「くふぅっ」
僕がルーちゃんと呼ぶと、巨女は悶えるようにして仰け反った。
「うわっ。おちる」
何の支えもないので僕の体は巨女の体の上を滑り、胸元から喉元へと移動。
巨女が上体を戻すと今度は喉元から胸元へ滑り落ちた。
危うく黒いワンピースの内側に落ちそうになったが、襟を掴んでなんとか堪える。
巨女の全長はおおよそ五メートルはあるだろうか。
うっかり下を見てしまい、高所にいる恐怖で頬が引き攣る。
丁度襟元の真ん中に掴まっているので、今手を離せば両胸の隙間から地面へ真っ逆さまだ。
ワンピースの下は裸なのか、などといった雑念は一瞬で消し飛ぶ。
「くふふ、ごめんなさい。これで大丈夫よ」
僕が必死に掴まっているのを見て、巨女は下腹部のあたりで腕を組み胸を持ち上げる。
柔らかいがしっかりとした足場ができて、なんとかワンピースの内側から脱出して最初と同じ位置に戻った。
いや、地面に下ろして?
「ごめんねトウジ。紹介するけど彼女はルトアニマ。〈変容と不朽の神〉よ。ちょっと危ない趣味をしてるけど危なくはないから安心して」
一文の中で既に矛盾していて安心できないよ?
〈変容と不朽の神〉とはその名の通り変化と不変を司っていて、変容の力で対象の姿形を変えることができる神だ。
僕をこの幼い頃の益子藤治の姿に変えた張本人である。
「さっきみたいにルーちゃんって呼んでくれると嬉しいわ。くふ、くふふ」
ルーちゃんことルトアニマが、鼻息を荒くしながら胸元にいる僕を見下ろす。
巨体だから肺活量も相応で、フローラルだけど湿った風が僕の顔を撫でる。
「ええと、この体を造ってくれてありがとうございます。おかげで〈コラン君〉から意識を取り返すことができました」
「ちゃんとお礼が言えて偉いわあ。くふふふ」
「そりゃまあ、中身は三十歳のおっさんですから」
「あら、とても長生きな神からしたら三十歳なんて子どもも子ども。いいえ赤ちゃんも同然ね」
「そういうものですか」
「そういうものよ。あとそんな他人行儀な言葉遣いをしないで。私と貴方の仲じゃない」
「わかったよ。ルーちゃん」
「くふふふふ」
どんな仲かよくわからないけど、僕の返事を聞いて嬉しそうに胸を揺らすルトアニマ。
揺らされ続けるとその上にいる僕が酔いそうなのでやめて欲しい。
「ここは僕の夢の中ってことでいいの?」
「そうよ。直接出向くと色々と問題があるから、夢枕に立たせてもらったの。本当は実査に遭って貴方を抱きしめたいのだけれど」
僕的には現実と変わらないくらいリアルな感覚なのだが、神的には違うのだろうか。
「物騒な展開というやつ?」
「くふふ、そうよ。竜と神が直接喧嘩するなんて何年振りかしら。ノリちゃんとユピちゃんが張り切っちゃってしょうがないの」
「ノリちゃんが〈較正神〉でユピちゃんが〈雷虎〉ね」
「それでハンデもあって竜に勝てないから、くふっ、援軍を呼ぶつもりなのよ。貴方……トーちゃんは竜側につくのでしょう?」
僕に妙な仇名をつけたルトアニマの問いに僕は首を傾げる。
「うーんどうなんだろう。できれば関わりたくないというのが本音だけど、放ってくと旧ラディソーマに住んでいる人たちが大変な目に遭いそうでなあ」
「まあ、なんて優しいんでしょうトーちゃんは」
「そうでもないさ。僕の目的は元の姿、三十歳の益子藤治の姿に戻ることだから、それを最優先にしたいし」
「くふっ、ごめんね。生前の姿に戻すのはルール違反なのよ」
「ルール? てか今聞きたくない答えを聞いた気がするぞ」
「あくまで私の力で戻す場合の話だから安心して。くふふふ、本当にごめんね。ルールの内容も言えないのよ。聞きたければトーちゃんも神の一員になってもらう必要があるけど」
「じゃあいいです」
「食い気味に断わられてルーちゃん悲しいわあ。その変容した可愛い姿を不朽で楽しめると思ったのに」
神には神のルールがあるということなのだろう。
前にも誘われたが、じゃあなります、とは言い難い。
「トウジって妙なこだわりがあるわよね。普通は神になれると言われたら喜んでなるものだと思うけど」
そうかな……君たちを見ているとあまり神になりたいと思わないのだが。
神なんかになったら大きな責任を負うことになるじゃないか。
多くの人々の生活を守らなければならないし、もしやらかせば某カピバラのように数百年単位で罰せられるわけで。
さすがにあいつのようなやらかしはしないけどね。
「結構誘われるけど、僕ごときを神に引き入れても何のメリットもないんじゃない?」
「それは過小評価よ。これまでのトウジの活躍を考えれば有能な神になると思うわ」
「今以上の責任を負いたくないのだが」
「その責任という考え方が私たち神にはあまりないのよ。トウジはまじめというか、欲がないというか」
やれやれといった感じでレジータが首を振っているが、自覚しているなら是正しなよ。
ご存じの通りこのアトルランという異世界には、
元々は創造神という一つの存在だったが、自らの力を分け与えた分身を造り、それぞれに様々な役割を与えた。
一応神々はアトルランに住む生物たちの守護者であるはずだが、真面目に守護ってる神をあまり見かけない。
直接干渉は制限があるらしいが、それを差し引いてもねえ。
失恋して瘴気が溜まったり風呂を覗いたりと、下々に迷惑をかけすぎだ。
ああでも〈較正〉や〈雷虎〉はまじめなのかな。
アレフとのやりとりを見る限りだと、喧嘩っ早そうであまり関わりたくはないが。
「いずれにせよ私はトーちゃんの味方よ。最初はレジーちゃんに頼まれたから変容させたけど、貴方の魂の形を気に入ったの。さすがレン姉のお気に入りね。くふ」
レン姉というのは猫こと〈混沌の女神〉のことだ。
ローレンなんたらとかいう名前だったはず(忘れた)。
「せめてもう少し大人の姿にしてもらえると助かるんだけど」
「ごめんね。ルールに則るとその姿が限界なの。まあ半分は私の趣味だけど」
その半分でどうにかしてくれませんかね? と言いたくなるが、助けて貰った立場なので堪える。
甘んじてルトアニマのショタコン趣味を受け入れよう。
「でもこの先、その姿だと乗り越えられない状況が訪れるでしょう。だから祝福をひとつ授けるわ。これは完全にルール違反だから、出来れば使って欲しくないけど。私の存在が削れちゃうから。でもトーちゃんのためなら仕方ないわね。くふふ」
なにやら予言めいたことを仄めかしつつ、ルトアニマは胸元の僕を抓むと自身の手のひらに乗せた。
そしてずずずと近づいてくる彼女の巨大な唇。
ひっ、食われる!?
一瞬怯んでしまったが、単に口づけをされただけだった。
なんて油断したのがいけなかったか。
相手は巨女なので、唇を支えきれず押し倒され手のひらとの間に挟まれる。
「ちょ、舐めないで」
「はあはあ」
「こらこら、やめなさい」
「くふふ、失敬。これで祝福は完了。貴方が願った時、一度だけ、一刻の間だけ、望んだ姿に変身することができるでしょう」
白い頬を上気させながら唇をぺろりと舐めたルトアニマの姿がぼやける。
いや、レジータとこの暗黒の世界そのものもぼやけ始めた。
どうやら夢の終わりのようだ。
「それじゃあトーちゃん。いずれまた会いましょう。あと前半の夢も真実よ。でも神の領分だから口外しちゃだめよ、くふふふふ」
「え、それって……」
どういうことだよと問いただそうとしたが、もう言葉を発することができない。
ルトアニマやレジータ、そして僕の存在の境界が曖昧になり、溶けて混ざり合い、意識は覚醒へと向かっていった。