ごう、という大気を斬り裂くような音が聞こえた。
覆道の上を何か巨大な物体が通過したのだ。
通過したと思ったそれは再び戻ってくると、覆道の上に着地したようだ。
地震が起きたかのように覆道全体が揺れ、頭上から天井の破片がばらばらと落ちてくる。
兵士たちが慌ながらも、僕らを含めた通行者を隣接する砦内部に避難させようとしていたが、その全員が突如動きを止めた。
そして一点を見つめている。
覆道の窓の外に、巨大な竜の顔があった。
真っ赤な鱗に鋭い牙が覗く顎、頭部には槍のように鋭い棘が無数に生えている。
爬虫類独特の縦長の瞳孔がギロリとこちらを睨みつけていた。
見られているだけなのに、強烈な殺気を放たれたかのように身が竦み動けない。
僕はこの殺気を
蛇に睨まれた蛙のように身動きの取れなくなった僕らだったが、竜はおもむろに首を持ち上げると飛び去って行った。
数秒間の沈黙の後、覆道内はパニックに陥る。
馬はその場で気が狂ったように暴れ出し、宥めようとした者を後足で蹴り飛ばす。
兵士たちは我先にと砦内部へ逃げ込もうとしている。
先程のように避難誘導する余裕はなかった。
僕らの前後にも門を通った旅人や商人、冒険者などの一般人がいたのだが、彼らもその場で放心していたり、兵士に混ざって砦に逃げ込んだりしている。
(大丈夫。大丈夫よ~)
こういう時、ユキヨの思念が乗った言葉は心強い。
ユキヨが本当に動じていないことが皆に伝わり、リリエルが必死に抑えていた馬も落ち着きを取り戻す。
セリは顔面蒼白で硬直したまま、リンは過呼吸を起こしていたが、こちらも次第に回復していく。
かくいう僕もユキヨの声がなければ、危うく情けない悲鳴を上げるところだった。
以前なら灰褐色の毛が総毛だつくらいで済んだのだが。
「……ふう。なあシンク。今のって」
「ん、叔父さん」
「やっぱりかあ」
あの真っ赤な竜はリージスの樹海に棲むシンクの叔父、アレンであった。
初対面の時に誤解があって、今のように殺気を飛ばされたのを体が覚えている。
「い、今のがラディソーマ初代国王、アレンフリューズ様なのですか!?」
座席から滑り落ちて馬車の床に尻もちをついたままヘルカが叫んだ。
何故アレン叔父さんが竜渓谷にいるんだ?
攻撃するつもりはなかったようだが、何か目的があるのか?
まさか独立戦争と関係しているのか……?
さすがにこれは帝国も想定外だと思われるが。
「あれ、竜クラスの強い存在が他所からやってきたら、ここを縄張りにしてる神が放っておかないんじゃないのか?」
「そうね。あの〈較正神〉のことだからもう大騒ぎして助っ人の神を呼んでるかも」
突然アナが大事に抱きしめていた〈ホロカちゃんぬいぐるみ(小)〉が喋り出す。
竜の出現に反応して憑依していたレジータも目覚めたようだ。
「ええ……大事じゃん」
覆道内は暫く騒然としていたが、やがて僕らが通過した側、つまり帝国側の門が開くと兵士たちが一般人をそちらへ誘導し始めた。
もちろん僕らもその対象だ。
「先程の竜は竜渓谷の頂上に陣取っている。よってモーリュ辺境伯領へ行くことはできない。引き返せ!」
「これからどうするんですか?」
「なんだ貴様は。……我々にはどうすることもできない。早馬を走らせて近隣領主、並びに皇族の判断を仰ぐしかあるまい。それまであの竜が大人しくしているか、どこかに飛び去ってくれればよいのだが」
唐突に子どもの僕に話しかけられて戸惑う門番の男だったが、横で手綱を握るリリエルに睨まれると素直に話してくれた。
「緊急事態だ。デクシィ侯爵家の通行証があっても通すわけにはいかん。だからさっさと立ち去るがいい」
というわけで僕らは竜渓谷から追い出されてしまった。
「フレックの苦悩する顔が目に浮かびますね」
「言っておくけど僕は何も余計なことはしてないぞ、リリエル」
偶然知人である竜の叔父さんが竜渓谷に飛んできただけだ。
「トウジ様、これからどうされるのですか?」
「うーん、素直に竜渓谷を迂回……はまあなしか」
三倍の日数をかけて旧ラディソーマを目指すのはしんどいのは当然だが……。
「叔父さん邪魔。どかす」
「是非初代国王陛下にお目通りさせて頂きたく。アレンフリューズ様がお戻りになったのであれば、状況は大きく変わります」
ふんすと鼻息の荒いシンクと、色々と気が気でないヘルカからの猛プッシュは避けられそうもない。
シンクは単純に叔父さんに邪魔されて怒っているだけみたいだが、そうだよね。
タイミング的にどう考えても独立戦争絡みだよね。
「とりあえず話を聞きに行くか。面子は僕とシンクとヘルカが確定だとして、レジータにも来てもらったほうが良いかな」
「そうねえ」
「はいはいはい!いくいくいく!」
(はいはいはい~いくいくいく~)
好奇心を抑えられない妖精さんと精霊さんが、連れて行けと僕の周りをブンブン飛び回る。
「はいはい、わかったよ。ユキヨはフィンの真似をしなくていいから。すまないけど待機してもらってていいかな。いざとなったらアレを使ってもいいから」
「わかりました。待っていますね」
ルリムだけでなく、リリエルとオーディリエも力強く頷いた。
アレとは
つまり邪人が扱う外法なので、人前で使えば大騒ぎになる。
しかし戦力の大半がこの場を離れるので、もしもの時はためらわず使って欲しい。
命の方が大事だからね。
「兄貴、本当にあの竜のところに行くのか? このまま逃げた方がいいんじゃないのか」
「大丈夫だよ。一応知り合いというかシンクの叔父さんだし、話を聞きに行くだけだから」
「おじさん……?」
不安げな表情をしたセリが僕とシンクを交互に見た。
あの恐ろしい竜と可愛らしいシンクが親戚と言われても、納得できないのはわかる。
かといって証明にシンクの竜の姿を見せたら、シンクも怖がられてしまいそうなので今は我慢してもらうしかない。
「アナ、リンを頼んだよ」
「うん。わかった」
レジータこと〈ホロカちゃんぬいぐるみ(小)〉を僕に渡して手の空いたアナは、兄同様に不安そうにやりとりを聞いていたリンの手をぎゅっと握った。
「それじゃあ行ってくるね」
周りに人がいないことを確認してから、レジータを抱えた僕をヘルカが抱えると、背中から竜の翼を生やした。
皆で飛んで竜渓谷の頂上を目指すというわけだ。
子どもの姿で他人に抱えられて空を飛ぶのは怖いが耐えるしかない。
ヘルカが数度羽ばたくとあっという間に空の上だ。
恐る恐る地上を見ると、騒動中もマイペースにぼーっとしていたフレンが、こちらに向かって手を振っていた。