風が吹く。ただの風では無い。指向性を持ち、敵と定めたものを襲い、叩き潰す風だ。夜一はその"風"が何者であるのか、直感で理解していた。
夜一とグリムジョーを囲んでいた、刑軍隊士の霊骸。次々と"風"に叩きのめされていたその最後の一人が、細かな首の骨が折れる生理的に嫌な音と同時に倒れ伏した。砂を薄く巻き上げ、白い羽織をひらめかせる、その"風"は。
「———……息災で何よりじゃな。砕蜂」
「はい、夜一様。この砕蜂、只今帰還致しました」
恐らくは影狼佐に囚われ、霊骸と入れ替えられていた二番隊隊長。砕蜂その人であった。
エプロンにかかった砂を払いながら、グリムジョーは嘆息する。
「ミラ・ローズの奴、今回は仕事が早えな」
「ああ。浦原の差し金なのが腹立たしいし、何より十分に休む間も無く
「浦原嫌いすぎだろ。わかる」
共感してしまうのか、と夜一は苦笑した。そしてふと、平然な顔をしている砕蜂の目に、疲労とはまた異なる不調の色を発見して、問いかけようとしたのを遮るかのように、重量感のある足音が近付いてきた。
「隊長ぉおおおおお!!!待っ……待ってくださいってば!!!」
音と見た目よりも遥かに速く駆けてくるのは、二番隊副隊長である本物の大前田稀千代。その姿を視界に捉えた夜一は、条件反射で噴き出した。稀千代は両膝に手をついて肩で息をしながら、顔を手で覆って笑う夜一を見てショックを受けた顔をする。
「酷えじゃないっすか夜一様!!人の顔見るなり笑って!!」
「フ……ッ、フフッ……す、すまんすまん……ブフッ」
「夜一様ァ!?」
「色々あったんだよ。あんま詮索すんじゃねえ」
二、三文句を言おうとした稀千代の肩を叩き、グリムジョーは言語化しづらい曖昧な表情で首を横に振った。彼は存外、気遣いの出来る
「そ……そういえば砕蜂よ……んぐっふ、おぬし少し、具合の悪そうに見えるが大丈夫なのか?」
笑いのツボから脱却を図りつつ、夜一は砕蜂に気に掛かっていたことを訊ねてみる。砕蜂は少し、よく注視していなければわからない程度に目を逸らした。
「……どうということはありません。断界に必要以上長く滞在していた影響でしょう」
「いやいやいや!!何言ってんすか隊長!!」
夜一に心配をかけたくないのか、当たり障り無い回答で切り上げようとする砕蜂に稀千代が否を突きつける。
「因幡影狼佐にとっ捕まって、断界に閉じ込められた時に俺も隊長も薬打たれたじゃないっすか!!しかも檻理隊が犯罪者の収監時に、偶に暴れる奴相手に使う強めの麻痺剤!!」
稀千代の暴露に、側で聞いていたグリムジョーの方がギョッとした。
「おいそういうことは先に言え!何こんなとこで油売ってんだバカ!今すぐ病院行け!」
「その
「グッ……」
堪らず口を挟んだグリムジョーが、息つく間もなく撃沈した。
「薬など盛られた程度で、それが何だと言うのだ。全く……そも、我々は隠密機動。この程度ならば半日あれば自然に快復する」
「無茶言わんでくださいって!せめてあと二日は欲しいっすよ!」
「むしろ二日で完全に快復するのもだいぶおかしいけどな……」
暗殺部隊の常識は世間の非常識、とグリムジョーは呟いた。嫌なキャッチフレーズである。
「して、これからどうする。儂等も随分派手に暴れたものじゃし、おぬしらが断界から戻って来たことも、影狼佐は既に把握しておるじゃろう。かといって、二番隊をそのまま放棄するわけにもいかぬ」
「そっすよねえ……」
夜一が疑問を口にして、稀千代もそれに同感を示して頭をガリガリと掻いた。
それにすかさず答えを出したのは、やはり砕蜂。
「であれば、私と大前田は此方に残り、影狼佐を監視致します。報告は大前田から夜一様の伝令神機に直接」
「えっ」
稀千代が思わず声を上げる。瀞霊廷に残り、副隊長として二番隊を纏めるべきなのは稀千代も分かっているが、さも当然のように、通信傍受の可能性があるにも関わらず連絡係を押し付けられたことに、困惑が勝った。
「何をとぼけた顔をしている。どうせ貴様の伝令神機、弟の手が入って秘匿通信回線が搭載されているだろう。プライベートの保護だとか何とかと言い訳を添えてな。ならば有事の際は、それを使って夜一様に影狼佐の動きを密告するのが早い」
「何で稀次郎三郎が俺ん家の家族の伝令神機弄ってること知ってんすか隊長!!」
「マジで弄ってんのかよ」
「……というわけですので、此処で起きたことは全て、表向きは我々で隠蔽しておきます。総隊長も何時
「……湯治じゃと?」
夜一の復唱に、砕蜂はそうです、と返す。
砕蜂曰く二週間ほど前、隻腕となって尚精力的に業務に勤しむ元柳斎は、その体調を慮った長次郎に勧められ、流魂街にある温泉地へと湯治に出たらしい。
夜一はそれを把握すると、ふむ、と頷く。
「そうか……であれば……グリムジョー」
「あぁ?何だよ」
「少し野暮用ができた。おぬしは先に帰っておれ」
「はあ!?」
帰りはどうすんだよ、とグリムジョーは怒鳴るように問う。夜一は簡潔に、空鶴のところに泊めてもらうと答えた。
「現世に戻る時はまた連絡するから、その時迎えに来てくれれば良い。どちらにせよ、これ以上おぬしを拘束するわけにもいかんしな」
「どの口で何言ってる?」
「苦労してんなぁ、
夜一はさっさと瞬歩でその場を去る。砕蜂はそれを見送って、腰を八十度勢いよく曲げた。
グリムジョーはソフトリーゼント風に纏めた髪をぐしゃりと掻き乱し、意味のある言葉にならない喚き声を上げる。
「これだから女ってのは!!!」
叫んだグリムジョーの肩を、稀千代が気遣うように優しく叩いた。
女王の間で、ハリベルはモニターと面向かい、紅茶を片手にリモート会談を行っていた。相手は、水面下で手を組んでいる現世の浦原喜助。
「———と、いうわけだ。これで概ね、影狼佐が随分大胆に事を起こせた理由も察せられるだろう」
『そうっスね。元々念入りに下準備を進めていたのは、勿論あるでしょう。ですが、総隊長にバレて仕舞えばどうしようもありません。知謀も何も力で焼き尽くされてしまいます』
浦原の見解に、ハリベルは紅茶を一口飲んで、同意を示すように頷く。
「だからこそ、最初から瀞霊廷にいないようにしてしまえ、ということだな。下手すれば、湯治を勧めた副官も、その時点で霊骸と入れ替えられていた可能性も高い」
『自分も同意見っスね。こちらも、朽木隊長達から聴取を行った結果、砕蜂隊長達同様背後から薬を打ち込まれ、断界に隔離されたようだとわかりました。尤も、薬の強さは皆さんに使われたものの方が弱いようですが』
「それだけ、影狼佐の視点で二番隊の重要度が高かったということか。諜報と有事の際の情報伝達が仕事だったよな?あそこ」
『ええ、それから犯罪者の捕縛、収容も……ああ、成る程』
モニターの向こうの浦原は、何かに気が付いたような仕草をした。何かわかったのか、とハリベルが訊ねると、浦原は頷いて答える。
『二番隊を動かせる立場であれば、望実さんの捜索の上で大変便利だと。少なくとも、望実さんに無実の罪をでっち上げて、容疑者として追う大義名分ができますから』
「ああ、そういうことか。隠密機動だから、何らかの罪状を捏造して容疑者としてパクってしまう事に不自然も無い。その職務上、何かしらのトラブルがあっても、隠蔽もしやすいもんな」
ハリベルの見解に、浦原は扇子を開いて口元を隠し、頷く。
『ええ。そして、容疑者の行方について問われても、機密情報として口を黙続ける事にも疑問を持たれない。知っているものでも、"蛆虫の巣"に収監されたとでも言えば、それ以上は追求しないでしょう』
「"蛆虫の巣"って、お前がそこから引き出した十二番隊の連中以外で、存在知ってる奴いんの?」
『さあ?知っていたとしても、流石に表向き知ってると公言はしないでしょうね。察してる人は察してるんじゃないっスか?』
「護廷十三隊さあ……」
ハリベルはグッと伸びをする。実際のところ、"蛆虫の巣"の存在を知っているのは二番隊と、そこ出身の技術開発局員の他には存在しない。護廷十三隊は高尚で清廉潔白な組織であるというプロパガンダの為、"蛆虫の巣"の存在は秘匿され、そこに収監される者は"脱退"として表向き扱われる。
あのまま二番隊が影狼佐の手の中にあれば、その"蛆虫の巣"から護廷十三隊への怨みを理由に、奴に共鳴する者が現れてもおかしくは無い。だからこそ、"蛆虫の巣"を管理し、汚れ仕事を専任する二番隊を早期に奪還できたのは、非常に幸いである。
『夜一さんの野暮用も、おそらく総隊長に接触する事でしょう。瀞霊廷で起きている事を伝えれば、いの一番に帰還するはずッス』
「影狼佐が護廷十三隊を表立って牛耳るのが先か、総隊長のおじじが帰ってくるのが先か……はたまた、ウルキオラが影狼佐を殺すのが先か」
『一番最後は無理じゃ無いっスかね?』
「夢くらい見させてやれよ」
ガックシ、とオノマトペが付きそうな勢いで、ハリベルは椅子の肘掛けから肘を滑らせた。
「……ゔぁっっっクシュッ!!!」
空座町のとある住宅街。民家の屋根の上にいたウルキオラは、幼い体躯からはあまり想像できないような、豪快なくしゃみを一つした。
ズビ、と鼻を右手で擦りながら啜る。一応はまだ春先で、風邪を引くような要因は無く。また、
ウルキオラは今、霊体だ。霊感のある者以外は、ウルキオラの姿を見ることはできない。なので、多少破天荒な近道も可能だった。
ウルキオラは屋根を次々飛び移る。目指しているのは、とあるマンション。
マンションの通路に降り立つ。表札を一つ一つ確認しながら、ウルキオラは目的の部屋の前に辿り着くと、迷い無くインターホンを押した。
その部屋の表札には、"井上"の表記。
「……」
返事が無い。出掛けているのだろうか。首を捻ったウルキオラは、もう一度インターホンを鳴らす。
ウルキオラは失念していた。高校生という職業に就く人間は———というよりも、日本人というのは基本的に、昼間は学業に、或いは労働に勤める者であるということを。
現在時刻は午後一時。学生は昼休憩を終えて、午後の授業中である。
結局ウルキオラは、日が傾き始める頃まで部屋の前で待ちぼうけを喰らうことになった。
午後五時半前後。空座高校に通う女子高生、井上織姫は目を丸くして、見間違いではないかと何度も目を擦った。
何せ家の前に、ウルキオラがいる。
何で?と不思議に思いつつ、そういえば先日何か強い霊圧が交戦する気配がしていた事を思い出して、また大変な事が起きているのだろうかと当たりをつけた。おおよそ、その推測は間違ってはいない。
「ウルキオラくんっ」
パタパタと駆け寄った織姫に気付いたウルキオラは、クロムトルマリンを丸くして壁に寄りかかるのをやめた。
「出ていたのか。通りでインターホンを押しても返答が無いと思った」
「ええー?ウルキオラくんいつから居たの?」
「昼食後すぐからだ」
「……暇じゃなかったかな?」
「そうだな。暇ではあった」
歯に衣着せぬ物言いのウルキオラに、織姫は思わず苦笑する。
「それにしたって、どうして私の家に?何か用事があって来たんだよね?」
織姫は気を取り直して、改めて訪ねてみる。場合によっては、織姫では力になれない可能性もある。例えば、力を失ってしまった黒崎一護を巻き込みかねない事であるとか。
「ああ、恐らく俺が考え得る限り、お前しか当てにならない事がある」
ウルキオラはパーカーのジッパーを手持ち無沙汰に弄り、クロムトルマリンで織姫を見上げた。
「人間の女というのは、何をすれば喜ぶものなんだ?」
「…………へ?」
深刻そうな表情で投げかけられた、何とも俗物で、まるで思春期の少年のような質問に、織姫は面食らって一瞬放心した。
「いや、だから。
「………………そっかあ………………」
織姫は天を仰いだ。これは一先ず、それを訊く理由から聴取すべきだろうと、織姫は部屋の鍵を開けて、ウルキオラを家に上げた。いつまでも外で立ち話をしているのも、決まりが悪いので。
ウルキオラを居間に上げた織姫は、とりあえずウルキオラには座布団に座ってもらって、自分は通学鞄を定位置に置いてからお茶を用意する。
ウルキオラは流石に喉が渇いていたのか、出されたお茶を一気飲みすると、左手で口を拭った。
そして、ウルキオラは事の経緯を織姫に語る。
「……そっか。つまり、その望実ちゃんって子にリラックスしてもらう為には、どうしたらいいか考えてたって事だね」
「噛み砕いて煎じ詰めれば、そういう事になるな」
そういう事ならば、と織姫は思案する。
織姫自身、正直に言えば世間一般的な"女の子"とは少々ズレた感性の自覚があった。この場合頼れるのは、やはりクラスメイト達だろう。しかし、ウルキオラが気にかけているらしい望実という少女は、とある死神にその身柄を狙われている身だという。
(たつきちゃん達に力を貸して欲しいところだけど……もし望実ちゃんを狙う死神が、人目につく場所でも構わず襲ってこないとも限らないし……ううん)
織姫は過った不安を振り払った。ウルキオラが、自分を頼った理由を考えるならば。もしものことがあったとしても、何も織姫一人で対抗する必要も無い。
「ウルキオラくん。よければ、望実ちゃんにこう伝えておいて欲しいんだけど……」
「何だ?」
織姫は携帯を開いて、連絡帳から数名のアドレスを選んでメールを二つ作成する。
「明日の放課後、私の友達も誘ってお買い物行こう!」
織姫の携帯の画面には、メールの送信完了画面が映っていた
おまけ:アランカル大百科
多分一番働いてる女
アメミト:大丈夫か?フランチェスカ
ミラ・ローズ:なんとか……流石にちょっと休ませて欲しいですけどね……
ネル:……おねえちゃん、疲れてるみたいッス。ネルもおてつだいできたらよかったッスけど……
リリネット:気持ちだけで十分だと思うよ。それでも何かしたいなら……(ニヤリ)あいつらの部屋に水に溶かして作るジュースの粉あっただろ?それ使ってやれよ。アレ、確か疲労回復に良いって聞いたことあるし
ネル:……!わかったッス!ペッシェー!ドンドチャッカー!来て欲しいッスー!
スターク:リリネット、お前……
リリネット:嘘はついてないもーん