犴と鮫   作:鷲谷ヒメリ

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ポエムはお休みですが久方振りのアメミト劇場です。


燕と踊る

 常夜の空に浮かぶ月が照らす白い砂漠。唯一の建造物である虚夜宮(ラスノーチェス)以外に目立つものが何もないそこで、一人の破面(アランカル)が頭からひっくり返っていた。呻きながら自分の身長程ある両手剣を支えに立ち上がると、金髪を手で掻き上げて砂を払い落とす。その姿は褐色の皮膚とは対照的な白い外殻で最低限度を鎧った軽鎧。肩の装甲からは魚の鰭を連想する装飾が伸び、両手剣もよくよく見れば、鮫の鰓の様な紋様が刻まれていた。

「大丈夫か?ティア」

 もう一人の破面が気遣わし気に声をかけた。破面———ティア・ハリベルは問題ないと返すと、持て余した様に両手剣を振るう。

 ハリベルは現在帰刃(レスレクシオン)状態だ。破面化してからこっち、かつて虚園(ウェコムンド)の王を名乗ったバラガンを排す為虚夜宮へ乗り込もうとしてからまともに自分の力の試運転をしていなかった為、奇妙な死神———藍染の協力者として十刃(エスパーダ)の地位に落ち着いた今を好機と捉え、帰刃の慣らしをしている。一緒にいる破面———アメミトは監督役だ。

「流石に戦雫(ラ・ゴーダ)の試し撃ちで暴発するとは思っても見なかった」

「いっそ芸術的な失敗だったな。オーディエンスがいたら拍手喝采だ」

「お、喧嘩か?」

「なんだ、今し方自分の力に振り回されてることがわかったのに私と勝負する気か?やめとけやめとけ、自爆するぞ」

「ぐう正論やめろ!!」

 あとで覚えてろよ、と吐き捨ててハリベルはむくれたまま両手剣の鋒を背後側の足元へ向ける。大虚(メノスグランデ)だった頃の様に、高圧水流による大跳躍を試そうと霊圧を集中させ水を噴射し———当然の様に、勢い余って顔から前のめりに倒れ込み、剣を握っていた右腕が肩関節の可動域限界まで後方へ回った。

「ごふっ!?」

「あーあーあー、言わんこっちゃない」

 やれやれ、とアメミトが肩をすくめるのをハリベルはぐぬぬ、と唸りながら見上げる。アメミトは苦笑しながら手を差し伸べてハリベルの左手を掴み引っ張り立たせた。

「……これやっぱりアレだ。破面化したことで霊圧が強まった分、大虚(メノス)の頃と同じ感覚で動くと調整ミスって自爆する」

「あー、まあ、基礎スペックが上がったが故の弊害ってところか」

 左手を握っては開いてを繰り返しながら洞察するハリベルに、アメミトは納得を示す。

「とりあえず出力調整は戦雫(ラ・ゴーダ)的当てチャレンジからやってくか」

「ああ。後だな……以前は右腕と剣が同化していただろう?」

「うん」

「前までは多少出力ガバっても引っ張られたりするくらいで済んでいたんだが……今は分離してるから、勢い余って手から剣がすっぽ抜けそう」

「んー、じゃあ平行して握力鍛える?」

「それ用の道具とかあるのかな……」

「家具とか作ってくれる担当の破面に言ったら用意してくれんじゃない?」

「だといいんだが」

 高圧水流の暴発の反動で痛む右肩を回しながら、ハリベルはどうしよっかなあ、と溜め息を吐いた。アメミトは両手剣を指差して。

「ていうかさ、折角腕と剣が分かれたんだから剣先から水出す必要無くない?」

「……え?」

「例えばさあ」

 アメミトはそう言って両手剣の持ち手側の左右に伸びる突起を指差す。

「ここから水噴射して、出力をそれぞれで変えたら飛びながら方向転換とかできそう」

「天才かよ」

「そうだぞもっと褒めろ。褒め称えろ」

 アメミトはふんぞり返って胸を張った。そんなことをしていると、虚夜宮の方から二人に向かって声がかけられる。

「ハリベル様ー!アメミト様ー!内装工事と家具の配置終わったみたいですよー!」

 二人を呼びにきたのはミラ・ローズだった。おーい、と手を振って目一杯アピールをする様子に、二人は慣らしを切り上げて第三の宮へ戻ることにする。

 途中でアパッチとスンスンと合流し、五人連れ立って第三の宮の中の居住スペースの扉を開いた。

「「「「「おおー!」」」」」

 中は五人の要望通り、五人が一緒に寝ても余裕のありそうな大きなベッドに簡易キッチン、ティーセットをしまった食器棚などが配備されている。部屋全体は綺麗に清掃済み。壁紙も新しいものに取り替えられていた。

「すげー!ベッドもそうだけど部屋自体もめっちゃ広い!」

「アタシベッドイッチバン乗りー!」

「あ!ちょっとミラ・ローズ!!ズルいですわよ!!」

「一番乗りも何もベッドは逃げないぞ」

「はしゃぐなはしゃぐな」

 和気藹々と部屋を見分する五人。ミラ・ローズとスンスンがベッドに飛び込み、適度に弾力のあるマットレスに沈み込んだ。アメミトはキッチンへ足を運び、用意されていたコンロの取扱説明書を一読してから試しに一度点火してすぐに消す。

「あ、寝着も用意されてるのか」

 クローゼットを開けたハリベルが、中にしまってあった寝巻きやパジャマ、ネグリジェを確認していた。それぞれサイズが一通り揃っている為、着替えには困らなさそうだった。

「ハリベル様!見てくださいよコレ!アタシが足伸ばしても全然余裕!」

「そうだな。ちょっと安心した」

 ベッドの上に寝そべるミラ・ローズが両足をばたつかせる。その横でスンスンは枕を抱き締めてゴロゴロ転がっていたのだが、髪の毛絡まったりしないのだろうか。

「あ、そうだ。フランチェスカ、後で虚夜宮の散策行こう」

 コンロの確認を終えたアメミトがミラ・ローズを誘った。ミラ・ローズはばたつかせていた足を止めて、一瞬キョトンとした後パッと表情を明るくして、是非と返す。それを見ていたハリベルはベッドの淵に腰掛けて。

「迷子になるなよ」

「ならないよ!」

 

 そんな会話をしたのが数時間前。

 

「……アメミト様」

「言うなフランチェスカ」

「いやでもアメミト様」

「言うな」

「……迷子ですよね?」

「言うなって言ってるだろ!!」

 爆速でフラグ回収。虚夜宮の散策に出たアメミトとミラ・ローズは、気を惹かれるまま歩き回っているうちに自分たちが今何処にいるのかわからなくなっていた。ああ、本当に、どうしてこうなってしまったのやら。

「えー、どこからどこ通って来ましたっけアタシ達……」

 ミラ・ローズは周囲を見渡して来た道を思い出そうとする。しかし、虚夜宮の通路は広い上に基本的に内装が変わり映えしない。帰り道を探すのは絶望的だった。泣きそう。

「何処だよ此処〜!助けて、ティア〜〜!!」

 アメミトの嘆く声が広い廊下を反響する。当然返ってくる声などは———。

「五月蝿いわよ新参者。騒ぐなら他所行ってちょうだい」

 いた。

 バッとアメミトとミラ・ローズが声の方へ振り向く。その先にいたのは、ゴシックロリータの意匠を取り入れた死覇装姿の女破面。

 女破面は靴の音を鳴らして二人の方へ歩いてくる。ある程度間合いを取った距離まで来ると足を止め、二人の姿をざっくり確かめた。そしてアメミトの方へ視線を向けると、不機嫌そうに口を開く。

「アンタがネリエルの後釜に座った新しい第3十刃(トレス・エスパーダ)?ふーん……確かに霊圧は相応みたいだけど」

「えっ」

「はぁ!?」

 女破面の言葉にアメミトはなんでそうなる、と内心でツッコミを入れつつ動揺し、ミラ・ローズは流石にそれはないだろ、と驚きを隠せない。アメミトは咳払いをして気を取り直し、女破面に問う。

「何故私が第3十刃だと?」

 問われた女破面は何を言ってるんだこいつは、という顔をして答えた。

「金髪に緑の眼をした女の破面だって聞いてたからよ。それに、そこのやけにタッパのある破面。アンタに敬称と敬語使ってたってことは従属官(フラシオン)でしょ?」

「あ〜〜〜〜〜〜!そういうこと!」

「アタシも原因かぁ……」

 アメミトは頭を抱えて天井を仰いだ。確かに金髪だし、眼は緑系だ。ただし、アメミトは翠玉で本当の第3十刃であるハリベルは碧玉である。なんとも絶妙な違い。恩人かつ最上級大虚(ヴァストローデ)故にミラ・ローズが敬意を表していたのもその勘違いを助長させていた。

「それで、第3十刃サマがわざわざ3ケタ(トレス・シラフス)の巣に何の御用かしら?」

「……3ケタの巣?」

「何よ、本当に知らずに迷い込んだっての?」

 怪訝そうな顔をするアメミトに女破面は苛立った様に吐き捨てる。彼女曰く。

「此処は実力及ばず十刃の席を剥奪された敗者……十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の領域よ」

「十刃落ち……」

「そ。そしてあたしはNo.105、チルッチ・サンダーウィッチ。十刃落ちの一人よ」

 女破面———チルッチが自身の斬魄刀を抜いた。鍔の先の刀身は刃の形をしておらず、強靭なワイヤーの様な紐の先に円盤が付いている特殊な構造の斬魄刀が姿を見せた。

「ちょちょちょ、待って待って待って。何で構えてるんだ?」

「あら、偶然だとしてもタダで帰すわけがないでしょう?抜きなさい。アンタの実力試してあげる」

「なんっっっでだよ!!」

「アメミト様一応天蓋下での解放禁止されてんだけど……」

「知ってるわよ。第3(トレス)だものね」

 チルッチが斬魄刀を振りかぶる。本気の本気かよコイツ、とアメミトも反射的に自身の斬魄刀に手をかけた。

「だ、か、ら!公平に帰刃は無しで相手してあげるって言ってるの!!」

「まず戦わないという選択肢はないのか!?」

 ゴォ、とチルッチが斬魄刀を振るい先端の円盤がアメミト目掛けて上から投げ落とされる。アメミトは二刀一対の斬魄刀を抜き、灰の剣閃(バラ・デ・セニーザ)で撃ち返した。

「ゴチャゴチャ言う割にはしっかり対応するじゃないの!」

「そりゃ当たったら痛そうだからな!?ただ迷子になっただけでとんだ災難だろ!!」

「えぇ、全く」

 鞭の先端の様に読み辛い軌道で襲い来る円盤を二刀で受け流し、アメミトは虚閃(セロ)を撃つ。チルッチはそれを響転(ソニード)で回避。空ぶった虚閃は柱の一部を抉り取った。少し離れてその攻防を見ていたミラ・ローズは遠い眼をしてしまう。本当、ただ二人で虚夜宮の散策に出て、うっかり迷っただけなのに。

「て、いうか!!私、第3十刃じゃない!!」

 アメミトが二刀を振り下ろして叫ぶ。チルッチは柄と円盤を結ぶワイヤーでそれを受け止め、嘘をつくな、と吼えた。

「未解放の時点でそんな霊圧してるやつが十刃じゃないは冗談が過ぎるわよ!!そこの従属官のこともどう説明するつもり!!?」

「私!ただの第3従属官(トレス・フラシオン)!!ただの最古の最上級大虚!!アイムノット第3十刃!!」

「最古の最上級大虚の時点で"ただの"じゃないでしょ!!!!」

 それは本当にごもっとも。外野のミラ・ローズは思わずチルッチの方に賛同した。虚園の始まりからずっと生きていて、崩玉という外部干渉も無しに破面化した奴が一般通過(ホロウ)は出来の悪い冗談と言われても仕方がない。尚、タチの悪いことに後者に限ってはハリベルも当て嵌まる模様。

 チルッチがアメミトの二刀をワイヤーで跳ね返す。斬魄刀の柄を横に振い、円盤がアメミトの身体を上下に泣き分かれさせようと迫り来た。アメミトは柱に向かって走り跳躍、柱を蹴って反転し円盤を跳び越える。

灰の剣閃(バラ・デ・セニーザ)!!」

 身体が上下逆さまの姿勢で、アメミトは二刀を振り抜いた。灰の剣閃(バラ・デ・セニーザ)がチルッチの足下を崩し、チルッチは体勢を崩す。

「これで詰みだ」

 ス、とチルッチの首の両側から刃が当てられた。チルッチが体勢を崩した瞬間に、アメミトが響転で背後に周ったのである。冷や汗が額から頬へ伝う。チルッチは脱力して、姿勢を歪めて斬魄刀の刃が食い込まぬ様に気を付けながら大きく息を吐いた。

「あーもう、あたしの負けね。お互い全ての力を解放したわけではないとはいえ、ここまで簡単にチェックをかけられたらいっそ清々しくすらあるわ」

 その言葉にアメミトは内心安堵した。チルッチの首から斬魄刀を離し、納刀する。それにチルッチは途端に不機嫌を露わにした。

「ちょっと、何刀を納めてるのよ」

「え、何でも何も……もう終わりだろ?」

「はあ!?アンタ自分に喧嘩売られておいて何も咎めなしにするつもり!?負けだって言ってんだからサクッと殺せばいいでしょ!」

 振り返ったチルッチが激昂する。アメミトは勘弁して欲しそうな顔で肩をすくめ、ついでに首を横に振った。

「何でだよ嫌だよ。この程度の小競り合いでいちいち殺してたらキリがないしな」

「……アンタ、いつか足元掬われるわよ」

「幸いとても頼りになる同志諸君がいるもので、その心配は無いんだなぁ」

 チラリと、アメミトはミラ・ローズへ目を向ける。視線に気付いたミラ・ローズは、照れた様に右手の指を髪に通した。

「ちなみに落ち着いたところでもう一度言うが、私は十刃ではなく従属官。第3従属官の一人、アメミト・レシェフだ」

「……何回言われても納得いかないんだけど」

「疑ってるとこ悪いけど、マジでこの人アタシらと同じ従属官なんだ。第3十刃はハリベル様の方」

 再度告げられて尚納得のいっていないチルッチに対し、ミラ・ローズが念を押す。チルッチはアメミトとミラ・ローズを交互に見て、溜め息を吐くと腑に落ちない感覚を一旦飲み込むことにした。

「どちらにせよ、空席だった第3の席は埋まった。藍染様の為に戦う戦士としての力量も、アンタの強さを鑑みればそれを従属官にするハリベルって奴の格も十分ってところね」

 腕を組んで、チルッチはやや早口気味に言い切ると無理矢理自分を納得させる。それに対してアメミトはイヤイヤと手を振った。

「私達は別に藍染のために戦う気はないぞ」

「……は?」

 チルッチが目を丸くする。アメミトは神妙な顔をして右手を顎に添え、左腕で右肘を支えるポーズをとった。

「そもそもの話、私は戦士とは違う。強いて言うなら……うん、そうだな。理想を求める者、或いは求道者と定義させてもらおう」

 うんうん、とアメミトは一人頷く。ミラ・ローズはなんか始まったな、と静観の姿勢を選んだ。彼女は経験者である。

「我々は虚。欠落した心を抱える者。だが、欠けてはいても心は心。心は想いを生み、想いは欲を呼び、そして欲は願いに至る」

 大袈裟に靴音を鳴らし、アメミトは老々と語り始めた。唖然とするチルッチと対照的に、ミラ・ローズは平静そのものでアメミトを視線で追う。

「願いは生きる意味であり、原動力だ。そして願いが自らの内から世界という外へ向けられた時、それは理想と名を変える」

 アメミトが両手を広げ、チルッチへ身体ごと向き直った。その勢いに、チルッチは少し気圧される。

「私がかつて放浪の中で同志を求めたのは、理想は外へ向くが故に共有することができるからだ。ティア、エミルー、フランチェスカ、シィアン……彼女達は私の理想に共感し、共鳴し、共有する朋友だ。そして誰にも共感され得ぬ独りよがりの理想など、社会という世界の一単位にとっては無価値に等しい。なればこそ彼女達という同志の存在なくして、私は此処にはいない」

 芝居がかった声と手振りで、アメミトは説いた。右手を掲げ、燦光する翠玉(エメラルド)が瞬く。

「そう、私には理想がある!諦観と殺戮衝動に塗り固められた永遠の夜!虚園の変革を伴う理想が!!」

 掲げた右手が真横に振り下ろされた。チルッチは唖然としたまま、辛うじて脳から直接喉に降りてきた疑問を投げかける。

「変革を伴う理想……って、何よ……?」

 チルッチの問いかけに、アメミトの口が弧を描いた。アメミトは両手で胸元の、心臓の位置をなぞって簡潔に答える。

「虚園の恒久的な平和」

 チルッチの背中が、ぞわりと泡立った。

「それこそ、我が理想。我が願望。我が生存目的!私がこの仮面を破り剥いだ時から渇望してきたものだ!!」

 アメミトの告解に、チルッチは畏怖を抱く。視線をズラしてミラ・ローズの方を向けば、平然としてアメミトに同意を示しているのを見てとれた。チルッチは咄嗟に言葉を挟む。

「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」

「なんだ?」

 恐怖があった。このままアメミトに主導権を持たせ続けることに。だからチルッチは休憩を割り込ませ、一時的にでも流れを僅かに自分へ手繰ろうとする。

「不可能よ、そんなの!!虚園が虚の世界である限り、弱肉強食、喰い合いという名の殺し合いがなくなることはない。虚の本能が、心の欠落を命を奪い合うことで補おうとする習性を基盤に置く以上は!!」

 正論ではあった。虚とはそもそも存在も在り方も終わっているものだ。欠けた心を取り戻そうと魂を喰らい同族を喰らい、孔をさらに拡げることしかできないどうしようもなさを抱えた生き物だ。そんな生き物だけの世界に、恒久的な平和など築ける筈がない。

 だが、アメミトは。

「ああ、そうだ。だからどうした?」

 肯定と反問でもって返した。チルッチが小さく悲鳴を上げる。アメミトは畳み掛ける様に、更に問いを重ねた。

「何故、三界全ての平和の形が同じである必要がある?」

 わざと大きく靴音を響かせて、アメミトは一歩、チルッチに歩み寄る。半歩後ずさったチルッチは、浅い呼吸を繰り返し始めた。

「虚の生態、在り方……それらを鑑みれば人間や死神の世界と同じ形、争いのないことこそ平和であると定義することは無意味だ。なればこそ、私達は虚園に相応しい平和の在り方を自ら定めるべきではないか?———そう、私は私自身の意志で定義しよう」

 もう一歩、アメミトが足を進める。チルッチは幻視する。鋭い牙を揃えた顎を開き、自分を喰らおうとする巨大な獣を。

「規律をもって殺戮を戒め、理性でもって本能を律し、秩序の下に生命活動を保証する。生きる為の喰い合いをこそ奨励し、ただ犠牲を積み上げるだけの殺戮を禁ず。安寧をこそ良しとする弱き者、そして隠者の意志を尊重する。それこそを!」

 刀の間合いよりも近く、アメミトはチルッチに迫った。その迫力に気圧されて、チルッチは悲鳴と共に膝から崩れ落ちる。

「私は、虚園の平和と定義しよう!!」

 もしもここが劇場で、周囲に観客がいたのなら、万雷の拍手が巻き起こるであろう振る舞いで、アメミトは締め括った。

「……イカれてる」

「だろうな」

 どうにか絞り出されたチルッチの言葉に、アメミトは翠玉を皮肉気に細める。

「仮にそんな世界を成立させることに成功したとして、一体誰が統治するわけ?平和を維持する為の規律を担う王に、当てはあるの?」

「勿論」

 チルッチの当然の疑問に、アメミトは迷いなく、是と応えた。

「私が選んだのは、私の理想の王として見出したは———」

 その答えにチルッチのみならず、ミラ・ローズもまた目を見開いて息を飲む。

 一瞬目を伏せたミラ・ローズは、ゆっくりと瞼を持ち上げてアメミトに視線を向けた。

「それ、アタシ聞いてないです」

「今言ったからな」

 悪びれもなくあっけらかんとアメミトは応える。ちょっと本気で引っ叩いてやりたくなったが、ミラ・ローズはすぐにそれを無意味と判断して飲み込んだ。代わりに、少し拗ねたポーズをして悪態をつくことにする。

「現在進行形で迷子のくせに……」

「おいそれ今言うことか?」

 畏れすら滲ませた空気があっという間に霧散して、アメミトは戯け始めた。その変貌ぶりにチルッチはポカンと口を開けて、それから喉の奥でクツクツと笑いを堪える。

 数秒、堪えてはいたものの遂に耐え切れず、腹を抱えて大笑いした。

「〜〜〜っ、あっははは!!あ〜〜、おっかしい!さっきまでお芝居みたいに御高説垂れてたのと同じ破面とは思えないんだけど!」

 身体をくの字に折って笑い転げるチルッチに、アメミトは困惑の表情を浮かべる。わかるわかる、振れ幅でかいよな、とミラ・ローズは後方理解者面で頷いた。

「っあ〜〜〜、もう!ほんとおっかしいわ。お腹痛くなっちゃう」

「笑い過ぎだろ」

「だって本当に可笑しいんだもの」

 笑い過ぎで目尻に涙を滲み出させているチルッチは、アメミトの燦光する翠玉に視線を寄越す。まあ、悪くはないかもね、と魔が差して、こう言った。

「あたしは藍染様の為に戦う戦士。十刃落ちとしてそれは変わらない。だけど、そうね」

 折り曲げていた身体を真っ直ぐ立たせて、皮肉気にチルッチはアメミトに手を差し出す。

「気が向いたら、暇があれば、アンタの理想に手を貸してあげる」

 今度はアメミトが目を丸くした。投げかけられた言葉を頭の中で噛み砕いて、漸く理解すると徐々に表情を喜色に染め上げ、喜び勇んでその手を取る。

「ああ、ありがとうチルッチ!嬉しいよ!」

「気が早い!もう一度言っとくけど、気が向いたら、よ!」

「ああ、わかっているさ。それでも、ありがとうと言わせてくれ」

 心底嬉しそうに微笑むアメミトがチルッチの手を両手で包んだ。チルッチは内心でうーわ、と呟き、代わりに毒吐く。

「アンタ、背後には気を付けなさいよ」

「なんでぇ!!?」

 残当なんだよなあ、とミラ・ローズは口には出さないものの、苦笑することで意思表示とした。




本日の被害様:チルッチ
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