心もまた此処にある
何故に知覚する
心があるからだ
レースのクロスを引いたテーブルの上に並ぶ紅茶のカップと、ティーポット。フィナンシェやクッキーなどの焼き菓子。テーブルを囲む椅子は三つ。席に着くのはそれぞれ明度の違う金髪の女
「ふふ、女子会って憧れてたのよ。あ、た、し」
「女子……会……?」
「ティア、しっ」
困惑するハリベルを肘で突っついて、アメミトは余計なことは言わぬよう戒めた。
二人と共にテーブルを囲い、紅茶の香りを楽しんでいる女性口調で筋骨隆々の大男はシャルロッテ・クールホーン。二人にとってはある種の怨敵、或いは大敵と呼ぶべき因縁ある破面、現
何故こんなことになっているのか、その経緯は一、二時間程遡る。
藍染の協力者となり、
「あ〜ら、そこにいるのは陛下の誘いを袖にし続けたワンちゃんとお魚さんじゃないの」
少々の嘲りが含まれた気配のするその言葉に、二人はカチンと来て勢いよく振り返る。
「ジャッカルだがぁ!?」
「私は鮫だ。二度と間違えるな」
アメミトが威嚇するように歯を剥き出し、ハリベルは碧玉を細めて眉を顰め睨みつけた。振り返った先にいたのは、カチューシャのような仮面の欠片と深いヴァイオレットのウェーブパーマ、そして屈強な体躯が目を引く大男。それがバラガンの従属官の一人であるクールホーンだと認識した二人はどちらともなく、ゲェ、と渋い顔をした。
「また濃いのが来たなぁ……」
「アメミト、しっ」
思わずぼやいたアメミトの脇腹を裏拳で小突いて、ハリベルが戒める。思ってても言っていいこととダメなことがあるのだから。
クールホーンは二人の姿をまじまじと眺め、何かを納得してから大袈裟に髪を払う。
「陛下の傘下には降らなかったのに、死神の下には着くなんてどういう風の吹き回しかと思っていたけれど……どうも、別に忠誠なんて一つも誓っていなさそうね」
「当たり前だろ。私たちの理想の結実を邪魔しない代わりにアイツの目的に手を貸す、そういう取引の下で手を組んだ、ただの協力者だ」
「なるほどねえ。まあいいわ。以前はどうあれ今はお互い仮にも同僚。折角だしお茶でもして親交を深めない?」
「話の腰にドロップキックすんな」
「んぐふっ」
ハリベルが噴き出した。襟に隠された口元を上から手で抑え、痙攣のように震えながら喉だけで笑っている。器用。
「失礼しちゃうわ。この美しいあたしと一緒にお茶ができるという幸運を不意にするつもりかしら?」
ツボに入って器用に喉だけで笑っていたハリベルの表情がスン、と抜け落ちた。
「あ、すまない。一般論的な美醜感覚はわからないが、私にとってはアメミトが一番綺麗でカッコよくて可愛いから……」
至極真顔ではっきり言い切る。流石のナルシズムの強いクールホーンも、これには怒りを通り越して困惑が勝った。よくもそんな熱烈な言葉がスラスラと出てくるものである。
「笑いのツボから復帰するの早いし私のこと好き過ぎか?」
「そうだが?」
「お、おう……」
「……あたし何見せられてるの?」
「なんかごめん」
天丼の流れでハリベルに押し負けるアメミトに、クールホーンは完全に調子を崩された。可哀想なことに、いつもツッコミを入れてくれるアパッチは現在第三の宮でミラ・ローズ、スンスンと共に神経衰弱に興じている。
そんなわけで、特に後の予定があるわけでもなかった二人はクールホーンの誘いを受け入れ、こうして風変わりだが優雅なティータイムに興じていた。悔しいことに、慣れの差なのかアメミトが淹れるよりクールホーンが淹れた紅茶の方が美味しい。
「それで、あなた陛下と同年代だそうじゃない?当時の話とか聞かせなさいよアメミト・レシェフ」
テーブルに両肘をつき、クールホーンはアメミトに視線を向けた。それにハリベルが反応して、顔の下半分を覆っていた仮面の欠片を開いて、手にしていたクッキーを一口で丸ごと放り込んで噛み砕き紅茶で腹に流し込む。そこ開いたのね、と最初はクールホーンも驚いたが、もう順応済みだった。
「ちょ、ティアそんな急いで食べなくて大丈夫だぞ」
流石に一息にクッキーと紅茶を流し込んで咽せたハリベルをアメミトは気遣う。ハリベルはテーブルから顔を逸らして数回咳き込んでから、鋭い目線をアメミトへ向けた。
「私のことはどうだっていいだろ。それよりそうだ、それそれそれ。私も前から訊こう訊こうって思ってたのにずっっっとタイミング逃し続けてたんだ!今日こそ話せ。絶対話せ。お前の昔の話!」
ガタッ、と音を立ててハリベルが立ち上がり、ほぼ息継ぎ無しで捲し立てる。アメミトは気圧されて、反射的に喉から意味を成さない声を漏らした。
「圧が強い」
「一回落ち着いて座りなさい
クールホーンに二の腕を掴まれ、ハリベルは渋々着席する。アメミトは背凭れに背中を預けて天井を仰いだ。
「別に大した話があるわけでもないぞ?バラガンと違って私は
「勢力争い?」
「あれ、そこから?」
アメミトは一旦紅茶で喉を潤す。
「昔は今より血の気の多いバカが多かったからな。その上で、それを力で統率しようとする短絡者の出てくること出てくること……」
今よりも酷い時代だった、とアメミトは肩をすくめる。思い出しただけでも頭痛がして、眉間に皺が寄った。
「特に苛烈だったのはバラガンと、あと一人わけわからんやつがいてな。そいつがまあおっかないおっかない。デカいし硬いし体積増えるしで並の
「「待って待って待って待って」」
ハリベルとクールホーンが待ったをかける。なんだよ、とアメミトは水を差されて口先を少し尖らせた。
「ホントに待ってくれアメミト。私たち今お前の昔語りを聞いていたんだよな?」
「そうだが」
「だよな!?急に本当にあった怖い話が始まるから何事かと……」
「何でだよ。別に昨日まで幅を利かせていた
「そ、れは……そうだけど!」
「だとしても、消息不明になってから長い時間経ってから思い出せなくなるんじゃなくて、ある日突然いなくなってすぐ思い出せなくなるのは普通に恐怖体験だと思うわよ?」
「そういうものか……?」
アメミトは首を傾げた。いかんせん、遥か昔の話である。そういうもの、そういうこともあると片付けてしまっていたので、二人がここまで動揺する理由がいまいちわからなかった。バラガンもそうだが、最古級の
「まあなんだ、そいつが消えたことで結果的に勢力争いにおいてはバラガンが頂点に躍り出たわけだ。で、知っての通りあのジジイは虚園の王を名乗り始め、多くの大虚を従えようとあちこちに圧をかけていた。その頃には私も丁度最上級大虚まで到達していたから、当然従うか死ぬかどっちか選べって脅されたよ。私としては最低限の捕食だけして後は静かに過ごしていたかったから、持てる全てを使って全力で逃げ回っていたんだが」
あの日のことは昨日のことのように思い出せる。そう言ってアメミトは翠玉を瞼の裏に隠し、懐かしんだ。
「私はある時、一度死にかけた」
ハリベルが息を飲んだ。クールホーンが眼を見開く。
「そいつは当時はてんでお目にかかれない———いや、今も天然のはそういないか———成体の破面だった。ただのしがない最上級大虚でしかなかった私は容易く嬲られた。全身をズタズタにされて、奴の斬魄刀で頭をカチ割られそうになった時、魂の底から強くこう思った」
緩やかにアメミトの翠玉が開かれる。対照的に、ハリベルとクールホーンは瞬きを忘れて呼吸を忘却していた。
「"死にたくない"、"消えたくない"、"終わりたくない"……全身をそんな思いが支配した時、私は仮面を自ら破り棄てた」
「!!」
ヒュッ、とハリベルが息を急激に吸い込んだ。その感覚には、その情動には覚えがあったが故に。死の拒絶という、激情に。
「そうして私は、破面となった」
一度そう区切って、アメミトはカップに残った紅茶を飲み干す。おかわり貰える?とクールホーンに訊ねると、クールホーンはハッと我に返ってティーポットからアメミトのカップに紅茶を注いだ。
「それから、どうしたの?その、あなたを襲った破面は」
ティーポットをテーブルにそっと置いて、クールホーンは恐る恐る訊ねる。アメミトは何でもない風にこう答えた。
「斬魄刀持った腕だけぶった斬って、すぐ逃げたからアイツがどうなったのかは私も知らないんだ。悪いな、しょうもない答えで」
「その状況で逃げ切れたのね……」
「必死で使えるようになったばかりの
ガシッ、と沈黙していたハリベルがアメミトの肩を掴む。何事、と困惑するアメミトにハリベルはたっぷり息を吸い込んで。
「ほんっっっとうに、生きててよかった……」
心の底からの、本音の言葉だった。
「えぇ……そんなに?」
「あなたもしかして、長く生き過ぎて危険と感じる事態のハードルがとてつもなく上がってないかしら。言っておくとあたしも
「えぇー……」
あからさまに腑に落ちません、という表情をしてアメミトはフィナンシェを口にする。えぇー、じゃないわよとクールホーンは呆れて紅茶を飲んだ。しまった、アメミトの話に集中し過ぎて冷めてしまっている。
「で?破面になってからはどうしたのよ」
「別に特に変わらないよ。バラガンから逃げて、必要な時に捕食して……ああ、でも」
残りのフィナンシェを口に投げ入れて、指に付いた生地のクズと油脂を舐め取ると、行儀が悪いとクールホーンに手を引っ叩かれた。これは流石にクールホーンが正しいのでハリベルは何も言わない。
「理想をより具体的に思い描き始めたのは、破面化してからだな」
アメミトはそう締め括った。
紅茶と焼き菓子も粗方腹に収まった頃、突発的に開かれたお茶会はお開きとなった。片付けは此方でやっておくからと、クールホーンは二人を送り出す。
「存外楽しかったよ、シャルロッテ。機会があれば、またやろう」
「……紅茶、美味しかった」
最上級大虚の二人からの賛辞を受け取って、クールホーンは気分が上向くような心地を覚えた。優雅な所作で髪を払い、曖昧な次回を約束する。
「ええ、ありがとう。またお話しましょう?」
ひら、と右手を振って、クールホーンはアメミト達の背中を見送った。
クールホーンとのお茶会から数日が経ったある日のこと。ハリベルは珍しく一人で、虚園の砂漠を一望する窓辺に腰掛けてぼんやりしていた。アメミトが
アメミトは狡い。自分ばかりが心を乱され振り回されている、とハリベルはぶすくれる。此処にアパッチが居れば、振り回しているのはどちらかと言えばハリベル様ですよと指摘したのだが、ハリベルが直接着いてくるなと釘を刺したので残念ながらいない。何度目になるかわからない溜め息を吐いた時、意識外から働きかける声があった。
「———お前一人か、ハリベル」
「……ウルキオラか」
話しかけてきたのは、珍しいことに
「……以前から、お前と、お前の従属官の廃食に聞きたいことがあった」
「……お前今廃食って呼んだこと絶対アメミトに直接言うなよ。殺されるぞ、冗談抜きで」
アメミトが此処にいなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない、とハリベルは冷や汗をかく。ウルキオラは何を言っているんだコイツは、という顔をして浅く息を吐いた。
「私闘は禁止だろう」
「私闘じゃなくて一方的な
今日一番長いため息が出る。ハリベルとしても、ウルキオラがどの程度の強さなのかは未だ測り損ねている(というか実力を推し量る為の情報が無い)ので断言するべきではないのかもしれないが、アメミトが本気で殺しにかかったら多分冗談抜きでウルキオラが死ぬだろうと考えていた。
「まあ、いい。廃食がいない以上、お前だけでも構わん」
「お前は一体どこから目線なんだ?」
ハリベルは呆れと困惑が入り混じった目をウルキオラに向ける。ウルキオラはそれを全く意に介さずマイペースに続けた。
「お前達は……何故無意味なことをして笑う」
「なんのこっちゃ」
いきなり訳が分からなかった。無意味、とは一体なんのことを指すのやら、ハリベルには見当が付かない。
「会話に情報共有と忠告以外の用途を見出しているのは何故だ。遊戯という非生産的な行為に時にのめり込むのは何故だ」
ただただ疑問だけを乗せた声でウルキオラは幾つも問いかける。
「欠落した存在でありながら、異常なまでの楽観視でもって人間のように生を謳歌するのは、何故だ」
問われたハリベルはただ困惑した。
「人間のようにも何も……私たちは人間から変じた存在だろう」
「だが人間ではない。人間にはあるはずの情動が欠けている。それが俺たちだ」
「えぇ……」
ウルキオラの言うことも正しくはある。虚は元々心を失い剥き出しになった本能を基準として魂魄を喰らい続ける化け物だ。共喰いの果てに
とはいえ、ハリベルは既にウルキオラの問いに対する答え自体は持っている。
「そんなの、簡単な話だ」
腰掛けている窓辺から立ち上がり、身体をウルキオラの方へ直角に回転。右手で心臓をなぞり、左手は斜め下に緩く広げた。
「
ウルキオラの眉が顰められる。
「お前がいる……?何を訳のわからないことを」
「アメミトならもっと間怠っこしい言い回しで捲し立ててるよ。私は此処にいる。だからこそ知覚する。だからこそ思考する。だからこそ情動する。自分というものが存在しなければ、そこにあるものを認識できない。認識できなければ、何も感じない」
アメミトのように朗々と、しかし直接的な言葉でハリベルは謳った。
「私は私として確かに存在している。そして世界を認識している。だから、それに気付いた時からずっと……そう、ずっと楽しいよ、生きるの!」
ハリベルは両手を大きく広げて明言する。虚としては異端。理解できない思考。ウルキオラは内心で明確にハリベルと、そして彼女に大きな影響を与えたであろうアメミトに対して、踏み越えられない一線を引いた。
「楽しい、だと?」
ウルキオラは信じられないと言外に滲ませる。
「そうだ。私は今、すごく楽しい」
舞台の上で歌うように、ハリベルは酩酊した。碧玉を閉ざした瞼の裏に映るのは、月光を反射する金髪と燦光する翠玉。
「喋るのが楽しい。お茶をするのが楽しい。遊ぶのが楽しい。喧嘩ですら途中で可笑しくなって笑ってしまう。私が私として体験する全てが楽しい」
それは夢見る少女のように、成熟した外見とは
「アメミトのお陰で、今の私がある。私は私として、此処にいる……!」
ハリベルの右手がウルキオラに伸ばされた。ウルキオラは沈黙と不動、不理解でもって、拒絶を示す。
「アメミトもきっと、回りくどくて面倒臭くて長ったらしい演説で同じことを言うだろう。人であれ虚であれ、生きているのだから須く幸福を追求して然るべしだ」
「……幸福?」
ウルキオラは嘲笑で返した。
「心無い俺たちが、一体何をもって幸福を定義するつもりだ」
「心ならあるだろう」
右手を差し伸べたまま、左手で胸を叩く。
「世界を知覚する自分がいる。見たものを、聞いたことを、嗅いだものを、味わったものを、触れたものを自分にとって何として定義するか。そのフィルターが心だ」
フィルター、とウルキオラはハリベルの言葉を反芻した。
「幸福を定義するのは私であり、お前であり、人それぞれだ……とまあ、ほぼほぼ全部アメミトからの受け売りでしかないが」
少し照れたようにハリベルは襟越しに仮面の欠片を引っ掻く。ウルキオラは呆れと失望が混じった溜め息を吐いた。
「他者の言葉、他者の考え、そんなものに踊らされているのか」
「確かに他人の思想だろう。でも、それだって自分なりに咀嚼して受け入れればもう自分の思想だ」
「受け入れる」
「ああ、そうだ」
ハリベルの視線が窓の向こう側、虚園の白い砂漠へ向けられる。
「全てを受け入れる必要はない。共感して、納得して、自分の根幹を変えない程度に柔軟に取り入れればいい。少なくとも———」
ハリベルは目元で笑んだ。
「私はアメミトの思想に共感して、理想に共鳴したよ。アメミトと出逢わなかったら、私は此処にはきっといない」
顔の下半分を隠して尚伝わる程、幸福そうに笑うハリベルにウルキオラは寒気を覚えた。
「……お前は———」
言いかけた、その時。
「おーい、ティア!」
ハリベルの後ろから翠玉が駆けてくる。その声にハッと振り向いたハリベルは、目に見えて表情を明るくした。
「アメミト!」
「なんだどうした。ウルキオラと一緒だったのか?」
「ちょっとした雑談をな」
燦光する翠玉がウルキオラに向けられる。度し難いな、と聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いてウルキオラは二人に背を向けて立ち去って行った。
「え、何。アイツどうしたの」
「さあ?私たちが何で生きるの楽しそうにしてるのかがよくわからんのだと」
「えぇ……」
ハリベルの返答に、アメミトは困惑する他ない。アメミト自身、最初からそういう考え方をしていたわけではないのだが、ウルキオラがそんなこと知る由もなく。知らないうちに出来てしまった溝に途方に暮れた。
「で、ちなみにティアは何でそんなご機嫌なんだ?」
「ん?別に大したことはないぞ」
ハリベルは両手を後ろで組む。キョトンとした顔をして首を傾げるアメミトに、愛おしそうに微笑んだ。
「アメミトは今の私を作った全てなんだな、と再確認しただけだ」
「え、何、急に重い。ほんとにどうした?」
「重いって何だ、重いって!」
軽口と戯れ合いをしながら第三の宮に帰る二人は、ウルキオラの言う通り心の欠けた虚と思えないほど人間のようだった。
お茶会という名のアメミト昔話
ティア・ハリベルのスピーチ
二本立てでお送りしました。
変なとこばっかり感化されてるなこの第3十刃