一撃(バラ・デ・オロ)を振り下ろし、ウルキオラはそれを翼で受け止めると掌底でミラ・ローズの顔を正面から突き飛ばした。仰け反ったミラ・ローズは数歩退がったものの、倒れることは辛うじて堪える。

 雨竜はどうにか立ち上がると、魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)をウルキオラ目掛けて投擲した。ウルキオラの右手がそれを打ち払ったところに、右手で展開した銀嶺孤雀に口で矢を番え、上半身を退けざらせて引き絞ると左脚の膝を狙って放つ。

 ウルキオラはそれを低く跳んで躱した。そこにミラ・ローズが卑金の一撃(バラ・デ・オロ)を振り上げる。ウルキオラは黒い翼を羽ばたかせて、その反動で高く飛び上がるとミラ・ローズの背後に周り、長い尾の先端でミラ・ローズの胸の下、(ホロウ)の象徴である孔のすぐ下を貫いた。

 織姫はそれを見ることしかできない。どうしたらいいのかわからない。ただ、物言わぬ屍同然となった一護に縋ることしかできない。

 殆ど無意識に、雨竜とウルキオラの間に三天結盾を張った。だが、冷静では無いからか、それともウルキオラの力が強大に過ぎるからか、或いはそのどちらもか。薄氷を割るように容易く破られる。

 嗚呼、どうして。

 何もわからない。なにも、なにも、なにも。

 どうすれば、みんながきずつかずにすむのかわからない。

(くろさきくん。くろさきくん。くろさきくん。くろさきくん)

 何度も一護の名前を心で呼ぶ。そして最後に絞り出したのは。

 

「———助けて黒崎くん!!!!」

 

 その悲鳴にも似た嘆願の声に応えたのは。

「———…………え……?」

「……いち……ご……?」

 振り返った織姫の困惑の声。唖然としたまま見上げるネルの声。それらが向けられたのは。

 

 前方に大きく伸びる角を携え、首周りと手首には飾り毛を纏い、胸に空いた孔を起点に紋様が広がり、オレンジの髪が腰まで伸びた、(ホロウ)であった。

 

 それが黒崎一護であることは、状況証拠では明白だった。しかし。

「———馬鹿な」

 信じられない思いで、ウルキオラの喉から無意識に言葉が溢れた。

「生きている筈が無い。その姿は何だ。お前は、誰だ」

 問いながらウルキオラは、(ホロウ)そのものとしか思えない姿と化した一護に徒歩で迫る。一護はそれに応えないまま、床に落ちていた天鎖斬月をその場から一歩も動かず、手元に引き寄せた。

 一護が黒刀を持て余すかのように振り下ろす。その剣圧で、塔の床が大きく破壊された。その衝撃で織姫とネルが吹き飛ばされる。

「井上さん!!」

「ネル!!」

 雨竜が咄嗟に吹き飛んだ織姫の服の襟を掴み、ミラ・ローズは多少咳き込みながら響転(ソニード)でネルが転がっていく先に回り込み、その小さな身体を受け止めた。

「聞こえないのか。お前は誰だと訊いている」

 ウルキオラは再度問う。それに、一護は。

「ギ、アァアアアアアォオオオオオオオ!!!!」

 理性を投げ捨てたかのような、猛り狂った咆哮で以て返した。

「…….どうやら、言葉が通じんらしいな」

 ウルキオラは黒虚閃(セロ・オスキュラス)を構える。会話が出来ない、問いに答えることはない。そう判断した時点で、目の前のそれに拘う理由を失くした。

 だが、しかし。

 一護が身体を僅かに前に傾ける。向けられた二本の角の合間に、霊圧が収束する。ウルキオラはそれが、何故だか虚閃(セロ)だと判別できた。

 二色の虚閃(セロ)が激突する。一瞬拮抗して、勝ったのは一護の虚閃。ウルキオラは咄嗟に黒い翼で防御体勢を取り、後ろに跳んで威力を殺した。

 信じられない。黒虚閃(セロ・オスキュラス)を消し飛ばす威力の虚閃(セロ)を、幾ら(ホロウ)に似ていたとしても、人間如きが。そんなことあり得る筈が無い。

 目の前で起きた事実であるにも関わらず、ウルキオラにとってはあまりにも現実味が無さ過ぎた。そんな筈はと胸の内で繰り返すウルキオラの背後に、一護が恐らくは瞬歩で回り込む。

 ウルキオラは素早く振り返った。半分程振り返った瞬間に、ウルキオラの左腕を一護が掴む。そのまま一護は力任せに、ウルキオラの左腕を捥ぎ取った。

「……い、一護が……怖いっス……」

 ミラ・ローズにしがみつくネルが震える。ネルだけでない。ミラ・ローズも、雨竜も、織姫も、未だ嘗て見たことのない一護の姿に戦慄していた。

「……うそだよ……あれが本当に……黒崎くんなの……?」

 捥ぎ取ったウルキオラの左腕から飛び散った血で仮面を汚し、宙空に仁王立ちする一護の姿に、織姫は愕然としていた。




次回、イチゴジラ躍動
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