その瞬きは風を引き裂く
二つの影が空を切る。鈍い音を何度も打ち鳴らし、その周囲を取り囲む覆面の兵士達がその姿を克明に捉えた次の瞬間には、全く別の場所、別の座標に影が移動していた。二つの影の戦いの道のりは、震脚で砕けた瓦が微かに物語るのみ。
影の片方、夜一が相打つもう片方、砕蜂の霊骸が突き出した右腕を下から打ち払う。浅く息を吐いて、鋭い蹴りが弧を描いた。
"弍撃決殺"。砕蜂の斬魄刀、雀蜂の能力は"一ヶ所に二度攻撃を当てる事で必ず対象を殺す"もの。馬鹿馬鹿しくなる程の霊圧差があるならば、まだ警戒レベルは落ちるだろうが、そんな対処ができるのは藍染惣右介か、"最後の月牙天衝"を得た一護か、はたまた
だが、夜一にはそれは不可能だ。というか、大抵の隊長格は雀蜂を警戒しないという方が土台無理な話である。天文学レベルの潜在能力の持ち主と、霊圧と搦手の化け物と、シンプルな化け物達の真似事など出来ようわけがない。
故に、夜一は常に霊骸の砕蜂の右手に意識を半分割き、残った半分でそれ以外に対応していた。
夜一の爪先が霊骸の砕蜂の肩を掠める。上半身を捻った霊骸の砕蜂は、夜一を捕らえようと左手を伸ばした。夜一はそれを右手で払い退け、霊骸の砕蜂の腹目掛けて膝を振り上げる。
風船が破裂したような音が鳴る。同時に、衝撃で空気が波打ち周りの覆面の兵士———刑軍の隊士達に叩きつけられ、ある物は膝をつき、ある者は仰け反った勢いで屋根から足を踏み外した。
夜一は舌打ちする。振り上げた膝は霊骸の砕蜂の右掌で受け止められていた。判断は瞬きすら間に合わない一瞬。夜一が飛び退いたのと紙一重で、貫手が夜一がそれまで存在していた空を貫く。空気を裂く音は半秒遅れて聞こえた。
霊骸は、原種よりも強く作られる。あの時一戦交えた本物の砕蜂よりも、霊骸の砕蜂の白打の方が確実に重く、鋭く、強い。それでも夜一は確信を抱いていた。
"隠密機動総司令官四楓院夜一"の後任は、
夜一の胸の中心へ迷い無く突き出された雀蜂が届く寸前、夜一は霊骸の砕蜂の右手首を掴んでいた。
「……やはり、軟いな。いや……薄い、と言うべきかの」
「……どういうことだ」
心底見下げ果てた目を向ける夜一に、霊骸の砕蜂は不愉快そうに眉を顰め、力尽くで夜一の手を振り解く。
「成る程、どうやら影狼佐は人が人へ向ける感情を軽視……いや、蔑視か?ともかく価値の低いものとして結論していると見た」
「何が言いたい」
ザリ、と霊骸の砕蜂の足がひび割れた瓦を擦る音がした。夜一は振り解かれた掌を握って開いてを数回繰り返し、脱力して構える。
「怒りも無く、憎しみも無く、執着、愛着も無く。祈りも敵意も愛憎の欠片も宿らぬ、機械的に眼前の敵を屠り、義務的に本物が届き得なかった壁を越えんとするおぬしの一挙一動、その尽く。あの時見えた砕蜂よりも軽いと言っておる」
プツン、と霊骸の砕蜂の耳の奥で音がした。自分が虎の尾を踏まれた、或いは逆鱗を撫で擦られたのだと意識が理解したのは、右手の雀蜂が夜一の左の二の腕を穿った時だった。
雀蜂が突き刺さった夜一の左の二の腕に、雀蜂のマーキング———蜂紋華が刻まれる。
「なんじゃ。形ばかり、表面ばかりなぞるだけの生き人形じゃと思うておれば。ちゃんと生きた感情があるではないか」
「……〜〜〜っ!黙れ!!」
霊骸の砕蜂は激怒を顔に浮かべ、二撃目を見舞おうと右肘を引く。だが、流石に夜一も相手の思惑通りになどなるつもりも無く。
再び突き出された雀蜂は夜一の残像を簾のようにすり抜けるだけに終わった。
攻撃が空振った霊骸の砕蜂の身体が前のめりに揺れる。その背後、右足を振り上げた夜一が強襲を仕掛けた。
顔だけで振り返った霊骸の砕蜂は、わざとそのまま倒れ込み、両手を瓦屋根についてハンドスプリングと同じ形で転回する。半秒後に、夜一の踵が瓦屋根を砕き割った。着地した霊骸の砕蜂が膝をついたまま雀蜂を構え、振り返る。
夜一は数センチほど瓦に埋まった踵を引っこ抜くと、追撃を仕掛けに跳んだ。
夜一の両手脚に、細く枝分かれた雷光が奔る。本来両肩と背中に纏う瞬鬨を全力全開———では無く、敢えて両手脚のみに集中させ、一撃の重みを高める。速さはこれ以上要らない。最高速度を出したところで、この砕蜂の贋作は悔しい事に捉えてくるだろう。
徒手空拳を得手とする夜一に弱点があるとすれば、それはリーチの短さだろう。斬魄刀を用いず白打のみで戦う戦術の欠点を、夜一は速度でカバーし続けてきた。ただし、今相対するのは同じく白打を極めた砕蜂の贋作であり、その上右手には受ける事を許さない弍撃決殺の雀蜂。条件だけ見れば、夜一の方が不利に見える。
だが、夜一とてそれ以上の手札を用意していないとは言っていない。
「瞬鬨……霹霆双刃」
夜一の両手首を雷光が旋回する。そこから手の甲に被さるように、両刃の直刀が伸びた。その刃渡り、大凡二尺。
「……ッ!?なんだ、それは!?」
霊骸の砕蜂は狼狽した。なんだ、あの雷光の剣は。あんなの、見たことがない。原種の記憶にも、存在していなかった!
白打の間合い———霊骸の砕蜂の間合いよりも遠くから、夜一の突きが霊骸の砕蜂の喉を貫く———その寸前。
「打っ潰せ、五形頭ィ!!」
夜一の顔に影が落ちる。殺気を感じ取った夜一は、反射で踏み出した脚で後ろ方向に瓦屋根を蹴った。そのバックステップから瞬き一瞬分遅れて、無数の棘のついた鉄球が建物ごと瓦屋根を粉砕する。
しまった、と夜一は舌打ちした。砕蜂がいるのだ。その副官も何処かに潜み、機を狙っていても不自然は無い筈ではある。油断の原因は、その副官の性格を概ね知っていたせいだ。
砂埃が立ち込める。霊骸の砕蜂は舌打ちして、頭に降りかかった塵を払い落とすと咳払いした。
「余計な手出しをするな、大前田。死にたいのか」
「いやいや、何言ってんすか。仲間がやられたらそれこそ好奇。間に入らず後ろから刺す。隠密機動としての戦い方に則ったまでっすよ。ま、隊長がやられるとは全く思ってませんけど」
鎖の擦れる音と共に、砂煙が晴れる。乱入者の姿が明るみになった瞬間、夜一は———噴いた。
「ブッフォ!!!」
霹霆双刃を維持したまま、夜一は腹を抱えて膝をつく。引き笑いを起こして、目尻から涙が滲み出してきた。
「……隊長。あいつなんで笑ってんすかね」
「知るか」
乱入者———大前田稀千代の霊骸は、腑に落ちなさそうな顔をして自身の上官に訊ねる。
とはいえ、この場に夜一以外にも誰かがいたのなら、同じ反応を示すだろう。本物の稀千代を知るものであれば、尚更。
本物の稀千代の容姿を述べるのであれば、相撲力士のように筋肉の上に脂肪の鎧を重ねた大柄な体格とか。顎の輪郭と首の境が肉でわかりにくくなっているとか。あとは三白眼気味の目と、前髪が薄く広い額だろうか。
では、霊骸の稀千代はどうか。
身も蓋も無い言い方をすれば、要素要素こそ共通しているものの、全体の印象としては本物とはまるで別人の容姿だった。大きくも筋肉で引き締まった体躯。顎の肉は無く、骨格の角が分かる精悍な顔つき。ありふれた言葉になるが、本物よりも大層格好いい身なりをしていた。
夜一は大いに受けた。ルッキズムの格差がここまで酷いと、最早笑うことしかできなかった。どうやら稀千代のふくよかさは、影狼佐の美醜感覚には合わなかったらしい。
「ちょ……待っ……無理……フフッ……!集中出来ん……ッ」
「いい加減に笑うのやめろ。普通に腹立つな」
霊骸の稀千代の額に青筋が浮かぶ。これはもう馬鹿にしてるだろ、という気持ちすら浮かんできた。まあ、事実として割と馬鹿にしている。
「フ……フフ……あー、笑った笑った。フフッ……ダメじゃ。もう儂、瞬歩の一つも出来ん。集中出来なくて」
「……このような形で勝つのはなんとも複雑だが、では死ね」
嘆息した霊骸の砕蜂は、心底軽蔑した目をしたまま今度こそ二撃目を突き立てんと瓦屋根を蹴った。
目と鼻の先、霊骸の砕蜂の雀蜂が夜一に迫る。その時だった。
「———何戯けてやがんだ、猫ババア」
金属同士がぶつかる音と共に、空色が二人の間に割り込んだのは。
「———……ッ!グリムジョー!?」
夜一は黄金色の目を見開く。更なる乱入者として現れたのは、白い死覇装の上に耐火エプロンを着けた、人相の悪い
その空色の正体は
「おぬし、何故ここに……」
「何でも何もねえだろ。あんだけ派手に暴れてりゃ、どれだけ離れててもなんか起きたって分かるぜ。誰だって」
大きな溜め息を吐いたグリムジョーは、顔だけを夜一に向けると力任せに霊骸の砕蜂の雀蜂を弾き退ける。そして、霊骸の砕蜂と霊骸の稀千代を交互に見遣って、あー、と呻き声を上げて髪を掻き毟った。
「クソッ。あんま表立って助け舟を出したら、面倒な事になるって分かっちゃいたんだがな……手ェ貸した手前、死なれても目覚め悪いわ」
しゅる、とグリムジョーは右手を背中に回し、エプロンの結び目を解く。そのまま手早く脱ぐと、目についた観賞用の針葉樹の枝目掛けて放り投げた。
「で、俺はどっちを殺せばいい?一応テメェの意見くらいは訊いてやる」
斬魄刀を右に持ち替えて、グリムジョーは夜一に訊ねる。夜一はグリムジョーの肩越しに、霊骸の砕蜂を見据えて答えた。
「大前田の方を頼む。おぬしには少々、物足りぬ相手やも知れぬがな」
「あいよ。テメェヘマすんじゃねえぞ、猫ババア」
「その猫ババア呼ばわりをやめんか」
夜一とグリムジョーは軽口を叩き合いながら、背中合わせに自分が請け負った相手に向かう。
夜一は再び霊骸の砕蜂と。
グリムジョーは霊骸の稀千代と。
夜一の両手で雷光が奔る音がする。グリムジョーの左手の指先が斬魄刀に爪を立てる。
「行くぞ!!」
「軋れ!
同時に瓦屋根を蹴った。雷鳴と共に夜一の両手の雷の刃が霊骸の砕蜂に振り抜かれる。グリムジョーの左手が斬魄刀の刀身を掻き、
「チッ……瞬鬨!!」
「来るなら来やがれ!打っ潰せ、五形頭!!」
力のぶつかり合いは二つ。重なり合ったそれによって、二番隊隊舎の一角が消し飛んだ。
ゴオッ、と空を突き抜けて、五形頭の鉄球がグリムジョーを襲う。グリムジョーはそれに真っ向から爪を掬い上げるように振り上げた。
しなやかに引き締まった身体からは想像つかないような力で、グリムジョーの爪が鉄球を打ち上げる。肘から
霊骸の稀千代は恵まれた体躯からは連想しづらい素早さで、
「甘えんだよ!!」
グリムジョーは前方に張り詰める鎖を蹴り上げる。その勢いを保ったまま、宙返りをしてその先に繋がる鉄球と柄を握る霊骸の稀千代を投げ飛ばした。
逆さになって宙を舞う霊骸の稀千代は、柄を薙いで鉄球をグリムジョー目掛けて振り回す。グリムジョーはそれを防御姿勢を取って受け止めたが、タイミングが悪かった。最も勢いのある瞬間に受けた鉄球は、そのままグリムジョーを吹き飛ばしてしまった。
「甘いのはてめえだぜ。
「……やってくれんじゃねーか」
壁に激突したグリムジョーは、瓦礫を押し退けて舌打ちする。
「副隊長程度なんざ、何人殺そうが対して褒められるようなことじゃねえと思ってたが……霊骸ってのはどうやら、でかい口叩く程度の実力はあるみてえだな」
「ほざいてろよ。お前も
「ス○ランカー式インチキ能力とラノベ主人公系と養殖型シンプルバケモンと比較すんじゃねえ」
グリムジョーが
「死ね!!!」
鋭い爪が、霊骸の稀千代に振り下ろされた。霊骸の稀千代はギリギリで身体を捻り、直撃を避ける。左肩に爪を掠め、裂けた死覇装から裂傷が姿を見せた。
「文字でしか俺のことを知らねえようだから教えてやる。
手を振って爪に付いた血を払い落とし、グリムジョーはそう名乗る。
ゴキンッ、と両手の指の関節を鳴らせた。十の爪に霊圧を集中させ、巨大な刃を作り上げる。
ぞわ、と霊骸の稀千代の背中が粟立った。
「
左手の五指に連なる刃を振り翳す。霊骸の稀千代は迫り来る
だが、霊骸の稀千代の思った通りにはいかない。激突した五形頭の鉄球と左の
「なっ……しま……っ!」
「終いだ」
グリムジョーは残る右の
「逃すと思ったのかよ!!」
それよりも早く、グリムジョーの
「がっ……あ……そん、な……っ!」
断末魔の叫びを上げることもなく、霊骸の稀千代は物言わぬ肉と骨の塊に成り果てる。
「チッ……やっぱ猫ババアの言う通り、物足りねえ相手だったぜ」
目の水晶体が濁った頭部を踏みつけて、グリムジョーは退屈そうに独りごちた。
一方、再び目視で捉えることが困難な速度での高速戦闘に突入した、夜一と霊骸の砕蜂は。
「せい!!」
「ふっ!!」
肉と骨がぶつかり合うには鈍く重い音がして、両雄の蹴りが激突した。
夜一の足を、霊骸の砕蜂が纏う風が斬り付ける。
霊骸の砕蜂の足を、夜一が纏う雷が灼く。
互いに素早く間合いを取り、木の幹に、壁を踏み台にして跳んだ。霊骸の砕蜂の雀蜂が夜一の髪を掠める。夜一の右の霹霆双刃が霊骸の砕蜂の頬を薄く裂く。
夜一は左の霹霆双刃を下からアッパーカットで霊骸の砕蜂の脇腹を狙って突き出した。霊骸の砕蜂はそれを膝で打ち退け、左拳で夜一の頬を横殴りする。よろけた夜一はしかし引かず、右膝で霊骸の砕蜂の腹を蹴った。
霊骸の砕蜂が後退りする。咳き込むように空気を吐き出し、キツく夜一を睨むと苦し紛れにも思える苦無を投げつけた。
夜一は霹霆双刃で飛来する苦無を叩き落とす。瞬歩で霊骸の砕蜂の背後に回り、後ろ回し蹴りでその脇腹を狙った。霊骸の砕蜂は瞬歩で躱す。夜一は手を止めず、迷いなく正面から突っ込んだ。突き出された霹霆双刃を、霊骸の砕蜂は左手を下からかち上げて打ち払う。
「〜〜〜〜〜ッ!弐撃———……」
「させると思うな!」
夜一の左の二の腕を狙った霊骸の砕蜂の雀蜂による一撃は、夜一が右掌を盾にすることで止める。掌に蜂紋華が現れるが、安いものだ。
何より、霊骸の砕蜂の右手を左手で掴み、捕える事ができたのだ。上々だろう。
夜一の膝が霊骸の砕蜂の顎を打ち上げる。脳が強く揺れて、一瞬意識が薄れた。それを見逃さない夜一は、右手に突き刺さった雀蜂を引っこ抜いて、霹霆双刃を振り上げる。
肉と骨を丸ごと断つ音と共に、膝から先を斜め切りされた霊骸の砕蜂の右手が宙を舞った。
「ぐ……ぅ……あぁあああああ!!!」
霊骸の砕蜂の悲鳴と共に、鮮血が飛び散る。蹈鞴を踏んで後退する霊骸の砕蜂に、夜一は追撃を仕掛けた。雷鳴と共に跳び、霊骸の砕蜂に向かって一気に間合いを詰める。
「
懐に飛び込んだ夜一の霹霆双刃が、交差する斬撃で霊骸の砕蜂の首を刎ねた。
「終わったか」
「そっちもな」
ゴトン、と霊骸の砕蜂の首が地面に落ちると同時。
「ハリベルにバレたら"目立つ真似すんな"ってしばかれそうだ」
「すっかり尻に敷かれとるのぉ。まあ、元はと言えば儂の油断が原因じゃ。怒られる時は一緒に怒られてやる」
「えっ、
「それより、おぬし荷物はどうした?買い物して帰るんじゃろ?」
「
言い終わるよりも先に、始め夜一を取り囲んでいた刑軍隊士の霊骸達が、今度は二人を囲む。遅かったか、とグリムジョーは頭を抱えた。
「雑魚が何人束になって来ようが負ける気はしねえが……流石にこれ以上暴れると本格的に事態が悪化しかねねえな」
「じゃが、大人しく捕まるわけにもいかんじゃろ。致し方無し。強行突破———……」
二人が構え、刑軍の霊骸達が動き始めた、その時。
過去一相手の殺し方に容赦がない二人