「トウジ様はラディソーマに向かわれるのですか?」
「うん。〈混沌教〉の本神殿で猫……〈混沌の女神〉を《神降ろし》したいんだ」
「そういうことであれば、このヘルカにお任せください! 本神殿では巫女を務めておりましたので、《神降ろし》も行なえます」
「それは助かるけど、このままついてくる気じゃないよね? ルノンド子爵の家の窓を壊して出てきたっきりだけど」
「彼らなど放っておけばよいのです。どうせ反乱分子として帝国に打ち倒されるのですから」
ヘルカが鼻息を荒くしながら言い放った。
僕を抱きしめたまま喋っているので、首筋に息がかかってくすぐったい。
「いやいや、無辜の民? のためにも説得なり帝国に報告するなりしないと」
「帝国は既に知っていますよ」
「えっそうなの」
「私に伝えてきたものも帝国の間者ですから。帝国としては燻っている旧ラシソーマの反乱分子を一掃したいのでしょう。だからあえて見逃し蜂起させ、皇族と現在の領主であるモーリュ辺境伯に合同で挙兵させて討たせるのです。反乱分子はいなくなり皇族の功績にもなる。帝国の得ばかりです。人質の私に知らせたのは、私が旗印になればより多くの民が独立に賛同し、反乱分子がたくさん釣れるからでしょう」
「随分と回りくどいやり方だな」
「帝国にもむこうから独立戦争を仕掛けてきたという、大義名分が必要だったのです。どうあがいても戦争が起きて民の命が奪われるのなら、私が参加しないほうがまだ被害は少なくて済みますから」
ヘルカの僕を抱きしめる力が強くなる。
「ふむ、つまり帝国は先に手を出すつもりはないというわけか。仮に独立戦争そのものを止めたとしても、反乱分子が燻っていては帝国が別の手段を取る可能性もあると」
「〈混沌教〉の本神殿は旧ラディソーマの西端にあります。独立戦争を起こせば間違いなく戦場となる竜渓谷とは離れた場所ですから、トウジ様の目的の邪魔にはならないのでご安心ください」
僕から体を離したヘルカは、儚げな微笑を浮かべている。
先程までの狂信者ムーブはどこへやらで、民を憂う亡国のお姫様ムーブに切り替わっていた。
「それでお人好しのトウジ様はどうするのかしら?」
「別にどうもしないし……」
ヘルカの言葉は分からないはずなのに、分かったような口ぶりでリリンが聞いてくる。
さすがに旧ラディソーマの民のことまで面倒は見れないぞ。
「袖振り合うも他生の縁って言うじゃない」
「まだ袖振り合ってないし、その予定もないぞ」
〈カオステラー〉の面々に何かあれば助けるのは吝かではないが、旧ラディソーマの民は完全に他人である。
僕は聖人君子じゃないから、困っている人全員に手を差し伸べるなんてできない。
どこかの流浪人も「この瞳に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ」と言っていたように、頑張っても身の回りだけで精一杯だし十分だろう。
「申し出はありがたいけど、本当にヘルカはついてくるのか? 誘拐されたんだし〈地神教〉の神殿とルノンド子爵、両方から捜索されるんじゃないか?」
「そのあたりは帝国の間者が調整してくれますから大丈夫です。それに問題があればあちらから接触してくるでしょう。私が戦争に参加しなくても、人質としての価値は残りますから」
人質のはずなのに随分と強気なヘルカ。
さすがは亡国といえども姫なだけあり肝が据わっている……のか?
正直なところ現地に詳しい人物がいてくれるのは助かる。
現在ラディソーマを管理しているモーリュ辺境伯とコンタクトを取るという手段もあったが、貴族とはできるだけ関わりたくなかったのでやめた。
メリットよりデメリットが上回りそうだからな。
「この身一つでの奉公になることをお許しください。清貧を心がけ、下働きはもちろんご所望とあらば夜伽も……」
「いや本神殿への案内だけで十分だからね? というか子ども相手にさっきから何を言ってるの」
「え、でも羊人族のお姉様は……あっ、いえ、なんでもないです」
何かを察したヘルカが急に言葉を濁す。
僕が最初に目覚める前にリリエルが何かしたようだが、それが〈混沌教〉信者に向けて無許可配信されていたと……。
宿に戻ったら裁判を司る神がいないかレジータに聞こう。
猫とリリエルを訴えてやるんだ。
相手取るぞ。
「話がまとまったならそろそろ帰りましょう。もうすぐ夜明けだし」
リリンの言葉を聞いて、思い出したかのように眠気に襲われた。
さっきまでは寒くて別の意味で眠りそうだったが、ヘルカに暖められて体温を取り戻した影響だろう。
というわけで三人で宿に戻る。
庭先に降り立つ頃には東の空が明るくなっていた。
今更だけどこのアトルランという星でも太陽は東から昇るんだなあと、眠い頭でぼんやり考える。
ここは地球から遠く離れた宇宙にある
太陽は地球と同じで一つだが、月なんて五つもある。
潮汐力とかどうなっているんだろうね。
「それじゃあ私は人に見られないうちに街の外に戻るわ。今晩も誘拐しに来るから、夜更かしできるように日中から寝ておくのよ? ちゃんと約束守ってね」
成長期の子どもによろしくない発言を残してリリンは去って行った。
いや、このまま成長するつもりはないのだが。
「トウジ様、遅いので心配していました」
「旅の初日から女連れで朝帰りですかあ?」
「ごめんオーディリエ。ちょっと色々あってね。こちらはヘルカリードさん」
「ヘルカとお呼びください。以後お見知りおきを」
「無視しないでっ」
ウザ絡みにイラっとしたので無視していると、リリエルは僕に泣きついてきた。
本人に悪気がないのは分かっているが、それはそれで質が悪い気がする。
「羊人族のお姉様。同じ神を信奉し、使徒であるトウジ様に仕える先達として私を導いて頂けないでしょうか」
「むっ、あなたは〈地神教〉ではなく〈混沌教〉の信者なのね」
ヘルカが胸の前で〈混沌教〉の聖印 (∞の形に似ている)を切ったのを見て、リリエルがキリリと表情を引き締める。
下半身を床に投げ出し上半身だけで僕に抱きついた状態なので、絵面的には全く締まっていないが。
「はい。本神殿までの案内を仰せつかりました」
「むむっ、《神降ろし》の役目は譲らないわよ」
「それはもちろんトウジ様の第一従者であるお姉様にお譲りします」
「あなた、なかなか見どころがあるわね」
目をスッと細めて不敵に笑うリリエル。
シリアスに決めるなら僕に抱きついたまま会話するのをやめて欲しい。
様になってないし重たいから。