血染めの玉座と白砂の安寧
その眼に映るのは
夜の帷と黄金の夢
「もういいよ」
藍染は真子と斬り結ぶ市丸を目だけで見下ろして、静かに言った。
「終わりにしよう」
痺れを切らしてしまったか、と言葉無く振り返った市丸に、藍染はそう続ける。
そして、真子がどういう意味だと問うのと同時に、水の鮫達を従えるハリベルの背後に瞬歩で現れた。
「……あ?何の用だ」
死神と
「ハリベル。君はもう、用済みだ」
「…………は?」
藍染の左手が、腰に差した斬魄刀の鯉口に左手をかけた。ハリベルは一瞬、藍染が何を言っているのか理解できていないような、惚けた表情を浮かべる。
「最早君には、
右手が柄にかかる。ハリベルはその動作に本能的な危険を感じ取り、燦光し続ける
「……ッ!
全て一瞬の出来事だった。藍染が斬魄刀を抜き、横一文字に一閃したのを、ハリベルが呼びつけた
藍染は口の端を、傍目には判別しづらい程度に下向ける。その目線はハリベルではなく、凍りついた自身の斬魄刀に向いていた。
「お……っま、何するんだ!!」
心底焦った顔で、ハリベルは藍染に噛み付く。急に用済みだとか言われて斬りかかられたら、彼女でなくとも十も百も文句を言いたくなるだろうが。
藍染は斬魄刀に霊圧を流し、刀身を覆った氷を破砕する。
「君はそろそろ、身の程を弁えるべきだと思わないかい?そもそも、有象無象の
藍染はハリベルに論じた。お前は本来、此処に立つ価値も資格も無いモノだと。分不相応な椅子に、座らせて貰っているだけなのだと。
「君のその力は、所詮は卑しくも他者から施され、見かけばかりが泡沫のように膨れ上がり消費されるものだ。何一つ君自身には身に付かず、君が望む場所には決して届かず、君が欲してやまない彼女の隣に並び立つ事は叶わない」
見るがいい。藍染は灼熱の炎と黒炎が入り乱れる方へ左手を向ける。縄張り争いをする獣のように牙を向いて、血染めの爪を振り上げるアメミトの姿が、そこにはあった。
「彼女は———アメミトはもう、
藍染は斬魄刀を構える。目を伏せているハリベルは、自己を支えるものを失って折れた。次は邪魔などさせず、きちんと斬り捨てられる。藍染は複層鋼皮を持つハリベルを処分すべく、霊圧を鋭く刃に乗せた。
「———お前馬鹿だろ」
心から呆れ果てた声で、ハリベルは端的に言い放つ。
「アメミトから私への関心が無くなった?そんな事……
顔を上げたハリベルは、絶対的な自信を持ってそう言い返した。
「欺瞞だね。現に今、彼女は君の姿を映していなければ、耳を側立てることさえしていないというのに。一体何処に、そんな根拠があるというんだい」
「根拠なんかいるものか。私があいつに愛されていると、
「それは君が、そう思い込んでいるだけだという可能性を考えなかったのかい?」
「アメミトが私に愛想を尽かしたなら、お前と会うよりも早くに棄てられていただろうよ」
ハリベルが大剣を右手で構え、持ち手の突起から伸びる氷輪丸の鎖を左手で持ち上げて、三日月の刃を回転させる。
納得がいかない———というよりも、共感できない顔をした藍染は、今度こそハリベルを斬り捨てようと斬魄刀を振り上げ、そして。
「———ティア!!!!」
尖った指先の紅い手が、ハリベルの左肩を掴んで後ろに引く。不意にバランスを崩されたハリベルは踏鞴を踏んで、目を丸くした。
それも束の間、赤い血が宙を舞う。
乱れたのは色濃い金髪ではなく、毛先の紅いプラチナブロンド。
「……アメミト」
ハリベルは一瞬歓喜に顔を綻ばせ、しかし飛び散った赤色に表情を曇らせ、それから得意げに仄暗い喜びに口元を歪めた。
ああ、ほら、やっぱり。それ見たことか。私は彼女に愛されてる。
機嫌が上向いたハリベルとは対照的に、藍染の眉尻がほんの少し吊り上がった。
「……藍染……こともあろうに、ティアに手を上げるなんて……許されると思うなよ……!!」
二人の間に割り込み、藍染の剣を受けたアメミトは右の鉤爪に黒炎を纏う。
「死に綻べ!藍染惣右介!!」
「……解せないな」
喉を損傷しているはずの藍染が呟く。何がだ、とアメミトが訊き返すよりも先に、鋭い痛みがアメミトを襲った。
左肩の付け根を、刀が貫いていた。
「な……ッ」
燦光する
「君程の力を持つ者が、取るに足らない弱者を庇い立て身を削り落とすなど。あまりにも不可解だよ」
焼き裂かれた方の藍染の姿が鏡のように割れる。鏡花水月か、とアメミトが理解すると同時に、藍染は突き刺した斬魄刀をそのまま下に下ろしてアメミトの身体を裂こうとした。
が、それは許されなかった。
「切り捨てたな?私達を」
「!」
アメミトは身体を貫く斬魄刀の鋒を、何処から捻り出したのかはわからないが、万力のような握力で掴む。
「見限ったな?
握り締めた刃で、指の第一関節付近から血が滲み出した。剣を引くことも出来ず、藍染は静かに目を据わらせる。
「待っていたぞ、この時を。アンタの肉を裂き血を流す、大義名分が成る今この瞬間を!」
アメミトが高らかに謳い上げた。それに呼応するように、藍染の背後に影が躍り出る。
「
静かで力強い声で、唱えられた言霊。
巨大な鉄の翼が、藍染に振り下ろされた。
ガンッ!と音がして、何かが砕け散る。それが鬼道の結界だと周囲が気付くのに、三秒とかからなかった。
藍染は左手でアメミトの背中を殴りつけ、強引に斬魄刀を引き抜こうとする。それでもアメミトが手を離さないので、右足で腰を蹴り押して、それで漸く抜けた。
アメミトの身体が落下する。その口元は笑みを浮かべ、藍染の向こうにいる影を見つけて満足げにしていた。
「弱者を庇い立てる、か……そんなことだから、アンタはずっとボッチなんだよ。藍染」
高速で振動し、擦れ合う鉄の羽根が耳の痛くなるような高音を立てる。それに紛れて聞こえてくる、喉を鳴らす音。
「私はずっと、
謳い始めた視界の隅で、二つ三つ、ガラスの入れ物が投げ捨てられるのが見えた。
「だが、それに必要なのは力ではない。力とそれによってもたらされる恐怖が敷く圧政では、安寧を約束できない。それではダメだ。ただ強いだけの私は、
鮫の群れが踊る。霊圧がみるみる内に強まって、半端な強さの者や消耗している者は、圧力に耐え切れずその場に膝をつくか震えるかしていた。
「故に求めたのは、狂おしいほどの本能を強靭な理性でもって縛り上げ、弱者を脅かす圧政者への反抗心と他者への憐憫を併せ持ち、他者を魅きつけ自らの意志で従属を誓うだけの
色濃い金髪が揺れる。褐藻のような鰭が変形した翼が威圧するように広がる。
「そう……私が見出したのは———」
燦光する
「喰い散らせ」
金髪の毛先が黒く染められる。大剣に被さるように、鋭く分厚い刃が形成される。
「突き上げろ」
額から、櫛のように枝分かれした、長い角が伸びる。
「締め殺せ」
鮫の尾鰭の皮が裂け、中から鋭く長い牙を持つ白蛇が現れる。
「煌めけ」
鉄の翼の付け根からマントのような襞が伸び、刺々しい荊が絡みつく。
「風化しろ」
手首から肘にかけて、紅い
それを見たアメミトはほくそ笑む。
「それでいい。征け、ティア」
基盤となる身体以外に、元の姿を留めぬ異形へ至ったハリベルの背中を、アメミトは言葉で以てそっと押した。
「魂の叫びが突き動かすままに、征け。穿て」
恍惚に程近い、逆上せたような夢見心地なような表情で、アメミトはハリベルに手を伸ばす。待ち焦がれた瞬間を前にして、今にも絶頂しようとしていた。
「王よ。我が理想の王よ。私たちを踏み台にして去り行く統制者の血を、油の代わりに纏うがいい。生娘の自分を殺し、再び生まれ出て産声を上げろ。心に
そしてアメミトは想いを馳せる。
この瞬間の為に自らの全てを賭ける決心をした、あの夜へと。
月の無い夜の真白い砂漠。彼の
何も覚えていない。何も知らない。ただ、自分は何かを奪われたのだという確信だけが胸の中に残っていた。
そうして喰らい続けた果てに、彼の
それ故に、
王を名乗る骸の
それは成体の
死にたくはなかった。しかし、
意識が朦朧とし始めた頃、トドメを刺そうと振り上げられた刃が鮮明に視界に映し出された。
そして同時に、脳裏には
———死ねない。
———まだ、死ねない。
眼前に迫り来る死に、争い続ける声だ。
———私はまだ、何も成さずに死ねはしない……!!
内側から響く声が耳を劈くほどに強まった瞬間だった。
外殻が剥がれ落ち、露わになった白磁の肌。両の手に握られた二刀一対の剣———斬魄刀。割れた仮面の下の頬に写し取られた
そうして逃げて、確実に振り切ったと理解した頃。
手を見る。白磁の肌の細い指先に、鋭い爪は無かった。
足を見る。爪先から踵迄が砂地にしっかりとついて、身体を支えていた。
胴をなぞる。硬い外殻と衝撃を和らげる獣毛は剥がれ落ち、一見柔らかい皮膚が露出していた。
頬に触れる。顔を覆っていた白い仮面が割れて、形の良い目鼻立ちが姿を見せていた。
自分が
アメミトは常夜の空に浮かび、白砂の砂漠を照らす月を見上げて考える。この
弱者を喰らい尽くした果てに、強者が強者を喰らい始めるだろう。そうして徐々に、自然に
考えすぎだと嗤う者はいるだろう。それでも、
新たな理が、必要だ。アメミトはそう結論付けた。そして、それには新たな理を敷き得る新たな王が必要だとも。だがそれは、決してアメミトではない。アメミトは自身を、決して王の器ではないと自負していた。
探さねばならない。弱者と、安寧こそを求める者を守る理を掲げるに相応しい、穏やかな王を。強者の振り翳す殺戮を理性的に戒める、理知的な王を。
この
アメミトは
そうして宛てど無く
青白い月の光に照らされて、ぼんやりと空を見上げるその
アメミトは思わずその場に立ち尽くした。そして、すぐに我に帰ると慌てて霊圧を限界まで抑え込み、砂山の裏に隠れた。砂と石英の木以外に何も無い砂漠では、身を隠すものがそれぐらいしかなかった。
砂山から僅かに顔を出して、燦光する
鮫の周囲にはよく見れば、
鮫は不意に、亡骸たちを一瞥して目を伏せた。その碧玉に憂いの色を見たアメミトは、頭のてっぺんから足の爪先までにかけて、電流が走るような衝撃を受けた。
だが、あの鮫は恐らく違う。
鮫は、亡骸たちを憐んでいた。手に掛けざるを得ない事を嘆いていた。それを理解したアメミトは、腹の底から込み上げるものに全身を震わせた。それは、歓喜だった。
彼女かもしれない。私が求めていたのは、彼女のような存在なのだと。アメミトは口角を上げて自らを抱き締めた。
鮫がその場を立ち去った後、アメミトは考える。彼女を
来る日も来る日も、鮫の姿を影から追った。その度に彼女の気高さを知り、美しさを知り、それらで覆い隠した幼さを知り、彼女へ向ける想いはどんどん大きく重くなっていった。時には、募り過ぎた想いに耐え切れず自らを慰め、昇り詰めて果てることもあった。気が狂いそうな程思慕の情を募らせたアメミトは、遂に鮫と接触を図った。
先ず最初に、身なりを整えた。プラチナブロンドの髪を二つに結い、ピーコックグリーンのジャケットを羽織り、帯を腰に巻いて斬魄刀をそこに差した。
次に、適当な
(アンタ如きが、彼女を倒せるわけがないだろうに)
軽蔑しながらアメミトは努めて、平静を装いながら
果たして、アメミトが見込んだ通りに。
鮫は危なげ無くアメミトに唆された
「それ、喰べないのか?」
芝居掛かった口調と身振り手振りで、アメミトは鮫———ティア・ハリベルとの運命的な出逢いを演出したのだった。
藍染は眉を顰めた。目の前には九龍城よろしく、
耳障りな金属音を響かせる鉄の翼。
首周りを覆う獣毛と、弾倉のように翼の付け根から肘を繋ぐ帯。
マントのような襞と翼の骨枠の付け根に絡みつく荊。
櫛のように枝分かれする、長い角。
黒く染まった毛先と分厚く鋭い大剣の刃。
鋭い牙を持つ白蛇と化した尾。
両腕を護る
ハリベルの身体を接着剤にしたかのような、悍ましい怪物がそこに居る。
「……随分、醜い姿になったね」
「余計なお世話だ」
纏りの無い混沌とした姿を指して、藍染はハリベルを侮辱した。鮫の尾鰭の代わりに伸びた白蛇が、首を擡げて牙を剥き威嚇する。
「
宙空を踊るように泳ぐ水の鮫の顎下を柔らかく撫でながら、ハリベルはその名を誦じた。
「誰も彼もが、最初から最後まで独りきりで天の果てまで行けるわけじゃ無い。お前が私の何が気に入らないかは、全く見当もつかないが、仮に他人の力でイキっているように見えているのなら、それが誤りだと証明してやろう」
キリリ、と金属の擦れ合う音がして、鉄の羽根が翼の骨枠から離れる。その表面に水が薄くコーティングされ、二回りほど刃渡りが大きくなった。その水の刃は鋭く、鉄の羽根と同じく高速振動している。
「行くぞ、チルッチ」
水を纏った鉄の羽根が、藍染目掛けて飛翔した。
このジャッカル今まで一体どこにそんなヤバめの感情押し隠してたんだよ