ENCOUNTER WITH THE UNKOWN
肋骨のようなものを敷き詰めた地面を、深緑色の髪をした少女が素足のまま走る。腕の中には絶妙に可愛げの無いライオンのぬいぐるみが抱えられており、それは何故か意思を持つかのように、少女の腕越しに後ろを何度も警戒しているかのようなそぶりで見返していた。
「お、おい……流石にあんま無理して走らねえ方が……」
「うるさい」
少女の足下を見て、ぬいぐるみは気遣わしげな声を上げたが、少女はそれを一喝して切り捨てる。地面に敷き詰められた肋骨のようなものの先端が、足の裏を傷付けて血が滲んでいた。
「……っ、見えた……出口……!」
少女は走る。暗闇の向こうに見える門から差し込む光を目指して。
一刻も早く、現世へ。
この状況を打開することができるであろう、浦原喜助の元へ急ぐのだと。
現世、空座町のとある公園。
二人掛けのベンチに、いっぱいに詰まった紙袋を抱えた少年がご機嫌な様子で、飛び乗るように座る。少年の肌は病的———どころか人とは思えない程白く、緑の眼の下には涙の跡のような一筋の線が真っ直ぐに走っていた。
少年の名は、ウルキオラ・シファー。力を失い、少年の姿になってしまった
喪った力を回復させようとする本能か、或いは生来魂に刻まれていた性質が、アパッチによる食べ歩きツアーによって叩き起こされたのか。食道楽に覚醒したウルキオラは、隙を見つけては同じく時間の空いた者を連れ立ち、或いは一人で現世に赴き、食べ歩きや料理店をハシゴするのが趣味になっていた。
重霊地である空座町を巡る、大逆人藍染惣右介と護廷十三隊の戦いから四ヶ月が過ぎたこの日。ウルキオラが山のように購入したのは、商店街で偶さか遭遇した井上織姫に教えて貰ったパン屋のパンである。定番のメロンパンやあんぱんを筆頭とする菓子パンに、焼きそばパンのような惣菜系。それからサンドイッチなどを全種類……買おうとするとトレーに乗り切らなかったので、半種類ほどに絞って買い漁った。もう半分は後日リピートの予定である。
「いっただきまーすッ」
パンッ、と柏手を打って、ウルキオラは弾んだ声と笑顔で紙袋に手を突っ込んだ。以前の彼しか知らない者が見たら、二度見三度見しても無理の無い笑顔だった。
最初にウルキオラが齧り付いたのは、ソーセージをパンで包んだソーセージロール。ケチャップとマスタードが酸味と甘味、辛味を舌に伝え、それをソーセージの肉の油が程よく混ぜ合わせた。パンそのもののふんわりした甘さも合っている。美味え、とウルキオラはその味を丁寧に噛み締めた。
次に手にしたのはマヨコーンパン。マヨネーズで和えたコーンを中央の窪みに盛って焼いたパンだ。マヨネーズの酸味とタマゴのコクが、コーンの甘さを引き立ててこれもシンプルだが美味い。ウルキオラは機嫌良く上半身を小さく左右に揺らして鼻歌すら歌い出した。
さて、三つ目はどれにしようかと紙袋の中を漁り始めた時だった。
ドサ、と何かが落ちる音が聞こえた。それと同時にウルキオラの
音がしたのは、植え込みの向こう側。ウルキオラは霊圧を極力抑えながら、静かにそちらへ近付いていく。
植え込みを越えて、その向こうの手入れが行き届いていない芝生を踏み締めたウルキオラは、そこで予想だにしないものを見つけた。
「……ッ、な……ヒ、ヒト……ッ!?」
驚きのあまり、思わず一歩後退る。ウルキオラの前には、芝生の上に意識の無い状態で横たわる、白襦袢姿の少女がいた。深緑の髪を首周りで切り揃えた小柄な少女からは、ウルキオラの
何だ、コイツは。
ウルキオラは少女が何なのかを確かめようと、片膝をついて右手を伸ばそうとした。その時。
「うわぁあああああああ!!!オレは食ってもうまくねえぞォオオオオオオ!!!」
木の影から飛び出してきたのは、野良猫に追いかけられるライオンのぬいぐるみ。もすもすと間の抜けた足音を立てながら、滝のような涙を流して悲鳴を上げるぬいぐるみは、十秒しないうちに野良猫に捕獲された。
———ぬいぐるみ?
野良猫から逃れようと手足を振り回してもがくライオンのぬいぐるみをじっと見つめるウルキオラは、暫く硬直していた。
ぬいぐるみがウルキオラの視線に気付く。その目元の
そして、同時に。
「ぬ……ぬ……ぬいぐるみが喋ったァアアアアア!!?」
「イヤァーーーー!!!
ウルキオラにとっては、今後の
コンを捕まえていた野良猫は、その声量に驚いてコンを捨てるように離し、一目散に逃げ出した。
空座町の東側の外縁付近に、ひっそりと位置する駄菓子屋がある。
表向きは駄菓子屋を装い、現世に駐在する死神に霊的事象に対処するための諸道具を提供する万屋とも呼ぶべき売店。浦原商店である。
「アッハッハッハッハッ!いやはや、災難だったッスねえ。お二人とも」
「災難だったのはオレ様だけだっつーの!オメーがオレのこと見捨てやがるから、技術開発局で散々な目に遭ってんだからな!?」
店主である浦原喜助は、屋内にも関わらず特徴的な縦縞の帽子を被り、扇子を扇いで笑っていた。それに激昂しながら難色を示しているのは、チャブ台の上で浦原に指を差すライオンのぬいぐるみ、コン。
チャブ台を挟んで浦原の向かいに胡座をかく
「パン食いに来ただけなのに、どう考えても面倒な事に巻き込まれている俺の身にもなれ。というかいい加減お前が一体何なのか答えろ、ぬいぐるみ」
「ぬいぐるみじゃねェ!King of New York!コン様たぁオレのことよ!」
「ニューヨーク要素は何処だ。一から十まで日本産だろお前」
「ああ言えばこう言う!!お前ユーモアってやつが通じねえのかよ!?」
「心新生児だからな」
「意味わかんねー!!」
会ったばっかりなのに仲良いッスねえ、とカラカラ笑う浦原をウルキオラは睨む。おお怖い、と対して怯えてもいなさそうな様子でいけしゃあしゃあと両手を上げた浦原曰く。
このぬいぐるみ、コンはかつて"
ちなみにコンの身体であるぬいぐるみは、一護がたまたま道端に捨てられていたものを拾って、コンの
「
ウルキオラは思わず半目になって浦原をじっと見つめた。ウルキオラから見て、この時点で藍染が動くのも無理は無い程度には真っ黒だった。
尚、ウルキオラどころか殆どの死神が知らぬ事だが、
「ところでコンさん。そちらのお嬢さんですが……」
いつの間にか閉じていた扇子を開き、口元を隠した浦原の目線がウルキオラの後ろの方へ向けられた。そこには、煎餅布団に寝かせられた、白襦袢の少女がいる。
「ん、ああ。望実のことか」
ぽすん、とチャブ台の上で座り込んだコンは、身体を捻って顔を少女の方へ向けた。
コンの話によれば、少女の名は"九条望実"といい、何らかの理由で技術開発局から逃げ出そうとしていたところでコンと遭遇し、そのまま流れで共に穿界門を開いて逃亡してきたのだとか。コンも彼女からは死神と似た霊圧こそ感じるものの、死神の力を扱えるというわけでは無いらしい。
「オレも詳しいことは知らねえけど、なんかよくねえ企みが水面下で起きてるらしいぜ。コイツの必死さ見た感じ」
望実を案じているかのようなコンの声音に、浦原は静かに思案する。
「成る程。では、九条さんが目を覚ましたら、詳しいお話を……」
浦原が言いかけた時だった。
「ごめんくださーい。浦原さんいますかー?」
人好きのする、警戒心のなさそうな、良心につけ込まれて簡単に騙されそうな声が、浦原を呼んだ。同時に浦原とウルキオラは、その霊圧が誰のものか大凡当たりをつけるが、その中にほんの僅か違和感を覚える。
「……申し訳ありません。ちょっと応対してきますんで、待っていてもらえますか」
「は?あ、ああ……」
浦原は立ち上がり、玄関へ歩き去っていく。ウルキオラは困惑したまま、その怪しい背中を見送ることしか出来ずにいた。
浦原商店の玄関口に居たのは、浦原の予想通り九番隊副隊長の檜佐木修兵であった。
「お忙しいところすみません。ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「いえいえ、お構いなく。対して緊急の案件もありませんから」
当たり障りのない社交辞令を一つ二つ交わし、浦原と修兵は話を進める。店の奥から顔を覗かせ、その様子を障子越しに伺っていたウルキオラは、修兵から感じる妙な感覚に首を傾げた。
ふと、修兵の目線が浦原を飛び越えて、ウルキオラの居る居間に向いた、その途端。
金属同士が激突する、鋭い音が鳴り響いた。
「!?」
あまりに突然の出来事に、ウルキオラは我が目を疑う。ウルキオラの障子越しの視界の先で、浦原と修兵が抜刀し、鍔迫り合っていた。
浦原の剣が修兵の剣を横に流し、鋒を跳ねて弾き飛ばす。浦原はそこに大きさを絞って密度を上げた赤火砲を撃ち込んだ。
修兵の細身が後ろに吹き飛ばされる。浦原はその隙に一瞬振り返って叫んだ。
「鉄裁さん!ウルキオラさんと一緒に、九条さんを連れて地下へ!!」
「承知しましたぞ!」
ぬっ、とウルキオラの背後から現れたのは、浦原商店の店員であり、かつては鬼道衆総帥である大鬼道長を務めた、握菱鉄裁であった。
何処から出てきた。今まで何処に潜んでいた、とギョッとするウルキオラの肩を軽く叩いた鉄裁は、参りましょう、とだけ呼びかけて煎餅布団に寝かされている望実を丁重に横抱きし、奥にある地下へ向かう階段へと駆け込んで行く。ウルキオラは一瞬呆気に取られ、しかしすぐに我に帰るとチャブ台の上にいたコンの頭を鷲掴み、鉄裁の後を追って地下へ飛び込んだ。
遠ざかっていくコンの抗議の声をBGMに、浦原は帽子を深く被り直す。
「刈れ、風死」
煤煙を裂いて、回転する処刑鎌が浦原目掛けて飛来した。浦原はそれを剣の一振りで斬り払う。
処刑鎌がアスファルトに突き刺さる。柄頭に繋がれた鎖の先に、片割れを振り回して浦原の動きに備える修兵がいた。
「もう一度言いますよ。"九条望実"を引き渡していただけますか」
修兵は鎖を引き、アスファルトに突き刺さった風死の片割れを手元に戻す。
「お断りします、と言ったら?」
帽子の鍔を下げ、目元を隠した浦原が問い返した。
「その時は、心苦しいですが実力行使とさせて貰いますとも。こっちも仕事なんで」
「そうですか……」
浦原は残念そうに面を上げる。修兵の虹彩に青い光が一瞬瞬いたのを捉えたその目には、剣呑な殺意が滲み出ていた。
「そちらがそのつもりでしたら、アタシも相応の態度を取るしかありませんねぇ……」
鋒を修兵に向ける。刀身が陽の光を受け止めて、薄らと赤く染まる鈍い光を返した。
「起きろ、紅姫」
赤い剣閃が、空気を斬り裂いた。
鉄裁とウルキオラが駆け込んだ浦原商店の地下は、地下であるにも関わらず頭上には青空が広がり、地上の店舗の小ささからは想像もつかないような広大な空間を有していた。
「……つくづく出鱈目だな、浦原喜助。土地の権利とかどうなって……ああ、いや。地下は関係無いのか……?あの天井は
コンの頭を掴んだまま、ウルキオラは右手を庇のように額に当てて天井を見渡す。そうしている間も、地上からは剣戟の音と霊圧の衝突の気配とが響いて来ていた。
鉄裁はいつの間にか地下に来ていた紬屋
「……もしや、面倒を超えて厄介な事に巻き込まれそうになってないか。俺」
コンを投げ捨てたウルキオラは、その場に胡座をかいて座り込むと、ガシガシと光を吸い込むような黒髪を掻き上げた。投げられたコンは地面に顔から落下し、カエルの潰れたような声を上げる。
「お前ー!いくら何でもオレの扱いがぞんざいじゃねえのか!?」
「どうせ綿しか詰まってないだろう、そのペラペラの布一枚下。あとお前を丁寧に扱ってやる理由と必要が俺には無い」
「チクショー!!一護にしろ石田にしろお前にしろどいつもこいつもー!!」
「黒崎一護と石田雨竜にも雑に扱われてるのか、お前」
コンは起き上がると短い足をせかせかと動かし、ウルキオラの右足にまとわりついて柔らかい布と綿で出来た腕をはちゃめちゃに振り回して殴打する。ウルキオラは初めこそ対して痛くも無いこともあり、無視を決め込んでいたが段々鬱陶しくなってきて、右足を上げてコンの頭を踵に体重をかけながら踏んづけた。
「ウルキオラ殿。あまり虐めてやりなさるな」
「ちょっかいを掛けに来ているのはこいつの方だろ」
ウルキオラの足の下で手足をジタバタ振り回してもがくコンを、鉄裁はウルキオラを宥めて救出する。ウルキオラは子供のようにむくれた顔で目を泳がせ、口を軽く尖らせると鼻を鳴らした。
そんなことをしていると、望実の瞼がほんの少し震える。
「おや、お目覚めになられる方が早かったですな。何処か具合の悪いところはありませんか?」
鉄裁は片膝をついて望実に目線を近付ける。ゆっくりと瞼を持ち上げた望実は、目の前の眼鏡をかけた強面男に目を見開くと、一瞬瞳を右往左往させてから———グーで鉄裁の顎を殴った。
「鉄裁さーーーん!!!」
「容赦無いな!?……いや、よく考えたら寝起きに真っ先に目に飛び込んでくるのが強面の巨漢なのは、人間なら普通に怖いか……」
望実のパンチをモロに喰らい、後ろに倒れた鉄裁に
「……誰、アンタ達」
膝にかけられていたタオルケットを胸元まで持ち上げて、望実はウルキオラ達を気丈に睨む。ウルキオラは気を失って使い物にならなくなった鉄裁を一瞥して、溜め息を吐いた。
「俺はウルキオラ。今は義骸に入っているから仮面は無いとはいえ、お前に霊力があるなら
自分も含めて一人一人順番に指差して、ウルキオラは望実に答える。
望実はウルキオラの指を目で追うと、浦原喜助はいないの、と呟いた。どういう事だ、とウルキオラが問い糺そうと口を開けかけたと同時ポテポテと気の抜けるような足音を立ててコンが望実に飛びつく。
「うおぉおおお!大丈夫か望実!?どっか悪いとこねぇか!?足とか頭とか……グホッ」
コンがまたしても地面に叩き伏せられる。望実が拳を振り下ろして、コンの頭に叩きつけたからだ。望実は半目でコンを見下ろす。
「……寄るな、スケベ」
「お前心配して貰っておいて、その言い草は無いだろう」
「うるさい。大体私に許可なく私の名前を教えたこいつが悪い」
「クソ……正論だ……」
ウルキオラは押し負けた。事実、プライバシーというか個人情報保護の観点で見れば、コンが本人の許可無く簡単に彼女について話したとなれば、怒るのもまあ、無理は無いと納得する。
「それより、ここ何処。私は浦原喜助を探してるんだけど」
「その浦原喜助の所有する店の地下だ」
望実が目をまん丸に見開いた。タオルケットを投げ捨てて立ち上がり、ウルキオラの肩を両手で掴む。
「浦原喜助は何処!?あの人に伝えなきゃいけないことがあるの!早くしないとアイツが……!」
「落ち着け!揺らすな酔う!浦原は今地上に……」
「今すぐに呼んできて!アイツが動く前に……」
「アイツって誰だよ!」
ガクガクと揺らされるウルキオラは、眉間に皺を寄せながら望実の手首を掴んで肩から剥がそうとした。そこへ。
「アイツですか……それ、先日から
カラン、と下駄の音を響かせて現れたのは、地上で修兵の相手をしていた浦原と、おそらく浦原の指示を聞かず、隠れて戦闘を観ていたらしい浦原商店の従業員の少年、花刈ジン太。ジン太の額は、どうやら浦原に叩かれたのか赤くなっていた。
「浦原喜助。カタは着いたの……か……」
振り返ったウルキオラは絶句した。浦原の左手には、おそらく浦原が打ち負かしたであろう修兵が引き摺られていた。それは良い。良くは無いが。問題なのは、その修兵の虹彩が濁っていて、筋肉は弛緩し、指先一つ動かない事。誰が見ても、完全に事切れていた。
「———……っ、が……が…………外交問題ィーーーーーー!!!」
「あ、そこなんですねぇ。気にするの」
ありとあらゆる"最悪"をコンマ一秒で脳内にリストアップしたウルキオラの悲鳴が、浦原商店の地下空間で乱反射した。
ウルキオラ編はっじまーるよー!